以下はロタ島のダイビングセンターRUBINのオーナー山本さんの体験談です。
「吠叫の海ROTAの沖5マイルからの生還」
ロタ島のオフシーズン、日本の北海道の東に低気圧が出来ると2~3日後にROTAの海は荒れます。1月中旬までは風向きにより北方面、南方面と交互に潜れていましたが、1月下旬から本格的な北寄りの風が強くなり、RUBINの前の西港からの出港は出来なくなりました。北向きのダイビングポイントは全滅。「死んじゃいます。」って感じの海です。でも南向きのポイントはべた凪なので、今日から来られるお客さんも楽しんでもらえるだろうと思いながらランチ、その後、休日の日課の昼寝。
1時間後に起きるとちょうどDPS(警察)ボーティングセイフティ(海上警察)のディレクターから電話で、「船を借りたい。沖でエンジンの止まったボートが漂流中。USCGのボートは大しけで間に合わず、今グアムからヘリコプターで位置を確認中。警察のボートは馬力が足りないので牽引出来ない。」とのこと。過去に漂流ボートは数回救助しているので、荒れた海ではあるがすぐにOKしてボートの準備。海上警察部長ライとスタッフのフランク、私の3人で港を出ました。
港を出てしばらくはトローリングでカツオを追い外洋に出た時より更に強い風が吹いていたが、恐れるほどのうねりではなかった。しかしヘリコプターが漂流ボートと私のボートの中間地点で誘導してくれるのですが、どこまで行っても漂流ボートは見えない。20分ほど進むと北から今までとは違う厚いうねりが迫ってくるようになり、ヘリコプターの進路の西に向かいたいが、うねりにあおられないように船首をうねりに向ける。うねりを乗り越えて西に向かうとすぐに北から更に分厚いうねりがせまる。西に行きたいのに北へ舵を取りながらだんだんパターンが解ってきたのでボートのスピードも計算して風に流されながらうねりをかわしながらヘリコプターを追従する。
さらに25分後、ついに漂流ボート発見。ところが周りを見渡すと6mほどの大うねりがあちこちで吹きあがり、自分のボートもやっとのことで走っている。吹き荒れる波しぶきに視界はふさがり、ボートの中には海水が浸水。湯船から洗面器でお湯をすくうがごとく海水が浸入する。対象物が無い大海原では自分の理想とする景色が広がっていて、対象物(漂流ボート)が見えたとたんに現実を知ることになる。ライもフランクも無言・・。
フレームにつかまっているのが精いっぱいでロープの準備も出来ない。なんとか乗員3人の漂流ボートに近づき、ベテランのライに操船を任せ、ロープを準備。船尾両端のクリ―トにロープをつなぎ、3角形を作って船外機を通せるよう固定、中心からロープを伸ばす。一つのクリートでは操船も出来なくなる。ロープの準備完了。フランクにロープを投げてもらうことにして操船を代わり右舷の漂流ボートの方を見ると、何と6mも下にいる!と思ったとたん、左舷からズルリと滑り落ちるように波の裏側へ吸い込まれる。なんとか持ちこたえたその目前にはまた6mの大波が迫っている。
「死ぬぞ。」このままここで漂流ボートを救助しようとすれば死ぬ。こうやって人は自然に負けて、あっけなく死ぬんだ。海では人間が一番弱い動物なんだ。ということを実感、覚悟を決めた。「でもマリナーとして、ここで死ぬわけにはいかない。助かるものは助かる。あきらめるな!」と同時に6mのうねりに対して心の中で雄叫びを上げていました。「シャー!かかってこい!」心が座ると船も安定して6mの荒波をかいくぐり漂流ボートに近づけられました。ロープを投げますがなかなかうまく届かない。届いても波が強くて固定する前に外れる。つながったと思ったら漂流ボートのロープが弱くてブチ切れる。格闘30分、ようやくロープがつながり、隙をついて漂流ボートの3名の乗員の内2人を自分のボートに移動。
さぁ、帰るぞ!ところが帰り道は甘くない。出航の時から行きは風に乗り、帰りは向かい風、帰りの方が安全だ。と思っていましたが、6mのうねり、波がしらは砕けてボートに襲いかかる。船内は海水が溢れる。この時ほど「いつものメンテナンスが役に立った。」と思ったことはない。通常より大型のビルジポンプを装備しているシーイーグルⅡはあっという間に排水、喫水を守る。漂流ボートの確認はライとフランクに任せてただただ前進45分。ロープはきしみ、ボートは波にあおられ、私、ライ、フランクの頭の中には「漂流ボートを捨てよう。」このことばかりが繰り返し湧いていました。しかしもう一度ボートをとめてもう一人の乗員をこちらのボートに乗せる時間が取れない。全員が頭から波をかぶり、かぶっているときは暖かかった身体が北風で急速に冷やされるようになってきました。風に押されて全く進んでいないのかも?と思われたやまだての景色も少しずつ変わり、海面のうねりがしだいにおさまってきました。
そこから30分、慎重に波を切りながら港の入口のチャネルでは沖から迫る3mの大うねりのタイミングを計りながら、やっとこ港に戻ることができました。出港から2時間30分。私にはあっという間の出来事にしか思えませんでした。今回の出来ごとにはいろいろな検証が必要と思われますが、わたしは無事に帰って来られたことだけをこの記録に残したいと思います。
今回教えてもらった教訓は
1. 無理はするな。
2. 目の前に見えている景色は突然変化する。=こうであって欲しい景色が見える。海だけを見て走っているとうねりもそれほど大きくないように見えたが、対象物(漂流ボート)を見たとたんに自分たちがいる場所の本当の姿が見えた。ボートが6mの波がしらに登って行く時のエンジンはくぐもり、波の裏に出る瞬間はプロペラが空を切りとんでもない金属音が聞こえる。
3. 人は助けるが、漂流ボートは勇気を持って捨てる。
4. 船と身体が一体に感じられるまで日ごろから船を愛し、乗り続けよう。
5. サーフィンは私の命をいつも助けてくれるスポーツだ。私の操船感覚はサーフィンで叩き込まれた水面での身の守り方に由来します。10年前から、とにかくひっくりかえらなければ浮いてられるのだから、船首をうねりに対してどのくらいの角度であてるか、波の間隔(セット)を読みながら激流と渦の巻くチャネルをこえるタイミングはいつか、比較的容易に習得出来ました。
6. 死を覚悟すればとても冷静になれる。(海に覚悟させられました)
7. 風速25mph、陸沿いではなんとか操船出来る風波だが、5マイル沖はうねりの増幅で6mを超える波が立っている。風は暴風、波がしらが2mの厚みで崩れて(スープ)船に押し寄せる。スープに突っ込むと浮力は働かないので海水はすべてボートに入ってくる。キャビン、クルーもすべて頭から波をかぶる。
8. 参考になる荒れた海の画像がありました。この絵の中の波一つの1/3がボートの大きさです。
今日まで8日間休みが続き、事務仕事以外はのんびりしていました。その休んだエネルギーのほとんどを2時間30分で使いました。でも夕食は10年来のお客さんと東京苑、たくさん食べてエネルギーは再補給されました。今日は節分。鬼は外、福は内。