年明けの1月11日(木)からコーヒーの視察にロタへ行ってきました。丸1年ぶりのロタ訪問です。今回のコーヒーチームは我々KFCメンバー(西田、中屋、樋渡、市川、大西)以外にUCC上島珈琲(株)農事調査室長の中平さん、番組制作会社テムジン(株)のプロデューサー矢島さん、それに(株)ジャイロスコープCEOの桂さんの8名です。
【1年ぶりのロタ訪問】
サイパン経由で12日(金)朝にロタ空港へ到着しました。先ずは、昨年2023年1月にロタ市長に就任したアービー・ホッコ市長を市庁舎に訪ねました。ロタ初の女性市長で、且つ年齢30代前半の若い市長です。アービー市長は前市長エフレンの部下だったこともあり、「コーヒープロジェクト」に関しては協力的で、2017年の始まりからよく知っています。だから、改めてイチから説明する必要がないのは助かります。
今回の訪問で、ようやくロタコーヒーの存在が近隣の島々へも知れ渡っていると感じました。DLNR(国土天然資源局)署長デビット・カルボへは島外からコーヒーの苗木を売ってくれとか。また大西へはマリアナ政府観光局からサイパンにも観光コーヒー農園を造って欲しいとか、グアムTVからはコーヒーの取材をしたい等々です。これらの変化はロタとは真逆の地である北欧スェーデンで、2023年5月に大西の人生初の書籍「ロタブルーコーヒー」がグルマン世界料理本大賞を受賞したのを機に始まったと感じています。そして、これら外からの注目度の高さでロタ島民もようやくロタコーヒーの価値が認識できたようです。それを受け、デビットは「コーヒーの苗木は誰にも渡さない」と唸るようにつぶやいていました。
【大西の提案】
アービー市長との打ち合わせの席で、デビットたちが指導してサイパンで観光用のコーヒー農園を造ることを条件にサイパンからロタコーヒー栽培資金を得たらどうか、と伝えました。理由は、常日頃からロタコーヒープロジェクトを進めるのに資金が足りないとデビットがぼやいていたからです。しかし、この案は皆に即刻却下されました。中平さんのアドバイスでロタコーヒーが販売できるようになった後なら、「それも有り」という結論になりました。
大西的には、今後、弱小ロタだけでロタコーヒープロジェクトを進めるには資金的にも、政治力的にも、マンパワー的にも難しいものがあると感じています。キャピタルであり、資金力のあるサイパン政府を絡ませた方が得策と感じています。それもあって、サイパンが希望するなら、ロタへの見返りを条件にロタ島民指導で観光コーヒー農園をサイパンに造るプランを提案した次第です。
大西の発案はいつも皆がアグリーという訳ではありません。かつて、アスアコドでフォレストコーヒーを発見した時、一刻も早く観光コーヒー農園を造るためとして、コーヒーの木だけを残して、周囲の雑木を切ってしまうことを提案しました。その時も、島民たち皆に大ブーイングされ却下されました。最近では却下された方が、後々正解の結果になることが多々あると感じています。最近では人の言うことは真摯に聞くことにしています。
【歓迎のマラソン大会参加】
1月13日(土)、薄暗い早朝6時からマリアナ政府観光局主催の「ロタマラソン」に参加しました。その後9時からアスアコドへフォレストコーヒーを視察に行く予定なので、フルやハーフではなく、5km部門に参加しました。参加者は中平さん、樋渡、市川、大西の4人です。元々この大会は別の開催日程で予定されていたのですが、サイパンにある政府観光局が、我々コーヒーチームが訪問する日程に開催日をわざわざ変更してくれたものです。そんな経緯で、歓迎の意味の籠ったマラソン大会なのです。よって、我々が参加しない訳には行きません。現役引退して、久しいですが、5kmなら走れることが確認できました。
【神秘的なフォレストコーヒー群生地】
午前9時半、デビットたちDLNRのスタッフと一緒にロタ市長舎から、2018年に発見したジャングル奥地にあるフォレストコーヒー群生地(アスアコド地区)へ出発しました。我々の来島に合わせて、ジャングルを切り開き、アスアコドまでのトレイルが作ってありました。そして、そのトレイルの始点まで行くのに四輪駆動の作業車が2台用意してありました。今までになかった歓迎の表現です。ようやく辿り着いたアスアコドではコーヒーの実はすでに落下して、根元には多くの若木(20~30cm)が育っていました。そして、葉っぱの根元に花の小さな蕾がたくさんありました。
今年に入り、これまでに把握しているコーヒー群生地の、さらに奥地へと新たなトレイルを作り、コーヒー群生地の管理エリアを広げようとしていました。現時点では、どれくらいの広範囲でフォレストコーヒーが生息しているのか、誰も把握できていません。また、いつ花が咲いて、実ができて、落下するのかという年間生育サイクルもはっきりと把握できていません。発見からすでに5年が経っていますが、アクセスが困難なため、また、マンパワー不足のため、未だに全体像の把握はできていません。今となっては全体像の把握は必要ないと思っています。中平さんのアドバイスに従って、一部エリアを天然のシードバンクとして利用し、奥地の神秘エリアは残しておく方が観光資源としての価値は高まると感じています。
「サバナコーヒー農園でのガッカリ」
1月14日(日)午前9時半、サバナ高原にあるコーヒー試験農園へ視察に向かいました。1年ぶりの訪問なので、期待半分不安半分で到着しました。農園に到着時、前回にはなかったシェイドツリーのバナナがドーンと目に入り、「おっ」と期待したのですが、よく見ると、肝心のコーヒーの木は少なく、全くの期待外れ、がっかりです。
野生の鹿よけネット柵内にシェイドツリーとしてのバナナは立派に育っているのですが、肝心のコーヒーの木の本数が少ない、少なすぎます。目標2400本のところたった400本程度しか移植されていません。但し、幸いなことに、移植してあるコーヒーの木の健康状態は良く、中平さんの指導による牛糞等々の手当ては忠実に実施しているようです。また、昨年の2度の台風の影響もないようです。問題は超スローの移植スピードだけ。普段からのんびりおっとりの島民たちを日本から遠隔で背中を押し、モチベーションをキープさせる難しさを痛感しました。1年間の空白は長かったようです。サバナ農園視察後はテテトビーチで催されたアービー市長の歓迎ランチBBQをご馳走になりました。
【課題は明白、作業のスピードアップ】
1月15日(月)、朝からデビット・カルボと彼のガガニファームで打合せをしました。テーマはサバナコーヒー試験農園の作業のスピードアップです。翌朝に市長を含め、この件に関して皆でミーティングを持つことになっており、その叩き台作りです。現在のサバナ農園の担当責任者は優秀なDLNRのスタッフなのですが、コーヒーの栽培から商品化までの知識がないため、平和的に適材適所へ配置転換できないかということ、すなわち、2018年10月にハワイ島コナにあるUCCコーヒー農園に研修に行き、勉強してきたデビット・メンディオラをサバナ農園の責任者にできないか、ということ。今後の収穫や乾燥、そして焙煎等々の商品化の作業工程を踏まえての人選でもあります。加えて、農作業へのマンパワーの追加投入です。
夕方、ロタブルートライアスロンのスイムコースに面した海沿いのダイビングショップ「ブルーパームス」で、友人のマーク・マイケルやデビットたちも参加して、美味しいBBQディナーで歓迎を受けました。
1月16日(火)、朝9時に市長室に集まって、アービー市長やデビット・カルボたちを交えて、サバナ農園の作業のスピードアップに的を絞ってミーティングを行いました。ロタ島には大きなファミリーが数個あって、市長選挙の票を左右するほどの力を持っており、これらのパワーバランスを無視し、仕事上の効率だけで役人の人事異動は困難です。市長といえどもハチの巣をつつくような真似はできません。我々としては、ハワイ島コナにあるUCC農園での研修経験のあるデビット・メンディオラの必要性と作業のスピードアップの重要性を伝え、可能な限りの対応をアービー市長にお願いしました。そして、その日の夕方、我々はロタを発って、経由地サイパンへ移動しました。
【帰国後のアップデート情報】
帰国後、デビット・カルボからデビット・メンディオラも含め、DLNRの全員でサバナ農園の作業スピード化に取り組むと連絡をしてきました。それが島民コミュティー内での落し処だったのでしょう。コーヒープロジェクトとしてはスピードアップさえできれば、それでいいのです。デビット・カルボは6月までに3000本の移植を目指すと鼻息は荒い。さらに、サバナ農園にダンプで土を運び入れたり、苗木を鉢に移植したり、アスアコドへ若木を採取に行ったりしている写真と共にアップデート情報が届いています。帰国1週間後の23日(火)には1000本の苗木を山から採取して鉢に植えたと報告してきました。スイッチが入ったようですが、いつまで続くかが問題です。また、帰国後、デビット・メンディオラから開花したコーヒーの白い花の写真が届きました。
【今後のTV番組】
今回、ロタ訪問初の矢島さんが、前回のNHKBS番組の続編ではなく、新たにイチから番組を作り直すと言ってくれました。前回の番組ディレクターはコーヒーチームから外れ、新たに矢島さんが番組プロジューサーとして加わりました。矢島さんは前回の番組にはなかったところの、我々の言う「ロタコーヒープロジェクト」の6つのミラクルやロタバックス会議の重要性、さらには「我々の遊び心」も理解し、ロタ島民と我々KFCとの強い信頼関係も肌で感じてくれた様子でした。どんな番組になるのか、楽しみです。
因みに、ロタバックス会議とは、大西が2017年6月19日にロタ市長室で役所の局長クラスを前に「山奥のどこかにあるとされる島伝承のコーヒーを皆で探そう」と強く呼びかけた会議で、皆のネガティブ意見に反して、当時のアタリック市長がGOの英断を下し、Rota
Coffee Project が始動するきっかけとなった節目の会議です。