友好都市実現に向けて
Vol.2
for the agreement of a friendship city--Vol.2
2024年11月20日(水)10時から昼頃まで友好都市実現に向けて、青梅市役所で青梅市長とサイパン市長のトップ会談がありました。結論は、サイパン市長と青梅市長は推進派で、職員側(副市長と企画部長)は時期尚早という考えでした。先ずは民間交流ありきで、友好都市交流はその後にということです。我々KFCの約30年に及ぶサイパンとの民間交流は、それには当たらないようです。
青梅市側は大勢待市長、小山副市長、森田企画部長の3名、サイパン市側はカマチョ市長、国際交流課のヒロコ・テノリオの2名、そして仲介役のKFCトライアスロンクラブ=青梅市トライアスロン協会(市川、樋渡、大西)と青梅市スポーツ協会(松永)の4名です。メディアに関しては、西の風、西多摩新聞、時事通信、多摩ケーブルの4社が来ており、よい話ができるのかなと期待していました。
カマチョ市長が口火を切って、青梅市と友好都市を実現させたいという方向で力強く、和気あいあいの雰囲気で進みました。会談の冒頭にサイパン市側としてはカマチョ市長の任期があと2年しかないので、それを考慮してほしいと青梅市側に伝えました。また、サイパン市側(米国スタイル)の事情として、トップ同士のサイン(覚書)があって、初めて事務方が動ける(交流事業の計画を立てられる)と、会談の前に秘書課へ伝えています。
会談の中、そんなカマチョ市長へ大勢待市長は「ぜひ、やりましょう」と応えていました。それを受け、カマチョ市長が、次は大勢待市長にサイパンへ来て欲しいと。すなわち、今日が無理ならサイパン市に来られた時に覚書を交わし、交流を実現させましょうと。しかし、その傍で森田企画部長が2026年3月まで行けないという趣旨のネガティブ発言をして、皆一瞬「えーっ!」という空気。この時点では未だ森田部長の真意は読み寄れませんでした。
会談後の雑談タイムに小山副市長と話すタイミングがあり、小山副市長は市民の交流が先で、覚書を交わすのはその後になるという発言です。我々市民が30年前から交流しているからこそ、「この日のこの場」があるということを理解されていません。
トップ会談後に事務方である秘書課と国際交流課ヒロコさんとで事務的な話し合いがもたれ、秘書課から来年2025年は4月から12月までボッパルトとの姉妹都市60周年記念行事が忙しく、覚書は交わせないと。だから、森田企画部長のいう2026年3月になったのです。
2026年ならカマチョ市長の任期切れのタイミングで、この話は消える可能性が大です。この日に先立って、半年前の2024年4月23日に友好都市実現を見据え、カマチョ市長の代理としてマリアナ政府観光局長が大勢待市長を表敬訪問しています。それから2年間も要するということです。因みに、良し悪しは別として、イーロンマスクのような新人類が出現する時代に、覚書を交わすだけに2年間も要するのは相当な時代遅れを感じます。インターネット普及の現在ではスピード感が益々求められています。
2025年は毎日毎日ボッパルトとの交流事業に追われている訳でもあるまいし、民間であれば、同時に複数の案件をこなすのが普通です。締結の事務手続きだけに2年も要すれば、実際の交流開始は3年先になります。現在の中学1年生は卒業してしまいます。
その日の夜、カマチョ市長は日本の寒さで体調を壊されたので、ヒロコさんと我々とで夕食を共にしました。いろんな話をし、サイパン側としては青梅市側の対応に失望し、「来年7月4日の独立記念日までに覚書が交わせないなら縁がなかったものとします」と、いうことです。米国という同盟国であり、英語圏であり、地理的に日本に近いサイパン市なら友好都市を結びたい市町村は国内にたくさんあると思います。
我々は青梅市民として、できるだけのことはやったので、これ以上は何もできません。青梅市民にとっては、千載一遇のチャンス、消すにはもったいない話と思います。
我々の市民感覚からすれば、予算(税金)がいる訳でもないのに、覚書にサインするだけに、なぜそんなに長い時間が必要なのか分かりません。具体的な交流はその後に、機を見て始めればよいだけのことです。役所の変化を恐れる保守的体質を垣間見た感があります。インターネットの時代を生きる市民との感覚のずれの大きさを痛感しました。
PS、
カマチョ市長が大勢待市長に青梅市庁舎内を案内されていた時、あるセクションのカウンターに小さなサイパンフラッグと「Welcome to Ome」というメモ書きが置いてあり、カマチョ市長は大感激されていました。
2024/12/30 KFC記
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