イベント報告
Rota Coffee Project part 9
ロタコーヒー農園復活プロジェクト第9弾

ロタ島では米国本土に先駆け、早々にワクチン接種が完了し、すでにコロナ禍が明けた感があります。今年初めからコロナ禍で政府機能が シャットダウン状態に陥り、ロタDLNR(資源省:Departmentof Lands & Natural Resources)スタッフも久しく解雇状況にありました。

ところが、2021年5月20日、何の前触れもなく、 DLNRの署長デヴィット・カルボからサバナ高原(標高500m)の空撮写真と コーヒーの若木を植えているDLNRスタッフ達の写真が突然に添付メールで届いたのです。これには「おっ!」となりました。

その空撮写真とはサバナ高原のブッシュを重機で切り開いて、コーヒーの若木を碁盤の目状に規則正しく植えたものです。すなわち、 ロタ島で初となる試験栽培用のコーヒープランテーションの写真です。きっとデビットは大西を驚かそうとして、 この空撮写真をサクッと送ってきたのです。

この写真を見た瞬間、ロタ市長エフレン・アタリックがついに本気で「Rota Coffee Project」(ロタコーヒー農園復活計画)にゴーサインを出したと感じました。 いよいよ「Rota Coffee Project」の最終形が近いとも感じました。その最終形とは、サバナ高原の広大な政府所有地をコーヒー農園に変え、 極小ながらも観光を兼ねたコーヒー生産地にすることです。そして、ここに至るまで大いなる紆余曲折はありましたが、この空撮写真から やっとここまで辿り着いたか、と云う安堵感のようなものを感じました。

【始まりは直感から】

思えば、2017年6月19日、ロタ島の市長室でそれは始まりました。そこに集められていた政府の各部署のボスたちを前に、長引く不況 に喘ぐロタ経済を復興させるため、大西の考えている「Rota Coffee Project」をKFCと一緒にやろうと 持ちかけました。なぜなら、長引くどん底の不況から抜け出すためには、従来の観光産業中心のやり方では上手く行くとは思えなかったからです。 航空会社に首根っこを牛耳られているロタ島ではカジノや大型レジャーホテルの誘致等々も結局は無理があり、過去の成功例は皆無です。 時間は要しますが、ロタ島の豊かな自然を利用した新規の産業、すなわち、農業か水産業を興す以外は手がないと思っています。そうすれば、 自ずとそれなりの規模の飛行機の運行が始まります。

21世紀の今日、ロタ島に人知れずコーヒーの自生地が存在していることなぞ、ロタ島民の誰一人も思ってもいませんでした。 もちろん、大西もそれを見たことがありません。しかし、1994年にロタブルートライアスロン大会立ち上げの準備で ロタ島を訪れていた時に1杯の自家製コーヒーをジェリー・カルボ宅でご馳走になったと云う事実、 現在も数軒の民家の軒先や農場の片隅に2~3本のコーヒー木が植えられており、これらが多くの実を付けている云う事実、それに島民の言い伝えから、 それは「ある」と確信していました。大西のいつもの直感です。確たる根拠があるわけではないですが、過去の経験から直感は正しいと 学んでいます。しかし、直感を信じろ、と言うだけでは、幾らロタ島民と云えども動きません。「ラ~ンニャ、オオニシサン」と笑われてお仕舞いになるだけです。 だから、何だかんだと理由を付けて勧めた次第です。その会議はワイワイガヤガヤ大いに盛り上がりましたが、結局、誰もがモノになるとは思っていないことは明らかでした。

その会議の後、アタリック市長は大西の提案に対し、「Rota Coffee Project」のロタ政府側の担当部署としてDLNRを任命したと云う次第です。 しかし、その当時はボスのデビットもコーヒーには興味を示しませんでした。そんなものがあるとは思っていなかったのです。それゆえ、ヤシの木の 害虫駆除が忙しい等々で動こうとはしませんでした。昔からジャングルの中に貧弱な実を付けたワイルドコーヒーの木はポツポツ生えていたのですが、 経済復興につながるほどのボリュームのあるコーヒー自生地が存在しているとは、島中の誰もが思っていないのです。大西の夢物語と捉えていたのです。それでも、 少しばかりの奇跡を大西の”熱”に感じたのかもしれません。

帰国後、日本からデビットの背中を押して、少しでも時間を作って、野生のコーヒー調査に未踏のジャングルへ向かわせました。 そして、その半年後、ロタ島で2017年11月18日に開催した「第23回ロタブルートライアスロン大会」の翌日、 参加者の皆さんをワイルドコーヒーの見学に鬱蒼とした ジャングルへ案内しました。予想通り、それを見たトライアスリートの皆さんはがっかりした様子でした。そんなこんながあっても、 デビット達のモチベーションをキープさせるため、2018年4月18日に小規模ながらも「ロタコーヒーマラソン大会」を開催しました。 この大会に関しては、 ロタ島のキャピタルであるサイパン島の当時の観光局長クリスから大西の懐具合を心配して「ロタ島にコーヒーなどないのだから止めらどう?」 とやんわり忠告があったくらいです。

【スペイン文献とコーヒー自生地の発見】

「ロタコーヒーマラソン大会」開催の直後、2018年5月21日にデビットからアメリカ合衆国の首都ワシントンDCにあるアメリカ議会図書館で スペイン統治時代(1521年~1898年)のロタ島のコーヒー栽培に関する93ページもの文献(Old Spanish Documents)が見つかったと 連絡してきました。見つけたのは、キリリ・サブランと云う北マリアナ諸島(サイパン・ロタ・テニアン)選出の米国下院議員です。

しかし、その文献は、かつての統治時代の古いスペイン語文体で書いてあり、すべてを理解するのは困難と云う。しかし、コーヒーが収穫できたとの記述を 何とか読み取れたと云う。ロタ島の公用語は英語ですが、普段チャモロ語を話す島民たちは多少のスペイン語は理解できます。なぜなら、スペイン統治時代を かつて約350年間も経験しており、彼らの言語であるチャモロ語にスペイン語が自然と取り込まれているからです。

このスペイン文献に背中を押され、デビット達も期待をもって積極的に未踏のジャングルへ調査に入るようになりました。そして、 その僅か2か月後の6月28日にアスアコド地区の未踏のジャングルで野生のコーヒー木が群生した自生地を発見したのです。その枝には緑の実が たわわに付いており、まさに金鉱脈を発見したのです。これに一番驚いたのは、デビット達自身でした。自分たちがよく知っているはずのロタ島に、 こんなモノがあったことに腰を抜かすほど驚いたと云う。そして高揚感を覚えたとも。その日の内に興奮して報告をしてきました。 ここに至る流れから、当然これらのコーヒーは16世紀の大航海時代にスペイン人の手でロタ島へ持ち込まれたものと思い込み、我々も含め、 誰もがそう信じて疑いませんでした。

【ハワイ島コナでのコーヒー研修】

2018年6月28日のコーヒー自生地発見を受け、将来のコーヒー栽培を見据え、 UCC上島珈琲(株)にロタコーヒーへのアドバイスをお願いしました。また、農事調査室長の中平さんに ハワイ島コナにある「UCCコナコーヒー農園」へのロタ島民の派遣受入れをお願いしました。そして、収穫時期の10月上旬の3日間、DLNRボスのデビットとその部下のデビットの2人を 派遣しました。それまでコーヒー栽培の知識が全くない彼らに収穫の仕方、脱穀の仕方、乾燥の方法、そして、焙煎等々、 一連の作業行程を一通り体験させて頂くためです。デビット達にとっては、金銭に代え難い何よりも貴重な経験になったと思います。帰島後に 「それまで頭の中でもやもやしていた多くの疑問が全てクリアになり、多くのことを学び、体験できた。ありがとう」と云う 連絡がありました。

【UCCの中平さんとロタ島へ】

2019年8月27日、中平さんを伴ってロタ島を訪問しました。目的は、コーヒー栽培に関する日本の 第一人者である中平さんにアスアコド地区のコーヒー自生地を視察してもらうためです。さっそく、翌28日、デビットたちの案内で、 サバナ山の中腹に四駆車を停め、 30分ほどのジャングルトレイルを歩き、鬱蒼とした古代の森を彷彿させるような、神秘的な雰囲気を漂わせたアスアコド地区に辿り着きました。 その辺り一帯に細く、くねくねした野生のコーヒーの木が自生しています。緑の実をたくさん付けています。正確な本数は分かりませんが、 たくさんあります。それだけ分かれば十分です。 因みに、ロタ島にはヘビなどの危険な動物は生息していないので、深いジャングルへ分け入っても安心です。

【Rota Coffee from Hawaii Kona】

中平さんはそこにある野生のコーヒー木の先端の若葉を見るや否や「このコーヒーはアラビカ種ティピカです。スペイン人ではなく、日本人が 持ち込んだコーヒーの可能性が高い」と。そして、若葉のサンプルを日本へ持ち帰り、DNA鑑定の結果、やはりアラビカ種ティピカで、コナコーヒーと 同種と云うことが判明しました。と云うことは、我々がそれまで思い込んでいたスペイン人が持ち込んだとの考えは間違いで、少なくとも、アスアコド地区の コーヒーは日本人がハワイ(コナ)から持ち込んだものだったのです。すなわち、かつての日本統治時代(1914年~1944年)に日本人が栽培していたコーヒー農園の 跡地を発見したと云うことです。その後、終戦で日本人が帰国した後も、人知れずひっそりとその営みを繰り返し、野生化して生き残っていたというわけです。 帰国後、日本の国会図書館で調べてみると、1930年頃に南洋珈琲(株)が ハワイから持ち込んだものと判明しました。南洋珈琲(株)は戦時中にサイパン島で製糖事業を展開していた南洋興発(株)に吸収され、 消滅しています。また一方、スペイン人が持ち込んだコーヒーもどこかに生き残っているかもしれません。

中平さんによるアスアコド地区の生態系の評価は「人を呼べるフォレストコーヒーです。」と云う高い評価を頂きました。 フォレストコーヒーとは、栽培に人の手が全く入っていなコーヒーのことです。また、そこに生育している木のコンディションもたいへん良く、 幹や枝は細いが、実の付き具合も良好と。そして、コーヒー本来の姿、すなわち、太古の姿がここにあると。さらに、今なお、 このような手付かずの生態系が残っているのは素晴らしく、レアケースであると云う予想以上の高い評価を頂きました。

そして、中平さんからアスアコド地区の生態系はエコツアーの観光資源として保存し、 収穫目的の栽培に関しては、足元にたくさん生えている若木を採取して、普段から管理のしやすい農場に移植するのが 効率的とアドバイスを頂きました。

【サバナ高原コーヒープランテーションと市長の決断】

アスアコド地区の視察後、デビットたちの案内で、中平さんにサバナ高原で計画中のコーヒー試験栽培地を視察してもらいました。 まずは15ヘクタールの土地にアスアコドから採取してきたフォレストコーヒーの若木を植える計画です。そして、その場所が5月20日にデビットから 送られてきた空撮写真の現場と云う訳です。そして、この時の動画は【こちら】です。

そして、試験栽培で順調に育つことが分かれば、本格的に政府所有の広大な遊休地をコーヒープランテーションにする計画です。そうすれば、 自ずとサバナ高原に土地を所有する島民たちも我先にコーヒー栽培を始めると云う流れが起こるはずです。

そのためには、重機でサバナ高原の広大なブッシュを取り除き、整地にせねばなりません。でも、重機を持たないDLNR単独 では、こんな大きな作業はできません。これが可能になったと言いうことは、アタリック市長が島の一大プロェクトとしてAll Rotaでやると 決めたからです。

その後、市長に連絡を取って確認したところ、コロナ禍でロタ島にあった従来の仕事が全てなくなってしまった。そして、 全ての希望が消えてしまった。主要産業である観光業の復興は 当面望めないだろう。しかし、今のロタ島には、他の島にはない貴重なコーヒーがある。コロナ禍でもすくすく育っている。 それをAll Rotaで、トライアスロン大会と同じようにKFCと島民が一丸となって「Rota Coffee Project」を進めたいと云う。 怪我の功名、いや、コロナの功名だ。

【もう一つの決断要因】

アタリック市長がAll Rotaで、島の一大プロジェクトして「Rota Coffee Project」をやって行こうと決心したもう一つの要因があります。それは 5月に市長がシナパル村にあるデビットの農場を訪れたことです。アスアコド地区からの背丈が30㎝程の若木を移植して、僅か2年しか経っていないのに 背丈が2mを優に超え、たわわに実が付いているコーヒー木を見て驚いたと云うことです。話には聞いていたが、ロタ島でコーヒー木がこれほどたくさんの実を 付けることに感動したのです。市長は、自分の生まれた島でありながら、過去にロタ島でこんな光景を見たことがなかったし、想像すらして いなかったと云う。この光景は、ロタ島がコーヒー栽培に適した環境にあると云う証拠です。そして、これは行けると思い、 本気スイッチが入ったということです。まさに「百聞は一見にしかず」です。

【バイデン大統領就任式への献上作戦】

話は前後しますが、2020年11月25日に、翌年1月20日に催されるバイデン米国大統領の就任式へロタのコーヒー、すなわち、 「ロタブルーコーヒー」を届けようと決め、日程面での余裕はないけど、デビットとアタリック市長へトライするように伝えました。もちろん、 ”Yes, Great!” です。その時点で赤く熟している実だけを摘んで、量は少なくても、とにかくバイデン大統領の就任式へ献上するのです。 収穫時期には1か月以上も早いですが、この機会を逃すと4年も先なってしまう。

米国大統領就任式で提供されるコーヒーはUSテリトリーで収穫されたコーヒー豆のみと決められており、これまではハワイ島のコナコーヒーが 代々唯一採用されてきました。今回、その隙間に「ロタブルーコーヒー」を割り込ませようと云うものです。目的は、「ロタブルーコーヒー」の 存在を知ら占める意味もありますが、もっと大切なのはロタ島民に誇りを持ってもらうためです。因みに、「ロタブルーコーヒー」と云う ブランド名の名付け親は中平さんです。

この献上計画は当初から考えていたもので、単なる思い付きではありません。3年前(2018年)に大西がロタ島民へ発案した当時は 誰一人信用しませんでした。そんなこと夢物語と思われていました。その当時は誰もロタコーヒーの存在を信用していなかったので、 当然と言えば当然です。それに、米国大統領就任式で供されるコーヒーはUSテリトリーで生産された豆に限ると云うルールさえ、 誰も知りませんでした。キャピタルであるサイパン島でさえ、皆無でした。

【緊迫の3カ国連携プレー】

具体的には、デビットたちがアスアコド地区で十分に熟した赤い実だけを摘んで、表皮を剝いて、天日乾燥させ、日本(大西)へ至急便で 送って来ます。この時、豆には殻が付いたままです。なぜなら、ロタ島には脱穀機がないからです。そして、届くと、 友人である「アスロンコーヒー焙煎所」の阿部さんが、先ず厄介な脱穀処理を行い、我々が普段目にする生豆の状態にします。中平さんのアドバイスで 厄介な脱穀は家庭用精米機を脱穀機の代用にしました。その後に焙煎を行うという段取りです。そして、焙煎が完了し、パック詰めにした状態で、 阿部さんから受け取り、大西がロタ島を飛び越えて、ワシントンDCにあるキリリ米国下院議員の事務所へDHL便で直送します。それをキリリ事務所が 1月20日の就任式に間に合うようにホワイトハウスへ手持ちで届けると云う段取りです。日程に余裕はなく、ミスは許されません。ロタ⇒日本⇒ワシントンDCと云う 緊迫感のある3カ国連係プレーです。

デビットたちはトライすると決めた翌日(11月26日)から収穫スタッフを2班に分けて、週に2回、アスアコド地区での収穫を始めました。 「やる時はやる、チャモロ」の真骨頂を見せ始めました。普段は三振ばかり、でも、時々、場外ホームランを打って脅かせてくれます。 アスアコド地区でのコーヒー自生地の発見がそれに当たります。 チャモロ人とは、ロタ島だけでなく、マリアナ諸島(サイパン島、グアム島、テニアン島、ロタ島)に住む土着の民族です。

ようやく2021年1月8日朝、デビットから大西の元へ待ちに待ったコーヒー豆が届きました。ここに至るまでの工程では乾燥に最も時間を要します。 乾燥は天日干しで、約2週間です。そして、添付されたNVOICE(運送票)を見ると 取り扱いはUS POSTAL SERVICE(EMS)で発送日は12月30日と なっていました。そして、品名は「Dried Coffee Beans」で、重さは7ポンドとなっていました。けっして多くはないですが、 これだけあれば、 目的は達成できます。

【頼りになるアスロンコーヒー焙煎所とDHL】

届いた日の夕方には阿部さんがピックアップに来てくれ、翌9日の夜には脱穀完了とのメールが届きました。そして、明日からいよいよ焙煎工程に 入りますと。10日午後に阿部さんが焙煎済みのコーヒー豆をKFC本部「成木の家」へ持って来てくれました。予備日である中2日置いて、13日、 予定通り無事にDHL便で「ロタブルーコーヒー」をワシントンDCへ向けて送り出すことができました。キリリ事務所への到着予定は2日後の15日です。 戦時下に匹敵するような世界同時多発のコロナ禍でも通常営業ができているDHL便はすごい会社と感動しました。郵便局や他の国内輸出入業者は コロナ禍の影響で全く役に立ちません。やはり、餅は餅屋、有事の国際便はDHL便に限る、と改めて認識しました。

1月18日にワシントンDCにあるキリリ議員事務所のスタッフから大西へ連絡があり、ホワイトハウスに受け取ってもらうためには2つの質問に 答えて欲しいと、そして、 その質問の回答が2つとも「NO」であれば、受け取ってもらえると云う。もちろん、答えは「NO」と伝えました。 これで目的は達成です。

【今後の展開】

今後、日本はもちろんのこと、世界中のコロナ過が終息し、ロタ島への飛行機の就航が復活すれば、アスアコド地区のフォレストコーヒー自生地 はエコツアーの観光資源として、 そして、アスアコド地区から若木を移植したサバナ高原のコーヒープランテーションは、UCCの技術指導を仰ぎながら、 そこで収穫できたコーヒー豆を焙煎し、お土産として観光客に販売すれば、と考えています。ロタ島の人口(労働力)を考えると、 先ずはそれくらいから始めるのが身の丈と思います。 新たなコーヒー観光産業に従来のビーチリゾート観光を咬ませれば、近隣の一大観光地であるグアムやサイパンとの差別化が図れ、 2~3年の短期間で経済は活気づくと思います。海外からの美味しそうな投資話に現(うつつ)を抜かすより、ロタ島の稀有な自然を利用し、 地に足を付けたコーヒー栽培と云う農業で汗を流すのがロタ経済復興の一番の近道と思います。コーヒーという農産物には、 それだけの魅力があると思っています。

【これまでの足跡】

■Rota Coffee Project2020 Part8の詳細は【こちら】をご覧ください。

■Rota Coffee Project2020 Part7の詳細は【こちら】をご覧ください。

■Rota Coffee Project2019 Part6の詳細は【こちら】をご覧ください。

■Rota Coffee Project2018 Part5の詳細は【こちら】をご覧ください。

■Rota Coffee Project2018 Part4の詳細は【こちら】をご覧ください。

■Rota Coffee Project2017 Part3の詳細は【こちら】をご覧ください。

■Rota Coffee Project2017 Part2の詳細は【こちら】をご覧ください。

■Rota Coffee Project2013 Part1の詳細は【こちら】をご覧ください。

2021/06/21 KFC記