イベント報告
Rota Coffee Project part4
ロタコーヒー農園復活プロジェクト2018第4弾
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2017年6月からロタ島政府と我々KFCトライアスロンクラブとで行っている「ロタコーヒー農園復活プロジェクト」に関して。

2018年5月21日、ロタ島政府のコーヒープロジェクトの担当部署である"Department of Lands & Natural Resources"(DLNR/動植物自然資源保護管理部署) のボスであるデビット・カルボから衝撃的なニュースが飛び込んできました。

それはデビットや我々の過去の考えを根底から覆すような驚くべき内容でした。

 【Old Spanish Document発見】

アメリカ合衆国の首都ワシントンDCにある国会図書館(アメリカ議会図書館)で 昔のロタコーヒー栽培に関する文献(93ページ)が 見つかったと云うのです。そして、その驚くべきはスペイン語で書いてあると云うこと。

すなわち、それは スペイン統治時代(1521年〜1898年)の文献と云うことです。何と、あのマゼランがグアム島を発見した大航海時代の文献です。 デビットから送られてきた約140年前の文献は我々に壮大なロマンを感じさせてくれました。

16世紀の大航海時代にスペイン国王の支援を受けたマゼラン(ポルトガル人)が1521年3月にグアム島を発見し、スペインの統治下におきました。 その後40年ほど経って、ロタ島もスペイン統治下に置かれ、1898年までの約340年間ずっとスペインの統治下にありました。その後、 15年間のドイツ統治時代を経て、1914年から太平洋戦争終結までの約30年間に亘って日本の統治下になりました。このようにロタ島には 約400年もの被侵略の歴史があります。

では、なぜ、この文献がワシントンDCの国会図書館で発見されたかと云うと、ロタ島政府の依頼でロタ島出身のアメリカ合衆国下院議員キリリ がロタコーヒーに関する文献を調査したからです。さすが、データ保有量世界一と云われるアメリカ議会図書館です。

1879年に記されたとするこの文献は手書き部分が多く、判読不能な文字も多いので、スペイン本国へ送って、解読をお願いしました。 その後、返事が届いて、スペイン人が見ても判読不能な部分(文字)が多いという。それでも、 急ぎ、判読可能な部分だけを 知らせてもらいました。 我々の知りたい重要部分を要約すると以下です。

「この文献は当時のロタ島を統治していたスペイン人から本国のスペイン国王への農業に関する報告書で、スペイン統治時代の ロタ島でコーヒーのテスト栽培がおこなわれていたと云うこと。その結果、コーヒー栽培に適した場所とそうでない場所とが はっきり分かったと 書かれてあったこと。」

と云うことは、ロタ島のコーヒーはスペイン統治時代からあって、ロタ島民や我々が信じてきた日本統治時代のものと云う考えは完全に 覆されました。スペイン人によって、少なくとも139年前には栽培されていたことが分かりました。

もう少し詳しく調べてみると、1771年9月にスペイン人のドン・マリアノ・トバイアス(Don Mariano Tobias)がマリアナ諸島の 知事として赴任し、農業改革が始まり、牛や鹿などの動植物を持ち込んだとあります。よって、この時期にマリアナ鹿等々と一緒にコーヒーがロタに持ち込まれたと 推測できます。約250年前の出来事です。

すなわち、ロタ島はコーヒー栽培が できる環境にあるということをスペイン人が時間をかけて実証してくれたのです。これが分かれば、十分です。この文献から確証を 得たDLNRのスタッフ達は俄然やる気スイッチが入りました。

【力強いロタコーヒーベルトの発見】

その一か月後、6月22日にデビットから驚愕のニュースが飛び込んできました。それはこのプロェクトを一気に前進させるほどの力を 持つコーヒーベルトの発見です。

6月19日に野生(ワイルド)コーヒー調査の一環として、Isangという場所へ調査に入ったと云います。 そこは我々も訪れたことがあるサバナ高原の北側斜面ではなく、その反対の南側斜面です。 そこの標高360m〜450mの深いジャングルの中ということです。 数名のスタッフで2日間キャンプをしながら、その辺り一帯を 隈なく調査し、未成熟の木を除いて、144本の青くたわわに実を付けている野生コーヒー木(写真)を発見したと云うことです。

因みに、未成熟コーヒー木は500本以上あると云うことです。さらに、その尾根沿いの奥には 同じような野生コーヒー生息地が あると云うことです。今回、送られてきた写真は、19日にそのIsangエリアで撮ったものと云います。

これは凄い大発見です。力強いロタコーヒーベルトの発見です。この地域は今まで70年間ほど人が踏み入らなかった深いジャングルで す。 昔からその辺りにコーヒー木が生息しているという噂はあったのですが、コーヒーは腹の足しにならないので、ロタ島民たちには さほどの価値を見出さなかったのです。それで、そのままずーっと今日まで放ったらかしにされていたのです。

ところが、「ロタコーヒー農園復活プロェクト」の発足を機に野生コーヒーの調査の一環として、デビットたちが初めてそこに分け 入った次第です。まさに金鉱脈を発見したのです。でも、この金鉱脈発見に至るまで、1年間もの間、手応えのないジャングル調査を続けました。 因みに、ロタにはヘビ等々の危険な動物は生息していないので、ジャングルでも安心です。

続いて、その一週間後の6月28日にもIsangとは別のAs Acodoエリアでコーヒー木の群生地を発見したと言ってきました。そして、その時の写真も添付メールで送ってきました。

何でも、前回のIsangエリアも今回のAs Acodoエリアもスタッフの一人であるGuz Hocogのインスピレーションに従って、調査に入り、金鉱脈(大成果)を発見したと云うことです。 今回の一件で、Guzは皆から千里眼(Clair)男を呼ばれているそうです。いつの世も大きな節目にはGuzのようなキーパーソンが現れるものです。

また、ロタでは年間に2度コーヒー豆の収穫ができるという噂がありました。今までこの噂を信用していなかったのですが、今年1月頃、 この近くのジャングルで赤く実ったコーヒー豆(上写真)を収穫しており、そして、半年後の6月にこの状況ですから、その噂は本当のようです。

【今後の展開】

6月19日のIsangエリアのコーヒーベルトの大発見を受けて、直ちにロタコーヒー生産に関して共同組合を設立したというドキュメント(書類)が 届きました。 その設立日付は6月21日になっています。すなわち、コーヒーベルト発見のわずか2日後です。彼らの衝撃ぶりと 興奮ぶりが手に取るようにわかります。 そして、その書類には親しい友人たちの名前が理事として列記してあります

彼らをよく知っているだけに一抹の不安もあります。農業は時間のかかる地味な仕事、身の丈を越えないように、 地に足を付けた仕事をしないと失敗します。

今後の展開ですが、ロタのコーヒーの生産量は、他のコーヒー生産地に比べたら 微々たるものです。お土産として販売するくらいで、それほど収益が見込めるとは考えらません。そして、できれば、 この世紀を超えた壮大なストーリーを持つロタコーヒーが飲めるところを東京辺りで1か所くらい作りたいと思っています。

Isangエリアのジャングルを整地して、 観光コーヒー農園とし、島の観光とリンクさせて、細々とやってくのが成功の秘訣と感じています。今後、浮足立って、 あらぬ方向へ行かないようにしっかりと見守らないといけないと感じています。

何事にもゆっくりおっとりのロタ島民にしては、このプロジェクトは異例のスピードで進捗していると感じています。 彼らもようやくこのプロジェクトの価値を認識できたようです。現在、どん底にあるロタ経済を復活させられるだけの力が このプロジェクトにはあるからです。

そして、USテリトリーでコナコーヒーに次ぐ第2のコーヒー産地として名乗りを上げ、近い将来、 アメリカ合衆国大統領就任式での御用達コーヒーとして採用される日が来るかも、です。今度こそ、 「捲土重来(けんどちょうらい)」を実現したいものです。

【次のステップ、収穫と焙煎の技術習得へ】

現在、ロタ島では、コーヒー栽培に関しては、皆がズブの素人です。特に、収穫や焙煎に関してのノウハウは全くありません。

大西の勧めで、アタリック市長の指示の下、昨年11月開催の"ロタブルートライスロン"の時からぼちぼちジャングル調査が始まり、 今年4月開催の"ロタコーヒーマラソン"の時に ようやくやる気スイッチが入ったくらいで、まだまだ日の浅いものです

よって、この度のコーヒーベルト発見を受け、急ぎ、デビット達の技術者2人をハワイ島コナにあるコーヒー農園に派遣して、 収穫から焙煎までの技術を学んでもらおうと思っています。彼ら2人は最初からプロジェクトに関わっているリーダーなので、まず彼らが技術を習得して、 ロタ島へ持ち帰れるのがよいと思います。

コナコーヒーベルトにはたくさんの個人経営のコーヒー農園が点在しいます。そして、これらの一角に日本企業の上島珈琲(UCC)や ドトールコーヒーが広大な敷地の観光コーヒー農園を持っています。眼下にコナの町や青い海が展望でき、観光農園として、素晴らしい立地です。 そして、これらの日系企業の農園でも収穫から焙煎までの工程を体験させてくれます。

因みに、我々の「ロタコーヒー農園復活プロジェクト」の最終目標はコナにあるような観光コーヒー農園です。だから、 今、彼らにここを見せておくことは非常に意義があると思っています。

ハワイ島にあるコナコーヒーとロタコーヒーはどちらもアラビカ種であり、標高や気温と云う生育環境もよく似ているので技術を 学ぶには持ってこいと感じています。 それに、どちらも英語圏と云う強みがあります。

大西の記憶では、また、右のコナコーヒー木の写真を見ても、ロタコーヒー木1本当たりの収穫量はコナコーヒーに勝るとも劣らないと 感じています。それもロタの場合、人為的に全く手を加えずにこれからだけの量の実を付けるのですから、奇跡に近いと思います。

よって、栽培に関しては、当面の間、今のままのジャングル任せの自然農法でやって、邪魔な雑木を切り倒したり、そこへ行く導線の道を造るくらいで、 大きく手を加える必要はないと思っています。

なぜなら、スペイン時代の文献で、1879年から今日まで、約140年以上の長きに亘って無農薬(オーガニック)で、たわわに実を付け、 その営みを繰り返し、 現在に至っていることがはっきりしているからです。まさに、コーヒー栽培に最高の自然環境がそこにあるからです。 それにコスト面を考えても、それがベストです。

【いつもの直感を信じて】

大西が25年前にジェリー・カルボ宅でご馳走になった一杯の自家栽培コーヒーが発端となり、四半世紀を経過した今、 スペイン統治時代のコーヒーに関する文献が見つかったり、100年以上も深いジャングルで眠っていたロタコーヒーベルトが 発見されたりして、 ワクワク感いっぱいのおもしろいことになってきました。人生、捨てたものではありません。

そして、2013年、白血病で日本の病院に入院中のマニエルくんの治療費捻出を機に「ロタコーヒープロェクト第1弾」となる 「KFCフレンドシップコーヒー農園」を造りました。その時、ロタ島のジャングルに 自生する野生コーヒーが久しく低迷するロタ経済復活の起爆剤になるかもしれない、と漠然と感じました。

でも、その当時、 KFCが「コーヒーコーヒーと騒いでいるよ」と云う程度で、ロタ島民は全く興味を示しませんでした。

その時に分かったことですが、 ロタ島民の中でも、実際にジャングルで過去に野生コーヒー木を見た人は数名しかいないと云うことでした。噂だけが先行し、 コーヒーに関する確かな情報は島民たちの記憶から消え去っていました。その後、紆余曲折あり、 昨年からロタ政府を巻き込んで、ようやく当初から5年経った今、その直感が具現化しようとしています。

このような稀有なストーリーを持ったコーヒーは世界中探してもないと思います。他のコーヒー生産地に比べたら生産量は微々たるものですが、 大航海時代から続く年季の入った正真正銘のオーガニック栽培です。

16世紀の大航海時代にロタ島を発見したスペイン人によってもたらされたコーヒー。その後、久しくジャングルの中に埋もれ、 人知れず生き延びてきたコーヒー。それが、21世紀の今日、深い眠りから覚め、どん底に喘ぐロタ経済の救世主になるべく、 白日の下に姿を現そうとしています。

世紀を越えて力強く生き延びてきた奇跡のコーヒー、かつ、神秘的でドラマチックなストーリーをもつコーヒー、どんな味がするのだろう。 そして、その奇跡のコーヒーはロタ経済をどのように復活させるだろうか。

【これまでの足跡】

■2013年5月にバードサンクチュアリー近くで「KFCフレンドシップコーヒー農園」を造りました。
詳細は"Rota Coffee Project2013 Part1"をご覧ください。

■2017年6月、ロタ市役所でアタリック市長初め、各セクションの責任者を前にこのプロェクトの価値を説明し、 今後ガバメントと協力して進めることで同意しました。
詳細は、"Rota Coffee Project2017 Part2"をご覧ください。

■2017年11月、ロタ政府のDLNRが担当部署となって、ジャングルに自生している野生のロタコーヒーの調査を開始しました。
詳細は、"Rota Coffee Project2017 Part3"をご覧ください。

【最後に】

戦前の30年間(1914年〜1945年)もの長きに亘って、ロタ島は日本の統治(占領)下にありました。それでも、今なお、ロタ島民はたいへんな親日派であり続けています。 おそらく世界で最も親日派の人々ではないかと思っています。

それを1994年からトライスロンというスポーツイベントを通して、直接体験している我々KFCとしては、また、日本人の端くれとして、 微力ながらどん底の経済不況に喘ぐロタ島民たちの力になりたいと心から願っています。

2018/06/29 KFC記