2017年3月11日(土)に開催した第1回アイアンマン70.3サイパンの準備でサイパンに滞在していた時のことでした。
最終準備に忙しい3月8日(水)、東京外国語大学の学生である吉田くんからロタコーヒープロジェクト(KFCロタコーヒー農園)に関して、突然メールが届きました。 彼は東京外大でオセアニア地域を勉強しながら、オセアニア島嶼地域の今後に関し、研究をしていると云う。
たまたまKFCトライアスロンクラブのホームページを見て、我々KFCがロタ島でやっているコーヒープロジェクトを知ったと言う。 そして、それが今後のオセアニア島嶼地域の希望の一つとなる得るプロジェクトと思い、強く興味をもったと言う。それで、 直接会って詳しく話を聞きたいと云うことでした。
帰国後の3月27日、吉田くんに青梅へ来てもらい、KFCロタコーヒー農園に関し、その経緯や現状をいろいろ話しました。この時、 吉田くんと同じ大学の友人である山内くんも一緒にやってきました。山内くんもこのプロジェクトに非常に興味を持ったと云うことでした。 2人とも20歳です。若いけどグローバルな視点で物事を捉えることができる能力があると感じました。
そして、このプロジェクトを手伝いたいという申し出を受けました。この2人から並々ならぬ熱意と何か光るものを 感じたので受け入れることにしました。
実は、このコーヒー農園を作った経緯は、2011年に友人ジェームス・アタリックの息子マニエルくんが白血病になり、 日本の病院に入院し、その治療費を得るためにジェームスの土地を10区画に分け、日本人向けに売り出したことに端を発します。
そして、まず最初に我々KFCが1区画を購入しました。そして、せっかくだから、その土地を何か価値のあることに使いたいと思い、 2013年にコーヒーの苗木を植えました。その土地は観光スポットのバードサンクチャリー近くにあります。
その後、農園の世話をコーヒー栽培に詳しいビアータ・カルボにお願いしておきました。でも、我々が忙しく、放っておいたのと、 彼が亡くなってしまったのとで、現在、その農園は草に覆われてしまっています。
元々、2017年11月にロタブルートライアスロンを再開させ、その後、2018年にコーヒー農園を復活させようと思っていました。
ところが、この2人の若者との出会いで、前倒しして、今年からコーヒープロジェクト復活の準備に入ることにしました。もちろん、 彼らと一緒にです。彼らの大学卒業時にまでには何とか形にしてやりたいと思っています。すなわち、2年後には少しでも収穫が できるようにです。
因みに、ロタブルートライアスロンは1994年から2015年まで22年間に亘って毎年開催していました。しかし、過疎の島であるロタへの アクセス環境が年々悪くなり、それに伴ってツアー代金や自転車搬送費が高騰し続けました。この最悪のスパイラルを断ち切り、 仕切り直すために2016年の大会を中止にしました。
6月19日に、来る11月18日開催予定の第23回ロタブルートライアスロンの打ち合わせのため ロタ市長エフレン・アタリックを 訪ねました。その時、市長室には ロタ島各セクションの責任者たちが集められていました。
頭痛の種である主要議題の自転車搬送(トライアスロン用)の話があっ気なく終わった後、 島の主だった面々が顔を揃えている良い機会なので、その場で大西が考えているロタコーヒープロジェクトの話を しました。
ロタ島が日本統治時代(1914〜1945)だった頃に日本人が栽培していたコーヒー木(アラビカ種)が人の手を離れ、 約70年経った現在も ジャングルで野生化してひっそりと生息しています。それらはワイルドコーヒーと呼ばれています。
神秘的で、ドラマチックで、他にはない稀有なストーリーを持ったコーヒーです。 それをコーヒー農園として生産できる程度に復活させて、ロタ島の主要産業にできないかという企画です。
2001年9月11日のニューヨーク同時多発テロ以降、ロタ島への航空便アクセスが非常に悪くなり、観光客は激減し、経済が非常に スローな状況が続いています。今なお、 復活の兆しが見えてきません。このままでは観光客が増えることも考えらえません。 でも、 ロタ島が持つコーヒーならロタ経済復活の起爆剤になるのではないかと感じています。それにコーヒーはイメージが良いので、 観光資源としても使えます。
現在、ロタ島にコーヒーがあることは対外的にはほとんど知られていません。それを世間に紹介する目的で、2013年に作った コーヒー農園は手入れが行き届かず、現在はブッシュに戻っています。このように日本人だけでやるには限界があります。
そこでロタ市役所が 先頭に立って、政府所有の土地でAll Rotaでやることを市長に提案した訳です。個人所有の土地だと利権が絡んで、 All Rotaでやるのは難しくなり、スピード感が無くなってしまいます。
ミーティングの席上、おもしろいように皆から様々な意見がでました。今、KFCがコーヒー農園にしている土地は標高が低く土が貧弱で コーヒー栽培に適していない等々ワイワイガヤガヤ・・ロタバックス作るの?!・・ワイワイガヤガヤ。
基本的に皆興味津々で 大西の企画には賛成です。その場で市長もやろうと決断し、その場で担当部署に指示を出しました。島には島内植物に詳しい コーヒースペシャリストがおり、自分が飲むコーヒーを自分で栽培している人もいるということです。20年ほど前、 友人のジェリー・カルボに自家栽培のコーヒーを飲ませてもらった経験があります。
ロタ島にはサバナ山(標高約500m)中腹のジャングルの中に野生のコーヒーが群生する場所(コーヒーベルト)がガガニ・エリアと テテト・エリアの2か所にあるそうです。
だから、この一帯に生息している野生のコーヒー木をそのまま残し、邪魔な木だけを切って、 コーヒー農園にしてしまおうというものす。 そうすれば、若木をイチからから育てるのと違い、短期間でそこそこの収穫が 見込めるとう利点があります。 さすが「やる時はやるチャモロ人」、賢い考えです。 彼らはいつもシンプルな答えをサクッと出してきます。優秀です。 因みに、北マリアナ諸島(ロタ、テニアン、サイパン、グアムの4島)は人種的にはチャモロという民族です
ハワイ島南西部のコナに有名なコナコーヒーの生産地帯があります。具体的には、マウナ・ロア山中腹(標高300m前後)の コーヒー農園が 集中するコーヒーベルトのことです。
ロタ島のコーヒーベルトと立地条件がよく似ていると感じています。 コナ・コーヒーベルトには、地元のコーヒー農園に混じって、日本のUCCコーヒーやドトールコーヒーが所有する観光コーヒー農園が あり、 よく整備されています。また、焙煎設備もあり、その場でコーヒーを飲むこともできます。今後のお手本にしたいものです。
完成形のコナとロタとを比較するのは余りにもおこがましいですが、ロタにはインフラに大きな問題があります。現在、 サバナ山の中腹にあるコーヒーベルトはジャングルの中にあるため、そこへ行くには粗末な道しかありません。車が通れるだけの道を 造らねばなりません。
でも、これはロタ島民が得意な力わざで解決できます。かつて、ロタ島初のトライアスロン開催のために 重機を総動員し、わずか2日間ほどでイーストハーバー(東港)を造ってしまった人たちですから。
今年のトライアスロン開催の11月を目途に道を造るということです。そして、大西を案内すると言う。 因みに、 ロタ島にはヘビなどの危険動物は生息していないので、濃いジャングルでも安心です。
遅くとも、2年後には、少量でもよいので収穫を得ることを目指します。
そして、ちょっとでも収益がでれば、島民皆が俄然やる気になって、 自分たちの土地でもコーヒー栽培を始めるはずです。 チャモロ人(ロタ島民のこと)はそういう民族なのです。ただ、 それまでモチベーションを維持するため、彼らにプレッシャーをかけ続けねばなりません。
そこで考えたのが「ロタコーヒーマラソン」と云う名称のイベントを作り、毎年1回は日本から訪れて、 モチベーションを維持させるというものです。
その後は島の基幹産業として、ぼちぼち育てて行くもよし、コーヒーファンドを立ち上げて加速させるのもよし、と思っています。 将来的に、その生産量から考え、販売先はロタ島内と日本国内の一部に限定することになると思っています。
戦前の日本統治時代にロタ島に住んでいた日本人が持ち込んで植えたコーヒーを、約70年経った今、ロタ島民と日本人とが協力して 復活させることに何かの縁を感じます。そして、それが少しでもロタ島民たちを幸せにでき、彼らの誇りになれば、 最高と思います。
2017/7/7 KFC記