イベント報告
南仏プロバンス自転車紀行2014
2014年6月12日〜19日
マルセイユ〜モン・バントゥーの8日間
【心地よい緊張感の朝】

2014年6月17日(火)、いよいよ南仏プロバンスの巨人と畏怖されている、あのモン・バントゥー(標高1912m)へのアタックの日だ。

これまでツール・ド・フランスの山岳シーンで幾度となく見聞した山だ。山頂部分は草木の全く生えていない。ぽつんとテレビ塔がそびえているだけだ。 雪のように真っ白い岩肌の、 あの山だ。世界中の自転車乗りの憧れの山だ。まさか自分がその山を上ることになろうとは、人生、何が起こるか分からないものだ。

モン・バントゥーの麓にあるヴェゾン・ラ・ローマン村にある小さなホテル“ロジ・ド・シャトー”の玄関先で、出発前の朝の準備を しながら、松永さんも「ついに、ここまでやって来ましたね、大西さん。」と感慨深げに呟いた。きっと大西と同じ思いだろう。

出発前、自転車に空気をいれたり、ボトルに水を入れたり、伴走のワゴン車に13人分のランチ用サンドイッチやオレンジジュース、 コーラ等々を積み込んだりして、この日の準備をした。毎日、ランチはルート上のレストランと決めていたが、 今日に限っては弁当の方が良いと判断し、 石井さんにお願いしたものだ。

因みに、石井さんはマルセイユ在住の大西の知人で、現地マルセイユ・ツアーズ のオーナーだ。現地滞在中、1週間に亘って、ずっと我々の世話をしてくれた。

ホテル出発は09:00を予定していたが、実際には09:30頃の出発となった。多少の遅れは毎度のことだ。 昨日までの朝とは違って、皆の表情から心地よい緊張感が読み取れる。いつもより入念に自転車のチェックをしている。嬉しそうだ。

【前線基地ベドアン村へ】

先導のワゴン車に続き、我々9台の自転車がトレインを組んで出発した。世賀さんは膝の調子が悪く、この日はパスしている。

出発して、しばらく川沿いに沿って進む。古城の建つ 小高い丘を回り込むと、遥か前方にモン・バントゥーのシルエットが見えた。山頂にテレビ塔があるのですぐに分かる。因みに、 モン・バントゥーのモンとは“山”と云う意味だ。だから、日本的にはバントゥー山だ。そして、その山頂部分は森林限界で 樹木が生えていないのではなく、その昔、帆船を建造するために木を伐採した結果だと云う。

本格的に上り坂が始まる地点、すなわち、アタックの前線基地として有名なベドアン村までの約20qは低い丘を2つ越えるという 気持ちの良い足慣らしのツーリング・ルートだ。

道すがら、ヨーロッパ各地から訪れたのであろうと思われる自転車乗りが多く 見られるようになってきた。もちろん、目的は同じモン・バントゥーだ。ワクワク楽しくなってきた。 よく練習をやっていた現役の頃に来れなかったのが残念だ。

10:30頃にベドアン村に到着した。カラフルなウェアの自転車乗りがたくさんいる。これまで訪れた観光地とは明らかに雰囲気が違う。 自転車一色だ。自転車乗りを相手にするカフェやレストラン、それにレンタルバイク店を兼ねたバイクショップもある。ここで自転車を 借りて、モン・バントゥーへアタックすることもできる。レンタルバイクと言っても、コルナゴやピナレロなどの高価な 軽量スポールバイクだ。

ここが最後の村なので、村中にある公園のトイレで皆用を足した。外国は日本ほど公衆トイレが充実していないので、 公衆トイレを見つけた時は小まめに用を足しておいた方がよい。

【いよいよアタック開始】

11:00頃、真っ白い山頂を目指し、ゆっくりとトレインを組んでアタックを開始した。山頂へのコースとして、過去にツールが通った コースは3本ある。その内、我々は2013年度のツールが通ったのと同じコースを上ることにしていた。距離は21qで斜度10%前後が延々と 続く。

最初の3qほどは斜度3%程度の坂で、左右のサクランボやアプリコットの農園、それにブドウ畑を見ながら農道を行く。まだ皆余裕があり、 口が軽い。大西は無線機を携帯していたので、最後尾に付いた。先導は今日も菅沼だ。先行する菅沼、坂村、宮原さんの3人の姿はすぐ見えなくなった。 早々にアタックを始めたようだ。

農道が終わると、突然、斜度12%の坂が出てきた。道の左右は背の高い木々に覆われ、山の雰囲気になって来た。キツイ!ここからは自然と 本気モードにスイッチが入った。スピードが落ち始めた松永さん、峰尾さん、市川さん、小野寺さんを置いて、原さんと2人で行く ことにした。

伴走のワゴン車はと云うと、先に山頂へ上り、カメラマンの舘岡さんを撮影ポイントに置いて、再び下って来て最後尾に付くと云う 段取りだ。

東京ヒルクライムシリーズの一部区間にあるような15%前後の急勾配はない。 しかし、10%前後の勾配がずっと続き、一瞬たりとも休むことができない。6q過ぎに原さんが 遅れ始めた。通常、大西より力は上だが、昨年の11月にヘルニアを患い、5月まで半年間も全く動けなかったので、 仕方のないことだ。それでも、このツアーに間に合うように、頑張って治したというから只者ではない。これも、 モン・バントゥー効果か?

【緊急事態とサバイバル】

これ以後、大西は単独走行になってしまった。外人の自転車乗りがゼイハー言いながらと抜かしていく。皆、力強い。 下山して来る自転車乗りも多い。そうこうしている内に先行していた宮原さんをパスした。

10q地点からボトルの水がなくなった。最後尾に付いているワゴン車を呼ぼうにも無線が通じない。背の高い木々が邪魔を しているのだ。ボトルを2本持って来るべきだった。川が出てくることを願ったが、川はない。

ペースダウンして原さんを待ったが来ない。気力が萎えてきた。緊急事態だ。すると、道脇に空になったエビアンのペットボトルが捨てられているのが目に入った。 「これだ!」と思って、直ぐに、止めて、中身を見ると、1p位入っている。かまわず飲み干した。3度ほど、これを繰り返した。 こんなことをしたのは、生まれて初めてのことだ。

間もなく、突然、目の前が開け、奥にオープンテラスのカフェのようなものが見えた。カラフルな自転車乗りが たくさん休んでいる。即、飛び込んで、コーラと水を買った。コーラは飲み干し、水はバイクボトルに入れた。まさにオアシスだ。 一息ついた。助かった。本当に危機一髪だった。

しばらくすると、原さんが到着した。 原さんはすぐ後ろにいたのだ。後で知ったことだが、このカフェは約15q地点にあるホテル兼カフェレストラン“Le Chalet Reynard(シャレ・レナード)”で、欧州の自転車乗り憧れのカフェレストランと云うことだ。

【仕切りなおして】

カフェ裏のトイレに行ったりしている間に峰尾さん、宮原さん、市川さんが到着した。このタイミングでワゴン車も到着した。 この頃から少し雨が降り始めたので、皆、ワゴン車からレインジャケットを取り出して着た。

このカフェを境にして周囲の樹木がなくなり、 白い岩山に景色が一変した。残り約6qだ。水を得た魚、大西を先頭に5人でトレインを組んで、力強く再スタートした。

周囲は雪のように真っ白、ツールのワンシーンで何度も観た通りの風景だ。山頂付近にも自転車乗りがたくさんいる。おそらく、 これほど多くの自転車乗りがいる山は、この山を措いて他にはないだろう。しかし、東洋人は我々だけだ。 彼らには東洋人は珍しい様子だ。そう言えば、マルセイユ到着以来、東洋人とは全く出合っていない。

13:00頃、標高1912mの山頂に到着した。気温は低い。その頃、先行していた菅沼、坂村さんの2人は反対側の斜面を下り始めていた。 山頂にあるレストランも気になったが、また来ればよいと思い、我々も記念写真を撮って、すぐに下山することにした。

峰尾さんと宮原さんはワゴン車で下山することを決めた。下り得意の松永さんと小野寺さんは先頭を切って、下った。 メチャクチャ速い。少し遅れて、原さんが2人に続いた。

市川さんはと云うと、元々ランナーで、ツアーの僅か1か月前の5月GWから、 この日のために自転車を乗り始めたばかり。こんな長い下り坂の経験はない。だから、市川さん、大西の順にゆっくり下ることにした。 下り始めて直ぐの北斜面に残雪の大きな塊を見つけ、ちょっとびっくり。冬場は人気のスキー場だから当然と云えば、当然かも。

15:00過ぎには全員無事にヴェゾン・ラ・ローマン村にあるホテルへ戻って来た。

【始まりは1本のメール】

この旅の始まりは、昨夏、マルセイユからの突然届いた1本のメールだ。マルセイユ在住の知人、石井さんから 「ぜひ、マルセイユに遊びに来て欲しい。」と メールが届いたことだ。

フランスと言えども、パリには多くの日本人が訪れるけれど、 地中海に面したフランス第2の商業都市マルセイユには、 日本人がほとんど訪れることはないという。 反骨精神の塊である大西はこの手の言葉に弱い。

そこで、マルセイユ近郊で自転車ツーリングに適した場所があるかどうか尋ねたところ、モン・バントゥー始め、 ツール・ド・フランスに多々使われたルートがたくさんあると云う。それならば、と云うことで、即決で、「行く」とメールを送った。

そして、一緒に行く人を8名に限定して、募集したところ、あっという間に13名も集まってしまった。ほとんどがKFCの関係者だ。 KFC関係者には変わり者が多い証拠だ。普通の人はなかなか思い切りがつかないものだ。

この旅は毎日違う町に宿を取って、地中海沿岸(コートダジュール)からモン・バントゥーまで転々と自転車で移動していくと云うもの。

なぜ、 8名限定で募集したかと言うと、荷物を積んで、自転車と伴に日々移動する伴走のワゴン車が9人乗りだからだ。でも、 同時に全員が体調を壊すことはないので、13人くらいは問題なしと判断した。この内、10人は自転車で移動するが、 3人はサポーターとカメラマンなので、終始ワゴン車での移動となる。

【南仏プロバンスを巡るルート】

大西が大雑把に希望を伝え、それを元にマルセイユ在住の石井さんがツーリング・ルート作りからホテルの予約までをやってくれた。 何度もメールのやり取りをした。

出来上がったルートは、港町マルセイユを出発点にし、海岸線が美しいことで有名なリゾート地カシを 観光し、その後、広大なブドウ畑の続くプロバンス地方を北上、最終目的地モン・ヴァントウ―山頂を目指すと云うもの。5日間で、 約300qの自転車旅だ。但し、日本からのツアー日程は6月12日(木)〜19日(木)の8日間となる。

もちろん、途中、観光をしたり、泳いだり、 旧市街を抜けたり、ワイナリーに立ち寄ったり、ランチを摂ったりするので、 それほど長い距離を一日に移動できない。それに、せっかくだから、美しい風景の南仏プロバンスも充分に楽しまなくては、勿体ない。 単に距離を走るだけなら、日本で十分、フランスまで来る必要はない。

【日没は、夜の10時!?】

ヨーロッパを旅する時に大切なのは、その時季だ。特に、自転車旅の場合は重要だ。我々がこの時季を選んだのは、日の出が午前6時、 日没が午後10時なので、もし、何かのトラブルで遅れても、暗中を自転車で行くと云う心配がないからだ。

それに、気候的にも、 夏の信州のような高原気候で、湿気がなく爽やか、雨は滅多に降らないと云う。すなわち、自転車乗りにはもってこいの季節だ。だから、 あのようなスケールの大きい自転車レースが開催できるのだ。すなわち、ツール・ド・フランスが始まる直前が、 ここ南仏プロバンスのベスト・シーズンという訳だ。

【予想を超えたモン・バントゥー人気】

この時季にはヨーロッパ中から大勢の自転車乗りがやって来る。

我々の1週間後にオランダからモン・バントゥーの麓の村々には 3000人もの自転車乗りがやって来ると云う。当然、山麓の村々にある小さなホテル(大規模ホテルは皆無)は全ていっぱいになってしまう。 もちろん、彼らの目的はモン・バントゥーだ。それにしても3000人とは、さすが、自転車王国オランダだ。

石井さんのアドバイスで、半年前の2013年11月にはホテルへの支払いを済ませ、航空券も購入した。 半年以上前に支払いを済ませておかないと、モン・バントゥー人気で、予約だけではホテルを抑えることができないと云う。また、航空券も同様だ。 でも、日本の旅行社を使わず大西の手配なので、その分安く上がった。皆、喜んでくれた。この費用ならまた行ってもいいかな、 と云う感じだ。問題は長い休みだ。

【いざマルセイユへ】

6月12日(木)、13人が成田空港に集結した。大阪と名古屋からの参加もいる。13:50にオランダKML航空で出発し、現地時間18:30にアムステルダム空港に到着した。 気になる自転車の超過料金は1台に付き100ドルだ。帰りは100ユーロだった。因みに、自転車の搬送費がバカ高いのは米国系航空会社だけだ。

そして、2時間後にマルセイユ空港へ向けて出発し、22:25に到着した。税関を出た所で石井さんが待ってくれていた。 そして、石井さんが手配してくれた大型観光バスに乗り込んで、30分ほどでマルセイユ港に近いホテルに到着した。人間は13人だが、 バイクと云う大きな荷物があるので大型バスにした次第だ。時差の関係で、未だ12日(木)だ。

【ジネスト峠を越え、海辺の町カシへ】

13日(金)、06:00頃にホテルで朝食を食べた。ブッフェスタイルだ。フランスパンやクロワサン等々、それに各種チーズ、ハム、 ジュース、コーヒー、フルーツ、ヨーグルトと云った感じだ。どこのホテルも朝食は同じようなものだ。それでも、さすがフランス、 パンとチーズは種類も多く、美味しい!

その後、皆、自転車を組み立てた。10:00過ぎにホテル玄関に集合し、いよいよ「南仏プロバンス自転車ツーリング2014」の始まりだ。 10人は自転車、あとの3人は伴走のワゴン車移動だ。ドライバーは頼りになる石井さんだ。

この日はヨーロッパで人気の高い海辺の リゾート地カシの往復だ。途中、ツールでよく使われるジネスト峠を越える。時にはミストラルと呼ばれる強風が吹くことで有名だが、 この日は最高の天気だった。ツールが良く似合いそうな美しい峠だ。

大都市マルセイユの中心地は車や信号が多く、気を配りながらのツーリングだ。先導&伴走してくれるワゴン車も気を使ったと思う。 でも、郊外のジネスト峠辺りから景色も変わり、気持ちの良いツーリングとなった。先頭は現役バリバリのトライアスリート菅沼が、 しんがりは現役とはほど遠い大西が抑えると云うフォーメーションだ。

走行中に信号やパンクで中切れした時の対応にと、松永さんが無線機を3機持参してくれた。菅沼、大西そしてワゴン車がそれぞれ携帯するように した。これらの無線機は初日から最終日まで日々大活躍で数多のピンチを救ってくれた。最強のツールだ。1週間のツーリングを無事に 終えることができたのは、無線機のお蔭と言っても過言ではない。

昼頃に海辺の町カシに着いた。腹が減ったので、先ずはランチにした。その後、峰尾、宮原、坂村さんの3人は海で泳いだ。 透明度は良かったが、冷たかったようだ。他の者はカシの街と海が展望できる切り立った崖の上にワゴン車で向かった。

15:00時頃、帰途に着いた。ワゴン車は先に出発し、その姿は前方の視界にはなかった。我々は、途中、曲がるべき交差点を まっすぐ行ってしまった。見たことのない景色に気が付き、ワゴン車に無線連絡を入れた。すると、この道は高速道路に入ってしまうことが 分かり、すぐに引き返して、事なきを得た。日本人10人が自転車で高速道路を走ったりしたら新聞沙汰になってしまう。 こんなに早く無線機のお世話になるとは思わなかった。

17:00頃にマルセイユのホテルに戻って来た。10台の自転車をフロント奥の客室に続く廊下の壁にたて掛けた。 2〜3台づつチェーンロックで束にして並べて置いた。この後、思いもよらぬ大事件が起こることになろうとは知らずに・・。

【歴史漂う石造りの街、マルセイユ散策】

19:00に、マルセイユ港に面したブッフェスタイルの、地元で人気のレストランに石井さんが夕食の予約を入れてくれていた。

それまでの約2時間は港界隈を散策するなど、各自思い思いに過ごした。港の周りは終日観光客や地元の人でにぎわっていた。 港内には船がいっぱい泊まっていた。夜の7時と云うのに、陽射しが強く、理屈では理解できても、感覚的には何か変だ。

そのレストランに入ると、ブッフェ用の料理がずらっと並べられていた。皆、テーブルについた。まずはビールかワインだ。そして、 食事。種類が多く、これまで見たことないような、食べたことのないような、料理や食材が多々ある。全種類食べようと思ったが、 とてもとても無理だった。

22:00頃、夕食を終えて、レストランを出た。ようやく周りは薄暗くなっていた。港からの海風は気持ちが良いので、 夜の街を散歩してからホテルへ帰ることにした。すでに、この時点で、我々の身に大事件が起こっていたのだが、 そんなことは知る由もなかった。

【大事件勃発!】

23:30頃にホテルに戻って、明日に備えて眠ろうと言いながら、皆が部屋へ行こうとした。その時、宮原さんが 「あれっ!自転車が2台ない!!自分の自転車がない!」と言い出した。

最初はホテルのスタッフが邪魔になるから移動させたのかなあと期待した。フロントスタッフに尋ねても、自転車は誰も触っていないと言う。 と云うことは、盗まれたのか・・?

一緒にチェーンロックで縛っていた松永さんの自転車と2台が盗まれたのだ。これには、皆、 愕然となった。まさか、自分たちが狙われていたとは・・好事魔多し。

ホテル内の廊下と云うシチュエーションから考えて、盗んだのはホテルゲストで、未だ、そいつの部屋に隠してあると考えていた。 すなわち、ホテルから待ち出されていないという推測だった。

フロントに防犯カメラの映像を見せてくれと云うと、マネージャーが来るまで見せられないと云う。夜中の12時に来ると云う。

それでは、警察を呼んでくれと頼むと、フランスでは、深夜、警察は来ないと云う。にわかには信じがたい話だが、どうも本当の様だ。 この場合は、被害者が警察署に出向いて、事情を説明するのだと云う。日本では考えらえないことだが、フランスでは、そうなら、 それに従うしかない。夜遅くで申し訳なかったが、石井さんに電話して、事情を説明した。

その後、被害に遭った松永さん、宮原さんと、大西との3人でマルセイユ警察署へ出向いた。少し遅れて、 石井さんもご主人と一緒に警察署に駆けつけてくれた。

夜勤の警察官に幾ら力を入れて、説明しても、暖簾に腕押しで、犯人を捕らえようとする気は見受けられない。 因みに、宮原さんはフランス語が達者。保険でカバーすれば良いという風なゆるい感じだ。かつてのロタでの盗難事件を思い出す。同じような対応だった。それに比べ、 今更ながら、ロタの警察は気持ちがあり、優秀だ。洗濯物盗難事件ですら、きっちりと片を付けてくれた。そして、マルセイユ警察を出たのは 深夜の2時頃だった。皆、ぐったり、疲れ果てた。

【大事件の顛末】

ホテルへ帰って、しばらく待っていると、マネージャーが出勤してきた。マネージャーは防犯カメラの映像を一緒に見ようと 言ってくれ、スタッフルームへ招き入れてくれた。

巻き戻して、再生していくと、何と!20:25に若者2人が何気ない素振りで1台ずつ自転車を押して、 フロントの前を通り抜けて外へ出て行く映像が写っているではないか!皆、絶句!

この映像で、未だ、ホテル内に自転車はあるだろうという一縷の望みは木端微塵に吹っ飛んでしまった。これで、探し出そうという気持ちは 萎えてしまった。

さらに、巻き戻して、見て行くと、同じ服装の2人が20:24にフロント前を通り自転車保管場所へ歩いていく映像があった。すなわち、 僅か1分で仕事をしてしまったのだ。マネージャーが言うには、彼らは高価な自転車を狙うプロの窃盗団ということだ。

きっと、どこかの時点で彼らに目を付けられていたのだろう。不覚だった。最後に、マネージャーは警察署がオープンする06:30に 証拠品として、このビデオを警察に持って行く、と言ってくれた。不本意だが、一件落着した。時間は03:00だ。眠い。

こんな輩は、日本を始め、世界中、どこにでもいるものだ。我々の油断が一番の原因だが、これほど大胆にやられるとは ・・ショックだった。警察は頼りないが、石井さんやホテルスタッフは、真夜中まで、皆、本当によくやってくれた。感謝だ。誤解のないように言っておくが、マルセイユは決して治安が悪い町ではない。

石井さんと相談して、翌日、どこかで2台の自転車をレンタルして、全員でツーリングを続けることに決め、眠りについた。

【エクス・アン・プロバンスへ】

ツーリング第2日目、14日(土)は、マルセイユからエクス・アン・プロバンスを目指すルートだ。

石井さんが調べてくれ、 エクスで自転車が借りられるバイクショップがあることが分かった。だから、それまでは2人とも ワゴン車移動と云うことになる。

マルセイユ中心地は車や信号が 多いので、電車を使って郊外まで移動する作戦だった。ところが、マルセイユ駅に行ってみると、電車はストだと云う。次の電車は正午頃になるだろうという。 今日はペルチュイのホテルまで行かねばならない。そんなもん待つわけにはいかない。即、自転車で出発することに決め、 印象派画家セザンヌが育った町として有名なエクス・アン・プロバンスへ向け出発した。

【サドルがコロッと】

順調にツーリングを楽しんでいたところ、最後尾大西の前を行く市川さんがパンクした。無線で前方を行く自転車へ事情を伝え、 修理に取り掛かる。メカに強い松永さんが修理をやってくれ、5分ほどで完了。

しばらく行くと、今度は前を行く小野寺さんの サドルがコロッと路面落ちた。ネジが折れたのだ。また、無線が役に立つ。

よくよく調べてみると、昨夜の自転車ドロが原因のようだ。小野寺さんのバイクも盗もうとしたらしく、力づくで、ひっぱったり、 叩いたりしたのが原因と判明した。結局、この時点で、ワゴン車には6人が乗る羽目になってしまった。想定外だ。

【人気のエクス、到着】

昼前にエクスに到着した。観光客が多い。旧市街の朝市が人気だそうだ。でも、まずはエクスの観光局へ行って、 レンタルバイクショップの場所を教えてもらうことにした。しかし、その店はランチで12:00〜14:00まではクローズだと云う。 2時間も休むの!と思ったが、フランスではそうなのだから仕方がない。

腹が減ったので、我々もランチにすることにした。 名前は忘れたが、東南アジア風の上品なパスタ料理を食べた。その後、旧市街を見物して時間をつぶした。

14:00にレンタルできるバイクショップへ出向いた。しかし、まだシャッターが下りたままだ。待てども、スタッフはなかなかランチから 帰って来ない。14:30過ぎにようやく戻って来た。東洋人の一団が店の前で待っていたので、何事が起ったのだろうと云う表情だ。

事情を説明し、2台のロードバイクを借りることができた。さらに、小野寺さんのサドルのネジも入手できた。これでやっと 全員揃ってツーリングを始めることができる。やれやれだ。

途中、印象派の画家セザンヌが好んで描いたと云うサント・ヴィクトワール山を望む丘に立ち寄って、この日の宿泊ホテルがある ペルチェイ村を目指した。

【自転車の存在感】

エクスで旧市街の見学に出かけた時のことだ。さすが旧市街、石造りの重厚な建物ばかりだ。細い路地道は大勢の観光客で溢れかえっていた。

その時、街角で珍しい標識を見つけた。自転車乗り入れ禁止の道路標識だ。細い道は人で溢れかえっているから、乗らずに押しなさい、 という意味だろう。

フランスは自転車に非常に優しい国だ。前を行く自転車には決してクラクションを鳴らさず、前方が空くまで、ずっと後ろからついて 来てくれる。日本のように幅寄せしたり、無理な追い越しをしたりもしない。でも、一方では、このような自転車禁止の道路標識も あるようだ。フランスでは車と同じく、自転車の存在感も大きいように感じた。

【ペルチェイ村到着】

18:00頃、ホテルに到着した。モダンで、お洒落なホテルだ。駐車場にはポルシェやフェラーリなどの高級スポーツカーがずらりと並んでいる。 裏庭には小さなプールもある。時間がなかったけど、5分ほどプールで泳いだ。 火照った体が冷えて気持ち良い。

その後、夕食のレストランの下見と翌日の水の買出しに石井さんと出かけた。ホテルから徒歩数分ほどの 肉料理のレストランに決めた。

19:00頃、皆でそのレストランへ行ってみると、ウェイトレスはツールのロゴ入りTシャツ、ランチョンマットもツールのルート図入り と云うように、ツールが至る所に演出されている。聞けば、レストランの前面道路を今年のツールが通ると云う。そして、 このレストランはスポンサー企業の一つらしい。

【あり得ない、雷雨の朝】

15日(日)、06:00、雷の音で目が覚めた。外を見ると雨がザーザー降っている。大粒の雨だ。気温も低い。プロバンス地方で、 この時季に雷雨なんて、あり得ないことらしい。ヨーロッパも異常気象のようだ。

今年のツールも然りだ。例年になく雨が多い。そのため落車が多く発生している。 優勝候補のフルームもコンタドールも落車による負傷で、早々に消えてしまった。

09:00の出発時間までに止みそうな雨ではない。石井さんはすでに対策を考えてくれていた。

その対策は、雨雲を抜けるまで、電車で移動するか、バスで移動するか、の2者選択しかない。 結局、大西と相談して、今日も電車はストが続いているので、確実なバス移動に決まった。すでに、バスの発着時間や乗場の情報は 調べてくれていた。石井さんの対応はいつも素早い。頼りになる。

天気予報によると、雷は1時間もすれば止むだろう。しかし、雨は止みそうもない。大西だけなら、この程度の雨なら、予定通り 自転車で移動するだろう。しかし、10人の自転車の経験や実力はバラバラ・・きっと雨中走行の経験の少ない人はいるはず。雨中、 トレインを組んでの走行はなかり危ない。もし、スリップ、転倒落車、病院搬送・・・となれば、ツアーの中止だけでは済まない。 その可能性は“ある”と感じたので、バス移動に決定した。こんな場合の決断は、過去の大会運営で何度も経験済みだ。

【田園風景とバス移動】

出発の頃は小雨になっていた。小雨の中、10分ほど自転車を走らせ、バスの停留所へと急いだ。ちょっと引き気味の運転手に石井さんが事情を説明してくれ、 バスの腹と 通路に計10台の自転車を積み込むことができた。ほとんど我々の貸し切り状態だった。運転手は親切だった。

バスが広大なブドウ畑の田園風景の中を小一時間ほど走った所で雨が止んできた。急きょ、 次のバス停で降りて、自転車に乗ることにした。しかし、このバスが長距離バスのため、次のバス停まで30分ほど要してしまった。

再び、ツーリングの開始だ。そして、運河で有名な街ルールマランに到着した。ここで人気の日曜市場を散策し、その後、運河の傍のレストランで ランチを食べることにした。

そうこうしている間に、雨が降りそうになってきたので、当初、観光する予定だった町カヴァイヨンを素通りして、宿泊ホテルのある カーポントラスの街へ急いだ。途中、松永さんのバイクがパンクしたが、すぐに修理完了し、再スタートした。この時も無線で先頭集団を 止めることができた。この頃から雨がポツンポツンと降り始めた。

ホテルへ早めに到着したので、夕食まで2時間ほど時間があった。せっかくだからカーポントラスの城壁に囲まれた旧市街の散策に 出かけた。フランスは至る所に旧市街と云う石造りの街が存在し、それがそのまま観光資源となっている。うらやましい限りだ。

ホテルに戻ると同時に雨粒が大きくなってきた。予報では明日も雨。明日の天気が心配だ。

明日は、安全策を採って、走行距離60q程度に短縮することにした。すなわち、アヴィニョンを省き、モン・バントゥーの麓の村 ヴェゾン・ラ・ローマンへ早めに到着することにした。そこでゆっくりすればよいと考えた。

【美しいブドウ畑の中を行く】

16日(月)、昨夜の心配が嘘のように良い天気だ。この日は南仏プロバンスらしい広大なブドウ畑の中を走ると云う最高のルートだ。 ブドウ畑だけでなく、収穫間近のベージュ色の広大な麦畑、花が咲く前のヒマワリ畑などもある。紫のラベンダー?畑もある。色彩の美しい風景だ。

1時間ほど走った所で宮原さんが落車した。落車と言っても立ちごけのような落車だ。幸い、外傷はほとんどない。頭を強く打ったので、その後はワゴン車移動と なった。メットが壊れて衝撃を和らげたのと、顔色も良く、反応もあったので、頭は大丈夫と感じた。でも、石井さんにホテルへ到着したら、 すぐに病院へ連れて行って欲しい、とお願いしておいた。

その後、広大なブドウ畑の中にあるワイナリーに立ち寄った。近代的でお洒落なワイナリーだ。そこで、ワインの試飲させてもらい、皆、 お土産用にワイン、オリーブで作られた石鹸、その他、色んな物を買った。因みに、この時までは買い物をする機会はなかった。

昼頃、小さな村の、道沿いの、オープンテラスのある小さなレストランでランチを食べた。いかにもフランスの田舎にある お洒落なレストランと云った雰囲気だ。人気の店の様で、お客さんでいっぱいだ。ランチと云うのにフルコースだ。 我々は先を急ぐので、メイン料理以降はキャンセルしてもらった。 昼食後、午後のツーリングには宮原さんも復活した。よかった。これには、皆、安堵した。

広大なブドウ畑の中に、ラウンダバウトという信号機の代わりになるモノがよく出て来る。ツールのシーンにもよく登場しているあれだ。

交差点の中心に直径10mほどの円形の小山があって、その周囲を反時計回りに走りながら、行きたい道へ右折で出て行くと云うモノだ。 信号機が要らない省エネの優れたシステムだ。田園地方の交差点はほとんどこのシステムが採用されていた。旅の最初の頃は 違和感を感じたが、後半の頃にはすっかり慣れた。おそらく、今後、日本でも見られるようになると思う。

【麓の村へ到着】

16:00頃にヴェゾン・ラ・ローマン村にあるホテル“ロジ・ドゥ・シャトー”に到着した。高台にある小じんまりした見晴らしの良い ホテルで、その庭から眼下に村が見渡せる。この旅の中では一番良いホテルだ。直感で、再度、訪れることになるだろうと感じた。

このホテルは2013年ルーツ・ド・フランスの時のオフィシャルホテルで、2チームの選手とスタッフが滞在したと云う。 その時、彼らがサインしたジャージがレストランに飾られていた。このホテルは、以前からツールのチームがよく泊まるホテルと云うことだ。

ホテル到着後、念のため、宮原さんは石井さんに付き添ってもらって、村内にある病院に頭部の検査に行った。頭は大丈夫そうだったが、 ムチ打ちがひどい様子だった。

その他の者は、夕食まで時間があったので、ローマ時代の遺跡が残るヴェゾン・ラ・ローマン村の散策に 出かけた。村内にあるスーパーマーケットの商品を見て、もしかして、この村は高級リゾート地では、と感じた。

また、村の真ん中を流れる川に架かる大きな石橋から遥か彼方にモン・バントゥーの全景を見ることができた。 たぶん25qほどしか離れていないと思うのだが、もっともっと遠くに感じた。

その日の夕食は見晴らしの良いホテルの屋外テラスで食べた。ビール、ワインから始まって、前菜、スープ、メイン料理、デザート、 コーヒーとフルコースだ。フランスに着いてから夜も昼もフルコース料理が多い。皆、楽しそうに話が弾む。10時頃になると、 周りが暗くなってきた。さて、明日はいよいよモン・バントゥーだ。怪我なく、楽しく、終わりたいものだ。

【終わってみれば・・】

自転車盗難事件、鉄道のスト、朝の雷雨、サドルがコロッ‥など、日々、「えっ!」と驚くようなハプニングの連続でしたが、 その都度、 臨機応変に対応して、それはそれで楽しく旅を終えることができました。これも偏に石井さんのお蔭、ありがとうございました。

それにしても、自転車ドロの手際の良さには驚いた。よい勉強になりました。

今回の旅と同じく、大会運営も、自分の思う通りに、平穏無事に行くことなど決してありません。 次から次へと問題は起こるものです。人生も然りです。”人生、一寸先は闇”とはよく言ったもの。そして、その都度、 臨機応変にクリアしていくのが旅の、大会運営の、醍醐味と云うものです。

皆、本当に楽しかったのだと思います。それ故、帰国後、早や、何人かがまた来年も行きたいと言い出しています。

【最後の夜に思ったこと】

旅を終えて感じたことがあります。日本の自転車乗りやトライアスリートにもモン・バン・トゥ―を始めとする極上の南仏プロバンスを 体験して欲しいと強く感じました。 自転車乗りには最高の地です。

また、日本に情報は 入って来ていませんが、今回のようなゆるいツーリング旅だけではなく、ツールが体験でいるようなスケールの大きな自転車レースや アイアンマンと始めとするトライアスロン大会も たくさんあります。自転車乗りなら一生に一度は、少しは無理してでも、訪れてみる価値はあると思います。

しかし、この地域は、過去にほとんど日本人が訪れたことはなく、それ故、情報量が少ないこと、的を得たアクセス手段が 分からないこと、フランス語圏であること、 距離的(金銭的)に遠いこと等々、日本人にとっては敷居が高い場所であることも事実です。 しかし、今回の旅で多くのことを見聞し、これらの敷居の高さは何とかなる、と感じました。

近い将来、日本の自転車乗りや トライアスリートの誰もが、手軽にこの地を訪れることができるようになって欲しいと願います。石井さんと協力して、 そのための道筋をつけることができれば、と思っています。

■欧州自転車ツーリング2011年のレポートはこちら

【Special Thanks】

・マルセイユ・ツアーズ

・写真提供:舘岡正俊、松永真理、市川幸次