南仏ニース〜伊フィレンツェの8日間【前半】
以前から自転車の本場ヨーロッパをツーリングしてみたいという思いはずっとあった。
数年前からヒルクライムと云うサイクルイベントを運営するようになってからと云うもの、特にその思いが強くなった。そんな素地があり、2011年の3月初めに “よし、やろう”“と思い立った。
それで、長い付き合いの武藤さんにそのプランを相談した。彼は旅行社「グッドウィルツアー」の社長だ。
その直後に3・11が起こり、一旦、この思いは途切れた。その後、4月3日開催の「第13回Lafuma青梅高水山トレイルラン大会」が終わっても、 まだまだ群集心理に操られた自粛ムードは世間全般に蔓延していた。しかし、今やらないと一生できないような気がして、当初の計画通り“やる” ことにした。
初めてヨーロッパをツーリングするならば、やはり、自転車の本場であるフランスかイタリアだろうと考えた。 なぜなら、自転車乗りなら一度は訪れてみたい場所だからだ。その線で検討した結果、北イタリアの地中海沿岸地方に決めた。
次に時季を考えた。自転車は寒い時季は楽しくない。せっかくだから、暖かいベストシーズンに行きたいと思った。それで、 ヨーロッパ3大グランツールの一つである「ジロ・デ・イタリア」開催時期と重なる初夏5月中旬にした。この時季なら日没は遅く、午後9時過ぎまでは明るい。
自転車だから、どんなアクシデントやハプニングがあるかもしれない。日没後の自転車は危険だ。しかし、日没が遅いからと云って、陽の出が遅い訳ではない。 朝の6時頃には明るくなる。因みに、ジロも日没が遅いからこの時季に開催するのだ。7月開催の「ツール・ド・フランス」も同じ考えだ。
かつて、初夏の北イタリアに近い南仏コート・ダジュール(カンヌ、ニース、モナコなどの地中海沿岸地域のこと)へは行ったことがあった。 だから、このヘンの事情はだいたい掴めていた。
そして、出発日は5月11日(水)、帰国日は5月18日(水)の8日間となった。
実際にツーリングできるのは中5日間だ。 集まったメンバーは8名(その内、女性2名)、それにガイド役の武藤さんとワゴン車の運転手の計10名だ。
このツアーの参加人数は伴走のワゴン車のキャパの関係で8名がMAXだ。ワゴン車には皆のバイクケースや荷物を載せて、自転車と一緒に移動することに なっている。疲れたら乗ることもでき、便利だ。
ツーリングの途中に観光をしたり、ランチを取ったりするので、自転車による全走行距離は約400km。これ以外に、途中2度ほど電車を利用して移動する 区間もある。
8日間の最終スケジュールは以下となった。
1日目(11日)、成田〜パリ〜ニース(飛行機)
2日目(12日)、ニース〜エズ〜モナコ〜サンレモ〜インベリア
3日目(13日)、インベリア〜ジェノバ(一部電車移動あり)
4日目(14日)、ジェノバ〜ラスぺジア〜ピサ(一部電車移動あり)
5日目(15日)、ピサ〜ルッカ〜ヴィンチ〜フィレンツェ
6日目(16日)、フィレンツェ近郊をポタクリングと観光
7日目(17日)、フィレンツェ〜パリ(飛行機)
8日目(18日)、成田到着
■コースマップをALPSLAB routeに用意しました。
・ルート前半はこちらをクリックしてください。
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11日の正午頃、成田発のエールフランス航空でヨーロッパの最大の玄関口であるパリ・シャルル・ド・ゴール空港へ。
成田からのルートは、日本海を北上し、 極東ロシアのハバロフスク地方から広大なシベリア上空を西へ飛ぶ。
窓からシベリアの大地がよく見える。西へ飛ぶため、夜がやって来ない。おかしな気分だ。
そして、北欧スカンジナビア半島付近から南下し、 パリを目指すと云うルートだ。所要時間は約12時間、よく行くミクロネシアの3時間と比べると長い。
パリ・シャルル・ド・ゴール空港へ着いたのは現地時間の午後5時頃だ。その後、国内線に乗り換え、地中海に面した都市ニースへ 南下する。所要時間は約1.5時間だ。ニース空港に着いたのは午後8時頃だ。そして、出迎えのワゴン車で、宿泊ホテル「パラダイス」へ向かった。 ホテル到着は午後9時頃だ。でも、まだ明るい。日本の9時とは大違いだ。
ホテルの場所はニース海岸に近い一等地にあった。ちょっと得した気分だ。この辺りによくありがちな小じんまりしたホテルだ。 日本で云うビジネスホテルのような感じ。いつもの行き慣れた居心地抜群の南の島のリゾート・ホテルとは全く違う。
築100年以上は経っているホテルで、石造りのヨーロッパの味をふんだんに醸し出しており、ぜんぜん悪くはない。2人乗りの小さなエレベーターと 狭い螺旋階段で上下階がつながっている。今にも、ルパンやホームズが現れそうな歴史を感じさせるホテルだ。
因みに、ニースはフランス第2の都市マルセイユに 匹敵する大きな町で、美しい海岸線を持つヨーロッパ人憧れのリゾート地だ。
早速、チェックインし、同室の原さん(KFCメンバー)とベッドの脇で一緒に自転車を組み立てた。その後、 皆で夕食を食べに街へ繰り出した。この頃には陽が暮れていた。
そこは地元で人気のレストランだ。武藤さんが見つけて来てくれた。四方を石の壁(古い建物)に囲まれたオープンエアーの中庭にたくさんのテーブルが セットされていた。お洒落なレストランだ。店内の灯りの使い方が素晴らしい。
メイン料理は地中海で取れた魚料理だ。味付けは、この地方定番の塩、コショウ、ワイン酢、オリーブオイルだ。それはそれで美味しいのだが、 日本人としてはちょっと物足りない。もちろん、皆、ワインやビールを楽しんだ。
11時頃にホテルへ戻った。時差ボケは全然感じない。 なぜか、西方へ飛ぶ場合は時差を感じないから不思議だ。
ヨーロッパの夜の街の雰囲気は日本とは大きく違う。日本の場合は、蛍光灯のような白っぽい明りが多く、明るければ良いという 考えだ。
しかし、ヨーロッパは建物や街角の雰囲気に合わせて、街の灯りを芸術的にデザインしているようだ。実際より魅力的に映る。 だから、夜の街歩きが楽しい。
日本の観光地も取り入れてはどうか。集客アップは間違いないと思うが。
せっかくだから、ちょっと早起き(と言っても7時頃)して、ニース海岸を散歩した。波のない静かなビーチだ。コート・ダジュールの海岸は砂でなく 小石のビーチがほとんどだ。
次に、旧市街にある朝市へも行って見た。ここは地元の人たちに人気の朝市だ。しかし、朝が早かったので、ほとんどが開店の準備中だった。 でも、野菜やフルーツの店、石鹸や香辛料の店は開店していた。
早速、ヨーロッパ人に人気のマルセイユ石鹸やレア物のシリア石鹸などを買い込んだ。さらに、朝摘みの新鮮な木イチゴやサクランボなどを一山買って、 歩きながらバクバク食べた。美味かった。それに、外せないのがこの地方の特産物であるいちじくのドライフルーツだ。これも甘くて、歯触りがよく美味かった。
旅先では、後で買おうなんて思ったら大間違い、結局、何も買えない。一期一会が鉄則だ。
朝食は皆でホテル近くの街角のカフェで食べた。室内ではなく、前の通りにテーブルとイスがセットしあり、そこで食べた。 美味しいフランス・パンとコーヒーだ。
さあ、この後、いよいよ第1ステージの始まりだ。 今日の行程はエズ〜モナコ〜サンレモを抜けてイタリアの田舎町インぺリアで泊るというルートだ。我々の荷物を載せたワゴン車が並走してくれるので、 安心だ。
出発前、皆揃って、空気圧のチェックをしたり、フレームに緩みやがガタがないか等のチェックをした。そして、10時30分に出発した。
先ずは。岩山の頂にあるエズの「鷹ノ巣村」目指した。ここは城壁に囲まれた小さな集落だ。
縦一列でニースの海岸を出発した。 標高は約400mだ。地中海に沿った自転車レーンをしばらく走ると、まもなく上り坂に入った。ここからはエズまでは延々10kmほどの長い上り坂が続く。 といっても、地元青梅の山と比べたら大したことはない。楽勝だ。途中、眼下に広がる紺碧の地中海を眺めながら進んだ。
昼過ぎに鷹ノ巣村へ到着。しかし、2人の姿が見えない。早速、ハプニング勃発だ。気付かずに通り過ぎ、先まで行ってしまったようだと分かった。すぐに、 ワゴン車が捜して、連れて来てくれた。ヤレヤレだ。
かつて、眼下のエズの海岸へは8年前に訪れたことがある。その時、背後にそびえる岩山を鷹ノ巣村まで歩いて登ろうとしたが、途中で山道がなくなり、 残念したという苦い経験がある。そんな因縁の地だ。
城壁の中に石灰岩の白っぽい石造りの建物が密集しており、その間を細い路地が迷路のように張り巡らされている。敵の侵入を防ぐためだ。
鷹ノ巣村の名称は 山のてっぺんにあるためだそうだ。想像していた通りのお洒落な場所だった。小一時間ほど観光を楽しんだ。
その後は超の付く金持ちが集まると云うモナコを目指して、長い坂をゆるゆる下った。
西側からモナコの中心街へ入った。 モナコ公国はフランス国内にあり、モナコ国王が統治する小さな独立国だ。しかし、そんなことより、超リッチで有名な場所だ。
さすがはモナコ、 右手のヨットハーバーには数十億円はするであろう超豪華ヨットが所狭しと停泊していた。大半はアラブやロシアからやってきたものだ。
ちょうどこの時、F1モナコ・グランプリの開催を間近に控え、道路脇には仮設の観戦スタンドやガードレールの設置などで騒がしかった。 市民が生活する街中の道路をその日一日だけF1サーキット場に開放するのだから驚きだ。規制大国、日本では絶対に不可能な話だ。
そんな状況下、ラッキーにも、モナコ・グランプリのコースを半分ほど走ることができた。いつもTVに映るあの有名な海沿いのトンネルも自転車で 駆け抜けた。
モナコの市街地(国)を出た所で、通りに面した小さなレストランで昼食を取った。まだ先が長いのでゆっくりはできない。 時間の節約を考えて、皆、ピザを注文した。飲み物は、ワイン、ビール、コーラなど人によって様々だ。
入った瞬間、このレストランは失敗だと感じた。感じが良くない。東洋人のヘンな集団と映ったのか、ウェイターが我々に対して偏見を持っているのを あからさまに感じる。フランスやイタリアだけではないが、概して、どこの国でも白人の多くは東洋人を蔑視する傾向がある。不快だ。
その後、海岸線にあるフランスとイタリアの国境に差し掛かった。どちらもEU加盟国だからパスポートもビザも必要ない。 イミグレーションもなく、フリーパスだ。
ちょうどこの時期、北アフリカのアラブ諸国でインターネット革命(アラブの春)が吹き荒れていた。その影響で、イタリアに逃れたアラブの難民が フランスに流入するのを遮断するため、フランス側は 入国に際し検問を実施していた。近年、フランスは移民の流入が失業者増加の原因になっているとして大きな社会問題化しているためだ。
片やその一方で、 大金持ちの遊びであるクラシックカー・ラリーをやっている連中にもここで出会った。そして、遥々日本から、おカネと時間を何とか工面して やって来た我々がいる。これが世界の現実なのだ。
フランスからイタリアへ入ると、途端に道が悪くなった。それに、街並みもどことなくくすんで見える。まさしく隣国との国力の差を見せつけ られた感じがした。
自転車は車や電車と違って、スピードが遅いので、道路の状態だけでなく、街の雰囲気、それに、風や気温や匂いや音など、いろんなモノ を五感で感じ取ることが できる。
また、道路脇には発掘途中と思われる遺跡が所々に放置されていた。イタリアでは名もない遺跡は大した価値がないのだろう。きっと、 どこを掘っても何がしかの遺跡が出てくるのだろう。恵まれた国だ。
その後、クラシック・ロードレース「ミラノ〜サンレモ」や音楽祭で有名なサンレモに到着し、サンレモ駅で一休みした。
ちょうど皆、 小腹が空いていたので、駅舎内にある売店でチョコレートやらジュースやらアイスクリームやらを買って食べた。エネルギーの補給だ。
その後、インぺリアまでの区間で、素晴らしく整備されたサイクリングロードがあった。何と、それは鉄道を引き剥がして、舗装し、爽快なサイクリングロードに 仕上げたものだ。さすが、自転車先進国、イタリアだ。
午後6時頃、誰もが疲れから注意力が散漫になり勝ちな時間帯だ。そんな時、ちょっとしたハプニングが起こった。
サンレモの街を抜け、 地方都市の交通量が多い道に差し掛かった。安全を期して、バラバラになった隊列を立て直すため、先頭が道路脇にちょっと停まって後続を待った。
そして、皆が揃った時点で、先頭が再スタートして行った。皆、ぞろぞろとそれに続いた。
そして、後ろから3人目の女性参加者が背後を確認せず、スタートした。その時、運悪く、郵便局のワゴン車が後方から飛ばして来た。彼女はその前方へ 飛びだした恰好になった。ワゴン車は驚き、タイヤの軋み音を立て急停車した。
それと同時に「ドン!」という鈍い音が後方にした。ワゴン車のすぐ後ろを 走っていたスクーターが前輪をワゴン車の後バンパーの下へめり込ませたのだ。怪我は無さそうだが、スクーターの兄ちゃんは必死に前輪を引き抜こうと もがいていた。
可哀そうに、この兄ちゃんが一番の被害者だ。ワゴン車の運転手も降りて、スクーターの兄ちゃんと大声で怒鳴り合っている。時間にして20秒くらいの あっと云う出来事だ。
最後尾につけていた原さんと大西は、その一部始終を横眼で見ながら、心の中では申し訳ないと謝りながら、ワゴン車の脇を通り抜けた。
ご迷惑をおかけした 当の本人は涼しい顔で先に行ってしまって、姿すら見えない。もちろん、後方のゴタゴタなど全く知らない。
その後、しばらくして、さっきの郵便局の ワゴン車が、何も無かったかのように我々の横を風のように追い越して行った。これを見て、ようやく安堵した。
そんなこんなで、ようやく田舎町インぺリアにある街道沿いの宿泊ホテルへ到着した。午後8時半だ。100km強を走った計算になる。
この出来事は最終目的地フィレンツェに着くまで、当の本人はもちろん、誰にも話さなかった。と云うより、話す機会がなかった。
ホテルのレストランでビュッフェ・スタイルの朝食を済ませて、9時頃に出発した。この日は地中海沿岸の道路を走って、目的地ジェノバまで行く行程だ。
ジェノバはこの地方の大都市で、中心部に入ると交通量がかなり多くなる。そのため、ジェノバ手前のサボナ駅で電車に乗ることになっている。 これは交通量の多い道路を避けるための手段だ。イタリアは海岸線に沿って鉄道が通っているので、この方法が使えて便利だ。
この日のルートは右手に地中海を見ながら小さな丘を上ったり下ったりを繰り返してして走る。
この辺りの地形は岩盤で出来ており、 切り立った崖が多い。海岸線沿いに小さな町が点在しており、それらの町と町の間には岩山がそびえていると云った地形だ。だから岩山を上ったり下ったり しながら町から町へ、海岸線を南下した。
途中、上部が雲に覆われた巨大な岩塊の傍を通過した。一見の価値ありだ。どの町も目の前には綺麗なビーチが広がっていると云う最高のロケーションだ。 景色は最高だった。
この日の昼食は街道沿いの小じんまりしたレストランだ。その入口のテラスでパスタを食べた。エビと貝のトマトソースで、美味かった。 麺とトマトが日本のモノとは違うような気がした。
午後4時頃にサボナ駅へ到着し、自転車と共に電車に乗った。伴走のワゴン車は先回りして我々の荷物をジェノバの 宿泊先「ビクトリア」ホテルまで届けてくれる。便利だ。この日の走行距離は約70kmだった。
イタリアの電車は自転車をそのまま乗せることができる。それができる車両の側面には自転車のマークが描かれており、すぐに分かる。だいたい先頭車両に 決まっているそうだ。
その車両は半分くらいが自転車専用スペースで、そこには座席がなく、窓の上に前輪を引っ掛けるフックが付いている。自転車の前輪を フックに引っ掛けてぶら下げれば、固定できるようになっている。日本のように分解して輪行袋に入れなくてもよい。さすが、自転車先進国のイタリアだ。
ジェノバの駅舎は大きかった。さすが、古くからの海洋貿易で栄えた都市の駅舎だ。さらに、駅周りの交通量も半端ではなかった。 電車移動にして正解だった。
また、ジェノバはコロンブス生誕の地ということで、駅前ロータリーには巨大なコロンブスの像が建てられていた。
泊る予定の「ビットリア」ホテルは駅のすぐ近くにあった。6時頃にチェックインして、早速、夕食を兼ねて、重厚なジェノバ旧市街の街歩きを楽しんだ。
ジェノバの旧市街はイタリア最大の広さを誇るらしい。芸術的な石造りの高い建造物が通りの両側にズラッと並んでいる。圧巻だ。
きっと、現在の技術をもってしても、これと同じものを造るのは相当の時間とコストを要するだろう。いかに、18世紀の海洋貿易が多くの富をジェノバに もたらしかが分かるというものだ。
また、ここジェノバでも夜の街を照らす灯りは芸術的で、旧市街の建造物を魅力的に見せていた。
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