2012年4月1日(日)
今年は珍しく4月1日が第1日曜日になり、開催日となりました。13年前から本大会の開催日は4月の第1日曜日に決めています。
なぜなら、 第2日曜日には30q部の折返し地点の高水山常福院のお祭りがあるからです。
それに、この時季は春の到来を告げる桜がチラホラ咲き始め、 春の足音が聞こえ始める季節、童謡「春よ来い」の“みいちゃん”のように人は皆外へ出たくなる頃なのでは・・・。
昨年は開催日の約3週間前に日本中を震撼させた東日本大震災がありました。その恐怖心で日本中が自粛ムードに包まれた中での開催でした。
関東圏では、震災後初めてとなる大規模イベントの開催ということで、各方面から注目されました。そして、その開催に関して、 参加者から賛否両論の意見が寄せられ、 それに対応しながらの開催になりました。その点、今年は穏やかな開催となりました。
我々としては、少なくとも今後10年間は、参加費の一部とは別途に大会会場で義援金を募り、被災地へ送り続けることを決めています。そんな訳で、 今年も大会会場で義援金集めの活動を行いました。具体的には、昨年に続き今年も協力して頂いた 「フーレセラピーあしあと」の施術料全額、 トライスポーツの会場ブース販売の売上金一部、それにKFCガレージセールの売上金全額です。
それでも金額は20万円に届きませんでした。昨年は120万円弱も集まったのに・・・です。
この原因は皆さんの関心が薄れたと云うより、 義援金が被災者へ届くシステムに問題があるのでは、と考えています。
募金をする人は一刻も早く被災地へ届いて、役立てて欲しいと願っているはずです。 ところが、信頼に足る国際機関であるはずの日本赤十字社を始め、スピード感の全くない分配システム、それを監督できない政府に不信感をもったのでしょう。
我々も全く同感で、昨年は一刻も早くとの思いから、大会日の3日後には郵便局から赤十字社へ120万円を振り込みました。ところが、我々の願いに反して、 いつまで経っても被災地へ届かないという有様、これでは募金をしようとする意欲もなくなるというものです。
今年からはそんな赤十字社は止め、震災直後から現地で地道に支援活動を続けている八尾彰一さんが率いるトライアスロンクラブ 「チームブレーブ」を通して行いました。 その使途に関しては、近日中に両クラブのHPでお知らせすることができると思います。
【後記】5月18日付けで「チームブレーブ」のホームページに義援金の使途が掲載されました。 こちらをご覧下さい。
さて、大会の方は、今年も震災で亡くなられた方へのご冥福をお祈りし「黙とう」で始まりました。
続いて、ランナーでもある竹内俊夫青梅市長、 KFCの良き理解者の井上信治自民党衆議院議員、それに、冠スポンサーである ラフマミレーの田村真人副社長にスピーチを頂きました。今年も、 御来賓の方々には、あり来たりのものではなく、大会が盛り上がるような素晴らしいスピーチを頂きました。
続いて、大西の軽めの競技説明の後、3人の美人?インストラクターによる恒例の熱いエアロビクスです。これは参加者の皆さんのウォーミングアップと レースモードへのスイッチオンの役割を 果たす大切なセレモニーとなっており、第1回大会から継続している前座イベントです。
今年は、14回目にして、初めてスタート&ゴール地点の場所を大会会場「風の子太陽の子広場」内へ移しまた。これまでは丘の上の 青梅丘陵ハイキングコース始点をスタート&ゴール地点にしていました。
しかし、5年前に大会会場を現在の「風の子太陽の子広場」へ変更してからは、 距離的に遠過ぎると云うのが、その変更理由です。
こうすることで、会場内の皆さんが応援し易くなり、ゴール地点が盛り上がり、運営する我々も楽になります。結果、参加者や応援の方にも好評でした。 しかし、なぜ、今まで、誰も、こんな簡単なことに気がつかなかったのでしょうか!
このスタート地点の変更は昨年の大会終了直後に決めました。その切っ掛けは、大会当日の階段の上り下りで翌日に脚がひどい筋肉痛になったからです。
その後、幸運なことに、 青梅市が行う「青梅の森」整備事業に伴って、会場から ハイキングコースへとつながる山道の道幅を広げたり、周囲の鬱蒼とした樹木を伐採したりして、大会日に間に合わせるかのように周囲の環境を 整備してくれました。 こられの工事は大規模で、我々だけの力では到底できるものではありません。大感謝です。
レースの方は暖かい晴天にも恵まれ、たいへん盛り上がったものになりました。
10:00に30q部の選手約1000人が折返しの高水山常福院を目指して 青梅丘陵の森の中に消えて行きました。その40分後に15q部の選手1000人が青梅の隠れ里“栗平集落”を目指して出走して行きました。
30q部、男子優勝者は平澤賢市(長野県)選手、女子は山口季見子(東京都)選手でした。 15q部、男子優勝者は村井涼(山梨県)選手、女子は小田有希子(東京都)選手でした。 その他詳細は巻末にある結果表をご覧下さい。
また、レースの模様は、”百聞は一見にしかず”で以下の「レポート・フォト」をご覧下さい。
大会が終わった数日後、日本画家の向井潤吉の業績について研究されている著名な美術評論家の方から連絡は入り、 15q部コースの折返し地点にある栗平集落を訪れたいというものでした。
驚いたことに、向井潤吉の作品の中に栗平集落の民家を描いた絵画かあると云うことです。
実は、この栗平集落は”青梅の隠れ里”と言われ、 地元青梅の人でも、その存在を知っている人は僅かです。そんな場所をかつて向井潤吉が訪ねていたとは驚きです。
ここは”天目山の戦い”(1582年)で織田信長に敗れ、逃れた名門甲斐武田氏の末裔が住む と言われています。我々も、初めてここを訪れた時に、深い山の中に不思議な空間(集落)があるなあ・・・と、 今でいうパワースポット的な何かを感じたものです。
そして、5月のゴールデンウィークに、この付近の出身であるKFCメンバー市川さんがお供して、栗平を訪問されました。その結果、 桃源郷のようだと感激されてお帰りになられました。
それ以上に、そんな事実を知って、我々がびっくり仰天でした。来年は、皆さんもこの不思議なパワースポット的空間を駆け抜けて下さい。
今年から新たに発足させた「東京トレイルランリーズ」についてお知らせ致します。
1999年に立ち上げたトレイルラン大会の草分け的存在の 「青梅高水山山岳マラソン大会」(春の開催)も、今では、 フランスの総合山系グッズメーカーであるラフマが冠スポンサーとなり 「Lafuma青梅高水山トレイルラン」と名称が変わりました。そして、2000人ものトレイルランナーに参加して頂ける大会に成長しました。
立ち上げ当時、山を駆けるレースは全国でわずかに2大会ほどしかありませんでした。それが現在では優に100大会を超えています。
また、青梅市観光課の依頼で、その翌年に立ち上げ、今ではすっかり御岳山の観光資源に成長した 「みたけ山トレイルラン」(冬の開催)と並び、 トレランシーズンの幕開けを告げるレースと、シーズン最後を締めくくるレースとに称されるほどに成長しました。
その結果、 経済効果も表れ、地域活性化にも貢献し 地元の皆さんに喜ばれています。
そして10年後の2009年、100年以上前から東京都の水源林がある山梨県小菅村の依頼で地域活性化を目的とした 「多摩川源流トレイルラン」(秋の開催)を立ち上げました。 小菅村にしかない手付かずのブナの原生林や巨樹の森、それに大規模なワサビ田が自慢の大会です。
続いて、2011年には青梅市北部の成木地区の活性化を 掲げてスタートした 「成木の家」活動の一環として「TOKYO成木の森トレイルラン」(夏の開催)を 立ち上げました。4つの頂を制覇すると云うコースは、そこからの展望と山並みの新緑が素晴らしく、シリーズ随一の景観を誇る大会です。
結果的に、先の2大会と合わせて、春夏秋冬に1戦づつを開催すると云う「東京トレイルランシリーズ全4戦」が誕生しました。現在、シリーズ戦として 何かおもしろいことができないか、模索中です。ご期待下さい。
最後に、来年は15周年記念大会ということで、皆さんに喜んで頂けるようなビッグなサプライズを考えたいと思っています。来年も、 桜の咲く頃、青梅でお会いしましょう。
青梅市(後援) ラフマミレー 高水山常福院 成木7丁目自治会 成木8丁目白岩自治会 成木8丁目栗平地区 一般社団法人里仁会 賢治の学校 青梅山林災害対策協議会 東京都森林組合青梅事務所 佐藤スポーツ NATHAN トライスポーツ NPO法人スポーツエイドジャパン、西東京市役所トレランクラブ
写真提供:小野口健太、川原歩、舘岡正俊 西田光男