イベント報告
第14回ロタブルー・トライアスロン!
2007年11月17日(土)
14th Rota Blue Triathlon !!
■参加リポート 松丸真幸

北マリアナ諸島ロタ島。島の人口は約3,000人。信号機はない。 あるのは綺麗な海と島の自然。私にとって9回目のロタ島。 初めて訪れたときの4位と足の故障で不参加以外はすべて勝っている愛称のよい大会。 レース結果は、優勝で通算7勝目をマークした。

大会当日の気温は30℃を越えていた。スタートの号砲がなり、私は勢いよく飛び出した。 公式では2kmになっているが、実際には2.8kmくらいある。

主催者が綺麗な海を長く堪能できるようにと配慮しているからだ。 スイムでは3番手をつけてバイクに移る。

バイクは、端的に述べると、海から空港までを行って帰ってくるというもの。 これを2周回。ポイントは途中にある3kmの長い上り坂。 バイクでは、早々にトップに立ち独走。海沿いを走る。景色は良い。 長い登り坂に突入。あまり速く登れなかった。空港にきて折り返し。少し気持ち悪い。

その後、長い下りを一気に降りる。時速は75km。 ここで心拍数が落ちたので元気に。2周目に入る。 1周目よりもスピードは落ちている。 ただ集中力は切らさないように走った。バイク終了。

ランスタート。ランは、ロタの自然を満喫できる往復の21km。 5km以降は、日陰がないからきつい。私は、熱中症の傾向になっていたので、 エイドステーションで、頭から水を被って体を冷やす。これで多少、復活。 折り返し付近に近づく。これからキツイ登り。今回は、とても長く感じた。 やっとの思いで折り返しに到着。

あとは帰るだけ。だが、登り坂で頑張ったつけが、体を襲った。 足が前に出なくなった。我慢の走りで回復するのを待つ。だが復活することはないと悟った。 問題は、熱中症による疲労で、足全体が痙攣しそうなこと。もはや粘って走るしかない。

やがて、16km地点のエイドで塩があった。助かった!塩を舐めたら少しだけ気分が良くなった。 だが、その程度の量では全然足らない。折り返したとき、2位の若手の平松選手、 3位の選手も足取りがしっかりしていたので、迫ってきているはずだ。 油断できないが、今回ばかりは「ゆっくり走りたい!」しかし、まだトップを譲るわけにはいかない。

甘い考えを捨て、私は、コンセントレーションを高めてゴールまで突っ走った。 あとは、計算して後続に追いつかれないように走り、なんとか優勝!ホッとした。 その後は、緊張の糸が切れてグッタリ。本当に疲れた。ロタは何度走ってもきつくてタフだ。

■参加レポート 八代・ジュディ・純子(SUNNY FISH & BODY TUNE)

07年11月17日に北マリアナ諸島、ロタ島で第14回ロタブルートライアスロン大会が行われた。 寒い日本から暖かい島だったので体調が心配だったが、日本のジメジメした夏と違い、さっぱりした暑さ。 レース3日前に行くことができたので、徐々に体を慣らし、落ち着いてレースの日を迎える事ができた。 ロタはスコールが多いが、昼間降られたのは試泳とバイク試走時の各1回だけ。タイミングも良く天気に恵まれた。

レースはショート(51.5km)とミドル(113km)があったが、私はミドルに出場した。 スタート時間は6:30、まだ暗い中バイクを預け、ホテルからシャトルバスに乗って出発。 会場でボディーマーキングをしてもらい、トランジットで準備を開始。 しっかり暑さ対策をした。その後少し離れたスイムスタート会場に移動し、ウエットスーツを着用。 スタート10分前でも皆焦らない。なかなか海に入らず、チャモロ時間に慣れてきたのかのんびりしている。 そしてスタート数分前にみんな焦って海に入るので入り口は混雑気味。

スタートは真ん中に位置をとった。バトルにはならず、 スタート後はすぐに先頭の選手に離されたが、自分のペースを守り落ち着いて泳いだ。 まだ少し暗く、私の目が悪いせいもありブイが見えにくい。 波もあってブイを探すのにスカーリングばかりして時間をロスしてしまった。 その上、海水を飲んでばかりで胃が痛くなった。2周目から1人になり、なるべく真っすぐ泳ぐよう心がけたが、 少し蛇行してしまいロスになった。浜からあがり、塩にやられ、水分の抜けた干物のような気分。 エイドで水をもらい、生き返った。暑さ対策のバイクシャツを着ようとしたが、 濡れているので体に張り付いてなかなか着れない。 前とどのくらい離れているのか全く分からず、急いでバイクに移った。

スイムをマイペースで泳いだせいか、いつもよりバイクが乗れた。 島は信号機が1つもなく、バイクコースはちゃんと舗装されているので走りやすい。 走っていると地元の人、皆が手を振って応援してくれる。補給もしっかり摂り、コップの取りやすいエイドを選びとにかく前を追った。 30kmで女子先頭を捉え、先頭に立った。ランの事を考えずバイクで行けるところまで行くつもりだった。 2周目に入り、暑さと向かい風が辛く感じるようになった。 坂で踏ん張り平地でも踏んで、何故か手に痺れがきて何とかバイクフィニッシュした。

ランコースは太陽をさえぎる物がないので暑さとの戦いになった。 応援してくれる方、エイドの方々は親切で優しい。日本語が上手な人もいてシャワーやお水をかけてくれる。 所々海が見え景色に見とれてしまう。

日本では珍しい果実、サワーサップの実が落ちていたり、大きな蛙に遭遇。 自然に囲まれたランコースはとても魅力的だ。 下りは思ったより走れたが、5km〜10kmは大体が上り坂なのでピッチが落ちて足が動かない。 やっと後半の下りで足が動くようになった。

途中フルーツを置いてあるエイドやBBQしているエイドに遭遇。 まだお肉を焼き始めたばかりで時間がかかると言われた。 待って食べたい気もしたがゴールしてからこようと走り始めた。 残り3km、暑さで水ばかり飲んでいたのでお腹が痛くなった。 残り1kmでショートに出場していた86歳のおじいさんが走っていた。 歳を感じさせないすばらしい走り。私はそのまま女子トップでゴール。

その日の夜、アワードパーティーでは選手、ボランティアや地元の方々が勢ぞろい。 豚の丸焼きや鹿の生肉など珍しいものが沢山あった 。ロタビールなど名産品もあり大盛り上がり。 チャモロダンスやろうそくを使った美しい踊りを見た。 現地の方との交流も楽しかった。

ロタ・ブルートライアスロンは、大自然の素晴らしさを体験できるレースだった。 地元の方々の温かさを感じる。また来年もこの海、ロタにぜひきたい!!

■大会レポート 大河内智未(BODY TUNE / SUNNY FISH)

こんにちは!トライアスロン歴かれこれ8年、サニーフィッシュの大河内智未です。 国内外のショートディスタンス専門の選手として今日まで活動をしてきたので、 あまりキレイな海で泳ぐ機会がなく、「キレイな海でレースがしたいっ!!!」というのが実は私の長年の夢でした。 そんな私を、私個人のスポンサーでありロタ大会のスポンサーでもあるBODY TUNEの阿部さんが 今大会にフルサポートで招待してくださり、夢を叶えてくれました!!

ここ数年、競技思考でしか考えられなかったトライアスロンですが このロタブルートライアスロン大会ではトライアスロン本来の楽しさに触れることができ、 私にとってはどんな高価なプレゼントより嬉しい最高の贈り物になりました! 本当にありがとうございます!

以下レースレポートで一緒にロタを堪能してください! そして、まだ参加されたことのない方は、是非来年ロタへ!!

<出発!!>

11月14日(水)冷え込んできた東京を抜け出して、いざロタへ向けて出発! サイパン空港に降り立つなり、ムッとする熱気に包まれ、これぞ南国の空気!っと開放感を感じ、 ウキウキ気分急上昇〜♪初日はサイパン泊でまずはショッピングと海でお遊びスイム。 ホテル前のビーチにて、レースウェアで浮きまくりの4人でした(笑) 夕飯後のショッピングではロタブルーレース限定ウェアをGET!! これは後ほどお楽しみに♪

<2日目>

ロタ島へ移動。飛行機から見える海の青がキレイなグラデーションを描き、 引き込まれていくような感覚を覚えました。

さあ!ロタ島に到着!前日までは雨が続いていたと聞きましたが午後には晴天♪ さっそくバイクを組み立てて、コース試走!?いや、サイクリング!?に向かいました。 スイム会場に到着して、待っていました!とばかりに、ロタの海にダ〜イブッ!!!

ロタブルーとはこのことを言うのですね。何故海はこんな色になるのだろう? 透明なのに潜れば深い青。別空間にワープしてしまったような感覚でした。 そして自然と一体化する瞬間というのを体感できる海。 それがロタの海なのかもしれません。

そんなこんなで海を堪能している内に・・・やはり南国の日差し侮れません。 もともと吸収力抜群の私の肌はあっという間に真っ黒クロスケ(泣)こればっかりはしょうがないですね〜。 日焼け止め塗っているんですけどね、とほほ。。。

<3日目>

南国の熱気にやられて、疲労気味?それとも、、、はしゃぎすぎて疲れたのか、、、 朝はちょっと気だるい寝起きでしたが、朝食のバイキングで栄養補給をバッチリして復活!! 本日は松丸さん&白戸さんのセッションに参加しました!

旅に出たら、やはり、自然との触れ合い、美味しいご飯、 そしてもう一つとても大事な想い出になるのが新しい出会いでしょう♪ ご家族全員参加で来られている方やご夫婦、そして新婚さんまで。 セッションに参加されたたくさんの方々と会話に花を咲かせ試走を楽しむことができました。 そして、このセッションの目玉は試泳中の水中撮影!!カメラマン松丸さんの撮影でたくさん撮って頂きました。 想い出写真をありがとうございました!

<4日目:レース当日>

やっときましたレース当日!!朝3時半起床でまだまだ日が昇る前から活動開始!

今回は、専門外のミドルタイプに挑戦!故障明け、練習不足の身体に ミドルは無謀な挑戦ではありましたが、 このレースに参加するに当たっての自分のコンセプトは「トライアスロンを楽しむ!!」だったので、 いつもとは違う距離を選びました。

6時30分全員一斉スタート。長い旅の始まりです! スイムは沖に出てからショートタイプが1周、ミドルタイプは2周回というコース。 白戸選手と同チームの平松選手のスタートダッシュに置いていかれ、少々遅れてスイム開始。 自分のペースを作っていく内に第一ブイで白戸さんに追い付き、 そこからは30秒ほど前の平松選手を目標に追いかけっこが始まりました。 1周目を無難に終えて2周目へ。

ところが・・・う〜暑い。。。 スピード重視で着てしまったウェットスーツがサウナスーツのように感じてきたのです(泣) 茹でタコ化になったように頭がボーっとして、遂には波酔い・・・。 海がきれいだな〜なんて感じている場合ではなくなり、いつの間にか先頭の姿も見失い・・・後半はちょっと失速気味になってしまいました。 2kmの設定と聞いていましたが、これはタイムを見ても2.5kmくらいあったと思います。 いや、絶対長かった!(笑)

なんとか無事に陸に上がり、後ろを振り返ったら何故か そこに先頭だったはずの平松選手の姿が(!?)どうやら、コースアウトして座礁していたらしい(笑) 今回はスイム完敗だ〜っと思っていたのに思わぬスイムラップトップを取れてラッキー☆でした。

さてさて、お次は一番問題のバイク。90km単独走できるのか私!? 普段ドラフティングレースに慣れているので、インターバル系は得意でも一人で淡々と踏んでいくのは実は苦手。 いつもなら第4の種目ということで、スピーディーに終えるトランジットも、 今回はしっかりバイクジャージを着こんでいざ出発!!

バイクは45kmを2周回。10km地点から長い長い上りが約10km続く、 なかなかタフなコース。後続からどこまで逃げられるかな〜と思っていたら3km付近で松丸選手に瞬殺され、 そのスピードで90kmですかーーっっ!???としばし唖然。 ロング日本チャンピオンの迫力を感じさせられました。

1回目の上りを順調に終えて、マイペースでレースを進めていく。 が・・・、ミドルを得意とする同チームの八代選手の猛追で30km過ぎに追い付かれ、 あっという間に置いてけぼり。2周目はショートタイプの選手が抜けて、これぞまさしく一人旅〜。 後ろも前も誰もいなくてちょっと寂しい感じでした。次第に体力的に厳しくなり、 何故ミドルにしたんだ私・・・(涙)っと何度も後悔の念が押し寄せましたが、 坂の途中の応援に励まされ、2周目の坂も頑張りきりました。 完璧に無理のなりマイペースで2周目も終えランニングへ。

初日に用意して頂いた、特製レースウェアに着替えてランコースへ転がりだした私。 ちょっとお恥ずかしや、ランニングスカート(通称ランスカ)デビューです(笑)

ランニングは10.5kmの折り返しコース。スタート後しばらく炎天下の中日陰のない直線が続き、 あっという間に消耗(笑)最初のエイドステーションに辿り着くなり、がっつり水分補給! その後3km〜5kmまではジャングルの木のアーチで涼しく走りやすいコースへ。 ところが・・・5km過ぎからは真っ白なオフロードがひたすら続く道へと変わり、 強い日差しを遮るものはなにもなく、レースはかなりハードなものに変わっていきました。

上りの斜度も徐々にきつくなり、折り返し前2kmはもう歩く寸前!!(情けない・・・) でも、上りきったら後は下るだけ!!何かから解き放たれたように心が軽くなり、 一気に加速!そして余裕ができたころに、実は超絶景のコースだったことに気づかされ、 驚き、そして疲れが吹っ飛びました。

5km地点まで戻ると、エイドステーションにバーベキューが!?? 食えと言わんばかりに突き出されましたが、流石に内臓君が・・・(笑) それはレース後の楽しみに取っておき、しっかり水分補給。 残りの5kmはゴールを目指して、ペースアップ!ショートタイプのレースを終えて 駆けつけてくれたじょーじさんが並走して渇を入れてくれました。 熱い応援の横でペースを落とすわけにもいかず(苦笑)、最後はかなり追い込んだペースでフィニッシュ!! 結果はバイクでの遅れが尾を引き2位でしたが、エリートレースでは味わえない違う種類の達成感を得て幸せな気持ちでゴールができました。

レース中は何度ももうやるもんかーっと思うのに、何故でしょう。 終わって1日もたてば次はこんなレースがしたいな、なんて想像を膨らませている。 トライアスロンの魅力を知ってしまった人は、きっともう辞めることはできないのでしょうね(笑)

さてさて、レース後は・・メインイベント?のパーティーです♪ そして初めて見ました!ホンモノの豚の丸焼き!! 写真ではかぶり付かんばかりですが・・・実際にはなかなかエグイです。

アットホーム感溢れるロタブルートライアスロン大会、 レース後のパーティーも通称ロタ時間と言われる、のんびりまった〜りとした時の流れを感じさせ、 最高にリラックスした中で楽しむことができました☆

<5日目>

レース後の疲れを癒しにテテトビーチでバカンスです♪ パンくず片手に海に入れば熱帯魚と戯れることができるんですよ〜!

<6日目>

名残惜しいロタを後にして、サイパンで観光&お土産ショッピング! 記念にゴレンジャーならぬ戦隊もの気分でお揃いのTシャツをGET(笑)旅の締めくくりはこれくらい弾けておかないと!!

8年間トライアスロンをやってきて、初めて経験したこの楽しさ!自然を感じながら泳ぎ、漕ぎ、走る。 トライアスロン本来の楽しみに触れ、極上の開放感と達成感を得ることができました。 私の中で、ロタはトライアスロンの聖地ですね!最高の経験を本当にありがとうございました!!

■共鳴家族のハッピートライアスロン  伊藤 洋子

人生に何が用意されているかわからない。 今、その時の写真を見ながら、そう思う。私のトライアスロン歴は2回目、共にロタ島のブルートライアスロンである。 CEOという新設カテゴリーで出場し、去年3位、今年1位。こんなにラッキーなアスリートはいないだろう。

チャレンジ精神に満ちたこのスポーツが元ユニクロ社長の玉塚氏はじめ若手経営者たちに支持されていることは知っていた。 ビジネス界においても、自己の成長を確認し、 エネルギーを補給するのに最適なスポーツと考えられているのではないかと思う。

去年のタイムは5時間30分、もちろんショートで!! この結果は私を打ちのめし、大いに自尊心を傷つけた。 しかし、“来年は最低でもこれ以上はいける”という確かな希望、そしてこの希望が私の心を癒してくれた。 それからの一年、タイムを縮めるためにマラソンに初挑戦したり、 バイクのトレーニングに奥志賀まで出掛けたりとポジティブに過ごすことができたのである。 私の日頃からの信条“どこに到着したかでなく、どこをめざしたかが大事”と、何度も言いきかせて・・・。

今年は最高のトライアスロンとなるだろう。 私の生涯を通じて・・・。なぜなら家族そろって参加できたからだ。 子供たちが成人して、旅行もそろって行くことなど夢又夢だった。 それに、今回、私は選手として、母として参加できたのである。 「子供たちが私の好きなライフスタイルをめざしてくれたこと」この至上の喜びをどう表現したらいいかわからない。 トライアスロンに私たちを導いて下さった全ての方々に感謝したい。

特にKFCの大西さんには感謝と、大きな尊敬を感じています。 あれだけリスクのある大会を14年もやりとげられている。もう神の領域の仕事だと思う。 私のおずおずとした「初めてですが、参加できますか?」という、 不安いっぱいなTELに「ウエットなくても大丈夫」と、楽観的に答えて下さいました。

“人生はちょっとしたことで変わる”そう、あの一言がなかったらきっと参加できてなかったと思う。 そして今年、私たち、共鳴家族の誕生にも継がらなかったのではないか。 息子のKENと娘のRISA、その彼氏の塩野君の参加。 そして、予想を超えるタイムに驚くと同時に大きな喜びを覚えることができた。 ほんとうにハッピー! 最高!

去年のバイクでゲロをはいた坂で、背が黄のトライスーツのKENを確認した時 “エッ、信じられない”燃える魂の固まりで降りてくるそのバイク、前を追う気迫が十分に伝わって、 1ヶ月前に参戦を決め、初参加の彼のこの姿に、ほっとすると同時に私の心も高揚した。 その後すぐ、塩野君が、そしてRISAがブルーのレースウェアでおりてくる。 かなり飛ばして来たのだろう。疲れが出ていた。 しかし私の姿を見て、「あっ、よかった、意外に早いね!」といったアイコンタクトを返してくれた。 娘は去年の私の事で、心配してくれていたのだろう。

家族の活躍を横目にこいでいたおかげで、屈辱の坂を、なんなく終わることができた。 去年の一番の難所を皆のパワーで乗り越えることができた。

―トライアスロンでは必ず成長できる―“困難な中、ポジティブにとりくめば、挑戦になる。 挑戦すれば新しい自分の発見があり、そして必ず成長できる。”チームテイケイの監督の言葉です。

RUNへのトランジットでは、KENのゴールの英姿を目にすることができた。 “伝説の勇者”の母親の気分でした。成長したその姿に今までの数々の想い出が頭によみがえり、 あの時の少しずつの困難が、このゴールにつながっていることを思うと、 人生の巧みなムダのないすばらしさに圧倒される。全てがこの一瞬にむくわれる。 私へのすばらしいプレゼント!ありがとう。ありがとう。何度も心にありがとう。

私はこれを励みに最後のRUNに出発する。母親としての感慨にひたっている場合ではない。 私は、今は選手だ!今年は去年よりの最大の課題、RUNを走り切ること! 歩かずに・・・。言いきかせる。 “勝負を捨てるな!! 最後まで捨てるな”すれ違う全ての選手がバテている。 気温33℃、あの人も、あの人も・・・だんだんそれも認識できずに脳死状態。

RISAが来る。いつものタンタンと走る勇姿が消えて苦痛に満ちた顔だ。 こんな苛酷なスポーツにさそった親の身勝手さを悔い、後悔がこみあげて、つらい・・・。 この厳しいRUNがつらいだけなのか、もう判別できない。影があればその中で休みたい・・・。

あと8km・・・。4時間を切れないと頭が計算したとたん、私の体が勝負を捨てた。 人間は希望を捨てるとだめになる。ナチの収容所で生き残るために、私も希望を捨てるべきではなかったのに。 そして、私のレースは4:36:21で終わった。去年より60分縮まった。 これを成長と考えられるなら、この一年は輝きに満ちた一年になることだろう。

私の、母として揺れ動く心の葛藤と喜びをもたらしたこのトライアスロン、 来年もまた家族で参加できたらと思う。

そして私は最後の課題に挑戦することにした。人間は苛酷な体験の中、憧れることがある。 阿部ジョージさんの3ヶ月で30kg減量した話が私を一年支えるだろう。 私のスイッチを入れてくれたストイックな阿部さんにありがとう。

人生における出会いは大きな喜びをもたらす。全てに輝きが感じられ、 あきらめていた自分の夢や現実から次のステージへの扉を開けることができる。 そこから始まる新しいステージにワクワクしながら残りの人生を最高に楽しむために大会に出る。

人生はちょっとしたことで変わる。しかし、“それに全力でとりくめば奇跡も起こる”と信じて。

■ロタトライアスロン挑戦記 菅沼健太・菅沼直昭

KFCの一員としてロタでトライアスロンを始めて今年ではや14回目。

当時はこんなに長く大会が続くなど考えもせず、とはいえ、 いつかは自分達も選手として参加したいと話しながら大会をスタートさせました。

いまだ、自分達が選手として参加するという夢は達成できていませんが、 KFCのメンバーである息子の健太(10歳:小学4年)が大会に参加しました。 その顛末記を報告します。

【まずは昨年の話から...】

健太を初めてロタに連れてきたのは昨年のことでした。 年間4,5戦のキッズトライアスロンにも出場するようになり、「そろそろ連れて行くか」ということになりました。 9歳(当時)でロタの海を泳ぐ...まあ贅沢な話ですが、 ロタ島を見て、 トライアスロンに集まる人たちと話をするだけでもよい経験になるだろうなと思ったからです。

とはいえ、せっかくロタに行くんだからということで、1.5キロのスイムと10キロのランにチャレンジするつもりでした。 ところが大西から「せっかくだから5キロだけでもバイクに乗ろう。健太もトライアスリートだ。」と言ってもらい、 結果的に1.5キロスイム、6キロバイク、10キロランに挑戦、 そして何とか完走することができました。 以下、そのゴール地点でのスチュアートとの会話です。(変なアクセントの日本語と関西弁の会話)

スチュアート:「かんそう、おめでとう」

ケンタ:「サンキュー」

スチュアート:「疲れてないですか」

ケンタ:「余裕、余裕。来年はAタイプ完走、再来年はBタイプや!」

まあなんとも能天気なヤツですが、これが今年のチャレンジの始まりでした。 (あまり深く考えるヤツではないのですが、同じレースで間近に見た阪野翔生君の頑張りは印象に残ったようで、 自分もやりたいという気持ちになった一因のようです) とはいえ、正直言って最初は無理かなとは思っていました。

第一に体力的な問題。昨年は中途半端な距離ながらも完走はできたのですが、 Aタイプすべてを通してとなるとどうか...。 バイク40キロのキツさだけでなく、ランの時間の暑さも全然違うでしょう。

第二に自己責任の問題。トライアスロンは過酷な競技と言われますが、無謀なことをやっているわけではありません。 開催側は最大限の安全性確保に努め、出場者はトライアスロンという競技を理解した上で十分な練習や体調管理をしてくる、 その間合いがピッタリとはまったときにみんなにとって「良いレース」ができるのだと思っています。 日本のレースは、道路や施設の利用許可の問題、参加人数の多さなどさまざまな制限があり、 ロタのような「間合い」はやろうとしてもできない、 逆に言うとロタの「ゆるさ」や「間合い」は これまでの開催の歴史の中で開催者、参加者、 ロタのサポーターなどみんなの間で熟成されてきたものです。

僕は開催者の一員でもあります。 健太にアクシデントがあったときに「やはり無謀な挑戦だったのでは」となるのは 本意ではありません。 さらには大会の雰囲気や運営にも支障がでる可能性も考えてしまいます。

結果がどうなるのかはわかりませんし、すべての問題を事前にクリアできるわけでもないのですが、 まず本人が「やりたい」という気持ちを持つこと、 そして普段の練習や生活をベースにみんなにその気持ちを「理解」してもらうことが必要だと考え、 そのことを健太にも話しました。

健太のやる気と自分としての考えを大西に伝え、これで今年のロタのAタイプを目標としてスタートするための整理がつきました。 あとは、日ごろの練習やキッズレースへの参加の過程を大西に報告し、 大西と最終的な判断をしようということになりました。

この一連のやりとりは健太にとってトライアスロンをより深く理解するいい機会にもなりました。 例えば自転車。整備やタイヤ交換、パンク修理などはできるだけ一緒にやってきましたが、 レース中にパンクをしたら現状では正直自分での修理は無理でしょう。 なので、もしその場合はリタイヤすることになるよ、という話もしました。 レース中のトランジションは自分一人でやるもの、という意識も持っているようです。 (その割に普段は着替えた服を放りっぱなしですが...)

ちなみに1週間の練習はこんな感じです。

水泳 約2.5キロ×5日

バイク 30キロ〜40キロ×1or2日(ときどき50キロ〜60キロまで...まあサイクリングという感じですが)

ラン 2.5キロ×5,6日

【いざロタへ】

グアム経由でロタに到着したのは木曜日の夜。 メディア対応で大西が不在だったこともあり、 その日はいつものメンバー?7人で晩御飯を食べに行きました。

飛行機や乗換えでたまっていた鬱憤を晴らすかのように、 「ロタのご飯、おいしいんや〜」と言いながら レストランで出てくる料理を取っては食べ、 取っては食べ...。 (ちなみにみんなで食べようととった大皿料理です)みなさん、スミマセンでした。

その日はひとまずホテルに帰り、早々におやすみ...。

【レース前日】

ロタの朝は早い。そして健太の朝も早い。 あまり速くはないけれど泳ぐのが大好きな健太は、朝からプールへ。 僕は、その間にスタッフの仲間とレジストレーションや試泳の打ち合わせを済ませます。

そして昼前にホテルを出発し、ベイブリーズでレジストレーションを開設します。 健太はといえば、お決まりの「イーストハーバー・ダイブ」で遊び、ベイブリーズで昼ごはん。 ロタではよく食うヤツです。

午後は試泳です。

僕:「今年はどのチーム入る?」

健太:「宮塚さんとこ」

というわけで今年は宮塚チームに入りました。 (実は前日夜、健太は密室で宮塚さんと二人きりになり、そこで人生相談にのってもらっていたのでした。 宮塚さん、ありがとうございます。)。

試泳では、ロタのきれいな海を楽しみ、そして同じチームの人たちと海の上での会話を楽しむことができました。 翌日のレースの健闘を誓って試泳を終えました。

その後、僕は説明会、翌日の準備と夜遅くまであたふたとしていましたが、 健太はまたまた早々におやすみ...。

【いよいよレース!】

いよいよレース当日です。去年のスタート前は緊張で「気分悪い〜」と言っていましたが、今年は大丈夫そう。 少しは成長しているのかな、と思いながら見ていました。

そしていよいよスイムスタート。 バトルを避けるために後ろのほうからスタートします。 でも明らかに去年よりスピードは上がっています。 今回はわざと離れて泳いでいましたが、ヘッドアップ+平泳ぎで方向を確認しながら泳いでいる様子です。

第一ブイまでは7,8人の集団。第二ブイまでには回りの人も振り切って快調に泳ぎます。 第二ブイを回るとあとはイーストハーバーを目指します。 アウトリガーからの声援ももらいながら、 最後までペースを落とさず泳ぎ切ることができました。 タイムは36分弱。去年よりも15分早くなっています。

バイクへのトランジションでは、すぐ後にスイムを終えたヒロミさんが歓声とともにバイクスタート。 それを聞いた健太も焦ります。 でも落ち着いて着替えること、水分をしっかり補給することを伝え、 いよいよバイクスタート。そして僕は計測に戻ります。

バイクは今回一番の難関だと思っていました。キッズのレースでは長くて10キロまで。 40キロとなるとどうしても速度は落ちてしまいます。 これは仕方がないので、目標を「上り坂にチャレンジ」と定め、 飛ばす必要はないよ(まあ飛ばせないでしょうけど)と伝えておきました。

ここからは僕は健太の状況がわかりません。 とはいえ実際には「健太、登りで重いギア踏んでたよ〜(笑)」(宮塚選手)など、 帰って来た選手たちが「頑張ってたよ〜」「元気だったよ〜」と健太の状況を知らせてくれます。 本当にありがたい。

2時間近くかかってやっと帰ってきました。元気そうでまだまだ前へ向かう気持ちはあるみたいです。 ランへのトランジションでは、すでにゴールしていた白戸選手をはじめ、たくさんの人が健太の周りに集まってくれました。 キッズトライアスロンでも良く見かけるのですが、子供にとってはバイクラックに自転車をかけるのは結構たいへん。 思わず手伝いたくなるシーンです。でも回りのみんなは誰も手を貸さず、その代わり温かい声援で見守ってくれていました。 もう僕の出る幕はないって感じです。そしてみんなの「頑張れ〜」の声を背にランをスタート。

ランはきつければ歩いてもよいと伝えていました。 ところが、10キロを一度も歩かず走り通したみたいです。 (でも歩かずに10キロを1時間20分で走るというのもある意味すごい気がする...)

「4キロ〜5キロの道がデコボコでしんどかったけど、何とかコケずにいけた。 帰りの5キロはもう足がガクガクだったし、体力もなかった」(本人談)

そしてゴール。4時間かかりましたが、 オリンピックディスタンスを走りきることができました。

「ゴールしたときは足がガクガクで、あれだと続けて2日は眠れそうだった。」(本人談)

計測の仕事もしっかりやらねばということで、ペアを組んでいた野田さんとゼッケン番号・タイムを確認し、 いよいよ感動の瞬間...(よし、よし、ここは父親の出番やろ!...水を持っていってよくやったと声をかけてやるか)... そしてゴール...を見ると、どこからともなく登場したメイヤー・イノスと健太のツーショット。 しかも手にはマイク、正面にはローカルテレビのカメラ。 このあたりは政治家の嗅覚か...。 イノスによるにわかセレモニー&ロングインタビューの陰でもう僕の出る幕はなし。 まあ、でも笑顔でいるからいいか、とにわかセレモニーが終わるのを待ちました。 5分以上待ったでしょうか、それから水を持っていくと「もうええわ。ところであの人だれ?」。 まあこんなもんでしょう(笑)。

【アワードパーティ】

アワードパーティでは、一応年代別優勝となり表彰していただきました。 ありがとうございます。 (実は10代一人だけ。でも、そんなの関係ねぇ!)

「表彰式の時、なぜパンダもいっしょだったのかが不思議だった」(本人談)

ちなみに去年もパンダ(サイパンダといいます...サイパンとパンダでサイパンダ!?)をもらっているので、 ウチには2頭目(数え方は正しいのでしょうか?)です。

【ロタブルー!?】

レース翌日。飛行機の関係から、この日の夜にはグアムに発たなければなりません。 持参したTシャツにサインをもらおうと朝からみんなのところを回っていた様子です (サインしていただいた方、ありがとうございました)。

その後、昼飯を兼ねてもう一度泳ごうとみんなでイーストハーバーへ。 その途中にテテトビーチに立ち寄り記念撮影、 さらにイーストハーバーで一通り泳いだ後、 ベイブリーズでロコモコを食べました。

「ロコモコを食べたらすごくおいしくてビックリした」(本人談)

そろそろホテルに戻る時間...イーストハーバーから帰るころになると健太の元気がなくなってきます。 まさに気分は「ロタブルー」。まあいつものことですけどね。

もともと自然が大好きな性格。これまでにも墓参りに帰った島根の海岸、雪がたっぷりの北海道、 そして青梅みたけ山などでは、帰る間際にブルーが入り必ず言うことがあります。

「俺、ここに住むわ」。

ロタも2年連続で「ここに住むわ」となりました。 さて、大きくなったらどこに住むのでしょうか。

【来年もまた...】

今回のロタ滞在中はダイビングショップSIRENAのカイト君、セイヤ君とすっかりトモダチになり、 ずっと一緒に遊んでくれました。カイト君、セイヤ君、ありがとう。

昨年は「Aタイプ完走の次はBタイプ」などと言っていましたが、 さすがに今年は「次はBタイプ」とは聞きません。 それだけ今年のレースがきつかったんでしょう。

本人は来年もまたAタイプの完走を目指すと言っています。 今年のレースが大きな自信になったことは間違いないでしょう。

でも、来年になってもまだ11歳、レースに臨む条件が変わるわけではありません。 継続して練習し、自転車整備やパンク修理の練習をし、体調を整え、 それをみんなにわかってもらってやっとスタートラインに立てる、ということです。

「健太、ロタもトライアスロンもまだまだ先は長いよ〜」(そうでしょ、みなさん!)

■KFC徒然

2007年11月17日(土)、第14回ロタブルートライアスロンが開催された。 いろいろ準備がある為、前週の金曜日(11月8日)にサイパンに入った。 これは毎度のパターンで、17日(土)本番への準備に向けて、 遅くてもこの日にサイパンに入らないと十分な準備ができない。

この頃は雨が続き、風も強く、天気が良くない。 普通の旅行ならガッカリするところだが、一週間後のロタ大会本番を考えれば、 この悪天候はむしろよいサイン?なのだ。 今までの経験上、だいたい天気の周期から、この頃に天気が良いと大会の時には天気が崩れてくる。 マリアナ諸島の天気の周期はだいたい1週間から10日サイクルで推移している。

【サイパンを変えた9・11】

北マリアナ諸島の3島ロタ・テニアン・サイパンは、 この一年間、これまでに経験したことがないほど大きな変化を見せていた。 良い変化なら歓迎だが、悪い方へ変化してしまっている。 観光業で生きているマリアナだが、9・11テロ以降、原油の高騰、 JALの撤退、日本企業の撤退等々、様々な悪影響を受け、日本人観光客が激減している。 そのため税収が少ないので観光プロモーションに回すお金がない等々悪循環が続いている。 何処に行っても、本当にびっくりするくらい日本人観光客の姿がない。

代わって増えてきているのが、韓国・中国・ロシアからの観光客だ。 なので、島内の印象も随分違ってきている。 場所によっては、アジアに迷う込んだのでは、と錯覚してしまうくらいである。

【人がいないロタ】

ロタの場合、サイパン・グアムから必ず乗り継ぎをしなければならず、 現在はその乗り継ぎもかなり不便に状況になっている。 その為、韓国・中国・ロシアからの観光客さえもいない。 ホテルもトライアスロン以外の時はほとんど客がいないと言う。開店休業の状態だ。

当然、島民も仕事がなくなり、経済状態も悪い。 島民の間には、仕事がない→お金がない→仕事があるグアム・ハワイ・アメリカへ移住する・・・という構図が自然とでき上がってしまっている。 そのため、観光客だけでなく、島民も少なくなっている。 だから皆口々に「人がいない・・、人がいない・・」と言うのである。

更に輪をかけて、ガソリン代も含め、電気代などの公共料金も高くなってしまい、スーパーも節約のため、 エアコンを止め、冷蔵庫は役に立たず、電気を消し、ドアは開けっ放しで、 商品棚もスカスカ、少ししか商品を置いていない。ビールもぬるい・・・ときている。

過疎化し、ゴーストタウンの様になりつつある。昔からの“マリアナ・ルール”“チャモロ・ルール”である “レフィル”の習慣(コーヒーやアイスティーを1杯めば、 言わなくても何杯でも継ぎ足してくれるというちょっとお得な習慣)も取り止めるレストランが増えてきている。 島民たちの習慣であるコーヒー1杯でダラダラと半日以上をレストランで過ごすユル〜イ感じも見られなくなってきている。

【1年は早いね〜】

11月11日(日)にロタへ入った。 12日(月)にメイヤーズ・オフィスでロタブルートライアスロン開催委員会ミーティングをして、 最終の準備に入る予定だった。しかし、11日がベテランズ・デイ(復員軍人の日)の祭日で日曜日と重なり、 翌12日(月)が休日となっていた為、ミーティングが13日の火曜日にずれ込んだ。 しかし、そうとは知らず、とりあえず予定通り、11日夜7時過ぎにロタ空港に到着した。

レンタカーで空港からロタリゾートに行く途中、空港近くのシナパル村のスーパーへ水などを調達に行った。 レジのフィリピン人のおばちゃんが「もう1年たったんだ、早いね〜」 「今年は洗濯する時は、場所を長い時間離れちゃダメだよ!!」とニンマリ言った。 よ〜く見ると昨年の“洗濯物盗難事件”の時に 警察に電話をかけるため、電話を貸してもらったおばちゃんその人だった。 おばちゃんは一人で不安だったので、友人のフィリピン人のオカマちゃんを呼んできて、 何の関係もないのに、私達と共に、警察の現場検証と事情聴取に立ち合わせられた。 その因縁の現場のコインランドリーはこの店の隣だった。

【頭の痛い大問題】

そうこう道草をして、ロタリゾートへチェックインした。 この日は我々しかおらず、レストランを開けて待っていてくれた。 ホテルのレストランなので、いつでも開いている・・・はずだが、 お客さんがいないので、普段は閉めていたりもする。 数日後にはトライアスロンの選手達が入ってきて、客室が満室になり、 レストランが利用されるまでは、レストランもその他のスタッフ達も休ませて、 経費節減している。島自体に人がいなくなっているので、これは苦肉の策だ。

その他のホテルも街中のレストランや商店もみんなそうだ。 ゴーストタウン化が進んでしまっている。1年に1回、トライアスロンの時だけお客さんがいっぱい・・・というのでは・・・。 こんな状況で、大会を運営するのはとても頭の痛い大問題だ。 レースの時、飛行機をチャーターすることはできても、ホテル自体やスタッフ、 島民達をこの時だけチャーターする訳にはいかない。困ったもんだ。

【真の“Nature's Treasure Island”】

11月12日(月)のミーティングが次の日になった為、時間ができた。 島内をコースチェックを兼ねて1年振りに見て回った。 今年のロタ島は本当にメイヤー・イノスのスローガン通り、“ネイチャーズ・トレジャー・アイランド(自然が宝の島)”だ。 元々開発が進んでいないので、昔ながらの自然がそのまま残っている。 さらに今、過疎化していることに伴って、人手が不足して山道はジャングル化し、 本当に自然だらけ・・・になってしまっている。

また、時間があったので、スイムコースの設営やレスキュー体制の中心となっている、 セレナやマーク・マイケル、それにルビンとの打ち合わせも済ませた。 14回目ともなれば、それこそ“阿吽の呼吸”で、あっと言う間に事が済む。 最初の頃は、何時間もかけて綿密に打合せをしたものだ。

【ここでも洗濯物事件が話題に・・】

11月13日(火)にメイヤーズ・オフィスでメイヤーも同席して、ゼネラル・ミーティングをした。 毎年、このミーティングが島民の気持ちを一気にトライアスロン・モードにスイッチ・オンさせるのである。 今年もそうだ。

今年のチェアマンはメイヤーズ・オフィスの“アレホ・メンディオーラ”だ。 彼は以前マリアナ政府の下院議員をしたり、マリアナ政府観光局ロタ支部にいたこともある。 そして、何よりロタ・ボーイ(ロタ生まれ、ロタ育ちのこと)で、トライアスロンの事も良く知っている。 なかなか頼りになる男だ。

メイヤーにも「今年は洗濯物が盗まれないように、洗濯する時は、 言ってくれれば、メイヤーの警護をつけるから・・・」と言われた。 実際、洗濯をするのにSPがつくというのもどうか・・と思うが、 昨年の“洗濯物盗難事件”は自分達も含め、島民みんなにとって、よっぽどインパクト強かった・・・らしい。 この話の間、出席者全員、なぜかニヤニヤ楽しそうだった。

【KFCの友人は大切に扱うべし】

ミーティングの席上、メイヤー(市長)イノスは皆を前にして 「経済状態も非常に悪く、島民も少なくなっているが、 日本からロタブルー・トライアスロンに150人もの大勢の人が訪れます。 この大会は我々ロタ島民の誇りです。ロタ・ホスピタリティーを大いに発揮し、 みんなを楽しませ、喜ばせ、全員協力をして、島をあげて、大会を成功させて下さい。」

さらに「レースの日だけでなく、選手達がロタに来て、 自転車等で走ったりして練習をするので、車等々の危険がないように、 十分注意して、運転すること。また、困っている選手がいたら、 すぐに皆で対応するように。彼らは皆KFCの友人だ。」と嬉しいコメントしてくれた。

実際この島はメイヤーが絶大な権力を持っていて、 メイヤーが言えば、大抵の事はうまく回る。 さらに、幸いなことに、KFCは島のリーダークラスだけでなく、下々に至るまで信頼されており、 “KFCの友人は大切に扱う”という考えが島中に浸透している。 だから、ここまで盛上がった大会になるのである。 加えて、ロタ・ホスピタリティーは、他の島では考えられないほど、フレンドリーで温かいものがある。 14回目ともなると、島民達はそれぞれ“自分たちが何をすべきか”ということをよ〜く理解している。

【大変身するチャモロ】

道路の整備は、政府の土木課がコースに張り出した草や木を刈り、道幅を広げる。 そして、路面の悪い所は、砂を入れ、ブルトーザーで均し、 ローラーをかけるなど、重機を入れての大作業となる。

舗装道脇の草刈りやコース上のサイン・ボード作り、 バイク・ラックの補修など細々とした作業はマリアナ観光局ロタ支部局長のトミー・カルボが 陣頭指揮を執り、部下にやらせる。 トミーと我々KFCとはツーカーの仲である。打ち合わせなど要らない。 彼の部下も心得たもので、効率よく短時間で次から次へと仕事をこなしていく。 思い起こせば、彼らとは1993年の第1回大会の立上げ時に ロタの道路を竹ぼうきで一緒に掃いた仲だ。

そんな訳で、彼は1回目大会からずっと、大会開催にはなくてはならない存在だ。 今ではアイコンタクトで用が足りる。港に関しても選手が上がってくる足場の悪い所は、土嚢を積み、 苔をとり、シャワーを取り付けるてくれる。コースやスイム会場を整備するだけでも大変な作業だ。 まともに金額に換算すると、途方もない額になるだろう。

ロタ観光局の隣にある警察署にも顔を出すことにしている。 ほとんどが顔見知りの警察官ばかりだ。昨年、洗濯物事件で大活躍した警察官もいた。 彼らも週末のトライアスロンのことはよく承知しており、「いつも通り、やるよ。任せて。」と言ってくれる。 また、海上警察部門(ボーティング・セイフティ)には、KFCロタ支部メンバーのライ・マングローニャが いるので、 事情がよく分かっており、任せて安心だ。彼は過去に何度もこの大会に参加したこともある。 我々がトライアスロンを教えた一人である。

交通規制をする警察や救急車を担当する消防や病院等、安全対策やエイド・ステーションを取り仕切る担当、 アワードパーティーの食べ物を準備する担当、パーティ会場を作る担当etc・・・島民が少なくなったとは言え、 まさに島民一丸となって、島を挙げて、その日に標準を合わせ、大会を作り上げていく。 “のんびり、ゆったり、ゆる〜いアイランドスタイル”のチャモロ人だが、トライアスロンの時だけはちょっと違う。 “やる時にはやるチャモロ”に大変身する。心強い仲間達だ。

【いい奴じゃん、ヒロミ】

今年、違う事と言えば、いつものトライアスロン・ジャパン誌以外のメディアが3つも入ったことだ。 一つは、タレントのヒロミさんが、ヒロミさんの率いる“チーム51.5”と共にロタ大会に参加する様子を取上げた 日テレの番組“トシガイ”の撮影チーム。CEOチャレンジ・カテゴリーに参加する高島選手を採り上げた雑誌 “GOETHE(ゲーテ)”取材チームとインターネットテレビ“ノーネス”の取材チームだ。

10月頃、日テレの番組制作者からヒロミさんをターゲットにした“トシガイ”という番組のロタ取材をしたいという連絡があった。 その直後、ヒロミさん本人から「日テレの取材がロタに入った場合、大会運営に迷惑がかかるということはないですか?」 「取材が入っても大丈夫ですか?」という気配りの電話がかかって来た。なかなかいい奴である。 当然、取材には最大限の協力をした。

最初のテニアン大会の時から薄々感じてはいたが、テレビで観るのと、実際とは大違いの男である。 その後、放映された番組の中でのヒロミさんのロタ島やトライアスロンに対するコメントは的を得ており、 思わず「その通り!」と叫んでしまうほど共感するところが多かった。

チャモロ人達もテレビや雑誌の取材が入ると、粗相してはならぬと思うのだろう、 俄然、気合が入るようだ。マンネリ化を避けるためにも、時に取材が入るのも良いものだ。

【ロタにジェットがやって来る】

昨年から作ったCEOチャレンジ部門に参加する高島選手や稲本選手たちが乗った“プライベート・ジェット”が 日本からロタ島へダイレクトにやって来ることになった。ジェットがロタ空港に降り立つというのは、 約10年前にノエビア化粧品の社長が来た時以来と云う。とにかく異例の事なので、チャモロ人達を大いに沸かせた。

“ジェットを見に行く”“写真を撮る”“次はいつ見られるか分からないから、 子供に見せなきゃ”etc・・・大興奮になった。傍で見てると笑ってしまう。 こんなことで、ここまで騒ぐチャモロはホントに可愛い。我々はこんなチャモロ人気質が好きだ。 大概の人は海が綺麗、山が綺麗と云うが、我々はこんなチャモロ人が好きなのだ。 そうでないと14年間もやっていられない。

さて、いよいよ注目の“ジェット”到着の日、空港には大勢の人が見物に来ていた!!・・・が、 到着予定時刻を大幅に過ぎても、一向に来ない。でも、人々は何時間過ぎても、待っていた。 そして、日没後、ついに到着した。実は、パイロットの一人がパスポートを忘れ、 それで遅れた・・・という事だったと聞く。とにかく、無事について、何よりだった。 先に到着していた秘書も大そう心配されて、国際電話が可能な我々の部屋から何度も日本へ電話されていた。 先ずは、一件落着である。因みに、高島さんは潟oルス(フランフランを展開)を、 稲本さんは潟[ットン(レストランチェーンを展開)を経営されている。

【さて、今年のピックアップは・・?】

14回も大会をしているが、その都度小さなハプニングから大きなハプニングまで、 様々なハプニングは付きものである。今年はこれと言った大きなハプニングは無かったものの、 小さなものは多々あった。

滞在中、レンタカーではいろいろ不便な面もある為、 足となる車は毎年ガバメント(政府)のピックアップ・トラックを使用させてもらうことにしている。 これだと荷台に10人くらい乗せて移動することもでき、非常に便利である。 これをメイヤーズ・オフィスで手配してもらうことにしている。

今年は、島民の減少、車の整備までお金が回らない等の事情から、 ピックアップ・トラックの手配がなかなか出来なかった。 最初に手配できた車は、走れることが不思議なほどのボロ車で、ドアがなく、ボンネットもなくエンジンがむき出しで、 やっぱり危険で使えなかった。手配を支持したアレホでさえ、「I don't like it.」と云う始末である。

やっと手配できた車を帰国日まで使わせてもらったが、最初はライトが点かず、 夜は真っ暗で何も見えず、怖くて運転できない。ロタ島の夜道は本当に恐ろしいくらい真っ暗なのである。 早速、次の日にライトを直してもらったが、今度はライトが勝手に点いて、 停めていると、いつの間にか点きっぱなしになっている。 これではバッテリーが上がってしまわないか、気が気でない。

しかし、レース終了までは、これを使うしかなかった。 この車だけではかなり不安なので、メイヤーズオフィスでレンタカーを一台借りてもらい、 それもバックアップ車として使った。 実は、このポンコツ・ピックアップ・トラックはメイヤーが休日に農作業で使っている車だったらしい。

【ロタブルーで鳥になれ】

11月16日(金)レースを翌日に控え、準備が進む中、現地登録と恒例の試泳が行われた。 ロタのスイムコースは他の大会と違い、深い外洋を泳ぐ為、常に危険が付きまとう。 レースを安全に運営するためには試泳を行い、選手に予備知識や安心感を与えることにしている。

そして何より、レース中は早朝で、なかなか海中を眺めていられないので、 世界に類を見ない透明度を誇る“ロタブルー”を堪能してもらうには、 日中にリラックスして泳げる試泳が一番だと考えている。 今年は同時に水中撮影会も行われた。

例年と同じく、プロ・トライアスリートの宮塚選手、白戸選手、 松丸選手が引率者となって、参加者を泳力により3つのグループに分け、 沖に連れて出て、試泳と共にその戯れる様子を撮影するという贅沢な企画である。

今年もロタの海は、透明度が高く、30〜40m下の白砂の海底の砂紋までがはっきり見え、 格別の美しさだった。まるで、鳥になって、青い空を飛んでいるようだと表現した選手がいた。

【試泳前のハプニング】

例年通り今年も試泳は午後1時からにセットしていた。 セットしていると云うことは、1時になると海上警察のボートが試泳中の参加者の安全監視にやって来るということを意味している。 さらにそれに伴って、病院も、もしもの場合に備えて、スタンバイするという手はずにしてある。 当然、このバックアップ体制は選手には見えない部分であり、逐一知らせる必要もない部分である。 これは主催者の仕事の範疇である。

今年も現地登録をスイム会場を見下ろすレストラン“ベイブリーズ”で午前11時から行なっていたので、 ほとんどの参加者は正午頃にはスイム会場へやって来た。 そんな折、トライスロンボーイズが試泳の開始時間を早めて欲しいと伝えてきた。 理由は、暑いので早く泳ぎたいという単純なものだった。 これを傍で聞いていたスタッフや登録に集まっていた参加者たちは皆一様に眉をひそめた。 何のバックアップ体制もないまま参加者を外洋に出す訳にはいかない。 応えは、当然「NO」である。

皆の拒否反応には、伏線があって、バイクの組み立ては人任せ、現地登録も人任せ等々、 それまでのボーイズの行動は多くの参加者の目に“それ、ちょっと違うのでは?”と映っていたのである。

トライアスロンと云う競技は個人競技ではあるが、根本的な部分で団体競技という要素も大いに含んでいる。 スタッフ、ボランティア、島民、参加者の協力なくして競技は成り立たない。 これら全ての関係者は予め決められたスケジュールに基づいて個々の役割を果たしているのである。

また、参加者は競技に関する全てを独力でしなくてはならいことになっている。 すなわち、バイク組立てから競技が終了するまで、全て自らの手でやらなくてはならないと相場が決まっているのである。 例えば、よくあるパンク修理も競技の内である。 しかし、これらの点を日の浅いボーイズの面々は知らないようだ。 因みに、トライアスロン・ボーイズとは若手企業経営者からなるトライアスリートのクラブである。

このままではフェアとは言えないし、いっぱしのトライアスリートとは呼べない。 これらを改めない限り、他の参加者のひんしゅくを買い、今後、彼らのロタ大会への参加は難しいと痛感した。

帰国後、ボーイズのリーダーである井上さん(青山フラワーマーケットを展開)と、 白戸選手を交えて、気になっている点を話し合い、問題点は解決した。 井上さんはトライアスロンというスポーツが純粋に好きでたまらないようだ。

かつて、周りにいる素人(トライアスロン未経験)連中を集めて、バイクを買わせ、 水泳を練習させ、一緒にレースや練習に没頭していた頃の自分(大西)を見ているようだった。

【14回目の特別な朝】

11月17日(土)、いよい14回目の特別な朝がやってきた。 島民達の“成功させるぞ”という思いで、島中の空気がピーンと張り詰めているのを感じる。 天気は問題なく快晴で、海もべた凪だ。今年もスターターは例年通り、メイヤー・イノスと、 昨年初めてスターターをしたチビッコ・チャモロほら貝部隊の可愛い“あーちゃん”だ。 昨年は緊張とトラディショナル・アイランド・スタイル(腰蓑姿)の寒さで、半ベソ状態だったが、 今年は一人で堂々とほら貝を吹いていた。

セレナとルビンの両ダイビングショップ、 海上警察(ボーティング・セイフティ)レスキュー・ボート、マーク・マイケル率いる レスキュー・カヤック・チーム。会場には消防の救急車もスタンバイ完了。 これで、今年も海の安全対策は万全だ。

それに加え、今年はTV撮影用に双胴のアウトリガーも出ていた。 昔ながらの木をくり貫いで造られたもので、いい味を出していた。 海上での安定感が抜群なのでTV撮影用に用意してもらった。

アウトリガーの漕ぎ手は14年前の第1回大会のアワードパーティーで、 子供アイランドダンスを披露した“エキゾチックな美少年”だった“シャウイン・タイサカン”だ。 だが、14年間の歳月は当時の美少年の面影をすっかり消し去っていた。

【人気の“BODY-TUNE”Tシャツ】

ショートタイプの中には81歳で、まだまだ現役トライアスリート野村昇選手、 片や最年少には、10歳の菅沼健太選手。 さらに、CEOチャレンジには話題の“ROTA MY LOVE”Tシャツを製作した阿部George雅行選手がいる。

このTシャツは胸にハートマークをあしらった人目を引くデザインもさることながら、 ポリエステル100%で伸縮性に富み、汗をかいてもベトつかず、 チャモロ人にも日本人参加者にも超人気で「あのTシャツが欲しい!」とか「どこで買えるの?」とか、 とにかくモテモテ・・。思いがけないBODY-TUNEブームを作ることとなった。

実は、このTシャツ、彼のロタ大会を愛する気持ちが高じて、 自前で製作して、これと思った人たちにプレゼントされたものである。 KFCスタッフやロタ大会の賞品としても60枚ほど提供された。 さらに、参加賞のトートバッグも彼からのプレゼントである。これも超便利で皆に喜ばれた。感謝!

因みに、彼は械ODY TUNEの経営者で、KFCトライアスロンクラブのよき理解者でもあり、 個人スポンサーでもある。過去、ロタ大会以外にもテニアン大会やグアム大会にも参加している。 我々は親しみを込めて彼を“ジョージ”と呼んでいる。

【怖い脱水症】

バイク&ランでもエイドステーションが数多く置かれ、やはり、 今年もロタ名物の“トロピカルフルーツ・エイドステーション”や “BBQ(バーベキュー)エイドステーション”も置かれていた。

チェアマンのアレホもよく頑張った。彼のファーム(農場)で実ったカラマンシー(シークアーサー)を どっさり(バケツに山盛り5杯も)摘んで来て、 クエン酸いっぱいのカラマンシー・ジュースを作り、エイドで選手に振舞った。よく冷えて美味かった。

エイドの他にも自発的にランコースに水道ホースを引っ張ってきて簡易シャワーを作っていたり等々、 まさに“ロタ・ホスピタリティー”をコース上あちらこちらに見ることができた。

今年は脱水症で倒れた選手が2名出たものの、救急車&ドクターの迅速、 且つ、適切な処置のお陰で、事なきを得た。脱水症に陥った選手を病院に運んだのは、 ロタ大会14年目にして、初めてのことである。 今年に限って、前夜のブリーフィングで脱水症の怖さについて話さなかったのが悔やまれた。

トライアスロンは危険と隣り合わせのスポーツである。 その中でも我々が最も気を配っているのが、ランでの脱水症である。 処置が遅れると死に直結する怖い症状だが、反面、水と塩さえ十分に摂取していれば、何の心配もない。

身体が脱水状態になってくると、先ず、指の硬直が始まる。 エイドで紙コップがスムースに握れないと、脱水症が始まっていると自覚して欲しい。 レース中に競技者が自覚できる唯一のシグナルがこれである。 こうなると、躊躇なく競技をストップしなくては、復活はあり得ない。

レース後、松丸選手が「今年のロタは、エイドステーションは十分あったが、天気が良すぎた。 スコールもなく、湿度もなく、カラッとしていて、むしろ水を飲まなきゃと思うより、 次でいいかな・・・と思ってしまう様だった。」と話していた。 彼自身もロングタイプで優勝したものの、軽い脱水症状が出てしまった。

レース結果は、ハーフ部門の優勝は松丸真幸選手と八代淳子選手、 ショート部門優勝は深浦祐哉選手と谷澤政枝選手、CEO部門優勝は阿部George雅之選手と伊藤洋子選手。

それに、81歳の野村昇選手(5:19:21)も10歳の菅沼健太(4:00:46)も見事完走!  因みに、健太は我がKFCトライアスロンクラブの次世代を担うホープである。

【やっぱり!!熱かったアワードパーティ】

レースも終わり、チャモロ達が最も気合が入るアワードパーティーは、 例年と違ってリーダーシップ・パーク(メルチオ・メンディオーラパーク)で行われた。 今年は島の景気が非常に悪いので、今年ばかりはパーティもトーン・ダウンしているのだろうと思っていた。 が、会場に到着して驚いた。

何と巨大なスクリーンがステージ横にデーンとセットしてあるではないか!!  それに昼間のレースの模様が大きく映し出されていたのである。 こんなハイテク??な演出は過去になかったことだ。今年初の試みである。 島民達のロタ大会に対する熱い気持ちが感じられた。 この演出は皆を驚かすために、我々にもずっと秘密にしていたと云う。憎い演習だ。

それにお持て成し料理も申し分ない。景気の悪さなど、 この時ばかりは“どこ吹く風”である。(後の支払いは大丈夫かな?・・・かなり心配・・)

別名“バーベキュー・アイランド”、“パーティー・アイランド”と称されるロタの名に恥じることのない様、 チャモロ流最高級お持て成し料理であるブタの丸焼きが3匹、シカ肉刺身等々。 さらに、バーベキュー・メニューにはシカ肉、ショートリブ、チキン、お祝いには欠かせないレッドライス、 チャモロ料理の代表作チキン・ケラグエン、パンシット、それに、マリアナ地区で一番美味しいと言われているタロ芋、 パパイヤのピクルスetc・・・もちろん、パーティには絶対に外せないビールなど、 “これでもか・・これでもか・・・”というほど振舞われていた。

食事がひと段落した頃に、パーティーを盛り上げるアイランド・ダンサーズの可愛い子供たち伝統ダンスを披露、 続いて、大胆に穴の開いたドレスを身に付け、パンツを履いているか?履いていないのか? がちょっと気になる・・・島の美女軍団による艶かしい雰囲気のファイヤーダンスも披露された。 盛上がった。一緒に踊る選手もいた。やはりレース後のパーティは凄かった!! 島民たちに感謝!

また、恒例の西田賞も表彰式を盛り上げてくれた。 西田光男さんは世界的に有名な鍛鉄工芸家で、日本だけでなく、鍛鉄文化の本場であるヨーロッパでも超有名人である。 そんな彼もKFCイベントを常に支えてくれている一人である。 尚、大会中の選手の写真は西田さんのブログにたくさんアップしてあるので、要チェック!

【アフター・レース】

最後に、今年一番心に残ったことは、アワード・パーティの時、 10歳になる“セレナ”の林さんの長男カイトが「俺も大きくなったらパパにみたいに、 ボランティアでスイムコースのブイ打ちをやるんだ!」と大声で話してくれたことである。 この少年の心にも、この大会に係わることにちょっとした誇りを感じてくているようで嬉しく思った。

毎年、ロタ島へのアクセス面で大きな問題を抱えながら、何とかやり繰りして開催してきた。 そして、今年も無事に終えることができた。しかし、今年のアクセスは、過去14年間で最悪だった。 旅費があまりにも高過ぎる。これでは参加者に申し訳がない。スタッフへの負担も大きい。 このままでは当初目指していたものと違う方向に行ってしまう。

次回もフリーダムエアーを利用するという選択方法しかなければ、中止し、 一度仕切りなおしをしたいと考えている。このまま続ければ、 ロタ島&ロタブルー・トライアスロンのイメージダウンに繋がりかねない。これだけはどうしても避けたい。

来年の夏までに、何とかフリーダムエアーを使わないアクセス方法を見つけたいものだ。

【Special Thanks】

MVA / Mark Michael / SIRENA / RUBIN / Rota Resort & Country Club / Aqua Gift Shop / Bay Breeze Restaurant & Bar / BODY TUNE / TRI-SPORTS / CACCIATORE / Tonga Tonga Cafe / System Clinic

写真提供:舘岡正俊 SIRENA RUBIN