北マリアナ諸島(ロタ&テニアン&サイパン)
ローカル情報満載ファイル(151〜200)
■200、トライアスロンは南の島がよく似合う 泳いで、その後、水着一丁でバイクを漕ぎ、ランニングをするというトライアスロンは、南の島の持つ明るい開放感と青い海と強烈な太陽がよく似合うと常々思っている。しかし、それだけでは気持ちを込めたトライアスロン大会は開催できない。南の島が持つ常夏の自然と、同時に、法治国家でなければならず、民主主義というインフラも整っていなくてはならない。そして、治安がよくなくてはならない。この点、北マリアナ諸島はバッチリ合格である。 しかし、それだけでは3年もすればマンネリ化して、気持ちが萎えてしまう。長く続けるために、最も大切なことはそこに住む人々にある。我々KFCが北マリアナ諸島でトライアスロン大会やオーシャンスイム大会を15年もの長きに亘って開催しているのは、そこに暮らすチャモロ人たちが好きだからである。気持ちある彼らとの触れ合いが好きだからである。 単に、南の島が好きと云うだけの理由であれば、これほどまでにマリアナ諸島にこだわってはいない。今人気のアジアの島々やフィジーに行く。バリ島やタイやベトナムやフィジー、それに、中国からもスポーツイベントができないだろうかという問合せが来る。しかし、元々スポーツ・イベントの運営をビジネスとして捉えている訳でないので、そう簡単には他の地でやる気にはなれない。 15年前からマリアナ諸島でのイベントは遊びの延長と考えている。だから、自分たちも楽しくなくてはやる気はしない。我々はチャモロ人との触れ合いが好きだからマリアナに行くのであって、常夏の島ならどこでもよいという訳ではない。 ■199、「ロタブルー・トライアスロン」を取り巻く厳しい環境 2007年7月末の時点で、来る11月17日開催の「第14回ロタブルー・トライアスロン」の中止を決定し、直ちにロタ島市長ジョセフ・イノス、北マリアナ政府副知事ティム・ビラゴメス、北マリアナ政府商務省局長ジェームス・サントス、北マリアナ政府上院議員ポール・マングロニャ、北マリアナ政府観光局長ペリー・テノリオ等々のKFCネットワークの面々に通知した。 中止理由はロタまでの旅行代金の高さにある。旅行社から届いた見積額は余りにも高すぎる。ヨーロッパ旅行に相当する高さである。 旅行代金が高い理由は、サイパン〜ロタ間、グアム〜ロタ間のアクセスが余りにも悪すぎるためである。そんな状況下、一時に100名以上の人間や荷物(バイク含む)をロタ島に搬入搬出するためには特別に専用便(チャーター便)を仕立てなければならない。この部分のコストが年々値上がりし、最大のネックになっている。数名なら通常定期便でロタ入りすることはできるが、それでは大勢を対象にした大会は開催できない。 KFC大西からの突然のロタ大会中止の知らせにマリアナの友人たちに衝撃が広がった。そんな知らせが来るとは夢想だにしていなかった。これに対して、彼らは何をすべきが心得ており、直ちに、現地航空会社「フリーダム・エアー」に対して、マリアナ政府やロタ政庁を挙げて値引き交渉を開始した。マリアナ地域をデイリーで運行しているのは唯一「フリーダム・エアー」だけである。 彼らの努力の結果、安くなりはしたが、満足のいくものではない。しかし、現地チャモロの友人たちの懸命な交渉努力やロタ島民の開催継続を願う気持ちを考慮し、釈然としないものの、今年は開催をすることにした。そして、遅ればせながら、8月末に募集を開始した。 この辺の経緯は9月に入って現地新聞「サイパントリビュン」に掲載された。その内容は、「ロタブルー・トライアスロン」はマリアナを代表するスポーツイベントで、日本人だけでなく、ローカルたちにもたいへん人気が高い。観光産業が停滞気味のこの時期にマリアナを代表するイベントが中止になることは、ロタ島民のみならずマリアナ諸島全体に与える精神的ダメージは計り知れないものがある。だから、どうしても継続して欲しいし、また、させたい云々・・そのために観光局や政府は一丸となって努力しているという記事であった。 2005年のJAL撤退以降、日本企業の急激なサイパンからの撤退に島民は皆非常な危機感を抱いていた。さらに、親日派の彼らは日本ブランドの相次ぐ撤退に不安と寂しさを募らせていた。そこへ持って来て、「ロタブルー・トライアスロン」の突然の中止は衝撃だったのである。彼らの気持ちは痛いほど分かる。 問題は、現地ローカル航空会社は「フリーダム・エアー」と「ケープエアー」の2社しかなく、どちらもチャーター便を飛ばすことに消極的なことである。面倒臭い手続きが必要な上、それに見合う利益がでないのであろう。結局、グアムに本社がある「フリーダム・エアー」がチャーター便を仕立ててくれることになった。費用は通常便と比べると相当高いが、受け入れざるを得ない。 「ロタブルー・トライアスロン」は政府の公式行事にもなっており、また、島民たちの誇りにもなっている。中止すれば、確かに、島民のショックは相当のものだろう。しかし、このまま継続していくことはロタ大会やロタ島のイメージダウンに繋がる。また、そんな状況下、それでも高いお金を払って参加してくれるたくさんのトライアスリートに対しても申し訳ない。 今後、アクセスが画期的に改善され、旅費が適正料金にならない限り、或いは、これまでと全く違ったアクセス手段が構築できない限り、来年(2008年度)の開催は難しいと感じている。このままでは我々KFCが目指しているモノとは違う方向に行ってしまう。厳しい選択だが仕方がない。 ■198、USコーストガードVSチャモロ USコーストガード(米国沿岸警備隊)とは、読んで字の如く、米国領土の沿岸(海岸線)を監視する組織である。平たく言えば、米国領土沿岸における密輸船や密入国の監視、民間船舶の安全運航の監視、不審船や工作船やテロリストの侵入の監視、海難事故の防止・救助等々を行なう組織である。北マリアナ諸島も米国自治領であるからこの組織の管轄下にある。この組織は日本でいう海上保安庁に当る。基地はUSネービー(米国海軍)と同じく、グアムのアプラハーバーにある。 北マリアナ諸島にUSコーストガードがパトロールにやって来ると、正規の船舶操縦免許を持っていない人は出港しない。そして、去っていくと、平気で釣りやダイビングなどに出かけていく。イタチごっこのようでおもしろい。流石のUSコーストガードも眼のいいチャモロには敵わない。 2003年、テニアンでのことである。テニアン政庁と我々KFCとでスイム用ブイの根っこにするために大きなブロック(約50kg)を10個ほど沖の海に沈めることにした。大きなクレーン船を用意して、正に決行しようとしたその日の早朝にコーストガードの船が沖に現われたのである。おそらくテニアン島内のこれに関する無線交信を盗聴したのであろう。海にモノを捨てる(沈める)のは自然環境保護の観点から違法行為に当る。その朝、テニアン政庁から「ゴーストガードが来たので明日にしよう」と伝えてきた。彼らはその日夕方まで沖に停泊して、やがて帰って行った。翌日、決行したのは言うまでもない。チャモロ人には自分たちの島のことで、米国人(米国の法律)にとやかく言われる筋合いはないという反骨精神が根強くある。マリアナでは、そんなチャモロ人の方がコーストガードより役者が一枚上手である。 以前から、テニアンと違ってロタはコーストガードと良い関係にある。前市長マングローニャはパトロールに来たコーストガードを上陸させて、お得意のBBQパーティで持て成したりもしていた。 2001年の9・11NYテロ事件勃発まで、USコーストガードは訓練の一環としてKFCのロタ大会へ参加したり、また、レスキュー・ボランティアとして大会を手伝ってくれていた。たいへん良好な関係にあった。しかし、9・11以降、コーストガードにその余裕がなくなってしまった。因みに、今、トライアスロン大会のスイムセクションで使っている沖の巨大なブイはUSコーストガードが1997年頃に設置したものである。 彼らの主な任務のひとつはサイパンからグアムへの中国人密航者の監視である。近いため小型ボートでもサイパンからはグアムへは容易に行くことができる。だから、この手の事件が後を絶たない。多い年には千人ほどの中国人密航者がグアムで捕らえられている。グアム島北部の人里はなれたリティディアン・ビーチが中国人の目指す上陸地点となっている。上陸地点まで特定されていても、レーダーで捕捉できな小型船にはUSコーストガードも手を焼いてるのが現状だ。 ■197、島の子供たちと海 北マリアナ諸島(ロタ、テニアン、サイパン)における子供たちと海との触れ合いはよく似ているように思いがちだが、身近に観察していると三者三様で面白い。 自然の海を遊びの中に一番上手く取り入れているのがテニアンの子供たちである。学校が引けた後や週末には飛び込み岩のあるタガビーチに皆集まってくる。中学生から小学生くらいの子供たちが多い。女の子もたくさんいる。目的はタガビーチの崖(岩)の上から飛び込んで遊ぶためである。高さが数メートルあるため、誰でも飛び込めるという訳ではない。小さな子供たちはお兄ちゃんやお姉ちゃんが飛び込むのを憧れの眼差しで見つめている。自分たちもいつかは飛び込みたいと思っているのである。飛び込み方にも夫々のこだわりがあって、足から行く子、頭から行く子、体操競技の様に空中2回転して着水する子などいろいろである。 テニアンには昔から暗黙の慣わしがあって、タガビーチの崖から飛び込めたらテニアン島民として一人前と認められるのである。だから、今では丸々と太っている彼らの両親も子供の頃はここで飛び込みを成功させているのである。テニアン島民でここでの飛び込みを成功させていない人は皆無と言ってよい。 飛び込みの影響だろうか、テニアンの子供たちの潜水能力は非常に高いものがある。2〜3分間の潜水ができる子供はたくさんいる。かつて、グアムのダン・オキーフがテニアンで、子供対象に海でのスイムクリニックをした時のことである。潜水遊びを始めた子供たちが1〜2分以上経っても全然浮き上がって来ない。ダンが心配になって海底を覗いてみると海底で遊んでいるではないか。これには流石のオリンピックスイマー・ダンも驚いたという。 ロタの子供たちはテテト・ビーチで網を打って魚を獲ったり、東港や西港で釣りをしたりするが、海に入って遊ぶことはあまりない。残念ながら、ロタには子供たちが遊べるような安全な海がないのである。水泳に関しては、我々KFCが手取り足とりで教えたKFCロタ・メンバー以外にはまともに泳げる島民はいない。 サイパンの子供たちもあまり海で遊ぶことはしない。ガラパン地区やチャランカノア地区などビーチのある身近な海が汚れているということが原因だ。ビーチには遊泳禁止を示す赤旗が掲げられることも多々ある。親たちもオブジャン・ビーチやマニャガハ島など水質の良い場所以外では海に入らせないようにしている。水泳に関しては、スイミングクラブに入会させて、屋外50mプールで習わせることが一般的である。その為、水泳の技術はサイパンの子供たちが群を抜いて優れている。 ■196、ロタ島コーヒー・プロジェクト 2007年7月からロタ島でコーヒー栽培プロジェクトが密かに始まっている。ロタにもサイパンと同じくジャングルの中にコーヒー木が点々と自生している。これらのコーヒー木は戦前の日本時代(1914〜1944年)に日本人が栽培していたもので、それがジャングルに広がって生き残り、世代交代を繰り返し60年以上の長きに亘って生き続けてきたものである。このことはロタの気候風土がコーヒー栽培に適しているということを証明している。そこで、これら生き残っているコーヒー木を利用して、ロタでコーヒー栽培を始めようという動きが起こった。 現在、より多く収穫できるようにと野性の木を手入れし、また、並行して豆から苗を育て、木の本数を増やしている。若木は順調に育ってきている。観光産業以外にはこれと言った産業のないロタ、このプロジェクトが多少なりともロタ島民の現金収入になれば嬉しい。 これはそこそこの量のコーヒー豆を収穫しようというプロジェクトであって、ハワイのように大量生産を目指している訳ではない。管理された大農園というのはノンビリしたロタ島民には似合わない。訪れた観光客に飲んでもらったり、お土産品として販売したり、日本のロタ島ファンに売るくらいで十分である。もちろん、これらのコーヒーはオーガニック(有機栽培)である。因みに、ロタを初めとするマリアナ諸島ではフルーツも野菜も全てオーガニックである。なぜなら、昔から農業に肥料や農薬を使う習慣がないからである。健康うんぬんの小難しい理屈からではないのがいい。 ロタ(サイパンも同じ)のコーヒーは1〜2月頃に白い小さな花が咲き、3月頃に緑色をした仁丹粒くらいの小さな実が枝にいっぱい付く。その実がだんだん大きくなり、9月頃に赤く色付いて収穫時期を迎えるのである。 ロタらしく、夢のある画期的なプロジェクトである。最初からロタ産コーヒー100%で商品化することは無理なので、他のコーヒーとブレンドして商品化することになる。この商品名はすでに決まっている。島民が日ごろから誇りに感じているイベント「ロタブルー・トライアスロン」に因んで「ロタブルー・コーヒー」と銘々される予定である。今年の第14回ロタブルー・トライアスロン開催(11月17日予定)に合わせて第一弾を販売したいと計画している。 ロタ島では、ずっと以前からコーヒー好きの人は自分用のコーヒーを自分で栽培しいる。十年ほど前に、友人であるジェーリー・カルボの家で、彼のファーム(ガガニ・フルーツ・ファーム)で収穫したコーヒー豆から淹れたコーヒーをご馳走してもらったことがある。マリアナ界隈で飲むコーヒーは濃い紅茶のような代物、決して美味くない。しかし、カルボ家のモノはしっかりとした風味がある美味しいコーヒーだったことを記憶している。 (注)同じような気候風土の島なのだが、なぜかテニアン島とグアム島には野生のコーヒー木はない。 ■195、マリアナの不思議「2色の空」 時々、マリアナの空に日本では見たことのないような不思議な現象を見ることがある。それは空一面が二つに分かれるというか、2つの色に分かれるというか、とにかく不思議な現象なのである。 空が青い色の平面と白っぽい色の平面とにハッキリと分かれるのである。雲が太陽光線を遮った時に起るような小さな規模の陰影のようなものではない。この現象は、いつも晴れた日の夕方の早い時間帯、すなわち、夕焼けが始まるちょっと前の時間帯に起る。時間で言うと4時〜5時頃である。この現象はロタ、テニアン、サイパン、グアムのマリアナ諸島ならどこでも見ることができる。 日本では見たことがないので、おそらく南の島特有の現象と思うが、地元の人に聞いても原因は分からないという。我々はこの現状を「2色の空」と呼んでいる。 ■194、人がいない 今年(2007年)の4月頃からロタ、テニアン、サイパンの友人たちは皆口を揃えて「島に人がいない」と不安げに言う。島に観光客が来ないと云う意味かなと思ったが、そうではない。島民たちが島から出て行ってしまったので、島内がガランとしていると云う意味なのである。その理由は島内に仕事がないので、仕事を求めて米国本土へ働きに行ってしまったのである。彼らはUSパスポートを持っているので、米国で働くのには何の支障もない。 島に仕事がないのは、去年あたりから北マリアナ諸島の2大産業であった縫製業がダウンし、続いて、観光産業も急激にダウンしてしまったからである。さらに、今年6月から労働者の最低賃金(3ドル5セント)の時給が50セントアップになったことも低迷する企業経営に追い討ちをかけた。その為、企業からの税収が激減し、政府財源が極端に減少してしまったのである。 財源節約手段として、マリアナ政府は公務員に対して隔週金曜日は全部署(警察官や消防署員等々の一部は除く)が休まなくてはならないことにした。マリアナの公務員の給料は全て時給制だから、これでそれなりの人件費が節約できることになる。それにしても、金曜日に全役所が休んでしまうというのは大胆奇抜な策である。日本ではそんな発想はできない。さらに、全公務員に対して、6月から向う1年間に業務を相互に調整して90日も休まなくてはならないことになっていると聞く。こんな状況だから公務員でさえ、退職して米国本土に出稼ぎに行ってしまうのである。 確かに、島に行ってみると、人が少ない。どことなくガランとしている。活気がない。その地域の活気を如実に表すスーパーマーケットの棚に商品が少なく、空きスペースが目立つ。島民達はこんなに苦しい時代はかつて経験したことがないとボソボソとつぶやく。 ■193、世界にも類を見ない特殊な米国領、北マリアナ諸島A さらに驚くことに、サイパンは中国人だけでなく、ロシア人もビザなしで訪れることができる唯一の米国領なのである。中国と同様にロシアに対しても米国は入国ビザを簡単には発給しない。最近ではロシアの成金が自家用ジェット機でサイパンへ観光にやって来ることも珍しくはない。彼らにとっても、中国人同様に米国領は憧れの地であることは間違いない。我々日本人にとってはロシア人とアメリカ人との見分けが容易ではないが、言葉や雰囲気からどことなく分かるものである。 極めつけは、北朝鮮人に対しても入国が許されていることである。といっても、現実的には北朝鮮からダイレクトにサイパンにやって来る訳ではない。北朝鮮では金正日以外は自由に出国することができないからである。実際に訪れるのは日本に住んでいる在日北朝鮮人(国籍は北朝鮮)である。当然、朝鮮総連の連中も訪れていると考えてよい。 北朝鮮人に関する以下の出来事があった。今年(2007年)3月開催のタガマン大会で成田からサイパンに出発する時に、ノースウエスト航空(NW)サイパン便の機材故障のため、別機材のNW便でグアム経由サイパンへ飛ぶことになった。運悪くこのNW便にサイパンに行こうとしていた北朝鮮人が搭乗していたのである。当然、審査の厳しいグアム国際空港入管でトランジット手続きの時に発見されてしまい、NWはペナルティを取られたのである。この北朝鮮人もグアムに行く意思はなかった。NWが機材故障で急遽サイパンへ行く乗客をひとまとめにしてグアム経由にしてしまったのが原因である。この事実からも分かるように北朝鮮人もサイパン(北マリアナ諸島)へ入国しているのである。単なる観光目的とは思えない。 ■192、世界にも類を見ない特殊な米国領、北マリアナ諸島@ サイパン、ロタ、テニアンの北マリアナ諸島は中国人がビザなしで訪問できる唯一の米国領である。中国人のほとんどはこの事実を知らない。上海や広州や北京の成金たちがこの事実を知れば、挙って訪れるであろう。 中国人にとって、北京共産党政府が何と言おうが、米国は憧れの国、すなわち、美国なのである。しかし、例え観光目的の訪問でさえ、中国人の入国に関しては、米国は厳しく審査するので簡単に入国ビザを発給してもらえない。なぜなら、米国は中国とロシアを潜在的な脅威(敵国)と位置づけているからである。 ところが、北マリアナ諸島は米国領ではあるが、米国自治領という特殊なポジションにあるため、入国審査の自治権は北マリアナ政府独自が保有しており、米国連邦法に拘束されることなく、独自の判断で入国させる国を選ぶことができるのである。最近、米国はこれに相当の危機感を感じており、入国審査の自治権を北マリアナ政府から取上げようとする動きを強めている。 米国が中国を如何に警戒しているかを如実に表す以下の出来事があった。グアムのアプラハーバーからサイパン港に来た軍艦甲板上でグアムとサイパンの商工会議所のパーティが催された。この時、サイパン商工会会長からサイパン在住の一人の日本人がこの軍艦に招待された。しばらくして、その軍艦は皆を乗せたままサイパン港を離れ、グアム・アプラハーバーへ入港してしまった。この結果、この日本人は意に反してグアム(米国領)へ不法入国してしまったのである。他の人たちは皆米国籍だから何の問題もない。理由はどうあれ、アプラハーバーで逮捕拘留されてしまった。そして、数日間に亘って厳しい取調べを受けた。 その尋問内容は、彼が中国人スパイではなか?とか、他に中国人は乗船していなかったか?等々中国人に関する尋問だった。すなわち、中国人に軍艦の秘密が洩れていないかを懸念していたのである。グアムには米国の重要な軍事施設が集中しているため、他国のスパイやテロには常にハイレベルの警戒態勢を敷いている。結局、彼は日本の民間人と云うことが分かり釈放された次第である。ひとつ間違えば、彼は二度と帰ってくることはできなかった。 ■191、長期外国人労働者にグリーンカード授与か! 現在、米国議会で北マリアナ政府が保有している入国管理の自主権を取上げ、隣島グアムと同じように入国検査の厳しい米国連邦法を適用しようとする動きが強まっている。その為に、米国は、現在、北マリアナ諸島の法律で北マリアナ諸島に入国して働いている外国人労働者を米国連邦法に合致したポジションに前もってセットしておかねばならないのである。すなわち、これは彼らにグリーンカード(米国永住権)を与えるということを意味している。 ところが、その対象となる長期外国人労働者(5年〜10年間以上に亘って働いていることが条件)が約8000人もいることが判明した。この数の多さに米国議会は驚いたようだ。内訳は、フィリピン人約6000人、中国人約1300人、タイ人約350人、日本人約150人、韓国人約150人、バングラディシュ人100人、ネパール人100人等々である。現在米国上院委員会で彼らへのグリーンカード授与が審議されている。しかし、さすがの米国も過去にこれほど多くの外国人へ一時にグリーンカードを与えた試しがない。その為、結論がでるまでには相当の時間がかかるであろう。 グリーンカードとは、選挙権以外はアメリカ人とほぼ同様の権利を有する権利。特に、ビザとの違いは職業を自由に選択できるのが最大の利点である。これは正規に申請しても簡単に所得できるのもではない。だから、米国への密入国者が後を絶たないのである。これの取得を条件に、古くはベトナム戦争に参戦した日本人や韓国人をも含む多くの外国人がいたくらいである。現在では、それがアフガニスタンやイラク戦争に取って変わっているだけである。いつの世も、世界一豊かな国アメリカで自由に働きたい発展途上国の人間は多い。 今、北マリアナ諸島の長期外国人労働者にとって、グリーンカードが授与されるというこの度の話は降って沸いたような、願ったり叶ったりの夢のような話である。彼らは皆グリーンカードの授与を心待ちしている。 ■190、USアーミーは人気の就職先? 過去にも北マリアナ諸島の人々(チャモロとカロリニアン)は島内の景気が悪くなるとグアムハワイやアメリカ本土に職を求めて出掛けていくことは多々あった。我々日本人と違い彼らはUSパスポートを持っているので、アメリカ領であればアメリカ人と同じように自由に働くことができるからである。 ところが最近驚くべき現象が北マリアナで起り始めている。それは過去、米軍とは無縁だった民間人たちが米軍を就職口の一つに加えたことである。米軍予備役であったり、過去に軍で働いた経験のある人が軍に戻ることはあったが、軍に無縁だった民間人が金を得る手段として軍に入隊するということは皆無だった。 今、入隊するということは、戦地イラクに送られる可能性が高いと知っての上である。それも18歳や20歳という入隊適齢期の若者ならいざ知らず、兵士としては歳を取り過ぎた40歳や50歳を超えている人も入隊を希望しているという。そして皆一様に、ネイビー(海軍)やエアフォース(空軍)ではなく、アーミー(陸軍)への入隊を希望している。その理由は、米軍の中ではアーミーが一番条件が良い(給料が高く、除隊後年金も付く)という単純な理由からである。 米軍の方もイラクやアフガンの戦争で兵員が不足しているという理由から、これまでにない好条件で兵隊の募集を行なっている。ちょうど今、北マリアナは景気が悪く島民たちはどこかで働かなくてはならないときている。幸か不幸か、時代の流れが双方の利害に合致したのである。「背に腹はかえられぬ」ということだ。 折りしも、先週木曜日(2007年5月17日)にテニアン出身の若者がイラクで戦死したというニュースが届いた。 ■189、どうなる入国管理の自主権 以前から米国連邦政府内に北マリアナ諸島から入国管理の自主権を取上げ、連邦法を適用しようとする動きはあった。ここに来て、いよいよ現実味が増してきた。来月(2007年6月)初めにはワシントンDCから派遣された内務省の役人と北マリアナ政府との間でミーティングが持たれることになっている。 特に、2007年初めにサイパン最大の縫製工場(経営者は華僑)が閉鎖されてからは、そこで働いていた多くの中国人が帰国せず、不法滞在者として居残っているのが問題になっている。工場側は帰りの航空券を労働者に用意しない。労働者は航空券を買うお金がないときている。これでは不法滞在するのは当たり前である。しかし、現在、彼らがサイパンで犯罪を犯してる訳ではない。 米国は中国に対して非常に危機感を持っているので、この多くの中国人不法滞在者の存在が自主権を取上げの直接の引き金になったのかも知れない。 入国管理に連邦法が適用されると、グアム入国管理局と同様の扱いになる。すなわち、これまでのようにフィリピンやバングラデシュや中国からの賃金の安価な労働力は雇えない。そうすると経済活動は一気にスローになる。観光産業に及ぼす影響は大きい。人手不足で閉鎖するホテルも出てくるであろう。日本人や韓国人にしても、現在のように簡単に就労ビザを入手して北マリアナで働くことができなくなる。また、北マリアナ諸島での現地法人設立も現在のように簡単にはできない。リタイヤメント・ビザの発給もできなくなる。このように経済的なデメリットは計り知れない。 当然のこととして、北マリアナ政府は連邦法適用に反対を表明している。しかし、驚いたことに、島民の中には適用を望んでいる声も聞こえてきている。その原因を聞くと、不法滞在の中国人がサイパンで出産するとその子供は米国市民権が与えられ、その両親も滞在が認められてしまうからである。現在の中国人の不法滞在を一掃するには連邦法適用以外にはないと言う。 ■188、コーヒーの木 あまり知られていないがサイパンのタポチョ山には今もコーヒーの木がジャングルの中にひっそりと自生している。これはかつての日本統治時代(1914〜1944年)に栽培されていたものが野生化して生き残っているものである。 日本統治時代には年間200〜300トンものコーヒー豆の収穫があったそうだ。現在では、これらをヒントにサイパン在住米国人チャールズ・ジョーダンさんがタポチョ山中腹で千本ほどのコーヒーの若木を栽培している。これらの若木は2001年にハワイから取り寄せて栽培しているものである。そして、僅かだが2007年に初めて実をつけた。しかし、商品として販売できるほどの量には至っていない。 2006年12月頃からサイパンのスーパーマーケットなどでお土産として売られている「サイパン・コーヒー」はサイパン産の豆ではなく、輸入豆をジョーダンさんが焙煎して卸しているものである。将来的にはサイパン産のコーヒー豆100%を焙煎して卸したいというのがジョーダンさんの計画である。 また、ロタでもコーヒーの木がガガニ辺り(ガガニ・フルーツ農園の辺り)のジャングルの中に自生している。これもサイパンと同じく日本統治時代の名残である。ずっと以前から地元の人の中には自分で飲む分のコーヒーを自ら栽培している人もいる。これは日本の農家が自分の家で飲むお茶を自宅の庭先で栽培しているのと同じ感覚である。 ロタの場合はサイパンに比べてコーヒーの栽培に適している。なぜなら、コーヒーの木の生育に必要な土壌の層がサイパンよりロタの方が厚いためである。サイパン・タポチョ山の土壌の層は特に薄い。元々、サイパンもロタも珊瑚が隆起した島であるため、土壌の層は火山島ハワイとは比較にならないほど薄い。 今(2007年)、ロタでもコーヒー栽培プロジェクトの計画がある。ロタ産100%コーヒーが飲める日が来るかもしれない。 ■187、変り行くサイパン 近年、サイパン島における日本の影響力が大きく変ろうとしている。いや、すでに相当部分が変わってしまった。かつては、日本とサイパンは非常に密な関係にあった。それを揶揄して、日本国サイパン県と呼ばれていたほどであった。 かつては観光客のほとんどは日本人で占められており、さらに、サイパンへの投資のほとんども日本からのものであった。当然、大部分のホテルは日本資本で建設されていた。しかし、近年はその様相が大きく違ってきた。2000年頃から日本資本はサイパンから徐々に撤退を始めた。その極めつけは、2005年10月のJAL便のサイパン路線からの完全撤退である。現在(2007年)ではノースウェスト航空1社だけが成田と名古屋から運行しているだけである。日本第2位の大都市大阪からの便すらないのである。それに応じて、日本人観光客も減少している。さらに、2007年9月からは成田線がジャンボ機から297人乗りの小さい機材に変更されるので、さらに減少することは間違いない。 日本に変わってサイパンでの影響力を強めているのが韓国資本と中国資本(正確には在サイパン華僑資本)である。現在(2007年)、日本資本のホテルは少なくなり、華僑資本や韓国資本へ売却されてしまった。かつては日本資本であった「グランド・ホテル」や「第一ホテル」(現フィエスタ・ホテル)は華僑資本に、「ダイヤモンド・ホテル」(現ワールド・リゾート)は韓国資本にそれぞれ買収されている。 韓国資本のサイパンへの投資額は近年急激に伸びている。昨年は買収した「ワールドリゾート」を全面改装し、バックヤードには大規模な水の遊園地「ウォーターワールド」を造った。さらに、今年に入って華僑資本が所有していた「ラウラウベイ・ゴルフ場」を買収した。一方、華僑資本は買収した「グランドホテル」を改装してカジノを作ろうとしている動きがある。これらの活発な動きに反して、JAL所有の大規模ホテル「ニッコー・ホテル」は売りに出されているという有様である。まもなく、どちらかに買収されるだろう。 これらの一連の動きに対して、親日の地元チャモロ人たちは非常に寂しく感じているのが現状である。 ■186、チャモロの厳しい「決まり」 南の島特有のゆる〜い感じで暮しているチャモロ人には厳しい「教え」や「しきたり」や「決まり」などはまるでないように思えるが、それは違う。絶対的に守られている厳しい「決まり」や「しきたり」が日常の生活の中に根付いている。 例えば、それは今の日本では薄れてきた感がある“目上の人や年長者を尊敬する、または、尊重する。”というもの。これは、家族の中ではもちろんのこと、学校、職場、全く知らない人に対してまでそうである。こういう考えがベースになり、一見気楽に見えるバーベキュー・パーティやビュッフェ(バイキング)方式のようなパーティーでもチャモロ人の決まりごとがしっかりと根付いている。 チャモロ・パーティの「決まり」では、ゲスト(お客さま)がまず最初に食べる。ビュッフェ方式で料理をとる列にも最初はゲストしか並ばせない。これは「チャモロ・ホスピタリティ(お持て成し)精神」に因るものである。その次が年長者であるお年寄りだ。そして、その次が子供たち、大人は最後か、その場では手をつけず食べない場合もある。 そんな場面で、“一緒に食べようよ。”と言っても、大人たちは“大丈夫だから、気にしないで。”とか“今、おなかはすいていない”とか言ってひたすら給仕や世話に徹している。例え子供でも、“おなかすいたよ〜”と駄々をこねるとか、まっ先に並んでしまう・・・ということは決してない。大人達も“子供だから・・・”とか、“泣いているから・・・”と言って甘やかす態度は全く見られない。しかもそれが誰一人“そうさせられている・・・”という感じではなく、ごく自然にそうしているのである。これにはいつものことながら感心してしまう。 もしも決まりを守れないものがいたらどうなるか・・・子供なら大人にこっぴどく叱られる。大人なら、簡単である。“もう二度とよんでもらえない”のである。 チャモロ人の最も大事にしている考え方は“Respect”(尊敬、敬意、尊重)である。今の日本では忘れられてしまったような考えをチャモロ人は生活・文化の中に根付かせている。 ■185、マリアナの卵事情 日本では栄養価も高く、比較的安く、新鮮な卵が簡単に手に入る。北マリアナ諸島でも、卵は朝食によく食べられており、値段も1ケース12個入って$1j.50k〜$2j位というお手頃価格で売られている。但し、新鮮か、というと、そうでもない。 マリアナには、養鶏をしている人はいるが、その目的は鶏肉や卵を得るためではなく、ほとんどが、闘鶏用としてである。もちろん、自分達で食べる分くらいを獲る時もあるが、出荷したりすることはないので、一般には流通はしていない。それでは、マリアナのスーパーマーケットではどこの卵が売られているのかというと、アメリカからコチコチに冷凍されて輸入されたものだ。 買う時は、紙パックを開けて卵の状態を確認して買わなくてはいけない。パックの中で潰れていたり、ひどい時は腐っていたりもする。そして、何故か、数も12個入っているはずが、何個か入っていないこともある。バラ売りはしないはずなのに・・・足りない!こんな時、買ってしまった後からお店に持って行ってもほとんど取り替えてもらえない。店員に「中にはそういうのもあるんだから、ちゃんと見ないで買ったのが悪いんじゃ〜ん」と言われるのが関の山である。 冷凍された卵でも食べるのには何ら問題はないが、解凍しても“卵かけご飯”には、ちょっと・・・遠慮したいという感じである。その所為かどうか知らないが、チャモロ人は卵を生で食べる人はほとんどいない。 そんな中、昨年(2006年)、マリアナ初の“たまごかけご飯”が食べられる、新鮮な卵が登場したのである。それはテニアンのメイヤー”ジョセフ・サンニコラス”がサイドビジネスとして、自分のファーム(農場)で獲れた卵をきちんとパック詰めして売り出したのである。これはマリアナでは画期的な出来事である。しかし、数量が少ないため、テニアン島内のスーパーでは売っているが、残念ながら、他の北マリアナ諸島(ロタとサイパン)では売っていない。その味は通常の冷凍卵とは全然違う。テニアン卵は白身はプリプリ感があり、黄身の色も鮮やかで、割ってもこんもりと盛り上がっている。食べてみても、冷凍卵より、味が濃く、卵本来の甘味がある。かたゆで卵にすると、ホクホク感が幸せという感じだ。やはり、卵は新鮮なものが一番である。 因みに、チャモロ語で卵は「Chada」と言う。 ■184、バーベキュー奉行 日本では「鍋奉行」という言葉がある。それに似たようなもので、北マリアナ諸島には「バーベキュー奉行」がたくさんいる。すなわち、バーベキュー(BBQ)の「下ごしらえ」から「焼き」までを取り仕切る人のことである。特に、「下ごしらえ」の下味付けは、その家なりの丸秘のものがあり、滅多に口外はしない。 そして、次にうるさいのが「焼き」である。この焼きは完全に男の仕事で、女は絶対に手を出せないことになっている。女性がちょっと手を出そうとするものなら、本気で怒られてしまう。その訳を聞くと、「火が危ないから」とか「男の仕事だから」とか「肉は女が焼くと不味くなるから」等々、どれもイマイチまともな答えにはなっていない。とにかく、昔からBBQには女が手出しをしてはいけないのである。理由など要らないのである。 そして、チャモロ男性は自分で焼いたBBQがお客さんや家族から褒められると、誇らしげで嬉しそうである。でっぷりとした風貌に似合わず可愛いBBQ奉行である。「焼き」の基本は炭火でじっくり焼くこと、また、チキンの場合は適度に皮を切り落としてから焼く---皮の残存率はポイントで、多過ぎても、少な過ぎてもいけない、部位によって微調整する。こんな所にも各々コダワリがある。---こと等々である。 そして、男の子が大きくなると、大人の男の仲間入りとして、BBQの「下ごしらえ」から「焼き」までを覚えるのである。BBQがちゃんと作れないと、チャモロ社会では一人前の男として認めてもらえないのである。女性は、むしろ、BBQの時は何もしなくても美味しいBBQが食べられるのだからお得かもしれない。 しかし、最近のサイパン島のアメリカナイズされた若い子たちはチャモロ風のBBQは焼けなくなっているのが現状である。これはあの絶品のチャモロ風BBQ文化の危機である。 ■183、マリアナ諸島の恐怖 サイパンの北方約120kmの海上にアナタハン島(面積33平方km)という火山島がある。太平洋戦争末期、この島にいた一人の女性を巡って31人の男たちが殺しあったという「アナタハンの女王」で有名な島だ。この島は2003年5月に初めて噴火した。それ以前には噴火を観測されたことはなかった。 アナタハン島が北マリアナ諸島の島民を大パニックに陥れたのが、2005年4月6日の大噴火である。この時の噴煙が風に乗って南下し、約4時間後にはマリアナ諸島全域(サイパン、テニアン、ロタ、グアム)にまで達した。 その日はいつも見られる筈の強烈な日差しは遮られ、黒い噴煙が島に覆い被さり、昼間なのに島中が薄暗くなった。これには流石に普段はのん気な島民達も恐怖を覚え、大パニックに陥った。このような経験は初めてだったので、直後はその原因が分からず、巨大な怪物が覆い被さっているようで怖かったという。そして、空からは火山灰が一日中降り注いで家や道路や車の上にも雪のように積もった。火山灰独特の臭い臭いが一面に立ちこめ、これにも有害ガスの恐怖を抱いたという。因みに、アナタハン島は成田ーサイパン線の飛行機から肉眼で見ることができる。 最近では2007年2月26日にも噴火を起こし、その日はマリアナ諸島全域がスモッグに覆われた。当初は、いつものようにアナタハン島から運ばれてきた噴煙であると発表されてた。しかし、その数日後に、その報道は覆された。 グアムにある気象観測所の調査結果で「アナタハン島の噴火も事実だが、その時、マリアナ諸島を覆ったスモッグは遥か北方の中国方面から風に乗って運ばれてきたものである。」と発表した。すなわち、中国の工場から排出されるスモッグが遥か彼方の太平洋上のマリアナ諸島まで運ばれたことになる。これには驚きで、今後、マリアナ諸島にとってはアナタハン島の噴火よりも遥かに大きな恐怖となるであろう。 ■182、水不足に悩む北マリアナ諸島 今年(2004年)は日本と同じく北マリアナ諸島も異常気象が起こっている。例えば、台風の発生が例年と比べて非常に多すぎる。一般的に、北マリアナ諸島では、乾季は1月から4月まで、雨季は7月〜10月までとなっており、それ以外の月は中間期と考えられている。しかし、これは過去の標準データの統計結果であって、乾季にも予想を超えるほどの大雨が降ったり、雨季に極端に雨量が少ないこともあり、100%は当てにはできない。特に、最近では地球温暖化によるものだろうと思われるが、過去のデータや観念は役に立たなくなっている。 しかし、ここは熱帯地方であり、乾季でもスコールも多く、年間通しての降雨量は約2000mmもあり、日本と比べたらかなり多いので。因みに、日本の場合は年間平均降雨量は約1200mm〜1300mmといったところである。これだけ多量の雨が降ってもマリアナ諸島では水不足に悩まされてい。雨季の時期はそうでもないのだが、乾季の終盤にはストックが少なくなり深刻な水不足から節水対策が実施され、給水制限による断水が多々ある。 水不足の主な原因は2つある。先ずひとつはこれらの島の地質にある。これらの島はさんご礁の隆起でできており、水はけが良すぎて、雨水を蓄えることができる規模の川や池がないのである。サイパンとロタには溝のような小川が2〜3本ある程度で、テニアンにはそれさえもない。池に関しては、サイパン島にススペ湖(面積約5平方km)という池?が一つあるが、その水には塩分が少し混じっており、飲み水としては使えない。テニアンには池とは呼べない小さな沼地のようなものがあるだけである。ロタにはどんな池もない。 他の原因は、水を送る配水管の漏水によって供給量の約40%が地面に吸い取られてしまうのである。大部分の配水管は終戦時に米軍が埋めたもので、60年間に相当老朽化しており、CUC(Commonwealth Utility Corporation/電気と水道を供給している役所)も修理はしているのだが、完全に取り替えるまでに至っていないのである。 今以上に人口が増えたら、海水の淡水化を真剣に考えなければならなだろう。現在の異常気象で降雨量が激減すれば、おしまいである。 ■181、自然災害と陽気な島民 マリアナ諸島(ロタ、テニアン、サイパン、グアム)は台風と地震の多い海域と言っても過言ではない。台風の影響は大なり小なり毎年受けている。というのは、これらの地域は台風の生まれる海域なのである。日本にやって来る台風のほとんど全てがこの海域で生まれた台風なのである。 しかし、毎年直撃による大きな被害を受けるというわけではない。かつては約10年に一回くらいの割合であったが、ここ数年はその周期が短くなり2〜3年に一つくらいの割合で大きなものが直撃するようになってきた。おそらく、地球温暖化による気候変化の影響であろう。ところが、これらの島々の人たちは台風で家が壊れたり、車が飛んで行ったり等々、ひどく痛めつけられても、なぜか深刻さは無く、普段と変わらず陽気なのである。日本の場合とはその点が大きく違う。 おそらく、それには暖かい熱帯性気候が大きく影響しているように思える。日本では、被災直後に飲料水が不足したり、食べ物が足りなくなったり、風呂やトイレが使えなくなったり等々の深刻な問題に直面する。しかし、これらの島々ではジャングルに入れば、イモ類やフルーツを入手でき、海に行けば誰でも簡単に魚を得ることができる。水は頻繁に派生するスコールから得ることだできる。また、年間通して寒くはないので、屋外でも寝ることができる。さらに、元々インフラが貧弱だから、その後の復旧も比較的簡単である。これらが彼らを精神的なダメージから救っているのである。これまでも何とかなってきたのである。 地震については、記憶に新しいものでは1993年にグアムで巨大地震が発生した。その時、グアムとロタが被害を受けた。一瞬にして、グアムにあるほとんどのホテルが壊滅状態になった。例えば、8階建てのホテルが1階部分が押し潰されて7階建てになってしまったとか等々。その保険金支払いが原因でイギリスの保険会社が倒産したくらい大きなダメージであった。さらにその2〜3年後に再度大きな地震が発生した。しかし、地震で大きなダメージを受けるのは外国資本の巨大ホテルであって生活様式のシンプルな島民にはあまり影響を及ぼさない。 これらの島々で人々にとって最も怖いのは台風や地震ではなく巨大津波なのである。これは海岸付近に暮らしている島民たち村ごとを一瞬にして海に引きづり込んでしまう。津波(英語でもTSUNAMIと言う)は彼らにとって最大の恐怖なのである。 ■180、1980年代の記憶 今では、コカコーラと云えば、ペットボトルに入って売られているのが一般的である。しかし、北マリアナ諸島には古典的な昔懐かしいコカコーラのオブジェがある。それは今ではほとんど見ることができなくなったもので、栓抜きで開けて飲むタイプの瓶入りコカコーラの宣伝用オブジェである。これはマリリンモンローのナイスバディをイメージして作られたと言われているもので、その当時は世界中で非常に人気があった。 その大きさは、大きいもので高さ3mほど、小型のもので1.5mほどもある。セメントで作られているのだが、非常に精巧で、よく冷えたビンの表面に付く水滴までもがリアルに表現されている。それがどこにあるかと云うと、紫外線や風雨にさらされる道端にあるのである。サイパンでは飛行場からガラパンに行く途中の道端やチャランカノア地区のジョウテンショッピングセンター近くのビーチロード沿いに展示してある。テニアンではサンホセ村のブロードウェイ沿いにある。ロタの記憶は、ちょっと定かではない。 瓶入りが主流だった頃、すなわち、ペットボトルが出現する以前のものだから約20年前から置いてある計算になる。その割には風化していない。芸術的にさえ思える。そう考えると、これを作った人が誰なのか、また、なぜ今も未だ置いてあるのか、非常に興味が湧いてくる。さらに、緑色の瓶入りスプライト・バージョンやオレンジ色のミリンダ・バージョンもある。 ■179、北マリアナ政府VS米国議会 以前から米国議会は北マリアナ政府が持つ入国管理権を取上げようとしてきた。その理由は、米国が単純労働者として入国を認めていない中国人、バングラデシュ人、フィリピン人などを安価な労働力として、北マリアナ政府が彼らに入国ビザを発給してしまうからである。 我々観光客が目にするホテルやレストランの従業員はほとんどがフィリピン人出稼ぎ労働者である。また、島の基幹産業である縫製工場で働いているのは中国人女性、ファーム(農場)で働いているのはバングラデシュ人男性が一般的である。 北マリアナ諸島は米国領ではないが、米国の自治領である。この場合の自治領というポジションは、外交と防衛に関する権限は全て米国にあり、現地住民(チャモロやカロリニアンなど)は米国籍であり、医療・教育等は米国の制度に守られている。しかし、出入国管理と労働法は米国の法律に縛られないというものである。このような立場にある北マリアナ諸島は米国の領土のような、また、独立国のようなユニークな存在なのである。 これに対して、隣の島であるグアム島は米国領である為、入国管理権も米国政府が完全に握っている。だから、これら三カ国の国民へは特別の場合を除いて入国ビザは発給されない。今、米国は中国を仮想敵国と考えており、また、バングラデシュはイスラム圏ということもあり、極力、自治領である北マリアナ諸島には入国させたくないのである。 北マリアナ諸島からグアムは目と鼻の先にあり、小型ボートさえあれば、容易に密入国ができるのである。過去に数千人の中国人密航者がグアム当局に捕まっている。1999年には約1000人もの中国人密航者が捕まっている。そして、首尾よく密入国に成功した者は、偽造パスポートを入手して、米国本土へ渡っていくという現実がある。 先月(2007年1月)、米内務省島嶼委員会副委員長デイビッド・コーヘン氏がサイパンにやって来て、商工会議所で講演を行なった。その中で、今後も米国の利益に反する入国ビザ発給し続けるならば、北マリアナ政府が持っている出入国管理権を米国連邦政府が取上げると力説した。これを取上げられてしまえば、北マリアナ諸島の労働力は不足し、経済活動は停止してしまう。 これまでののらりくらり戦法が通じなくなってきたように思える。ぼちぼち、経済システムを変革すべき時期に来ているのかもしれない。 ■178、ローカル・バナナのうんちく ローカル・バナナとはマリアナ諸島に生るバナナのことで島バナナとも呼ばれる。バナナという名前は同じでも、日本に輸入されている台湾バナナやフィリピン・バナナとは全く別のフルーツと思ってもよいくらいである。 大きさはモンキー・バナナを少し大きくした程度のものが一般的だが、モンキー・バナナとは味も形も違う。味は、水分が多く、粘り気があり、甘味も酸味も強く濃厚である。香りも強い。一口で言うと「これがバナナ?」と思うくらい日本にあるものとは味や食感が違う。 その形は楕円形に近い形をしており、丸っこい感じである。皮は薄く、1mmくらいである。成長が止まると、青い状態で取って、しばらく、木陰に吊るしておくと黄色く食べ頃になる。中には、皮が自然と裂けて中身がはち切れて見えているものがある。これは格別に美味い。ローカル・バナナも街のスーパーなどで売られている時があるので、見かけたら買って試してみると良い。 島民たちは皆、自分の家で食べる分ほどしか栽培していない。マリアナではフルーツや農作物に農薬を一切使わない。当然、バナナも無農薬栽培のため、生産量は少なく、島内で消費されてしまい、輸出はされていない。だから、日本ではそれを口にすることはできない。 大きな台風が来ると、バナナの樹は倒れてしまい、その後、数ヶ月間は島にはバナナがない状態が続く。バナナの樹は「木」というよりも「草」に近いため、折れ易い。日本にある「芭蕉」と同じ種である。そして、一度実を付けたら、その樹は枯れてしまい、次に同じ株から新芽が伸びてくる。 食べ方としては、そのまま食べる以外に、バウンドケーキ、アイスクリーム、ジャム、バナナチップ等々に加工する。バナナチップに関しては、輪切りではなく、繊維に沿って縦切りにする。だから、細長い楕円形をしている。パリパリとした食感で、輪切りチップと違う。甘くて、美味いので、お土産として非常に人気が高い。 バナナの大きな葉っぱも日常生活に上手く利用されている。魚や肉を包んで焼いたり、蒸したりなどする時に使う。また、お皿やテーブルクロス代わりに使うことも多い。 この他にバナナの皮の特性を利用したおもしろい利用法がある。それは、BBQを焼く時に、熱く焼けた網に肉がくっ付なないようにバナナの葉っぱで油代わり網を擦るのである。そうすると網に肉がくっ付かずに上手く焼ける。これはバナナの葉っぱでないとダメなのである。経験から学んだのだろうが、何でそんなことが分かったのだろうか? これとは別に調理用バナナというものがある。これは青くて、大きくて、硬くて、皮が分厚い。黄色く蒸らしても、そのままではアクが強くて食べられない。青い硬いバナナの皮を剥いて、ココナッツミルクと一緒に炊いて食べる。バナナの酸味が少しあって、もっちりした食感で非常に美味い。これは地元の代表的な家庭料理で、街のレストランではメニューに載っていない。 ■177、北マリアナ諸島政府の財政事情 2006年度の政府予算の歳入総額は、米国からの援助も見込んで1億6200万ドルだったが、今月(2007年1月)、フィティアル知事から2006年度の歳入が580万ドルも予算より少なくなると発表された。その原因は、2大主要産業である縫製業と観光産業の不振である。因みに、北マリアナ政府は米国連邦政府から年間600万ドルほどの援助を受けている。 縫製業は、2001年12月に中国がWTO(世界貿易機関)に加盟した影響で、徐々に安価な衣料が中国から米国本土に入るようになってしまった。これまでは中国人出稼ぎ労働者を中心とした安い賃金を武器にサイパン・メイドの衣類が米国本土を席巻していた。それ(中国人出稼ぎ労働者を使うこと)がフェアではないということで、米国議会で何度か問題になった時期が過去にはあった。しかし、そんなことは今は昔である。 さらに、もうひとつの主要産業である観光産業の不振は、一昨年に日本航空のサイパン路線からの完全撤退で観光客が激減したことにある。現在(2007年1月)日本からサイパンへの直行便はノースウェスト航空の1社だけである。さらに悪いことに、昨年秋には、ノースウェスト航空も関西空港(大阪)発の便を取りやめてしまった。大都市大阪からの便がなくなってしまったのは痛い。これでサイパンへの日本人観光客はぐっと減少してしまった。 KFC的には観光業の衰退は海の汚れに全ての原因があると考えている。日本航空が撤退したのも、今日の海の汚れにサイパン観光業の将来は暗いと悟ったからではなかろうか。 やはり、南の島のビーチリゾートには青く透き通った海が必要不可欠で、それがなければ魅力はない。我々と違って、一般観光客にとっては近場の南の島ならサイパンでもグアムでもどちらでもよいのである。強いて、サイパンにこだわる人などいない。そうなると、アクセスが便利なグアムに行く。 今後、縫製業の復活は望めないが、観光産業の復活は可能である。海を一昔前の綺麗な透明の海にすればよいのである。「やる時はやるチャモロ人」のチャモロ・パワーに綺麗な海の復活を期待したい。その為に何をするべきかは彼らも知っている。彼らならその気になりさえすれば数ヶ月で可能である。一刻も早くその気になって欲しいものである。 ■176、チャモロ版ファーストフード 現地チャモロ人にもファーストフード、特にマクドナルドは人気があるが、チャモロ版ファーストフードというものがある。スーパーマーケットや商店のレジ横に置いてあり、誰でも手軽に買うことができる。ほとんどのものはその店で作って売っているものではなく、近所のおばちゃんなどが作って、店に卸して売っている。 値段はほとんどのものが1ドルで、ちょっと高くても3ドルくらいである。これは我々日本人が一番手軽に食べることができる本物のチャモロ・フードと言えるだろう。レジ横に置いてはあるが、日本で言う保健所の許可が必要で、衛生面の管理はしっかりとなされている。製造日の表示も義務付けられており、衛生管理は厳しい。味も美味しくなければ売れ残ってしまうので、気取った処で食べるよりも美味しいかも知れない。但し、買う時は製造日のチャックは忘れずに。 【ビビンカとプト】 米粉にヤシ酒(トゥバ)を加えて星型にして蒸したものがプトと呼ばれるもので、丸く薄く延ばしてフライパンで焼きあげたものがビビンカと呼ばれる。ほのかに甘く、柔らかく、もっちりして美味い。材料は同じだが、料理の仕方で食感が違ってくる。ビビンカは丸めてラップに包んで売られていることが多い。チャモロ版ホットケーキと云ったところ。プトは日本の三角蒸しパンに少し似た食感で、外見は真っ白、プラスチック皿にのせてラップで包んで売られている。 【ティティダス】 小麦粉にココナッツミルクと砂糖を加え、丸く薄く延ばして焼いたもの。食感はビビンカよりも硬い。そのままで売られている場合と、チキン・ケラグェン(チキンを食べやすい大きさに切り、軽く湯通しをする。そして、レモン汁とタマネギのスライス、または、みじん切りを加え、よくかき混ぜる。次に、お好みで塩、黒コショウ、ホットペッパー、醤油で味を整え、さらに、お好みでココナッツの果肉を細かく刻んで混ぜたもの)を巻いて、クレープのようにして売っている場合とがある。 【エンパナーダ】 揚げお焼き、または、揚げ餃子の親分みたいなもので、掌くらいの大きさがある。中身の具は甘いパパイヤジャムやあんこを入れたものと、野菜とひき肉の炒めたものを入れたものとがある。チャモロ人には人気の一品である。 【巻き寿司とチャモロ弁当】 日本の巻き寿司とほとんど同じだが、細身で具が少し違う。スパム(現地ではポプラーな缶詰ソーセージ)、卵焼き、紅生姜、たくわん、キュウリ等々が巻かれている。我々KFCは、時間のない忙しい時の昼飯はいつもこれに決めている。これを車の中でかぶりながら移動する。 チャモロ弁当はチャモロ人の典型的な朝飯弁当と云った感じで、フライド・ライス(焼き飯)かガーリックライスにスパムかチャモロ・ソーセージの焼いたものが入っている。それにスクランブル・エッグとパパイヤの漬物が付いている。シンプルだが、これがまた美味いのである。値段は3ドルくらい。少し時間に余裕がある時は、昼飯にこの弁当を買って、お気に入りのビーチに持って行って食べる。ちょっと贅沢な?昼飯である。 【各種漬物】 レジ横に大きなビンに入って漬物が数種類並べられている。漬物のことはチャモロ語で「ココ」という。これは日本統治時代の名残で「香香(こうこう)」のことである。関西では漬物のことを「こうこ」と呼ぶ。 代表的なものは、青い(若い)パパイヤをスライスしたパパイヤ漬物、小さい青い(若い)マンゴーの漬物、キュウリの一本漬物、大根をスライスした漬物の4種類である。日本の感覚では、パパイアやマンゴーはフルーツであって、熟する前に収穫して漬物にするなんで思い付かない。 それらの味付けの基本は酢と唐辛子で、その他ニンニクを加えたりして、それぞれ作る人の秘伝の味付けがしてある。そして、食欲をそそる為か、ほとんど黄色かオレンジ色に色付けがしてある。驚くことに、この色素の元は粉末ジュースなのである。そして、この粉末ジュースの甘味が絶妙の味を醸し出しているのである。ちょっと変った処では、ゆで卵の漬物がある。 買い方は、グラムの計り売りもできるが、「1ドル分で」という買い方もできるので、気軽に味見をしてみるとよい。特に、パパイヤの漬物はパリパリして絶妙である。ビールのつまみに持って来いという人も多い。 その他、唐辛子入りのピリッと辛い太いチャモロ・ソーセージやチーズバーガーやサンドイッチと云ったものもある。 ■175、総合格闘技ブーム到来! 2006年頃からマリアナ諸島でも格闘技ブームが起っている。サイパンではそれを「K−1」と呼んでいる人もいるが、立ち技だけの格闘技「K−1」ではなく、寝技もOKの「プライド」と同じ総合格闘技である。このブーム、最初はグァム島で火が点き、それが北マリアナ諸島へ広がってきたものだ。 サイパンでは「サイパン・ワールド・リゾート」等々のホテル大広間に特設リングを設置して開催している。そして、それを観るために、島中から若者を中心とした男女がたくさん集まってくる。サイパンのどこのこれほどたくさんの若者がいるのか?と思うぐらいである。また、ビーチサイドで若者達がキックボクシングのミット打ちをやっていたり、駐車場で突然シャドウボクシングを始めたりする光景に出くわす。以前には、そんなこと全くなかった。また、テニアンでも「テニアン・ダイナスティ・ホテル」のロビーに特設リングを設置して総合格闘技の試合をすることがある。 現地TVでも総合格闘技番組が放映されている。選手はグアムにいる米軍人と現地人のチャモロ人がほとんどである。その試合内容は力まかせに太い腕をブンブン振り回すだけで、ノーガードで打ち合っている。運悪く、先に当たった方が倒れるというパターンである。テクニックと呼べるようなものはない。キックも少ないし、寝技になっても関節技はほとんどない。でも、喧嘩を見ているようで、それはそれでおもしろい。 ■174、迫り来る地球温暖化の脅威! 地球温暖化による海面上昇の影響が北マリアナ諸島にも確実に押し寄せてきている。海岸線の侵食が目に見えて進んでいる。2ヶ月前(2006年10月)にマイクロビーチにあるコンクリート造りの遊歩道が波に浸食されてしまった。その傍に建っているトイレが侵食されるのも時間の問題だ。頭では理解できていても、これを目の当たりにした島民たちの不安は大きいようだ。 また、テニアンでもタガビーチの背後にある高さ10m位の崖上の陸地に車一台がすっぽりと入る位の大きい陥没穴ができた。これは陸地の下にあった砂を海水が下から浚ってしまった為に起った現象と考えられている。標高が1m程度のマイクロビーチは海面上昇が起これば侵食されることは容易に想定されたが、テニアンのような形での侵食は想定外だった。これには島民たちも非常に衝撃を受けた。過去に幾度となく大きな台風や悪天候があったがこんな形(高い場所での陥没事故)での海岸線の浸食はなかった。かつては起り得なかった現象である。小さな島に住む人にとっては陸地が海に沈んでいくことはたいへんな脅威である。 サイパン島のフィリピン海側を走るビーチロードに沿ってコンクリート造りの頑丈な遊歩道が約5kmに亘って建設されている。しかし、これは遊歩道というのは二次的なもので、海面上昇から海岸線を守るの防波堤として造られたものである。 グアム島タモン湾内の「フィエスタ・リゾート(元第一ホテル)」沖にヤシの木や緑の低木が生えていた小島(周囲数十m、標高1m程度)があった。しかし、近年の海面上昇により地下水(フレッシュ・ウォーター・レンズ現象)が消滅し、草木が枯れ、今では珊瑚の岩島になっている。そのため、今では「ロック・アイランド」と呼ばれている。それはここ数年間の出来事である。現地で配布されている観光局監修「グアム・アイランド・ガイドマップ」には、未だにその小島に緑のヤシの木が描かれている。その気持ちは分かるが、早急に訂正した方がよい。今は昔である。復活は有り得ない。 因みに、その小島はNHKの一昔前に大ヒットした人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島といわれている。 ■173、メイド事情 「お手伝いさんがいます」とか、「ベビーシッターがいる」というと、日本ではちょっとセレブなお金持ちという風に採られ勝ちだが、北マリアナ諸島ではそうでもない。それは島民であるチャモロ人の人口の少なさに起因している。外国からの出稼ぎ労働者の労力がないと北マリアナ諸島の経済活動は立ち行かないのである。 だから、そんなにお金持ちの上流家庭でなくとも、普通の一般家庭でも、メイドを雇っている。メイドは、主にフィリピン人の女性で、男性の使用人はフィリピン人か、バングラデシュ人である。男性は農作業もするので、ファーマーともいわれている。賃金は時給$3.05の北マリアナ諸島の最低賃金である。雇用形態は通いの者もいるが、一般的には住み込みになっている。 仕事の内容は、各家庭によりまちまちだが、女性は掃除、洗濯、食事の支度などの家事全般を行なう。これに加え、赤ちゃんや子供の世話、さらに、ちょっと変った習慣だが、入浴後の主人の身体を拭いたりもする。男性は主に力仕事を中心に家のこと、農作業、バーベキューの炭の準備などをする。 このように家庭生活を支えているのは、メイドであるといっても過言ではない。待遇も様々で、住む部屋は個室を与えられ、食事は家族と一緒に摂る家もある。もちろん、そうでない家もある。だが、米領グアムではビザの関係で、外国人労働者のメイド雇用の習慣はない。 ■172、フリーダム・エアー 現在(2006年12月)、サイパン〜ロタ間とサイパン〜テニアン間を就航しているエアラインは「フリーダム・エアー」という航空会社1社しかない。本社はグアムにあり、オーナー社長はチャモロ人である。 サイパンからテニアンへは5人乗り程度のセスナ機(通称ハエ)が一日に15便ほど就航している。また、テニアンへはサイパンからフェリー船も運航しているため、それほど不便は感じない。しかし、船便のないロタは、フリーダム・エアーが唯一の生命線となっている。約30人乗りの機材が朝1便と夕方1便の計2便、サイパンからロタを経由してグアムに就航している。だから、サイパンからロタに行くには、この便に乗る以外に手はないのである。 地元の人と違って、我々日本人の観光客が利用するには非常に不便である。なぜなら、日本から航空券の予約ができないのである。当然、日本の旅行代理店はフリーダム・エアーの航空券は取り扱っていない。形式上ウェブサイトもあり、そこからインターネットで予約ができるように見えるが、その実、これが曲者なのである。事情を知らない日本人は騙されてしまう。フリーダムの各事務所には今風のコンピューターなど置いていない。本当の予約元帳はチェックイン・カウンターにいるおばちゃん自筆のメモ書きノートなのである。いくら前もってインターネットから予約を入れていても、何の意味もないのである。このおばちゃんにお金を払って、搭乗便の航空券の現物を受け取るまでは、乗れる保証はどこにもないのである。当然の如く、航空券も癖字の読み難い手書きである。 要は、予約には意味がなく、カウンターに出向いて、お金を支払って、航空券を手にして初めて乗れることになるのである。日本の路線バスと同じシステムなのである。だから、日本からサイパンに到着後、フリーダム・エアーのチェックイン・カウンターに出向いて、航空券を購入しなくてはならないのである。すでに、満席であれば、翌日便まで待たなくては乗れないのである。路線バスが満員の時は、次のバスを待つのと同じ理屈である。 確実に、決まった日にロタへ行こうと思えば、現地の友人にチェックイン・カウンターまで出向いてもらい、その場で指定便の航空券を購入してもらい、それを日本へ郵送してもらう以外に方法はない。そして、それを持参してサイパンに行き、そこで、ロタ便に乗るくという手筈である。 フリーダム・エアーの社長はコンピューターを導入して、国際線とコード・シェアをする気はないという。昔ながらのアナクロなやり方で地道にやっていくという。かつて、PIAというローカル・エアーラインがコンピューターを導入し、ノースウェスト航空とコード・シェアして日本からの観光客の予約も取り扱っていたが、十数年で倒産してしまった。それらを教訓に、フリーダムの社長は昔ながらの方法を堅持することにしているという。フリーダムは、日本人観光客は要らない、地元の人や荷物を地道に運ぶだけでよいという。 ■171、オフィスの必需品 北マリアナ諸島のオフィスでは、民間の会社の限らず、ガバメント(政府)・オフィスやメイヤーズ(市役所)・オフィスを始めとして、どこのオフィスに行っても必ずと言っていいほど、デスクの上にはキャンディーが置いてある。 日本ではOLの机の引き出しの中にお菓子はあっても、部長や課長、やましては、社長の机の上にキャンディーが置いているところはほとんどない。ところが、北マリアナ諸島では、当たり前のようにキャンディー・ボトルやお皿に盛られたキャンディーが置いてある。そして、大の大人が、例え、お客が大人の男性であっても、先ず本題に入る前に、「あめ食べる〜?」と言ってキャンディーを勧めて、自分でも食べるのである。 何か、我々日本人から見ると子供のようなヘンな習慣である。昔の砂糖が貴重品だった頃の名残だろうか。 ■170、「やる時は、やる!チャモロ人」 文章が長いので「特別版レポート」に掲載します。 ■169、さんご礁沖に浮ぶ怪しい貨物船 ビーチロード沖のフィリピン海に浮ぶ貨物船については、このサイト上で、以前にもサクッと書いたが、最近(2006年11月)はその数が増えてきたので、もう少し詳しく書くことにする。 この船舶には武器弾薬が積んである。さながら、海に浮ぶ武器弾薬庫と云ったところである。もちろん、米軍の所有である。しかし、気になる核兵器は積んでいないと考えてよい。なぜなら、最近の核ミサイルは、そのほとんどが全て潜水艦から発射されるようにできているので、貨物船に保管しておいても意味がない。また、サイパン島民の為の非常時用食料や飲料水も積んであるというが、それは付録のようなものと考えたほうが良い。 9・11NYテロ以前は1隻くらいだったのが、最近では5〜6隻浮んでいることもある。この武器弾薬庫は非常に便利がいい。いざと云う時には、すぐに移動することができる。さらに、海上ということで容易に船舶に近づくことは難しく、警護がやりやすい。 極めつけは、グアム島北部アンダーソン基地には、米国が世界誇る盗聴システム「エシュロン」の高感度アンテナがあり、目と鼻の先のサイパンなら電話や無線を容易に盗聴することがでる。だから、怪しい動きは直ぐに察知できる。そして、3分もあれば、アンダーソン基地から戦闘機がスクランブル発進して飛んでくることができるのである。ただ、無防備にボ〜と浮んでいるように見えるが、その実、安全や警護に関しては、しっかりと計算されているのである。 この船舶には常時多くの軍人が乗っているわけでない。日常のメンテナンスにはサイパンから通っているが、軍事機密なので余り詳細なことは書くことはできない。 北マリアナ政府は、経済効果を見込んで、米軍基地の誘致にたいへん積極的な態度を採っている。しかし、現在、北マリアナ諸島で米軍に関係しているのはテニアン島の北部2/3を訓練用に提供しているのと、この武器弾薬船舶の駐留しかない。それでも、財源の少ない北マリアナ政府にとっては、これらの賃貸料(補償費)は大切な収入源となっている。 ■168、北マリアナのゆる〜い公務員 日本で公務員というと、身分や給料は定年まで保障されており、朝9時から夕方5時まで、真面目に働くというイメージが強い。そして、休み時間はお昼に1時間と決まっている。しかし、北マリアナの公務員と日本の公務員とではそのイメージは大きく違う。 北マリアナでは、警察署や消防署は別として、ほとんどの公務員の仕事時間は午前7時から午後4時までとなっている。しかし、そこはのんびりした南の島なので、なんとなくゆる〜い感じである。チャモロ人は、朝早いのは全然苦にならず、早朝の4時や5時でも山ほどの朝食を摂る。そして、オフィスに出掛けるが、その後、10時くらいまで何となく過ごし、ホテルのレストランや町のレストランをフラフラして、ダラダラとコーヒーを飲んで過ごす。そのコーヒーは薄く、麦茶のような感じで、いくらでもおかわりはタダなので、ず〜っといる。そんな感じで昼になる。 昼休みは、一応12時から2時くらいと決まっているが、11時くらいになると、何となくオフィスには人がいなくなる。ほとんどの人が家に帰って昼食を摂るので、オフィスに人が残っていることはほとんどない。そして、昼食をとったら、ゆっくり休憩&昼寝をする。そして、2時くらいになっても、午前中の半数くらいしかオフィスに戻らない・・・?? そのまま来ないのも有り、なのである。 休む場合や午後来ない場合でも、誰かに報告する訳でもなく、誰かに断ったりもしない。何日間か、まとめて休む場合は、知らせる場合もあるが、“いつからいつまで休みなのか?”なんて、同僚の人に聞いても誰も知らない。こんなにゆる〜い感じである。だからなのか、わからないが、突然クビになったりもする。 そして、幸いクビにならなくとも、4年に1回の総選挙で、相手方の政党が勝てば、上級職から下っ端までが全部入れ替わってしまう。だから、日本のように定年までの身分保障は全くないのである。自分の家族や自分自身が身をおいている政党が負ければ、どんなに良いポジションにいたとしても、次の日から無職になってしまう。例え、下っ端のポジションでも同じである。そして、勝った方は、それまで失業していた人が、突然上級職や名誉職に就くのである。ある意味、弱肉強食の厳しい世界なのである。 それでも、たいていのチャモロ人は一生に一回くらいは、公務員になりたがる。それは、何年か公務員をすると、その後、仕事を辞めても、毎月給料のように、お金(年金のようなもの)をもらえる…という制度があるためである。 普段は、ほとんどのチャモロ人がこのようにゆる〜い感じで日常をおくっている。しかし、一旦事が起こった時は、俄然「やる時は、やる!チャモロ人」の本能を発揮するのである。多くの人(マリアナ在住の外国人)が言うように、どんな時でもだらだらのんびりしているという訳ではない。 ■167、植生の不思議 北マリアナ諸島の3島はどれも同じ常夏の気候である。少なくても人間にとっては同じに感じる。さらに、陸地に関しても3島ともサンゴ岩の隆起でできているので土壌の条件も同じはず。しかし、植物にとっては、そうではない所がおもしろい。 例えば、スイカに関しては、テニアンのスイカが一番甘くて美味いのである。日本のスイカと同じくらい美味い。他の2島のものは皮が分厚く、ピンク色の部分が多く、甘さがイマイチである。原因は定かではないが、昔からそうなのである。だから、サイパンのレストランでも「テニアンの甘いスイカが手に入ったから」と言って誇らしげにサービスしてくれる時がある。それほどテニアン産スイカは、ここマリアナではブランド・モノなのである。因みに、日本のスイカの種を持ち込んでもマリアナでは育たない。 また、マンゴーに関しても不思議なことがある。テニアンではマンゴーが完熟し難いのである。マンゴーの旬は5〜6月である。この頃のマンゴーは十分に熟れると、少し色付いた実が樹から落ちてくる。これを拾って食べるのが最高に美味い。完熟モノは輸入モノと違い甘味も香りも抜群である。サイパンでもロタでも甘くて美味しいマンゴーが生る。それが普通なのである。 しかし、テニアンのマンゴーだけは、なぜか、6月になっても、いつまで経っても、他の2島のように十分に熟さないのである。青く硬いままで、樹にぶら下がっているのである。なかには、熟れて落下するものあるが、極まれである。だから、テニアンの人たちは、その若い青くて硬い実を採ってピクルス(酢付け)にして食べるのが一般的なのである。そんな事情からなのか、サイパンやロタにはマンゴーの樹はたくさん見かけるが、テニアンでは余り見かることはない。 昔からマリアナでは、マンゴーは南へ行くほどと甘くて美味いと云われている。その証拠に、サイパン島北部のマンゴーより、南部のモノの方が甘くて美味い。また、サイパン産より南方にあるロタ産の方が美味しい。この理論で行くと、ロタより南にあるグアムのマンゴーが一番美味いということになる。試しに、食べ比べてみると、一目瞭然、なるほど納得、グアムのモノが一番美味い。 また、主食であるタロイモに関しても、不思議なことがある。ロタのタロイモだけには粘り気があるのである。マリアナでは米と同じくらいに大切な食べ物で、大昔から好んで食べられている。日本にあるサトイモの親分のような芋である。その大きさは握り拳くらい。食べ方は、皮を剥いて茹でたり、ココナッツミルクで茹でたりするのが一般的である。ロタ産のタロイモは、見た目は同じでも、テニアン産やサイパン産と比べて美味いと言うのが通説になっている。食べた感じは、ロタのモノは粘り気があって美味しいが、他の島のモノはパサパサした食感でイマイチ美味しくない。なるほど、この通説は正しい。だから、ロタを訪れた他の島の人たちは、お土産にタロイモを持ち帰る人たちが多いのである。そして、それを目当てに、ロタ空港近くの道路脇には、袋に入れたタロイモを売っている光景がよく見られる。 こういう庶民の何気ない食材は、街やホテルのレストランでは食べることはできない。しかし、ロタブルートライアスロン大会のアワードパーティでは食べることができる。 Let's Try! ■166、北マリアナ諸島の子供たち 若いチャモロ人達は、今風の日本の子供たちと同じだなあと思う所もあれば、今の日本ではなかなか見られなくなってしまった光景に出くわし、何だか仄々とすることがある。それはどんな時かと云うと、子供たちが幼い妹や弟の面倒を懸命にみている光景である。 北マリアナ諸島は少子化が進む日本と比べ、家族が大きく、子供も多く、兄弟も多い。そして、今も昔と変わらずにファミリーの繋がりをとても大切にしている。彼らにとっては、姉、兄が妹、弟の面倒をみるのは、極々当たり前のことなのである。だから、学校が終わった後、友達同士集って遊ぶ時にも幼い妹や弟を連れて行ったりする。野球の試合を見に行く時も、海に遊びに行く時も幼い妹や弟を連れて行って面倒を見る。また、親戚同士集まるような時も、子供達同士は大人と少し離れた所に集まり、食事の世話から遊び相手、ミルクの世話やおむつの交換まで、少し年上の子供達が年下の子供達の世話をするのである。こういう光景に出くわすと、仄々とした気持ちにさせられ、ホッとする。 時には、デートにまで、妹や弟を連れて行ったりする。それも、男の子の方も女の子の方も、両方とも妹や弟をつれて行ったりするのである。そんなことも、ここマリアナでは日常のことなのである。 ■165、使えるタガログ語 北マリアナ諸島にはフィリピンからの出稼ぎ労働者が非常に多い。レストラン、カフェ、各種ショップ、ホテル、スーパーマーケット、レンタカー会社等々で働いており、観光客と直接対面すること機会が多い。だから、フィリピンの言語であるタガログ語を少し知っていると楽しいし、サービスが良くなったり、その場が和んだりもする。 例えば、カフェでウェイトレスにコーヒーをリフィル(継ぎ足し)してもらって「サンキュー」という代わりに「サラマッポ」というだけで、その場が和み、自ずとサービスが良くなる。以下は、即席で使えそうな便利なタガログ語である。 「サラマッポ」 ありがとう 「マサラップ」 美味しい 「アバナヤァ〜ン」 ご機嫌いかが?・元気? 「ハニカリト」 こっちへ来て(レストランでウェイトレスを呼ぶ時に使える) 「バケッ」 (呼びかけれて)何?・何か用? 「マガンダ」 可愛いね・綺麗だね・良い 「ピナカマガンダ」 とても可愛い・とても綺麗だ・とてもよい 「ミスナミスキタ」 あなたが恋しいです 「マハルキタ」 あなたが愛しいです 「ア〜イナコ」 やれやれ 「ワランアヌマン」 どういたしまして 「パパラットン」 うそつき 「ワラ」 ない(お金がない・食べ物がない) 「パッタイ」 死ぬ・死んじまった 「パッシャンド」 ばっくれる・トンずらしてしまう (マリアナでは、コーヒーはタダで幾らでも継ぎ足してもらえるというちょっとお得な習慣がある。「リフィル」と告げれば、何杯でも継ぎ足してくれる。) ■164、厄介なパニック・ボタン 北マリアナ諸島でレンタカーを借りた時には注意することが一つある。それはキーに付いている赤いパニック・ボタンを不注意に押さないことである。誤ってこれを押してしまうと、とんでもないことになる。突然、クラクションが連続して「プー!プー!プー!・・・」と50〜60回ほど鳴り続ける。こうなると、もう途中で止めることはできない。慌ててしまい、ドライバー自身がパニックに陥ってしまう。これが鳴り止むまでせいぜい1分間ほどであろうが、延々と長く感じる。道行く人や、周りの人に「お前、やったな」という目で見られニヤリとされる。初めての時は、何が起こったのかと非常に慌ててしまったが、2度目からは「しまった!」と思うだけで鳴り止むまで大人しく待つことにしている。 このボタン本来の目的は事故に遭遇したり、強盗などに襲われたりした場合に、他人に危険を知らせ、助けを求めるためのものである。しかし、きっと、ドライバー自身がパニックに陥ったことが一番多いだろう。幸いなことに、日本ではパニック・ボタンはない。 ■163、所変われば、・・・。 長年、北マリアナ諸島でイベントを開催していると、参加者からスポーツマンとは思えない「非常識な要求」や日本との「文化の違い」を感じることがある。おもしろいので北マリアナ情報のひとつとして紹介したい。 ◆レースがスタートした後に、自分の所為で遅れて来たにも拘らず、今からレースに出たいと言う。断ると、自分はレースに出る権利があると言い張る困ったサイパン・アメリカン(サイパン在住アメリカ人)。 ◆レース後のアワード・パーティの開始時間を自分の都合で変更して欲しいという勝手極まりないサイパン・アメリカン。 ◆飛行機代やバイク輸送費を主催者に払って欲しいという理屈の通らないヘンなサイパン・アメリカン。 ◆申込手続きもせず、参加費の支払いもしていないのに、いつの間にか勝手にレースに参加して、平気な顔で選手に混じって泳いでいるサイパン・アメリカン。 ◆自分達の勝手な都合でレース・コースを変更して欲しいと言い張るサイパン・アメリカン。断ると、できもしないのに、自分達だけで、自分達の好きなコースでやると言い張る。まるで、駄々っ子のよう。 ◆参加費をいろんな理由をつけて値切ろうとするセコいサイパン・アメリカン。例えば、アワード・パーティにはでるけど、飲食はしないので負けて欲しいとか、参加賞Tシャツを返すので負けて欲しいとか。 ◆最終登録のナンバリング用マジックに関して、アレルギー体質でもないのに、マジックのアレルギー・テストは済んでいるのか、とか、何人もが同じマジックを使うのは衛生的じゃない等々、イチャモンをつけるサイパン・アメリカン。 ◆大会運営には諸所の事情を考慮してタイム・スケジュールが組んである。それなのに、そんなことお構いなしに、暑いからという理由だけで、レース直前にスタート時間を早めろと無理難題を迫るサイパン・ジャパニーズ。 ◆トライアスロン大会の朝、嵐のため海が大荒れなのでスイム・パートをキャンセルすると発表した。すると、「俺は怖くない、スイムは得意だから泳ぎたい。」とダダをこねるオーストラリア人 ◆すでに受け取った賞金を自分の不注意で紛失しておいて、主催者に「何とかしてくれ」と泣き付くイギリス人 ◆アワード・パーティが日本のように決められた時間どおりに始まらないと文句を言う日本人。(気持ちは分かるが、マリアナには「チャモロ・タイム」というものがあり、時間厳守は難しい) ◆海スイムで日本の大会のようにコースロープがないと文句を言う日本人。(海外レースではコースロープなどないの一般的) ◆参加賞Tシャツが「ビニール袋に入っていない」とか、「シワがよっている」と文句言う日本人。(マリアナではゴミ減量のため、ビニール袋に入っていないのが一般的) 長年に亘って、大会をやっているといろんなことがある。サイパン・アメリカンの皆がこんな馬鹿なことを言うのではない。非常識な極わずかのアメリカ人だけである。しかし、グアム・アメリカンやチャモロ人はこんな馬鹿なことを言った者はかつて一人もいない。 ■162、チャモロ・タイム マリアナ諸島(グアムを含む)には「チャモロ・タイム」とか、「ローカル・タイム」とか、「島時間」とか呼ばれる言葉がある。それは島の人々は時間厳守が苦手という意味のことである。日本人的に言えば、時間にルーズなのである。ここマリアナでは約束の時間に30分〜1時間位遅れてくるのは当たり前のことなのである。そんなことを誰も咎めたりはしないし、そんなに悪いことであるとは思われていないのである。「チャモロ・タイム」は昔から延々と繰り返されてきた島民の生活習慣なのである。のんびりとした南の島の生活に時間厳守など必要ないのである。 時間厳守のルールが必要なのは、高度に発達した社会の中だけのことであって、自給自足的要素の高いマリアナ諸島ではさほど重要な事ではないのである。 しかし、KFCイベントに関しては、チャモロ・タイムは危険なので許されていない。ミーティングにしろ、スイム・レスキューにしろ、エイド・セットアップにしろ、全て「ON TIME」での進行である。しかし、レース後のアワード・パーティでは、島民主導のチャモロ・タイムで執り行われる。 (注)マリアナ諸島の土着の民族を「チャモロ」という。 ■161、ステーキ事情 北マリアナ諸島やグアム島で流通している牛肉は、概ね、米国産と豪州産の二種類である。その中で、最高級ビーフとされているのが、日本では余り聞きなれない「アンガス・ビーフ(ANGUS BEEF)」という牛肉で、当然、ステーキもアンガス・ビーフが最高級とされている。アンガス・ビーフは、日本の高級肉である神戸牛や松坂牛のように霜降り状の脂身がある肉質ではなく、赤身で柔らかく、ジューシーな肉質である。口に入れると、焼けた肉の香ばしい香りが口いっぱいに広がり、「肉を食っているぞ」という実感がある。その食感は、適度に噛み心地があり、和牛の霜降り肉のような油っぽさは感じられない。美味い肉である。街のステーキ・レストランに行けば、いつでも食べることができる。その値段は、一般のステーキの2倍程度である。といっても、ステーキ一枚で25〜35ドルの値段である。また、お手軽に食べたい場合は、ハンバーガーチェーン店「バーガーキング」のメニューにも「アンガス・ビーフのハンバーガー」というのがある。値段は5ドル位で、ボリュームも十分にある。 アンガス・ビーフと云うのは、アメリカにアンガス牛を専門に飼育管理している協会があって、そこの基準で出荷される肉のことである。名前の由来は、イギリスのスコットランド・アンガス州の肉牛が起源になっていることからこの名前が付いている。 因みに、マリアナ諸島のスーパーで売られているステーキ肉は、全てアメリカン・タイプで、厚さが平均3〜5cm位あり、大きさも日本の2倍はある。肉好きの人にはたまらない。その種類もたくさんあり、テンダロイン(ヒレ肉)ステーキ、ニューヨーク・ステーキ、スペアリブ、それに、日本ではお目にかかれないような巨大なTボーン・ステーキなどもドンと売られている。その中でも、地元の人に人気があり、安くて美味いのは、何といっても肉厚のショート・リブ(骨付きカルビ肉のステーキ)である。ここマリアナでは、BSEなど、どこ吹く風である。 ■160、北マリアナ諸島のバイク事情 最近(2006年)では、グアム島や北マリアナ諸島でもハーレー・ダビットソンやホンダのナナハン(750cc)などの本格的な大型バイク(自動二輪)に跨って、カッコよく風を切って走る人を見かける。これらの島々では、昔からずっと移動手段として車が主流であった。だから、自動二輪に乗っている人を見かけることは、2年ほど前まではほとんどなかった。 しかし、日本と違って大型バイクに乗っていても、ヘルメットを被っていない人が多いのである。それもそのはず、マリアナでは自動二輪にヘルメットの着用義務がないのである。ヘルメットの着用は、本人の自由なのである。そのくせ、マウンテンバイクなどの自転車にはヘルメットを被らなくてはならないという規則がある。危険度から考えると、それって反対では、と思ってしまう。何かヘンな感じがする。日本人としては、腑に落ちない。 さらに、マリアナ諸島の舗装路は、砂利の変わりにサンゴの砕いたものをアスファルトに混ぜて造られているので、非常に滑り易い。特に、雨に濡れるとアイスバーンのように滑り易くなる。だから、マリアナ諸島の道路は、その構造上、自動二輪には適さないのである。 2004年頃から観光客相手にスクーター(現地では「モペット」と呼ぶ)のレンタル店が増えてきた。現地では、スクーターには免許証が不要なので、誰でも手軽に借りることができる。それに伴って、観光客のバイク事故が増加している。事故や怪我などのマイナス・イメージになる情報はどこにも報道されていないが、モペットを借りる時には、道路が滑り易いことを踏まえて、慎重に運転することを心掛けて欲しい。 ■159、PTSDに苦しむチャモロ帰還兵たち 2001年9月11日、ニューヨーク貿易センタービルやペンタゴンへのアルカイダによる同時多発テロ。そして、アフガニスタン侵攻、それに続くイラク戦争へと米国は突き進んだ。それを機に、USパスポートを持つ北マリアナ諸島の島民たちを取り巻く環境も大きく変わった。 グアム島には北部のアンダーソン空軍基地、南部にはアプラハーバー海軍基地があり、多くの兵士がイラクやアフガニスタンへ出兵している。島内の至る所に、家々や車などにも、兵士の勇敢な働きと無事な帰還を願う「黄色いリボン」や“SUPPORT OUR TROOPS”(我々の軍隊を応援する)と書かれたバナー(横断幕)やステッカーが多く見られる。 サイパン、テニアン、そして、ロタからも、多くのチャモロ人が出兵している。ロタ島からは我がKFCメンバーのジョー・サントスやエド・バルシナスを始めとする多くの友人たちが兵士として戦地へ送られた。2006年9月現在でも、未だに、アフガニスタンもイラクも戦闘状態が続いている。そして、これまでに出兵した兵士の多くは1年間の派兵期間を終えて帰って来ている。しかし、島民たちの“無事に帰るように…”という願いも空しく、これまでサイパンでは28歳と31歳と31歳の3人の若者が戦死した。それ以外にも、片足や片手を失ったりしている重傷の帰還者がたくさんいる。 2006年に入って、大きな社会問題となってきたのが、戦地から帰還した兵士のPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。我がメンバーのジョー・サントスもエド・バルシナスも帰ってきたが、激戦地イラクで精神的に深く傷ついてしまった。そして、島での以前の生活には戻れないと言い、自ら志願して軍の生活に戻って行った。時間が経って、心の傷が癒えるまで戻ってくることはないであろう。 戦死した者も、無事に帰ってきた者も、国(島)の英雄として、華々しくパレードなどで迎えられて帰還する。運よく、生きて帰って来ても、イラクへ出兵する前と同じ生活に戻ることができる者は少ない。それ程、戦争は島民たちに大きな精神的ダメージを与えているのである。 因みに、2006年8月までに、マリアナ諸島やパラオなどのミクロネシア地域から約2800人が出兵している。 ■158、北マリアナ諸島の飲酒運転事情 北マリアナ諸島でも飲酒運転に対する処罰は厳しい。捕まれば、その場で免許証を取り上げられ、後日、裁判所に出頭して、罰金を支払わなければならない。しかし、飲酒運転の防止に関して、信じられない対策がある。 レストランやバーで酒を飲んで酔っ払ってしまい、運転ができないと思えば、警察署に「酔っ払ってしまって、運転できません。家まで送って欲しいのですが。」と電話すれば、警察官がその店までパトカーでやって来て、そして、家まで送り届けてくれるのである。日本で言う「運転代行サービス」を警察官がやってくれるのである。もちろん、タダである。罰金もない。日本人には信じ難い話である。この信じ難いサービスは警察の業務規則にあるのか、それともチャモロ人の優しさからくるサービスなのか、その辺の詳しい事情までは知らない。 ローカルのチャモロ人たちはこのサービスを頻繁に利用している人たちがいる。しかし、島に住んでいる外国人(アメリカ人や日本人など)はほとんど利用していない。たぶん、この信じ難い便利なサービスがあること自体を知らないのであろう。例え、知っていても警察官に、運転代行は頼み難いものである。 因みに、チャモロ人は、外見に似合わず、非常に優しい民族で、何事につけても、困っている人は何とかして助けてあげようとする気質が強い。 ■157、ロタ島との出会い(ロタブルー・トライアスロン誕生秘話) 文章が長いので「特別版レポート」に掲載します。 ■156、運転免許証と車検制度 公共の電車やバスなどの乗り物のない北マリアナ諸島では車は欠かすことのできない足だ。日本でも運転免許証を持っている人は多いが、北マリアナでも免許証はほとんどの人が持っている。日本では免許を取る時、自動車教習所に通うのが一般的だが、北マリアナには運転技術を教えてくれる教習所などはない。 では、どうやって運転免許証を取るかというと、その試験には筆記試験と実地試験の2つがある。筆記試験用のテキストは警察で買い、実地試験は家族や友人の車を借りて空地や公道で練習する。そして、自分で“もういいかなぁ…”と思ったら、警察署に行き、先ず、筆記試験を受ける。筆記試験が合格した後、自分の車(レンターは不可)を持っていき、助手席に審査をする警察官を乗せて実地試験をする。その警察官の指示通りにというか、おしゃべりをしながら5kmくらい走ると合格である。 合格すると、警察ですぐに免許を発行してくれるが、先に、病院で視力検査を済ませておく必要がある。チャモロ人は平均視力が5.0前後と視力がとてもよいので、日本と同じような計測方法だけれども、人と視力の文字盤との距離が遠い。視力検査を済ませ、警察で写真を撮り、その写真を貼りつけて、その場で免許が出来上がる。ここで日本と大きく違うのは住所・氏名・生年月日・眼の色・髪の色・身長・体重などが記載してある名刺大の紙(免許証の台紙)に写真が糊で貼ってあるだけである。だから、そのままだと免許証の台紙から写真がはがれてしまうので、ほとんどの人は自分自身で写真屋などに行って、薄いプラスチック・フィルムでラミネートする。 免許の書換えの場合は、先に裁判所に行き、無犯罪暦証明書をもらい、それを警察署で提示して新しい写真を撮ることになる。しかし、何故か、警察署に写真フィルムが無いことが多々ある。そんな時は、写真抜きの新しい免許証の台紙と写真の貼ってある古い免許を同時に持たされることになるのである。 車検に関しては、一年に一回で、先ずは補償額$1000以上の保険に入っていなければならない。そして、街の自動車修理屋で車検用の車輌検査をしてもらう。次に、保険証書と検査済み証明書を持って警察署に行き、$25を支払う。すると、車検証とナンバープレート等に貼る車検済みシールをくれる。これで完了である。日本のように10万円前後もの費用は要らない。 ■155、幻のテニアン・ビーフとロタ・ビーフ 昔からテニアン・ビーフは美味いと評判で、マリアナ諸島界隈では米国産アンガス・ビーフと並んで高級ブランド牛になっている。それもそのはず、生まれ落ちた時から広大な牧場で放し飼いにされ、ストレス知らずで、100%天然の草を食べて育っているからである。南の島には冬がないので、幾ら食べても、次から次へと新鮮な草が生えてくる。肉骨粉などの人工飼料は必要ない。世間を騒がせているBSEに感染する可能性はゼロに近い。それにも拘らず、テニアン島の1/3を占める広大な敷地に数千頭もの牛を飼っていたMDC牧場が、昨今のBSE問題の影響で倒産してしまった。しかし、今もその広大な牧場跡地には、誰が管理しているのか知らないが、たくさんの牛が放牧されている。 昔はテニアン島内で屠殺して、その肉はサイパンやグアムの市場に出荷されていた。しかし、2000年に入って、北マリアナ諸島内での屠殺が法律で禁止さてしまった。その為、それ以後はハワイに送られて食肉加工されるようになった。同時に、サイパンやグアムでは容易に口に入らない幻の肉になってしまった。しかし、地元テニアンのチャモロ人はそんな理不尽な法律には縛られない。必要に応じて自分達で解体して、BBQ(バーベキュー)にして、こそっと食べている。柔らかくて、香りがよく、適度な脂肪がのって本当に美味い。また、ロタでもサバナ高原などで、頭数は少ないが牛を飼っている。結婚式やお祭りなどの大きな行事の時には、一頭丸々BBQにして食べる。これもテニアン同様に100%天然の草を食べて育っているため、驚くほど美味い。一番の特徴は、食欲をそそる香ばしい匂いにある。一度食べたら忘れられない味である。人工飼料で育てられたブランド和牛の比ではない。 北マリアナ諸島では、多くの人が牛のことを「ビーフ」と、ニワトリのことを「チキン」と、豚のことを「ポーク」と、子豚のことを「レイチョン」と呼ぶ。道端に遊んでいるニワトリを指して平気で「チキン」と呼ぶ。彼らにとっては、家畜は肉の塊にしか見えないのかも知れない。こんなストレートなチャモロ人気質が大好きである。因みに、「レイチョン」とは子豚の丸焼きのことである。 ■154、ある密航事件 2006年7月17日、グアム島最北端の美しいビーチ、リティディアン・ビーチで密入国しようとした中国人6人(男4人女2人)が捕まるという密航事件があった。彼らはサイパンで働く中国人出稼ぎ労働者であった。過去、このビーチから密入国を企てて捕まった中国人の数は数千人に上り、密航者用収容所の増設も検討されているくらいである。1999年には一年間で、何と約1000人もの中国人が捕まっている。 そんな状況下、2001年の9・11NYテロ事件以降、自国領土へのテロリスト侵入に非常に神経質になっている米国は、後を絶たないサイパン島からの密航者をストップするため、北マリアナ政府が持つ出入国管理権(ビザ発給権限)を取り上げようとする動きが米議会で強まっている。すなわち、緩い北マリアナ政府に代わって米国が厳しくビザ発給審査を行おうとしているのである。しかし、出入国管理権を取り上げられてしまうと、北マリアナ政府の経済は一気に立ち行かなくなる。なぜなら、北マリアナ諸島はローカル(現地人)の人口が少ないため、全人口の約60%に当たる約45000人がフィリピン人と中国人の出稼ぎ労働者で、彼らが北マリアナ経済を支えているという特異な状況にある。すなわち、北マリアナの繁栄は外国からの労働力の上に成り立っているのである。その為、米国領グアムと違い、北マリアナ政府は単純労働者にも入国ビザを発給する必要があるのである。 だから、多発するサイパンからグアムへの密航事件は、これらの内部事情に精通している者(組織)の仕業に違いないと考えらる。北マリアナ政府側で早々に解決しておかないと、北マリアナ諸島の将来を左右する大きな問題となって伸し掛かってくる。 では、密航者がどのようにして、グアムまでやってきたのかというと、サイパンで小型ボートを盗んで、それに乗ってグアム島への密入国を企てたのである。サイパン・グアム間の距離は僅か80マイル(130km)しかなく、その間にテニアン島とロタ島があり、こられの島伝い行けば、容易にグアム島北部に到達することができるのである。しかし、グアム島最北端のリティディアン・ビーチはジャングルに囲まれており、潜伏し易い人口密集地から遠く離れているため、彼ら単独での密入国は不可能に近い。だから、グアム島内に彼らを受け入れる組織がなければ、絶対に成功はしない。 豊かな生活を求めて米国に渡りたい気持ちは理解できるが、幾ら太平洋の小島と云えども、現実は厳しい。可哀想だが、人間は生まれる国を選ぶことはできない。 ■153、パンの実 マンゴーのように収穫の季節が完全にははっきりしていないが、マンゴーと同じ5〜6月の時季に最盛期をむかえるのが「パンの実」である。英名「ブレッド・フルーツ」と言うが、現地でも日本名の「パンの実」と呼ぶ。 パンの実の木はマンゴーの木と同じくらい大きく、見上げるほどの大きさである。そして、その実も大きく、小玉スイカくらいの大きさで、表面は濃い緑色で、ブツブツした頑丈な表皮を持っている。パンの実という名前の由来は、その味がパンに似ているからではなく、ボリュームがあって、それを食べると腹が大きくなるので、主食であるパンの代用にもなるという意味からきている。パンの実はドリアンやジャック・フルーツと同じ仲間であるが、臭いはなく、甘味や酸味もなく、水分も少なく、フルーツというより、サツマイモに似た味がする。実の中心に大きな種が一つあり、中身の色は黄色く、見た目もサツマイモのようである。そして、種を中心として、軟らかい繊維が外側に向かって、パイナップルのように真っすぐに伸びている。 その食べ方は、生で食べることはなく、皮付きのままオーブンや炭火にくべて、皮が真っ黒に焦げて炭のようになるまで徹底的に焼く。焼けた後、熱いうちに皮の上から豪快にバンっと叩いて押し潰し、中身だけを食べる。ポクポクした食感で、ほのかに甘く、栗や芋に似た感じがして、美味い。また、繊維が多く、味があっさりしているので、胃もたれせず、多少水分があるので、喉につまることもなく、いくらでも食べことができる。どう見ても、これが”フルーツ”とは思えない。 他には、皮を剥いて、薄くスライスして油で揚げ、砂糖をかけて、チップにして食べる。 ■152、三年ヤシと七年ヤシ ココナッツ・ツリー(ヤシの木)にはいろいろな種類があるが、マリアナ地域では大きく分けて2つの種類がある。高さが2〜4m程度の背の低い三年ヤシと、見上げるほど高い七年ヤシである。どちらもココナッツの実をつける。その名の通り、三年ヤシは3年程で実をつけ、七年ヤシの実に比べ少し小さ目の実をつける。七年ヤシは実をつけるまで、5年程かかる。 どちらの実のジュースも飲めるが、三年ヤシのジュースの方が甘味が強く、美味しい。七年ヤシのジュースも甘いが、少し酸味があり、三年ヤシのジュースに比べると、さっぱり味である。但し、ジュースはどちらも若い青い実でないと美味しくない。黄色くなってしまったものは酸味が強いので飲まない方が良い。 実の内側の白い果肉の部分は三年ヤシの方がやや硬い。どちらの果肉もそのまま削り取って食べる。ココナッツの実ははどちらも利用度はとても高く、その果肉を魚や野菜と一緒に煮込んだり、ケーキなどのお菓子に混ぜたり、ジュースを料理等に使ったりするのは、もちろん、果肉の部分を絞ってココナッツ・オイルを作ったりもする。これは主に食用にしたり、サンオイルにしたり、化粧品にしたり、石鹸に加工したりもする。また、チャモロ人たちに古くから伝わるチャモロ・メディシン(薬)の一つとしても使われている。 さらに、ジュースや果肉を取った後の分厚い皮の部分も、乾燥させて、チャモロ人達に欠かせないバーベキューの炭火にしたり、火をつけて燻して蚊取り線香代わりにしたりする。このようにココナッツは南の島の生活には、欠かせないものなのである。 因みに、我々が使っている亀の子タワシはこの皮の部分の繊維から作られている。しかし、チャモロ人たちはタワシに利用する習慣はない。 ■151、北マリアナ諸島の携帯電話事情 日本では、今や1人に1台、いや、2台3台と持つ人もいるほど普及している携帯電話事情。北マリアナ諸島でも、日本よりスタートは少し遅れたものの、この2、3年間で急速に普及してきた。 年配に人たちは未だまだ持っていない人も多いが、働き盛りの世代は男女を問わずほとんどの人が持っている。この世代は携帯メールやカメラ機能はあまり利用せず、もっぱら通話の機能を主に使っている。”携帯電話は電話として、メールはパソコンで”という感覚を持っている人が多い。これに対し、10〜20代の若者は日本の若者同様、今や携帯電話は当たり前のように持っている。そして、通話だけでなく、携帯メールやカメラなどの様々な機能を使いこなしている。 お国柄は違えども、親たちの口から出る言葉はどこも同じである。「家族の携帯電話で、請求書の金額が一番高いのは、娘や息子の携帯電話だ。自分たち親は、せっせと働き、お金を稼ぐ。そして、娘や息子たちは、せっせとお金を使ってくれる。」と請求書を見ながらぼやいている。どこの国も携帯電話事情は同じらしい。 |