2010年1月、ロタ島の住民であるマニエル君(13歳)が急性リンパ性白血病を発病して、サイパンの病院から東京の病院へ緊急搬送され、 1年半経った現在も国立成育医療研究センターで闘病生活が続いています。
抗がん剤の投薬処置によって一時は回復に向ったのですが、 今月(8月)に入って、骨髄移植が検討されています。現在、14歳で、中学生3年生です。
2010年1月、ロタ島の住民であるマニエル君(13歳)が急性リンパ性白血病を発病して、サイパンの病院から東京の病院へ緊急搬送され、 1年半経った現在も国立成育医療研究センターで闘病生活が続いています。
抗がん剤の投薬処置によって一時は回復に向ったのですが、 今月(8月)に入って、骨髄移植が検討されています。現在、14歳で、中学生3年生です。
この種の治療には保険の効かない薬もあり、すでに相当の費用がかかっています。今後もそれを続けることになります。 そこで、一連の治療費を捻出するため、マニエルの父ジェームス・アタックはロタ島に所有する土地を売り出すことにしました。
但し、北マリアナ諸島(サイパン、ロタ、テニアン)の法律では、我々外国人が土地を購入することはできません。その代わり、 55年間のリース契約を結ぶという形を取ります。その後の契約の更新は可能です。 現在、サイパンにある外資系ホテルの多くもリース契約という同様の形を取っています。
■売出し物件の情報は以下です。
マニエルの父親は、私たちの古い友人でジェームス・アタリと言い、北マリアナ諸島ロタ島の島民です。人種はチャモロ人です。 チャモロ人は皆フレンドリーで、超が2つ付くほどの親日派の人たちです。世界広しと言えども、これほど親日の(場所)人たちはいないと思います。
母親は日本人で千恵さんと言います。約30年前にロタ島を観光で訪れたのがキッカケで、ジェームスと知り合い結婚しました。そして、ロタ島に渡り、 かつてあった パウパウホテルで働きながら、今日までロタの住人として ロタ島で暮らしてきました。そして、その間に産まれた子供たちの一人がマニエル君です。
一昨年(2010年)暮れ、千恵さんは83歳になる父親の介護のため実家(東京)に一時帰国していました。しかし、不幸にも、 千恵さんが過労で座骨神経痛を患い、入院してしまいました。
その後、 年が明け(2011年)、まもなく次男マニエルの様態が尋常ではないという知らせを受け、急遽、サイパンの病院へ入院させました。
検査の結果、急性リンパ性白血病ということが判明し、サイパンの病院では治療が困難ということになりました。
そして、治療を受けるため、アメリカへ搬送するか、母親の母国日本へ搬送するか迷いがありました。通常はアメリカへの搬送となります。
ところが、 ちょうどこの時期、母親が日本にいたこと、それにサイパン病院の主治医が日本の医療技術を勧めたことで日本へ搬送されました。 その時、最低でも完治まで2年間の入院が必要という診断が下されました。
こんな状況下、千恵さんの病気も芳しくなく、彼女一人ではどうにもならず、父親ジェームスや長男ドミンゴたちも来日して、 千恵さんの実家(東京)に寝泊まりし、マニエルの世話に当たっています。
現在、ロタの家は知人に貸して、家族全員が東京に居を移し、マニエルの闘病生活に家族一丸となって立ち向かっています。
しかし、日本に経済基盤がないジェームスが息子の治療費の資金を捻出するのは容易ではありません。そこで、考えたのが、 ロタ島に持っている土地を日本の人に買ってもらい、それを治療費に充当する方法です。
そして、今後、必要になるであろう治療費500万円を単純に割り算して、1区画に付き50万円と云う売値を弾き出したという次第です。
ロタ島情報は 【こちら】をご覧下さい。
当面の連絡先はアタリファミリーの長年の友人でいらっしゃる岩元さんにお願いしています。
岩元さんもかつてはロタのパウパウホテルで働かれていた時期もあり、ロス島の事情やマニエル君の一連の経緯にも精通していらっしゃいます。
また、移植手術が終わって、両親も電話にも出ることができる状態になりました。 ジェームスは日本語ができますが、奥さんの千恵(日本人)さんの方が話がスムーズと思います。
〒370-0715群馬県邑楽郡明和町大佐貫178-9
岩元洋幸
電話0276-84-4956
携帯090-7206-6249
〒144-0045大田区南六郷1-7-2
千恵アタリック
携帯080-6755-8646
または、KFCトライアスロンクラブまで。
残念ながら、2012年12月6日にマニエル君は亡くなりました。
そして、マニエル君の葬式は、15日(土)にロタ島ソンソン村にある サン・フランシスコ・デ・ボーハ教会で、大勢の島民が参列し、 しめやかに執り行われました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。