2013年7月14日
7月14日(日)、御用邸で有名な神奈川県三浦郡葉山町の大浜海岸で「第1回葉山オープンウォータースイム大会」を開催しました。
昨年の秋、葉山町に住んでいる友人の溝口さん宅へ遊びに行きました。それが東京都西多摩地区を拠点に活動している我々KFCが、 葉山と云うそれまで全く縁のなかった場所で大会を開催する切っ掛けになりました。
溝口さんとは20年来の友人で、ミクロネシアで開催しているトライアスロン・アイランド・シリーズに 通算で10回以上は参加してくれています。 しかし、現在はトライアスロンから 引退されています。
また、青梅の「lafuma青梅高水山トレイルラン」大会のボランティアを 1999年の第1回大会から柴原さん(溝口さんの友人であり、ヨット仲間)との コンビで毎年欠かさずやってくれています。因みに、持ち場は、参加者に最も嫌われる10q地点の関門封鎖係担当です。
溝口さんは、かつて横浜市内に住んでいました。しかし、葉山町が好きで、数年前に葉山へ居を移しました。また、 ヨット(ホビーキャット)が趣味で、30年ほど前から葉山の大浜海岸にヨットを置いているのも転居の理由かと思います。
そんな素地があり、溝口さんから「葉山に引っ越したから遊びにおいで。」と数年前から誘われていました。行こう行こうと 思いながら、青梅からストレートにつながっている道がなかったのと、三浦半島辺りの土地勘が全然なかったので、延び延びになって いました。
そして、ようやく、昨年10月に遊びに行きました。葉山を訪れたのは、その時が初めてです。大西が来ると云うことで、 柴原さん夫婦も世田谷の自宅から駆けつけてくれました。
その日の午後、溝口さんたちに家の裏山にあるトレイルを案内してもらったり、ヨットが置いてある大浜海岸に連れて行って もらったりしました。海の近くを散策すると云うのは、山に囲まれた地元青梅と違って新鮮でした。トレイルも東京とは植生が全然違って 新鮮でした。御用邸に隣接した大浜も、予想に反して透明度が高く、新鮮な驚きがありました。
溝口さん曰く「三浦半島山脈に降った雨が伏流水として麓の海へ流れ込むので葉山の海は水質が良い。」とのことです。
また、遥か沖合に富士山が見えるのが不思議で、「何で、海の向こうに富士山が見えるの?」と尋ねました。地図を見れば、 その理由はすぐに分かるのですが、滅多に見ることのできない珍しい構図です。
そして、夕食中の雑談の中で、溝口さんが「大西さん、葉山でトライアスロンをしようよ。」と言い出しました。即座に、 却下しました。なぜなら、海は良くても、自転車でストレスなく走れる道路がないと感じたからです。
青梅に帰って、溝口さんの気持ちも考えず、冷たい(即座に却下したこと)ことを言ってしまったかもしれないと反省しました。 数日後、溝口さんに「オープンウォータースイム(OWS)ならできるかも知れないよ。」とフォローのメールを打ちました。 「葉山オープンウォータースイム大会」が開催に向け、動き出した瞬間です。
地元である東京都西多摩以外でのイベント開催はしないというマイルールに例外ができた瞬間でもあります。これまで地元以外 からの村興しイベントの依頼は断り続けていました。但し、南の島は除くですが。
開催日を夏休み前の7月14日(日)に決めました。夏休みになると観光客が増えるだろう。しかし、葉山には電車の駅がないので、 どうしても駐車場の利用が主になります。付近の駐車場の収容能力を考慮して、参加人数を400人に決めました。
それを踏まえて、先ず葉山下山口町内会長さん、副会長さん、漁師さん、 ザ・グランリゾート葉山、海のアクテビティー関係者の 皆さんにご理解とご協力をお願いしました。皆さん揃って快諾して下さいました。
そして、町内会長さんと一緒に山梨崇仁葉山町長にもご説明にお伺いしました。これらの根回しがスムーズに運んだのは、 全て溝口さんが地元に溶け込んでいたお蔭です。
大会日の一週間前までは、穏やかで透明度のあった大浜の海が、沖縄にある台風7号の影響で、 大会日の3日ほど前からうねりが出始めました。それまでは べたべたの泳ぎやすそうな海だったのに、残念。世の中、そんなに上手くはいかないもです。
それでも、波打ち際に大波が発生するくらいで、沖に出てしまえば、問題なく泳げます。プールと違って、 海ですからある程度の波があって当たり前、それがOWSと云うものです。
天候に関しては、1週間前に梅雨が明け、夏本番の暑さとなっていました。大会当日、晴れてはいるのですが、 曇り勝ちで、沖に見えるはずの 富士山が全く見えなかったのは残念です。また、大波で砂が舞い、水が濁ってしまったのも残念です。因みに海水温は27度で、 問題なしです。
山梨葉山町長の激励スピーチの後、予定通り、9:00オンタイムにレースが始まりました。4500m、3000m、1500mのカテゴリーに 分かれてのウェーブスタートです。
約400名の選手の皆さんは沖に浮かぶホビーキャット(ヨットの一種)を目指して一斉に泳ぎ出しました。大きくて見やすいだろうと 思い、折返しのブイをホビーキャットにしました。
ところが、曇り勝ちの天気と云うこともあり、周囲の色に同化し、見えにくく、選手には不評でした。来年はよく目立つ色の 三角ブイに変更予定です。
海上(コース上)で、選手の皆さんをカバーして下さるのは、ライフセーバーのレスキュー・ペガサスを核に、葉山の海を 知り尽くしたビーチ・葉山・アウトドア・フィットネス・クラブ、 オーシャン・アウトリガー・カヌー・クラブ、 葉山サバニ倶楽部、 葉山ビーチハウス、 それに地元漁師さんと云う頼もしい面々です。
参加者の内訳は、約50%が4500m部門です。35%が3000m部門です。残り15%が1500m部門です。キャップの色分けは、 それぞれピンク色、オレンジ色、白色です。
コース・コンディションは、沖合の第1ブイから第2ブイへはややアゲインストのカレントがあるものの、全体的には泳ぎやすかった という感想を多く得ました。もちろん、泳力の個人差もありますが・・。レースの模様は下記レポートフォトをご覧ください。
因みに、4500m部門の総合トップはウェット無しの鎌田慎平選手で、1:09:49と云う立派なタイムでした。 リザルトはこちら
また、近年、ウェットスーツと見間違うばかりのスイムスーツ(浮力無し)が発売されており、会場内にちょっとした混乱が 生じていました。 ちょっと見たくらいでは、全く違いは分かりません。
全体的に見て、泳力がある選手が多く、レベルの高い大会と感じました。また、参加者にトライアスリートの割合が 高いOWS大会でした。
今年の宮古島大会4位の現役トライアスリート松丸浩巳選手が73歳の中沢昭子選手と終始デッドヒートを繰り返し、 10秒早くゴールラインを駆け抜けました。ゴール後、中沢さんの年齢を知って、びっくり、敬意を表してご挨拶に出向いていました。
中沢さんは、若い頃、英仏ドーバー海峡を泳いだり、新潟から佐渡ヶ島へ泳いだりされたチャンネルスイマーの 第一人者です。かつて、ロタのオーシャンスイム大会(現在は中止)に参加されたことがあります。
レース後、選手の皆さんから「多くのコースガードにカバーされ、声を掛けてもらい、安心感を持って泳ぐことができた。」 と好評でした。
第1回大会と云うことで、反省点は多々ありましたが、大きな怪我人もなく、成功裏に第1回大会を終えることができました。 だた、すぐに回復されたとは言え、脱水症患者を1名出してしまったのは残念です。
最後に、来年は大会会場で葉山産のアワビを焼いて、参加者の皆さんに食べてもらおうと考えています。
それでは皆さん、来年の夏も葉山の海でお会いしましょう。
葉山町、葉山下山口町内会、下山漁業、葉山ビーチハウス、レスキュー・ペガサス、ザ・グランリゾート葉山、 ビーチ・葉山・アウトドア・フィットネス・クラブ、オーシャン・アウトリガー・カヌー・クラブ、葉山サバニ倶楽部、 チャレンジ・アスリート・ファンデーション、SPACE WOOD、NIKKI、HAYAMA OHHAMA FLEET
写真:小野口健太、舘岡正俊、池田将