2012年6月2日
北マリアナ諸島テニアン島で6月2日に「第12回ターコイズブルートライアスロン&スイム大会」を開催した。
遊びの延長で始めたテニアン大会も今年で早や12年目になる。遊びも真剣になると神経を使うものだ。
本来ならば第13回大会が開催されているはずだが、残念ながら、昨年は3・11東日本大震災の影響を受けて開催を断念した。
募集開始後に航空会社からフクシマの影響で、成田発は関空へ戻る可能性が高いと告げられ、急きょ、キャンセルした次第。
昨年、大会がキャンセルとなった影響もあってか、テニアンでは、皆、今年の開催を楽しみにしてくれていた。そして、 もうKFCは来てくれないのでは、と心配していたそうだ。
そんなこともあってか、今年は例年になく地元の協力体制も確立されてきた。 ほとんどの事柄を現地主導で出来るようになってきた。テニアンの島民も皆、ロタと同じく、自分たちのやるべき事柄がわかっている。
親しい友人であるテニアン島市長レーモン・デラクルズを始め、チェアマン(現地の大会委員長)、 島民、スタッフ達、それに、オフィシャルホテルの テニアン・ダイナスティーホテルもGMからポーターまでもが歓迎ムード全快で協力してくれる。
いつもながら、チャモロ・ホスピタリティーには 本当に頭が下がる思いだ。感動すら覚える。これがあるからテニアン大会は止められない。損得抜きだ。
一見、変化のないような長閑な南の島だが、北マリアナ諸島(サイパン・ロタ・テニアン)を取り巻く環境は年々厳しい方向へ変化している。
観光業だけをとってみても、日本からマリアナ諸島へのアクセスはどんどん不便になり、飛行機の機材も小さくなり観光客も激減している。
その上、日本の第2、第3の都市である大阪と名古屋からはサイパンへの定期便はなく、主要産業である観光業がここまで落ち込むと、 マリアナ政府の経済状態も非常に悪くなる。 その結果、島民も仕事がないならと、ハワイやグアム、アメリカ本土へと移住してしまっている。
そして、テニアンでのイベントにとっても、成田便しかないと云うのは、致命的欠陥だ。少なくても、日本の3大都市からのアクセスは不可欠だ。
いつものように大会の約1週間前にテニアンへ入り、テニアン市庁舎で現地のスタッフ達とキックオフ・ミーティング”を行うのが毎度のパターンだ。
週初めの5月28日(月)の午前中にキックオフ・ミーティングを行う予定だった。しかし、この日は“メモリアルディ(戦没将兵記念日)” でアメリカの祭日だった。
現在、テニアン島には、USマリーン(米海兵隊)が駐留している。市長始め、島民に聞くと、沖縄、岩国基地そしてグアムからやって来たマリーンで、 2〜3ヶ月はテニアンに駐留し、本格的な軍事演習を行うらしい。
テニアン島の北部は、戦後から今なお、米軍の管理地だ。そして、この頃、北部一帯を立ち入り禁止にして、重機をも持ち込んで、 軍事演習をするための結構大掛かりな工事をしていた。軍は自然保護など気にしない。 ところが、この日は北部への立ち入り禁止を解除して、相当に軍事色の強い式典が行われた。
テニアン市長に招待され、この式典に参加した。滑走路跡地ではなく原爆搭載跡地近くの広場で催されていた。
星条旗とマリアナ国旗とアーミー(陸軍)、ネイビー(海軍)、 マリーン(海兵隊)の各軍旗を掲揚し、 軍人による空砲の射撃、それに、テニアンから出征し、イラク・アフガニスタンで戦死した兵士の名前を呼び、黙祷し、花を手向ける等などのセレモニーが 行われた。
テニアンは太平洋戦争でアメリカと日本との間で翻弄され、両国の勝敗を決定づけた島である。すなわち、原爆を搭載した米軍機が広島と長崎へ 向けて飛び立った場所である。
しかし、時は流れ、この日の式典には、アメリカ人、テニアン島民、我々日本人、韓国人、中国人、ネパール人、そして、イスラムの人間も参加していた。
戦車や軍用車両がたくさん展示してあり、BBQなどを売るブースが出店していたり、ちょっとした縁日の様だ。さらに、 最新鋭ステルス戦闘機によるミニ航空ショーも行われ、軍事式典&民間交流広場と なっていた。60数年前にこの島で犠牲になった先祖たちが、この光景を見たら、どう思うだろうか・・・?
一日遅れの5月29日(火)、市庁舎の会議室でキックオフ・ミーティングが行われた。チェアマン、警察、消防レスキュー隊、病院関係者、 テニアン観光局などが出席した。これを機に島は子供から大人までトライアスロン&スイムの為に一丸となる。
広範囲のフィールドを必要とするトライアスロンやオーシャンスイムを開催するには、目に見えないところでも様々な人の協力が必要だ。
道を補修したり、掃除したり、草を刈ったりする者、 スイム会場のタガビーチにはしごを作ったり、バイクラックを作ったり、ペンキを塗り替えたりする者、塩を落とす仮設シャワーを作る者、コース周辺の犬を つなぐように振れ回る者、シャワー用の水道を通す仮設工事をする者、エイドステーションの水やフルーツを手配する者、パーティーの会場のテントやテーブル、 イスを手配する者、パーティ用の食べ物を調達する者・・・etc。
そして、安全上の面でも警察や消防やレスキュー隊、それに、エイドステーションを担当する ボーイスカウトやガールスカウトの学生達も必要だ。
5月30日(水)、毎年、海上警察と一緒にボートに乗って、ブイ打ちの為のアンカーを探しに同行するが、今年は「自分達で先に探してマーキング しておくので、後で一緒に確認しよう」ということになった。こういう点も自発的に“より良い方法を”と自分達で考えてくれている。
テニアンの海は深い為、サイパンのように当日朝に重りをつけてブイを落とすというわけにはいかない。以前から海底に根っこになるアンカーが 沈めてある。そのアンカーに中層の目印になる浮きをつけてマーキングしていく。そして、当日朝、その浮きに素早くブイを引っ掛けていく。
平均10mくらいの深さがあるので、誰もがその作業ができるわけでもない。そういう作業もテニアンでは、海上警察が率先して行う。通常、トラフィック コントロールではなく、こういう力作業に警察を使ったり、警備艇を使ったりすることはできない規則になっている。しかし、暗黙の了解で、 このイベントは以前から特別扱になっている。
このコースを設営する為、テニアン海上警察でGPSを購入している。13年前にアンカーとして海底に沈めたブイ用の巨大ブロック(1m×1m×50cm)が台風で流され、 移動していたりしている。それでも、何と、ブイ打ち作業を1時間足らずで終了させる。
これは13年間の歴史だけが成せる業ではない。 想像を超えたチャモロ人の視力と素潜りでの潜水能力があっての事だ。この作業はタンクを背負うとしづらいのでタンクを背負わず、 その10m〜30m程の深さを素潜りで5回以上は繰り返し潜り、海底でロープを結んだりしている。
幾ら透明度が高いと言っても、その深さに沈んでいるブイをつなぐブロックを海面から肉眼で見つけることは、我々日本人では決して真似ができない。 すごい能力だ。ある意味“グランブルーの、あのジャック・マイヨールもびっくりかもしれない。
それにしてもテニアンの海は本当に美しい。仮のブイをつけ終わり、コースを泳ぐと10m下のアンカーまでしっかり見える程、透明度は高い。 テニアンの海の透明度は30mとも言われている。熱帯魚もたくさんいる。時にはカメを見ることもできる。
5月31日(金)、テニアン市長に招待され、午前中、沖縄戦没者慰霊祭の式典に参加した。今年は滞在中に慰霊祭の日程が重なったので、初めて参加した。
そこで一人の年輩の方から強烈なスピーチを聞かされた。65年ほどま、彼の父親がテニアンに住む家族と離れて、パラオの学校で勉強するためにテニアンを発ち、 パラオへ単身渡った。その間に米軍の侵攻があり、家族は皆無くなってしまった。その後、彼は駐パラオ日本領事館で働き、終戦を迎え、沖縄に帰ったと云う。 そして、もしその時、彼がパラオへ行かなかったら、今現在、彼は存在しないし、彼の家族や子供や孫も存在しないと話されていた。
先日、アメリカのメモリアルデイの式典に出席した時に感じたことなのだが、日本(沖縄)の目線、アメリカの目線、そして、 チャモロ人達の目線はそれぞれ違う。もう60数年以上も前のこと、されどまだたった60数年前のことなのだ。日本人である我々にはちょっと複雑な思いだ。
6月1日(金)夕方、ダイナスティホテルのプールサイドで登録と競技説明会を行った。このまでの準備は完璧だ。
今年はトライアスロン雑誌「ルミナ」の 現地取材が入った。ターゲットはトライアスロン初挑戦のモデル池田嘩百哩さんだ。レポートは一緒に参加したコーチの大河内智未選手が担当する。
それに、今ではテニアンの貌となったお馴染みの宮塚英也選手、そして、天才カメラマン小野口健太もいる。明日の天気も良さそうだった。
6月2日(土)、いよいよレース当日だ。この時季がテニアンのベストシーズンだ。島中のあちらこちらに火炎樹が咲き乱れ、海と空の青さ、 ジャングルの緑に真っ赤な火炎樹がよく映える。海のコンディションも良好、文句のないコンディションだ。
テニアンのランは日陰がなく、暑い為、エイドに塩を置いた。また、前日に日本から持ち込んだ塩飴も配っていた。南の島でのスポーツで怖いのは 何と言っても脱水症だ。
スイムはピーカンの空と青い海で、波もうねりもなく、見ている方が羨ましくなる程の海だった。
テニアンの自慢は青い海だけではない。バイクコースも極上だ。
KFC的には、坂のない軟弱なバイクコースはヨシとは考えていない。 フラットばかりのチンタラコースは面白くない。 アイランドシリーズ全5戦の中ではテニアンのバイクコースがベストだと考えている。
競技の模様は巻末の「レポート・フォト」をご覧下さい。
後日、日本のマスコミにも取り上げられると思うが、近々にテニアンで自衛隊が米軍と合同演習を行うことになっている。そして、 日本のおカネでテニアンの港や道路といったインフラが整備されることが米国との間で決まっている。そうなると、 もっとダイナミックなバイクコースを設定することができるかも知れない。
夕方のアワード・パーティーでは、おいしいローカルバーベキューを中心に、レッドライス、きゅうりで作ったおいしいピクルス (チャモロのバーベキューには欠かせない一品)、その他、数々のアイランド・スタイルの料理が並んだ。 レストランでは味わうことができない選手だけの特権だ。そして、ビール。
シンプルな南の島の料理だが、我々日本人には十分に美味しく、むしろ、日本では味わうことのできない贅沢なバーベキュー・ディナーだった。 また、タガビーチの夕焼けも美しく、パーティーに華を添えた。
パーティを終えて、引き上げようとしていると、ローカルのチャモロ人スタッフ(男性)が近づいて来て 「参加賞のTシャツ、来年からピンクは止めて」と懇願された。 チャモロの世界ではピンクはオカマをアッピールする色であり、大会後に着ると間違いが起こると言う。
テニアンファンの皆さん、来年も、極上のテニアンでお会いしましょう。