島情報
テニアン島 TINIAN (北マリアナ諸島)
KFCおすすめ情報
タガビーチから見た夕陽

テニアン島については、どの観光ガイドブックを見ても、少しの情報しか載っていません。 ここではKFCならではのちょっとカルトな情報をお知らせします。 また、ガイドブックにあっても、KFC的にイマイチのスポットは取上げません。

テニアン島に限らずどこの島でも、「島と云う所には、永遠や不変と云う言葉は存在しない。 今あるからといって、次回の訪問でも、そのままあるとは限らない。 人に対しても、モノに対しても同じことが云える。 それが島というものなのである。」 と云うことを認識しておくことは非常に大切である。

【テニアン島とは】
■テニアン島は北マリアナ諸島のマンハッタン島?
タガビーチ沖のターコイズブルーの海

テニアン島は、サイパンの南約5Kmの位置にあり、大きさは約100ヘクタールとサイパン島より一回り小さい。 人口は約2000人。 但し、この人口には島民であるチャモロ人、カロリニア人等々に出稼ぎ労働者のフィリピン人、中国人、バングラディシュ人等々が加算されている。

(注:人口に関しては、正確な数字は誰も把握していないのが実情。 役所にも正確なデータはない。 サイパンやロタも同様である。 数多ある観光ガイドブックにも人口何千人と書いてあるが、それらは全てアバウトな数字なのである。)

テニアンの人懐っこい女の子たち

また、島の形状がニューヨークのマンハッタン島に似ていることから、この島の道路には「ブロード・ウエイ」や「42番街(42nd Avenue)」や 「8番街(8th Avenue)」のようにニューヨーク市内の通りと同じ名前が付けられている。

さらに、島の形状だけでなく、島の起伏に関しても全体的にフラットで、その点においてもマンハッタン島とよく似ている。 因みに、サイパンやロタは標高約500mの山が存在する。 そして、何と言っても、この島が他の島々と大きく異なる点は、原子力爆弾を搭載した米B29爆撃機が広島と長崎に向かって飛 び立った島として世界の歴史に名を残していることである。

タガビーチから見たヤギ島

現在、北マリアナ諸島(テニアン、ロタ、サイパン)の島々はグアム島と違って、アメリカの基地は存在しない。 しかし、このテニアン島だけには唯一アメリカ軍の管理地が存在する。

このアメリカ軍管理地はテニアン島北部と中央部一帯を含む島全体の2/3もの広い面積を占有している。 だから、島民達が住めるのは島の南部1/3の地域だけなのである。 そして、その島南部にサンホセ村があり、その村に大部分の島民たちが暮らしている。

このアメリカ軍の管理地には基地がある訳ではない。 時々、アメリカ軍が軍事演習に使用するくらいである。 終戦末期(1945年)、原子爆弾を搭載しB29爆撃機が飛び立っただだっ広い滑走路跡地 (ハゴイ空軍基地跡地)を含む原野が広がっているだけである。 米軍が軍事演習に来ていない時は、出入りは自由であるが、この管理地を開墾したり、農場をつくったり、建物を建てたりしては いけないという規則になっている。

沖縄の米海兵隊約8000人のグアム移転に伴って、2008年にここを米軍の軍事演習地にすることが決定した。近いうちに 一般人は立ち入り禁止となることが決まっている。

地味との最高級の持て成し料理「子豚の丸焼き」

「ブロード・ウェイ」という道路がこのテニアン島を貫いて南北に一直線に延びている幹線道路になっている。 この道路が一直線なのには訳がある。

太平洋戦争終戦末期に島南端のテニアン港から北端のハゴイ空軍基地まで、大きくて重い原子力爆弾を搬送するために米軍が作った道路である。 そのため、港から空軍基地まで最短距離である一直線で結ばれているのある。

日本の広島と長崎に投下された原子力爆弾は、先ず米国本土からテニアン島まで船で運ばれ、そして、テニアン島からB29爆撃機で日本まで運ばれたのである。 もし、何かの理由で、この道路が造ることができなかったら、広島・長崎に原爆は投下されていなかったかも知れない。

テニアンの真っすぐな道路

何故、アメリカがこの島に空軍基地を造ったかと云うと、この島が起伏が少なく全体的にフラットであるため、 島北部にB29爆撃機を発着させるための長い滑走路(全長2600m)を造り易かったからである。 そして、その基地を日本本土空爆の前線基地としたのである。

治安に関しては、非常に良い。 人口が少なく、小さな島という立地条件の所為かもしれないが、年間通して、犯罪は殆どない。 さらに、危険な野生動物も生息していない。 有難い事に、ヘビも生息していない。

■テニアン島の歴史
カロリナス台地から見たマッポ・ポイントの岩山

テニアン島のチャモロ人はスペイン統治時代(17世紀末)、スペイン人から迫害を受け、全員がグアム島に逃げ出してしまった。 そして、第二次世界大戦終了後の1948年にチャモロの一団が戻るまで、約250年間の長きに渡って、この島にはチャモロ人の集落はなかったのである。

そして、その時に戻ってきた400人足らずのチャモロ人(カロリニア人を含む)は、その大部分が西カロリン諸島のヤップ島から移住して来た人達で、残りはサイパンとロタからやってきたのである。

ヤップ島から移住してきた人達は19世紀末にグアム島からヤップ島に渡ったチャモロの子孫である。 すなわち、グアム→ヤップ→テニアンと移動してきた人達なのである。 そして、1950年初めには、現在のサン・ホセ村をつくった。 だから、現在テニアンに住んでいる人達は僅か約60年前からこの島に住み始めたということになる。 これには驚きである。

まだ少し青いローカルレモン

テニアン島の植生も現在と昔では大きく異なっている。 テニアン島は第一次世界大戦後(1918年〜)、日本の委任統治領(日本統治時代)となり、第二次世界大戦前は多くの日本人が入植し、 砂糖キビ栽培などに従事していたのである。 この頃のテニアン島には、南の島では有り勝ちな、現在のロタ島で見られるような、ヤシの木やマンゴーやバナナの木などが豊かに自生していた のである。

しかし、1944年7月にアメリカ軍の海上からの1万発もの集中砲火を浴び、焼け野原になり、この島は単なる岩山の島に変わってしまった。 そして、その時までこの島に自生していた植物は絶滅してしまったのである。

タガ・ビーチで遊ぶ地元の元気な子供達

現在、テニアン島の大部分を覆いつくしている植物は「タガンタガン」という木で、 当時のアメリカ軍が岩山になってしまったテニアンの悲惨な戦闘の痕跡を隠すため、中米カリブ海諸島の島から運んで来たものである。

そして、飛行機で上空からその種を蒔いたのが、現在、島中を覆いつくしている木「タガンタガン」なのである。 この木は繁殖力が強いだけで、ヤシの木やマンゴーの木のように島民の糧になる訳ではない。 唯一、炭の材料になるくらいが関の山である。

■日本統治時代の繁栄
1944年2〜6月頃のサンホセ村の様子

第一次世界大戦後(1918年)〜第二次世界大戦後(1945年)までテニアンを含むミクロネシア全域 (パラオ、トラック、サイパン、ヤップ、ポナペ等々)が南洋群島として日本の領土になった。

1926年、サイパンでのサトウキビ産業を成功させていた松江春次率い る南洋興発株式会社が テニアンをもサトウキビの一大生産地にするために乗り込んできた。 これ以前のテニアンは殆ど無人島状態であった。 今と違って、この時代、砂糖はたいへん貴重な高価なものだった。

1930年頃には砂糖製造所ができ、道路や鉄道も整備され、碁盤の目に区分けされた村が形成されていた。 そして、僅か4年前には無人島だった島が約1万人の日本人が暮らすようになっていた。 そして、村の中心街には、商店、八百屋、魚屋、雑貨屋、散髪屋、学校、食堂、映画館、写真館等々が建ち並び、まるで、日本の村のような雰囲気だった。

1937年には、年間砂糖を4万トン、糖蜜を1万トンを日本に輸出するほどになっていた。 さらに、この頃にはサトウキビ以外にも、コーヒーや綿などの栽培も行われていた。 そして、人口も増え、日本人が1万4千人、それ以外にも、韓国人、チャモロ人、カロリニア人が暮らしていた。

テニアン空港への着陸態勢にはいったセスナ機

色んな人種が同じ島で暮らすとなると、当然、人種差別が起こる。 その結果、島でのポジションや暮し振りも人種によって異なっていた。

日本人は1等国民、沖縄人は2等国民、チャモロ人等々のミクロネシア諸島の人々は3等国民、韓国・中国人は 4等国民と明確に分かれていた。 これはテニアン島だけの特別なルールではなく、本国日本政府の方針で、当時占領していた中国、韓国、南洋諸島すべてに適用させてい た。この当時は沖縄は日本とは「別」と考えられていた。こんなことは日本の学校では決して教えない。

テニアン島の歴史上、日本統治時代が最も繁栄した時代であったと言える。 そして、この繁栄は1944年7月の米軍侵攻によって終わったのである。 そして、この時に軍人と民間人を合わせて約1万人の日本人が亡くなっているのである。

■広島市、長崎市とテニアンとの関係
原爆搭載跡地にある写真資料館

第二次世界大戦末期の1945年8月6日にB29爆撃機エノラゲイが広島に、3日後にボックスカーというB29爆撃機 が長崎に向け原爆を搭載して飛び立った島として歴史上にその名が知られている。

毎年、8月15日の終戦記念日には広島と長崎に投下された原爆やその悲惨さはテレビや新聞で多く語られる。 しかし、その原爆がどこからどのようにして運ばれてきたものなのかという経緯は殆ど語られない。

おそらく、それを語るとテニアン島の悲しい歴史を抜きにして語ることができなからであろう。 だから、多くの日本人はB29爆撃機が一大観光地サイパンの傍にある小さな島テニアンから飛んで来たことは知らない。

写真資料館にある広島型原爆の写真

また、原爆搭載機が飛び立つ約1年前からB29が日本の主要都市を空爆するために、この島から飛び立っていたのである。 そして、飛行距離がギリギリだったので帰途の途中に墜落して帰還できなかった米軍機も数多くあったのである。 このことは歴史の裏面のことであり、余り語られていないが・・・・。

テニアン島北部ハゴイ空軍基地跡地にあるB29発進地点(アトミック・ボン・ピット)には、米国によって「原爆の碑」が建てられて いる。 そして、その碑には『米国は戦争を一刻も早く終らせるために、広島、長崎にB29爆撃機「エノラゲイ」、「ボックスカー」を発進させ 原爆を投下したのである。 』と原爆投下を正当化した文が刻んである。

ブロードウェイ通りに咲いている火炎樹

米軍によって原爆搭載のB29爆撃機が飛び立った場所(島)にされてしまったが故、テニアン島民は今でも「核」には非常に敏感であり、明確に「核」に対して反対の立場を採っている。

かつて、こういう出来事があった。 1981年、日本政府が原発施設から出た核廃棄物を太平洋の真ん中に海中投棄しようとした時のことである。 これに当時のテニアン市長メンディオラ氏は日本までやって来て、日本政府に激しく抗議した。

このような太平洋諸島の人たちの強い反対で、日本政府は核廃棄物の海中投棄を残念したのである。 そのお陰で、日本は取り返しのつかない過ちを犯さずに済んだのである。 2004年末には原爆搭載跡地に当時の写真を展示する写真資料館が建てられた。

昨今、高校生の修学旅行は米国、カナダ、オーストラリア等々へと出かけているが、教育の一環としての修学旅行なら、まずテニアンを訪れる べきである。特に、広島と長崎の学校は必要な教育だと思うのだが・・・。

■土着の韓国人とチャモロ人との関係
超元気な人懐っこいテニアンの子供達

北マリアナ諸島はチャモロ人の国なので、サイパンとロタでは、何かにつけて他民族よりチャモロ人の方がポジションは上である。 しかし、この島ではチャモロ人と韓国人が同等の立場で上手く暮らしている。

何故なら、サイパンとロタにいる韓国人はビザを取得して、ビジネス等で来ている人が殆どであるが、 テニアンに住んでいる韓国人は60年以上も前から、 すなわち、日本統治時代からテニアンに住み着いている(正確には、終戦直後の引揚時に日本政府が置き去りにした人たち)人たちなのである。 チャモロ人がこの島に移り住んだ終戦直後の約60年前から一緒に暮らしているのである。

このような形態は他の2島では見られないテニアンだけの特徴である。 だから、サイパンやロタと違って、テニアンには韓国人の政治家が存在するのである。 また、韓国人はチャモロ人と比べて、商売が上手な為、島内あ るスーパーマーケットは全て土着の韓国人経営である。

■テニアン島へのアクセス
サイパンーテニアン間のセスナ機。テニアン空港にて。

アクセスについてはサイパンの商業港(チャーリードッグ)から高速フェリー(所要時間50分)が運行している。 このフェリー運行会社はテニアン・ダイナスティの系列会社の経営である。

以前は1日に数本が運行されていたが、観光客の減少により2009年は火曜日と土曜日は運行されていない。今後も流動的なため、 必要に応じて旅行社に確認する方が良い。

また、飛行機の場合は、「フリーダム・エアー」航空会社のセスナ機(4〜6人乗り、所要時間約10分)がある。 但し、この飛行機は日本から予約はできず、国内線空港カウンターに行って直接チケットを買わなくてはならない。 先客がいれば、次の便まで待たなくてはならない。日本の乗合バスの感覚だ。 また、機材が小さいため大きな荷物は運べない。 そのような理由で我々日本人観光客には手軽に利用できる乗り物ではない。 だから、通常観光客は高速フェリーを利用することが一般的である。

テニアン港に到着した高速フェリー船

また、留意しなくてはいけないことは、船にしても、飛行機にしても、風が強かったり、海が荒れたり、トロピカル・ストームの 豪雨で視界が悪かったりすると、突然欠航することがあると云うことである。

2005年から高速フェリーに乗船の際、テロ防止の為、厳重な乗船検査を行っている。 そのため、写真付きの身分証明書が必要。 日本人ツーリストの場合、パスポートが必要となる。 飛行機「フリーダム・エアー」の場合もパスポートを見せる必要がある。 お金を払えば、子供がママゴト遊びで使うようなペラペラのチケットを発券して乗せてくれる。

【テニアン島の自然】
■ターコイズブルーの海
タガビーチ公園の風景

タガ・ビーチ沖の海域はこの島特有のターコイズ・ブルー(トルコ石)色に輝いており、他の島とは異なった青色を持つ海をしていることで有名である。 透明度も非常に高い。 ビーチ近くの海水には、ビーチにある白砂が含まれて少し白く見えるが汚れている訳ではない。 少し沖に出ると、グンと透明度がアップする。

また、この海域にはサメなどの危険な大型魚はいないので、泳ぎに自信のある人は泳ぎを楽しんでみては。 また、天気の良い日は流れも波も殆んど無く、気持ちよく泳げる。 しかし、遠浅ではないので、泳ぎに自信のない人は沖に出ては危険である。 沖は海流の流れが速いので、人間の泳力では敵わない。 また、ジェットスキーやバナナボートをやっている海域があるので、その辺りも注意するか、近づかない方がよい。 但し、500mほど沖合いにあるタチョンガ・リーフを超えて沖に出るのは危険である。 この海域を使って毎年「ターコイズブルー・トライアスロン&リーフスイム」大会が開催されている。

■ターコイズブルーの「魅かれる海」シリーズ
■テニアン島の植物
タガンタガン樹で覆われたテニアン島

北マリアナ諸島に生えている樹木で一番よく目にするのはこの「タガンタガン」の木である。 これは非常に繁殖力の強い木で、原産地は中米カリブ海諸島である。 木と云っても潅木で幹の太さは腕くらい、背丈は3〜4mくらいにしか成長しない。

では、なぜ、遥かカリブ海のものが北マリアナ諸島にこれほど多く繁殖しているかと云うと、 60年ほど前の太平洋戦争末期に、米軍の海上からの集中砲火で草木が焼けて、岩山だけになってしまったテニアン島に、 早急に緑を回復するために、同時に、戦争の悲惨な爪痕(死体等々)を隠すために、米軍が飛行機で上空から繁殖力の強い「タガンタガン」 の種を蒔いたのである。

すなわち、この時点で、テニアンに昔から自生していた植物は絶滅してしまったということである。 それに取って代ったのが、外来植物のタガンタガンである。

若いバナナとバナナの花

米軍としては、気候がよく似ているカリブ海のものならテニアンでも生えてくるだろうと考えたのである。 それは「ビンゴ」であった。

現在、テニアン上空から、緑の絨毯のように一面に広がって見えるのがこの「タガンタガン」の樹海である。 そして、その種が風や海流に乗って運ばれたりして、今ではサイパンやロタやグアムなど近隣の島々でも広く繁殖して、 これらの島々に昔から生息していたかのようである。

問題なのは「タガンタガン」の木は繁殖力が強すぎて、北マリアナ諸島に自生している植物(バナナ、パパイヤ、タロイモなど農作物も 含む)を淘汰してしまうことである。

さらに、この木には食べることができる実(フルーツ)が生らないので、島民にとっては余り役に立つ木とは考えていない。 「絹さや」のような形をした殻の堅い豆のような実が生るだけである。 もちろん、食べることはできない。

熟れ頃のカラマンシー。島民の食生活には欠かせない。

では、島民達はこの木をどのように日常生活に利用しているかと云うと、幹がまっすぐで堅く、その太さが揃っている性質を利用して、 祭り用の小屋を作ったり、ベンチを作ったりする。 しかも、道具はノコギリと金づちと釘だけである。 これがまた、上手に、しかも短時間で作ってしまうのである。 こういうことに関しては、チャモロ人の才能にはいつも驚かされる。

他には、幹を薪に利用したり、BBQ用の炭を作ったりする。 テニアンでは「絹さや」のような殻と実の部分を採って、それに糸を通して歓迎用の首飾り(現地では「レイ」と呼ぶ)にする。 これはテニアン独特の習慣で、他の島ではタガンタガンのレイはない。

しかし、不思議なことに、これほど繁殖力が強い木なのに、台風などで海水の飛沫が直接降り掛かると、その部分は白く変色して枯れて しまうのである。だから、海の近くのタガンタガンは幹の上部が枯れているものが多い。 意外にも、塩水には弱いのである。 テニアン島北部の潮吹き海岸付近ではその現象 (木の上半分が白く枯れてしまう)が数多く見られる。

その後、島民達が暮らすことを許された島南部では、バナナ、椰子の木、パパイヤ、 マンゴーなどのトロピカルフルーツや火炎樹、ブーゲンビリア、ハイビスカスなどの花も徐々に植えられ、サンホセ村辺りは南の島ら しく植生が豊かになってきた。 しかし、米軍の管理地である島中部から北部一帯にかけては、未だに絨毯のようにタガンタガンの木で覆われている。

テニアンの小振りの唐辛子

マリアナ諸島の各家庭にはホットペッパー(唐辛子)をペースト状にしたものが常備してある。 唐辛子に塩、生姜、ニンニクを少し加えて磨り潰すのである。 その味は、各々の家庭によって微妙に異なり、日本で言う「お袋の味」的存在である。

材料となる唐辛子は小粒(米粒の2倍程度の大きさ)のものを使うのが一般的で、日本にあるものと比べると100倍は辛い。 超激辛である。 そのまま口に入れると、辛いという感覚を通り越して痛みを覚える。

ペースト状とタバスコ・タイプに加工された激辛唐辛子

でも、島民達はこれを平気で食べるのである。 最も一般的な食べ方は「フィナデニ」という醤油ベースのソース(タレ)を作る時に入れる使い方である。

このフィナデニ・ソースは醤油に、このホットペッパーのペーストと玉ネギ、ニンニク、味の素少々、それにカラマンシー、 (沖縄ではシークァサーと云う)をたっぷり絞って加えるのである。

フィナデニはBBQや刺身などにもよく合う。 また、白いご飯にそのまま掛けて食べても美味い。 ポイントはカラマンシーを使う点にある。 日本で云う黄色い普通のレモンでは全く美味くない。 カラマンシーは日本のカボスのような外見をしているが、その味は全く違う。 このレモンはロタではロタ・レモン、テニアンではテニアン・レモン、サイパンではサイパン・レモンと呼ぶ人もいる。

また、テニアンでは、ロタやサイパンと違って、ペースト状のもの以外に、唐辛子を乾燥させて粉末状に加工したり(日本の一味に 似ているが激辛)、 ペースト状のものに酢を少し加えてドロドロの状態(タバスコのようなもの)にしたりして使うこともする。 これらは全て家庭の味であって、レストランでは見掛けることは殆どない。 スーパーマーケットなどにも売っているので、お土産にはお薦めである。

■テニアンの道路はどこまでも真っ直ぐ!
まるでナスカの地上絵のようなテニアンの道路

緑の絨毯のような樹木を引き裂いて、真直ぐに延々と延びている道路を車で走っていると、前後にはまっすぐに延びた道路、左右には緑のジャングルしか見えない。 小さな島であるのに、まるで大陸を走っているような錯覚に陥る。 不思議な島「ミステリアス・アイランド」と呼ばれる所以のひとつがこれである。

また、空からみると、道路が、まるで「ナスカの地上絵」のように見える。 ミステリアス!! 時間があれば、ぜひ、レンタカーでテニアンの道路を楽しんで下さい。 交通量は少ない。 そして、この島には信号機はないよ。

■テニアンの「魅かれる道」シリーズ
■アグィガン島(別名:ヤギ島/山羊島)
沖に見えるのがヤギ島

北マリアナ諸島にヤギ島(ゴート・アイランド)と呼ばれる小さな島がテニアンの南約9kmの所にある。 テニアン島タガビーチのスグ沖に浮かんでいる。 正式名はアグィグアン(Aguiguan)島と言う。 そして、行政区分ではテニアン政庁に属する。

この島は無人島で野生のヤギが多く生息しているので、この呼び名が付いている。 マリアナ諸島で野生のヤギが生息しているのはこの島だけである。

では、なぜ、この島だけにヤギが多く生息してるのかと云えば、むかし日本人が家畜としてヤギを連れて行ったのがそもそもの始まりである。 戦前、日本がマリアナ諸島を統治していた時代、この島でサトウキビ栽培を行っていた。 当時、そのための日本人村がこの島にあった。 その時に家畜として連れて行ったのがこれらのヤギの祖先で、それが繁殖を繰り返して今も生き残っているのである。 現地でもこのことは意外に知られていない。

道端で草を食む可愛い山羊

テニアンの人々は時々ヤギを捕まえにこの島に出掛けて行く。 だから、テニアンでは家畜としてヤギを飼っている家が多いのである。 因みに、テニアンやアグィグアン島にはマリアナ鹿は生息していない。

また、現在はこの島は無人島であるが、日本時代は日本人が暮らしていた。 では、何故、現在人が暮らしていないかというと、島の周囲が全て切り立った崖で囲まれており、船を近づけることが困難であるためで ある。それに飲料水の確保が難しい。

■豊なサンゴ群とタコ漁
海底の様子、水深5mくらい

タチョンガ・ビーチから約500m沖にある円形のリーフ 「タチョンガ・リーフ」付近はシュノーケルで様々なサンゴや熱帯魚を楽しめる。 このリーフは引き潮の時でも、サンゴが海面上に出ることはない。

サンゴ礁の上の部分では、波が白く砕けている程度で、海面ギリギリまで成長しているさんご礁である。 その大きさは直径約500mあり、タチョンガ・ビーチとタガ・ビーチを大波や台風などから護っている。 そして、このビーチとタチョンガ・リーフとの間の海域は穏やかで、流れも緩く、水深は3m〜15m位である。 そして、透明度は抜群に良い。

また、タチョンガ・リーフがあるため、この海域にサメなどの危険な大型魚が入り込むことはない。 注意することは、このタチョンガ・リーフの近くは波が巻いているため近づいたら危険である。 また、このリーフの外側は外洋になっており、流れが強く、シュノーケルやスイムで出て行くのは危険である。

獲物のタコ、必死にスミを吐いている

また、地元の人たちにとっては、この海域はタコ獲りの格好のポイントである。 少し大きめのサンゴには必ずタコの住処(地元の人は「タコ・ハウス」と呼ぶ)があると云う。 素潜りで2〜3回潜ると、1匹は捕まえて戻って来る。 それほどたくさんのタコがこの辺りには住んでるということである。

彼らが捕まえるタコは全長が50cm〜1mくらいと相当に大きい。 タコ獲りは腕力の要る漁で、タコのいるサンゴの隙間に腕を突っ込んでタコを捕まえるのである。

しかし、タコもそんなに簡単にはタコ・ハウスからは出て来ない。 サンゴや漁師の腕に絡み付いて抵抗をするのである。 それを腕力にモノを云わせて、グッイっと引っ張り出すのである。 軍手以外には、銛のような道具は一切使わない。 素手で捕らえるのである。 彼らの腕は我々日本人の腕の3倍ほどの太さがある。

素手でタコを獲るコツは、タコ・ハウスから引っ張り出すと、素早く頭皮をヒックリ反すことらしい。 こうすればタコは弱って反撃して来ないそうだ。 多い時は、一日一人で50〜60匹獲るという。 そして、半分くらいはホテルに売って小遣いを稼ぐのである。

また、この海域には海亀もたくさん生息しており、彼らの漁の対象となっている。 その肉の味は抜群に美味いとのこと。 海亀の肉を食べたら他の肉は食べられないと云う。 獲り方は、海亀の背中に乗り、急所の首をナイフで突くと言う。 残酷ではあるが、漁というものは全て残酷なもの、食べるためには致し方ない。

この辺りに生息している海亀は「緑海亀」と云って、成長すると全長1mくらいで、体重は約70kgくらいある。 餌は、海草、藻、クラゲを主に食べる。 因みに、彼らチャモロ人の潜水能力は非常に優れており、素潜りで2〜3分は楽に潜っていることができる。

テニアンで、誰もが認める最高のタコ漁師カブレラは5分くらい潜っている ことができるという。 また、このカブレラは海中で泳いでいる魚を素手で捕まえる事ができる。 この技はテニアンでもこの男にしかできない。 本職は役所の職員である。

【泊まる】
■テニアン・ダイナスティ・ホテル&カジノ
ダイナスティの大きいプール。気持ちがいい。

何といってもこの島で一番快適なホテルは香港系資本の「テニアン・ダイナスティ・ホテル&カジノ」である。 1998年オープンしたテニアン島唯一の大型高級リゾートホテルで、その客室数は400室を誇る。 ホテルのグレードは五つ星クラスと云う。

客層は香港系資本のホテルと云うこともあり、主に中国からの観光客が多い。 このホテルの特徴は何と言ってもは本格的なカジノ施設があり、ルーレットやバカラなどが24時間楽しめることである。

それ以外にも、リゾートホテルにしては珍しく50mプール規模の大型プールを持っている。 プールに関してはマリアナ界隈のホテルの中では一番である。 また、そのプールの脇にランニングマシーンや筋トレマシーンを完備したトレーニングルームも完備されている。 宿泊客であれば、無料で利用できる。

大理石の豪華なロビー。天井のシャンデリアが床に映っている。

レストランに関しては、カジノ・ルームの奥にあるレストラン「カジノ・カフェ」が安くて美味い。 また、中華料理レストランも、さすがに香港資本のホテルだけあってホントに美味い!和食レストランもあるが、絶対に中華レストラン がオススメである。 バイキング形式のレストラン「ブロードウェイ」も多種の料理やケーキ類が腹いっぱい食べれるので満足度が高い。

それ以外にも、常設ではないが、ロビーの片隅にケーキやパン、それに弁当なども3ドルほどで販売されている。 コーヒーはロビーのソファーで飲むことができる。

トレーニング・ジムの内部

先ず、このホテルに到着して、多くの人が疑問を感じることは「何故、テニアンに、これほど大規模のホテルがあるのか?」ということである。 この島は、その面積の2/3が民間の自由にできない米軍の管理地と云う理由で、過去に開発の手がほとんど入っていない。 だから、このホテル以外には大きな建物はない。

上空から見ても、全体が緑に覆われた島なのに、このホテルだけが異様に目立つ。 それほど大きいのである。 誰が見てもアンバランスである。 アクセスの悪いテニアンで、幾ら利益率の高いカジノ施設を備えていると云っても、これだけ大規模のホテルを運営していくのは楽では ないだろう。10年たった今日でも経営は楽ではない。

DYNASY CASINO BACCARAT

このホテルがテニアンに建てられた訳は、1997年7月1日の「香港返還」に関係してる。

香港返還とは、約150年間の長きに亘ってイギリス統治下にあった香港が共産主義国家中国に返還されてしまうと云うことである。 これに香港の多くの資本家たちは自分達の資産を中国国家に没収されてしまうのではいかと恐れ、保有している資本を海外に移したり、 自分達も移住したりしたのである。

主に、カナダやオーストラリア等々に多くの資本が移されたが、その内の一つが、何故かこの北マリアナ諸島の小島テニアンに逃れてきた ということだろう。

ダイナスティの全景とタガビーチとタチョンガビーチとタチョンガ・リーフ

オープン当時の1998年頃、このホテルには約800名の従業員が島外からやって来たので、人口1000人程度のこの島は、一気に倍 近くまで人口が膨れ上がってしまった。 しかし、この頃、日本の景気がイマイチの状態にあったため、当初計画していたほど客足が伸びず、徐々に従業員が減って、現在は200〜 300名くらいである。

また、電力使用量をみても、全島民が使用する電力量よりもこのホテルの使用量の方が多いのである。 これらの数字からも、このホテルの規模がこの島にとって如何に大きさかが判るというもの。

2004年後半からは北京、広州、上海等々からサイパンへ直行のチャーター便が来るようになり、中国からの観光客が一気に 増加した。 今では、さらに、555部屋の客室を持つ建物を増築する計画がある。 今日の急激な中国の経済発展とリンクしている。

立地条件に関しては非常に良い。 タガ・ビーチタチョンガ・ビーチにも近く、徒歩5分くらいで行くことができる。 また、サンホセ村も近いので、スーパーマーケットへ行くのも容易である。

2001年の9・11ニューヨーク同時多発テロ事件に端を発した米国の対テロ政策が、何の落ち度もないこのホテルに大きな影響を及ぼ そうとしている。その結果、2009年11月28日に実施が予定されてい る連邦化にどう に対応するかで、今後のダイナスティ・ホテルの存続が懸かっている。

テニアンにはダイナスティ・ホテル以外にもサンホセ村に3つのホテルがある。 「テニアン・ホテル」(場所:テニアン観光局北側/2008年に閉鎖)と「ロリリンズ・ホテル」(場所:旧市庁舎の前)と 「名鉄フレミング・ホテル」(場所:教会の近く)である。名鉄フレミングホテルは、以前は日本人スタッフが常駐していたが、2008年 以降はローカルスタッフのみである。

これらはリゾートホテルというよりも民宿ホテルのような感じで、プールもなく海に行くにも車で行かなくてはならない。 当然、宿泊料金は安く、長期滞在には便利である。 しかし、数日間の短期のバケーションなら、少しくらい旅費が高くても、せっかくテニアンまで行くのだから絶対に「テニアン・ダイナスティ ・ホテル&カジノ」が快適でオススメである。 (別にダイナスティから何か貰ってる訳ではありませんよ)

【見る】
タガビーチで飛び込みをして遊ぶ地元の子供達

テニアンを代表する最も美しいビーチはタガ・ビーチである。 このびーちは古代タガ王のプライベート・ビーチだったと云う伝承が残っているくらいである。 美しい真っ白い砂浜を持つ小さなビーチである。

そして、このビーチは約10mメートルの高さの崖に囲まれており、梯子を使わなくては、その真っ白い砂浜に下りることはできない。 だから、尚更、昔の美しいままの状態が保たれていると考えられる。

一般の観光客の大部分は崖下のビーチに下りることが困難なため、 100mほど離れた隣のタチョンガ・ビーチに行き、このビーチ に来ることは殆どない。 当然、観光化はされていない。

夕方のタガ・ビーチ

また、ここは地元の子供達の海遊び場所であるため、日曜日ともなれば、子供たちが集まって来て、泳いだり、潜ったり、崖の上から 飛び込んだりして遊んでいる。 この辺りの海は深くはない(約2〜4m)が、背が立つほど浅くはないので、泳げない人は海に入らない方がよい。

しかし、泳げる人にとっては、素晴らしい海で、穏やかで、透明度も高く、流れも殆どないので、是非、泳いで見られては。 無料のシャワーも完備しているのがいい。 また、サメなどの危険な大型魚もいないので、安心。

但し、沖の方は、時間帯によっては、観光客用のジェットスキーが走り回っているので注意が必要。

タガビーチを泳ぐ

サイパンやロタの子供達と比べて、テニアンの子供達が一番海で遊んでいる。 何故なら、サイパンやロタには、テニアンのタガ・ビーチほど、地元の子供たちが海で遊べる場所がないからである。このビーチの左手 には珊瑚礁があり、巣もぐりで、手軽にカラフルな熱帯魚を見ることができる。

また、このビーチは「ターコイズブルー・トライアスロン&リ ーフ・スイム大会」のスタート場所であり、 沖はそのスイムコースに当たる。

■ミステリー・ゾーン(マサロクビーチの「クジラ伝説」とマサロク古代住居跡)
マサロクビーチに打ち上げられた巨大なクジラの死体

テニアンが「ミステリアス・アイランド」と呼ばれる理由は、不思議な「クジラ伝説」もその理由の一つに数えられる。

テニアンには昔からクジラにまつわる伝承がある。 島民たちによると、島の中央部東海岸にある小さな岩で囲まれたマサロク・ビーチ沖の海域が「鯨の墓場」だという。

なぜなら、マサロク・ビーチには昔からクジラの死体がしばしば打ち上げられるからだと云う。 不思議な話だが、島の東側に横たわる水深1万mのマリアナ海溝と「クジラの墓場」とは何らかの因果関係があるのだろうか?

美しい小さなマサロク・ビーチ

実際に、砂浜に打ち上げられているクジラの死骸を目の当たりにすると、強ち、この伝承が根拠のないものとは思えない。

この左上写真に写っているマサロク・ビーチの砂浜に横たわっている「モノ」は、2004年2月12日頃に打ち上げられた 死んだクジラである。 その全長は約17mで頭部は左で尾っぽは右にある。 このクジラの体色が白いのはなぜだろう。 これって白鯨?

古代住居跡のラッテストーン

また、このマサロク・ビーチ背後の林の中には古代住居跡を示すラッテ・ストーン群が広範囲にわたって見られる。 さらに、ビーチ近くの砂浜には古代文字(絵文字)が刻まれた石版が砂に埋もれており、台風等の大波で砂が浚われた時に現れたり、 また、埋もれたりするという。

島民達は、このマサロク・ビーチに古代人が集落を作ったのは、その当時からこのビーチにクジラが打ち上げられて来ていたからで はないかと云う。

なぜなら、この巨大な肉の塊は古代人にとっては大切な食料となっていたと考えられるからだ。 これは、なかなか説得力のある話である。

■シーニック・ルックアウト(展望台)
展望台から見たサンホセ村とタガビーチ

ここはKFC一押しの観光スポットである。 島南部の観光スポット「スーサイドクリフ」に行く途中にあるシーニック・ルックアウト(展望台)からの展望である。 ここには特別な建物があるわけでもなく、道端の単なる高台であるが、ここから見渡すサンホセ村全景、タガビーチ、タチ ョンガビーチ、ブロードウェイ通りは圧巻である。 そして、海の青、島の緑、空の青のコントラストが見事である。

地元の人はこの展望台のことを「レモン・ロック」と呼ぶ。 このレモンというのは、フルーツのレモンではなく、ビンローを噛む時にビンローに振りかける白い石灰の粉のことである。 この場所にあるサンゴ岩で作った粉が一番美味いので、昔からこの場所のことをそのように呼ぶのである。

■スーサイドクリフ
対岸から見たスーサイド・クリフの風景

ここはサイパンの「バンザイ・クリフ」や「スーサイド・クリフ」のような所で、第二次大戦末期の米軍侵攻の際に、この岸壁から 大勢の日本人が身を投げた悲惨な過去を持つ場所である。 今は、ここから身を投げた人を慰霊するための慰霊碑が建っている。

スーサイドクリフに建つ記念碑

毎年、日本からこの地に縁のある人たちが慰霊のためにやってくる。 ここでは南の島のイメージとはかけ離れた荒々しい波が打ち寄せる東部海岸の姿を見ることがでる。 ここは年間を通して風が非常に強いので、帽子等々を飛ばさないように注意が必要である。

場所は、島南端の東部海岸に面した所にある。

■朝日を望むパビリオン
海岸沿いに建つパビリオン

2005年に建設された太平洋側に面したパビリオン。 テニアンでは太平洋側にパビリオンを作るのは初めてのことである。 ここは「スーサイド・クリフ」の近く(手前)にあり、眼下に荒々しい雄大な太平洋を見下ろすことができる高台にある。

タガビーチのパビリオンは西側のフィリピン海に面した所にあり、夕日を楽しむのに最適な場所。 そして、ここのパビリオンは太平洋の水平線の彼方から昇ってくる朝日を見るのに持って来いの場所である。

パビリオンがある海岸、また、海亀ポイントでもある。

テニアンで云うパビリオンとはブロックとセメントで造られた屋根だけがある建物で、電気を水道が完備されている。 目的は、週末に島民達がバーベキューを楽しむための設備である。 毎週末、どこのパビリオンでも島民達がランチ・バーベキューを楽しんでいる。

また、この岸壁が海亀ウォッチングの最高のポイントであることは知られていない。

呼吸のために浮かび上がってくた海亀

「朝日を望むパビリオン」は海亀ウォッチングの最高のポイントでもある。 この場所ほど確立の高い割合で海亀を見ることができる場所は、マリアナ諸島でもこの場所以外にはない。 10mほどの崖のすぐ真下、すぐ足元で、お手軽に見ることができるのが良い。

ウォッチングの時間は午後3時〜4時の間で、それ以外の時間帯には見ることができない。 この時間帯に行くと、青亀や赤亀が彼方此方から呼吸をする為にポコポコと面白いように海面に浮かび上がってくる。 宝探しをしているようで楽しい。

2〜3分海面を漂って、また、白い腹を見せて海中に潜っていく。 なぜ、この場所で、午後3時〜4時という決まった時間に多の亀が見られるのか、不思議である。

地元の人ジョー・クルズによると、この場所は海亀の家があるという。 そして、昼間は西海岸のバルシナス・ポイント(トータル・ケープ)に餌を獲りに行って、夕方には東海岸にあるこの住処に帰って来るの だという。 海が荒れていない限り、この時間帯にここに行けば、見ることができる。 我々KFCは3日間行き、3回ともビンゴであった。

しかし、なぜ、ジョーは海亀のスケジュールが分かるのか、不思議だ。 また、これだけ高い確立で見ることができれば、テニアン島の立派な観光資源に成り得る。 この情報は観光ガイドブック等々には載っていないカルト情報である。

■日本海軍司令部跡
約60年前の当時のままの状態にある。

島北部のハゴイ空軍基地跡地に建つ日本海軍司令部の建物。当時を語る上で、残存するものでは一番迫力がある。

大戦末期の米軍の集中砲火で無残な姿を残している。 その壁は至る所に大きな穴が開いており、鉄筋の柱も途中で折れてなくなっている。 また、天井も大きな穴がポッカリ開いていおり、当時の戦闘の激しさを生々しく残している。 また、建物内部もその当時の面影を残しており、2階に上がる階段、風呂場、トイレ、炊事場等々もハッキリとその面影を残っている。

ノースフィールドにある破壊された日本軍司令部跡

これらを目の当たりにすると、「考えさせられるもの」がある。 ここも訪れる価値有りのスポットです。

崩れる危険があるので、2004年から立ち入りが禁止された。

■日本海軍の発電所跡
外壁は相当に痛んでいるが、室内はそれほどでもない。

ハゴイ空軍基地跡地のジャングルの中にある日本軍の発電所の建物。 司令部跡の東側にあり、司令部と同じく集中砲火を浴びて建物は相当に痛んでいる。

しかし、柱の太さや壁の分厚さ、鉄筋の量などから相当に頑丈に造られていたことがわかる。 同じ敷地内の別棟に発電機の機械が設置してある建物も残っている。

■日本海軍の防空壕跡
カマボコ状の形をした防空壕

島北部のハゴイ空軍跡地には日本軍が造った防空壕が残っている。 米軍の集中砲火でボロボロに壊れた司令部や発電所と違って、流石は防空壕、壊れずにしっかりと当時の原型を保っている。

この中に入ってみる勇気は、流石に湧いてこない。

動物自然保護区からのナイスな眺め

カロリナス台地とはテニアン島南端にある標高150mほどのほとんど平らな台地のことである。 具体的には「スーサイド・クリフ」左手に見える切り立った崖の上の一帯がそうである。

2006年まで、この台地に車が入れる道もなく、人の手がほとんど入っていないジャングルのままだった。 しかし、2006年に入って、テニアン政府指導で、この一帯を整備して観光資源にするプロジェクトが急ピッチで進んである。 そして、2007年から一般観光客も5ドル支払えば、自由に入れるようになった。

植林を手伝う地元の高校生の女の子

先ず、このプロジェクト・チームを驚かせたのが、この一帯には予想以上に野生動物の種類が多かったことである。 野生のヤギ、野生のニワトリ、ヤシガニ、フルーツバット等々がたくさん生息していることも判明した。 嬉しいことに、ヘビや危険な野生動物は生息していないのでご安心を。

植物に関しては、ほとんどがタガンタガンという実も花もできない木に覆われている。 現在、ヤシの木などの有益な樹木を植林中である。

保護されているマリアナ鹿

カロリナス台地の一角、青い海を望む風光明媚な高台に、ネットを張って動物自然保護区「カスティス」を設けたり、 自然動物園を作ったりして、これらの動物を飼育しながら、観光客にも見せるようにするための工事が進んでいる。 昔からテニアンには生息していないと言われていたマリアナ鹿もいる。よくよく聞いてみるとロタから連れて来たことが判明した。 そして、地元の中学生や高校生が授業の一環として動物自然保護区造りを手伝っている。

また、自然動物園の眼下に広がるジャングル一帯は「バード・サンクチュアリー(海鳥の保護区)」になっており、真っ白い海鳥 が飛び回っている。 その「バード・サンクチュアリー」の背後には青い太平洋が広がっている。

■風化させてはならない場所
洞窟からの眺め

スーサイド・クリフと同じく、カロリナス台地の南端にある太平洋を望む絶壁辺りにも、平和を願う上で、決して風化させてはならな い場所がある。

それは、約60年前の太平洋戦争の末期に米軍の猛攻撃から逃れた日本人が生活をしていた場所(洞窟)である。 その洞窟は、「朝日を望むパビリオン」の背後にある切り立った崖の中腹にある。

当時、米軍の攻撃によって、命辛々逃れてきた日本人は、この崖に開いた自然の洞窟に逃げ込み、終戦を迎えるまで2〜3ヶ月間ひ っそりと生活していたのである。

その洞窟の大きさは大小いろいろあるが、ほとんどが畳十畳くらいの広さである。 その中には、今でも当時を忍ばせる数々のモノ(飯ごう、ラジオ、食器類、ビンなどの破片)が散乱している。 これらを見ていると、考えさせられるモノがある。怖かっただろう。 その当時の人々の気持ちを思うと、胸にジーンと来るモノがある。合掌。

洞窟内の様子

当時のテニアンには軍人だけでなく、南洋興発株式会社という日本人経営の会社が砂糖農園を経営していた。 そのため、砂糖きび栽培に従事する約1万人もの日本人が住んでいたのである。 その当時は、砂糖は高級食品であった。

現在は島中がタガンタガンの木で覆われているが、その当時は、タガンタガンの木は一本もなく、島全域に亘って、 まるで日本の水田のように、碁盤の目に区切られて、そこに砂糖きびが効率よく植えられていたのである。

また、現在のサンホセ村辺りに住居地区が設けられていた。 この地区も道路を中心にして左右に建物が整然と並んで建てられていた。 住居地区だけでなく、繁華街もあった。

この繁華街には日本の街と同様に、八百屋、魚屋、鍛冶屋、雑貨屋、散髪屋、靴屋、洋服屋、食堂、映画館、本屋など、ありとあらゆ る商店があった。 また、その一角には、何と遊郭もあったのである。

切り立った絶壁にある洞窟

その当時、ここに住んでいた人や家族親戚をこの地でなくした人たちが、慰霊団として、今でも毎年、日本から慰霊のためにここ を訪れている。

この洞窟は切り立った崖側からではなく、上(天井側)の地面にも人が一人入れるほどの大きさの穴が開いており、そこから出入りする ことができる。 2005年以前は、ここへ行くための道が造られていなかったので、タガンタガン木で覆われたジャングルをかき分けて行かねばならなかった。 現在は車が通れるように道が造られている。

上空から見たB29爆撃機が飛び立った滑走路、今尚米軍の管理下にある。

島北部に広大な面積を持つハゴイ空軍基地跡地がある。 ここには、全長2600m、幅60mの滑走路が4本残っている。

しかし、南側の2本は、大部分がツタに覆われて、緑の原っぱのようになってしまっている。 これらの滑走路を「エーブル滑走路(Runway Able)」と呼ぶ。

1945年夏には、この滑走路から広島と長崎に向けて、原爆を搭載したB29爆撃機が飛び立ったのである。 この滑走路跡地以外にも、B29爆撃機発進跡地、旧日本海軍の防空壕、日本海軍司令部跡、原爆搭載地跡地に建てられた写真館等々がある。

今尚、ハゴイ空軍基地跡地を含むテニアン島の北側3分の2の部分はアメリカ軍の管理下にある。 だから、テニアン政庁が独自で道路や建物を造ったり、フルーツなどの植物を植えたりすることはできない。

B29爆撃機が広島・長崎に向かって飛び立った滑走路。

アメリカはテニアン島の平坦な地形を利用して大空軍基地を建設する計画を、第二次世界大戦後ずっと持ち続けている。 その賃貸料として、年間1億数千万円が北マリアナ諸島政府に支払われている。 それは、北マリアナ諸島の重要な、且つ、確実な収入源になっている。

しかし、今現在は、全く手は付けられておらず1945年当時のままである。 時々、米軍が軍事訓練用にハゴイ空軍基地跡地を使う程度である。

9・11NYテロ直後、沖縄の米海兵隊が大勢ハゴイ空軍基地跡にキャンプを張り、アフガニスタン攻撃の訓練をしていた。 そして、米軍が演習に来ている時は、民間人の島北部への立ち入りは禁止される。 当然、その間は島北部への観光もできない。

沖縄の米軍海兵隊8000人のグアム移転に伴って、2008年にこの辺り一帯を米軍の軍事演習地とすることが決まった。近い将来、 一般人の立ち入りが制限されることになっている。

■タガストーン遺跡とタガ伝説「TAGA」
タガストーン遺跡の風景

テニアンには、古代チャモロ族の酋長で、力持ちの大男だった「タガ王」という勇者が住んでいたと云う伝承が残っている。 その住居跡が現在のタガ遺跡であると云われている。 そこには巨大なタガ・ストーンを見ることができる。 これは当時の住居の土台石と考えられており、高さ4m、直径2mのものが12基残っている。

約100km離れたロタ島の石切り場で切り出されものであろうと推測されている。 そして、この重いタガ・ストーンをテニアンまで運んだのが怪力タガ王だったと云われているが真意のほどは分からない。

なぜなら、テニアンにも石切り場跡地があるからである。 場所は、サンホセ村南部のテニアン港の近くにある。また、切り立ったサンゴ岩で囲まれた真っ白い砂浜「タガ・ビーチ」は、タガ王 が海水浴を楽しんだプライベート・ビーチと云われている。

現在サイパンで行われているタガマン・トライアスロンの名称の由来は、このタガ王から来ている。

■タガストーン切り出し場跡
円形に切り取られた跡がかっきりと残っている

この石切り出し場跡はタガ・ビーチの飛び込み岩の裏手にある。 タガストーン遺跡に使われている石は、大きいものはロタ島から運ばれてきたと云う説もあるが、一般的にはこの石切り場から切り出されて 運ばれたと考えられている。

今でもタガストーンを切り出した跡が数千年もの長い間、風化もせずにクッキリと残っているのには不思議な感覚を覚える。 鉄器のなかった時代に、古代人達がどのようにして切り出したのかも不思議である。

タチョンガ・ビーチの様子、沖にヤギ島が見える

最近ではすっかり観光客向けに変身したタチョンガ・ビーチ。 2003年以前は、ここで商売する人もいなかったので、ビーチ・パラソルやビーチ・チェアなどもなく、落ち着いた静かな雰囲気の ビーチだった。

この辺りの水深は3〜4mほどあるので、泳げない人はビーチ付近で遊ぶ方がよい。 しかし、泳げる人は、穏やかな、透明度の高い海なので、泳いでみることをオススメする。 サメなどの危険な大型魚はいない。スイマーにはたいへん気持ちの良い海である。

因みに、テニアンで水泳に適したビーチはこのビーチとタガ・ビーチの2箇所である。 他のビーチは、危険なサンゴ礁があったり、港の近くで油臭かったりて、水泳には適さない。

このビーチはテニアンで水泳やシュノーケリングに最も適したビーチで、手軽にカラフルな熱帯魚をたくさん見ることできる。 シュノーケルセットを貸してくれる小屋もある。 また、バナナボートやジェットスキーもすることができる。

■カマー・ビーチ
友人ジョーの娘の誕生パーティの様子

テニアン港の近くにあるため、海水が少し油臭い。 だから、泳ぐのには適さない。 このビーチは泳いだり、海に入って遊んだりするビーチではない。

ここは地元の人達の憩い場で、週末にはたくさんの人達がランチ・BBQ(バーベキュー)を楽しんでいる。 パビリオンもあり、水道も完備されており、BBQを焼くための設備が整っている。

チャモロ人たちは子供を非常に大切に育てる。

テニアンの人たちは、ファミリー(親族)の誕生日やお祝い事など、何かに付けてビーチのパビリオンを使ってBBQを楽しんでいる。 朝から準備をして、お昼頃から食べ始めるグループや夕方から食べ始めるグループなど、いろいろである。 だから、土・日曜日のビーチは大勢の人でいつも賑っている。 そして、その間、子供達は海辺で遊んだり、芝生の上を走り回ったりしている。

テニアン島だけでなく、マリアナ諸島全般に亘って云えることだが、子供達を非常に大切にする。 自分の子供だけでなく、他人の子供も自分の子供と同様に大切に扱う。

日本で社会問題になっているような「親による子供への虐待」なんてものは有り得ない。 また、子供達による「家庭内暴力」なども有り得ない。 大人は子供を大切にし、子供は自分の親だけでなく、年上の人を敬う、という躾がどこの家庭でも十分になされている。

■チュル・ビーチ
チェル・ビーチの様子

島北部の西海岸にあるビーチで、1944年7月に米国海兵隊が初上陸した所。 ここからテニアン島に侵攻し、島全土を占領したのである。

そして、ハゴイ空軍基地を造って、そこから日本本土に向けて空爆を開始し、その延長線上に広島・長崎の原爆投下が起こったのである。 もし、このビーチから米海兵隊の上陸がなかったら、世界の歴史は変わっていたかも知れない・・。

ビーチの隅に残るトーチカ

このビーチは1944年で時が止まっているような所で、未だに全く人の手が入っていない。 そして、砂浜の片隅には、大戦当時のセメント造りの頑丈そうなトーチカがある。 砲撃や銃弾の跡が無数にあり、当時の戦闘の凄まじさを物語っている。

このビーチは危険な珊瑚礁がたくさんあり、水深も浅いので海に入らない方がよい。 危険である。 また、ここの砂浜には星の形をした小さな砂があるので有名である。 サンホセ村から遠く離れているので、普段は人がほとんど訪れない静かなビーチである。

■ロング・ビーチ(ウナイ・ダンクロ)
上空から見たロングビーチ

島中部の東海岸にあるビーチ。 その名前の示す通りたいへん長い砂浜を持っている。 このビーチもサンホセ村から離れているので、ほとんど人は訪れないが、たいへん美しいビーチである。 ここも危険なサンゴ礁が多くあり、水深が浅いので、海に入るのは危険である。

このビーチに行くには、ブロード・ウェイから細いわき道に逸れて、車一台がようやく通れる広さの地道を約500m進んで行くのである。 左右はタガンタガンの樹海で視界が悪い。 しかし、ロング・ビーチに着くと、一気に視界が開け、白い砂浜、青い海、遠くにはサイパン島の島影が見える。 この極端な落差が訪れる人に感動を与えるのかも知れない。

沖に見えるのはサイパン島

また、このビーチは、日本のTVドラマ「ロングバケーション」の撮影にも使われたくらいで、その美しさにかけては、 北マリアナ諸島でもトップクラスである。

因みに、「ウナイ」とはチャモロ語で「ビーチ」という意味で、「ダンクロ」とは「大きいとか長い」という意味である。

■古代人の住居跡
草が茂っていて、井戸のような古代人住居跡

サンホセ村にあるタガストーン遺跡の近くにある。 古代人が生活していた住居の跡で、立て穴になっており、周りの壁には石垣が積んである。 一見、井戸のように見える。 こんな小さな所に人が住んでいたとは思えない。

観光スポットとしては、タガストーンほど見栄えはよくない。 標識がなかったら、単なる井戸にしか見えない。

■日本軍通信所跡
終戦当時の状態を残す建物

ブロードウェイ沿いにある。 壁には戦争当時の砲弾の跡がハッキリと残っている。 2000年まではテニアン牛の解体場としていて使用されていたが、この島で牛の解体を禁じる法律ができて以降は使われていない。

以前は建物の中まで入ることができたのだが、2003年頃から、傷んで危険なためという理由で、中には入ることは禁止されている。

かろうじて建っている社屋、砲弾の跡が生なましい。

この会社は砂糖王と云われた松江春次が起こした会社で、第二次世界大戦以前は、テニアン、ロタ、サイパン島で大規模に砂糖農園 を経営していた。 これはそのテニアン支社の家屋跡である。 当時は砂糖が貴重品であった。

歴史を感じる建物である。 場所はサンホセ村テニアン港近くにある。

勢いよく潮を噴き上げる様子

島北部のハゴイ空軍基地跡地の大滑走路の東側の海岸にある。 サンゴの岸壁に勢いよく波が打ちつけ、それが岸壁の裂け目や穴から潮を吹き上がるというもの。 飛沫となった潮が飛んで来るので注意。 わざわざ貴重な時間を費やして見に行くほどのこともない。

以前は、この近くに亀の絵などを描いた古代人の壁画洞窟があったが、台風でその洞窟が崩れて入ることはできない。

■地雷地帯
地雷を示すドクロの看板

島北部の東海岸「潮吹き海岸」付近には約60年前の太平洋戦争の遺物「地雷」が埋まっている場所がある。 これは旧日本軍が米軍の上陸に備えて敷設したものである。 それが未だに処理されずにのこっていたのである。 この一帯は危険なサンゴ岩がゴロゴロあり、完全な除去は困難なのであろう。

このエリアには鉄条網が張り巡らしてあり、立入禁止の看板もしっかり立ててあるので誤って立ち入ることはない。

■ウシ・クロス・ポイント(牛岬)
牛岬の南の島とは思えない風景

テニアン島最北端の地。 眼の前にサイパン島が見える。 その距離は僅か5kmしかないが、この海峡は海流の流れが速いことで有名なところである。 また、大戦当時はこの辺りに日本軍のウシ飛行場があった。

昔、テニアンの青年が数人で、この牛岬から舟でサイパン島まで渡ろうとして、流れが強く、舟は転覆して全員が死んでしまったとい う悲しい出来事があった。 その為に、慰霊の意味を込めて、この岬には十字架が建てたれている。

2005年にサイパンとグアムの泳ぎの達者なスイマー達数名が、船の伴走を付けて、 天候の穏やかな、潮の流れがない時を狙って、サイパンのオブジャンビーチからテニアンのウシ岬までの5kmの海峡を泳いで渡った。 全員無事に泳ぎ切ることができたが、皆、波酔いで気持ち悪くなったと云う。

この海峡はマリアナ海域でもサメがたくさんいることで有名なところである。 海中の底の方でサメが泳いでいるのがよく見えた、と言う。 「アタックして来なくて、ラッキー!」と自慢げに連絡してきた。 白人のやることは、理解できないことが多々ある。

■オールド・サンホセ教会鐘楼
戦争の傷跡が生なましく残るチャペル

サンホセ村にあるサンホセ教会の庭に少し傾いた状態で残っている。 17世紀末のスペイン統治時代の遺物である。 高さは20m位ある。 当時としては、結構背の高い鐘楼であったと思われる。 その壁には大戦末期に被った砲弾の跡がたくさん見受けられる。

今では、サンホセ村のシンボル的存在で、「ベル・タワー」と呼ばれ、島民達に大切に護られている。

■テニアンの遊歩道
タチョンガ・ビートからカマー・ビーチをつなぐ海沿いの遊歩道

テニアンのサンホセ村には遊歩道が2本ある。 1本は昔からあるもので、タチョンガ・ビーチからタガビーチを通り抜けてカマービーチまでの海沿いに約2kmのもの。 そして、この遊歩道に面した所に村営のテレーニング・ジム(2007年に閉鎖)がある。

もう一本は2003年末に作られた新しいもので、タガビーチからブロードウェイに沿って北に向かって2km程度のもの。 朝夕には散歩を楽しんだり、ダイエットに励む人がジョギングしている。

■スクーターのレンタルショップ
タガビーチにあるスクーターのレンタルショップ

タガビーチ駐車場脇にある。 レンタカーを借りるよりも、安く、手軽であるため、観光の移動手段としてなかなか人気がある。 北マリアナ諸島ではスクーターのことを「モペット」と呼び、自転車の延長上にあるものと考えられている。 よって、日本と違って免許証は不要である。

北マリアナ諸島では道路のアスファルトには砂利の代用にサンゴを砕いたものが用いてあるため、非常に滑り易いので要注意である。 特に雨の日はよく滑る。 一般的にこのような小さな島では病院施設が貧弱なため、大怪我をするとサイパンがグアムまでヘリで搬送ということになる。

【食べる】
■ケリダス・バーベキュー(Kerida's BBQ)
スタープラザの建物

BBQの美味しい「Kerida's」の姉妹店。ここなら本店ケリダス と同じ美味しいBBQが予約など面倒臭いことなしに食べることができる。

場所はサンホセ村の最も開けたエリアにある。目印はスーパーマーケットの敷地に、並んで建っている。調理用の建物とBBQを焼 く小屋がある。食べるスペースはBBQ小屋の裏にある。

地元の人はほとんどがテイクアウトだ。しかし、ランチタイムは地元の人もこ こで食べている。

ケーキ類のケース。下がプリン

串焼きBBQのほかにもイカ焼きやタコスなどもあるが、やはりメインはBBQだ。肉の種類は、牛肉、豚肉、鳥肉の3種類だ。KFCの おススメは豚串だ。大体どこで食べても串ものは豚が美味い。値段はすべて一本一ドルという単純明快さがいい。ライスはひと山50セント だ。

人懐っこいオッちゃんとオバちゃんが切り盛りしている。しかし、この店のオーナーは友人 のアイクだ。

■Silves-Jem's BBQ Garden(愛称バンブーガーデン)
串焼きBBQとドライミート、それにレッドライス

2009年にオープンした新しいメシ処だ。場所はテニアン・ダイナスティ・ホテルの正面入り口の向かいだ。立地条件は最高だ。 ホテルから近いので暗くなってからでも歩いて行ける。

料理の種類は、牛肉、豚肉、鳥肉の串焼きBBQとレッドライスのセット、豚のスぺアリブと串焼きBBQにレッドライス、ドライ ミートにレッドライスなどなどだ。飲み物も各種ビールにソフトドリンクも揃えてある。値段は5〜8ドルくらい。味は美味い。

ドライミートというのはビーフを干したものを油で軽く素揚げしたものだ。美味い。

敷地面積は広い。贅沢な造りだ。

このレストランの敷地は広い。先ず、調理用建物でオーダーしてお金を払う。そして、料理が出来上がるまで庭にあるテーブルで待つ。 オープンエアで気持ちがいい。清潔にしてあるのか、カやハエは全く寄ってこない。その理由を尋ねてみると、天敵の虫が裏のブッシュに いるから、ここにはハエやカは寄りつかないという。

大勢で行った場合は、できるたげ同じ料理を注文するのが早く食べられるコツだ。料理する人がすべて一人でやっているからだ。 南の島のローカルレストランの場合はすべてに同じことが言える。

因みに、ここのオーナーは友人のジョー・クルズだ。

■地元料理レストラン「Minako’s」  【現在閉店】
レストラン「Minako's」の建物

「ミナコズ」はテニアンで一番お得なレストラン。 KFC一押しのレストランである。

料理の種類は、大きく分けて、牛肉料理、豚肉料理、チキン料理、エビ料理の4種類がある。 全ての料理が5ドル前後とリーズナブルで美味い。 しかも、ご飯も付いており、料理の量はたっぷりある。 テニアンのお袋の味と云った感じで、手抜きが一切感じられない。

特にお薦めはスパイシー・チキンと各種カレーである。 また、朝食にはパンとコーヒーやパンケーキ等々軽食もある。 このパンケーキが超デカイ。 ちなみに、パンケーキは2ドル50セント。 マシュルーム・スープはも2ドル50セント。 お客さんが多いと注文して料理が出てくるまで30分〜1時間くらいかかる。

手前がスパーシーチキン、奥がカレー

何でも、このレストランの初代のオーナー兼料理人がミナコさんという女人で、現在はその娘さんが跡を継いで切り盛りしているという。

場所はサンホセ村、ブロードウェイ沿いにある。 営業時間は朝6時〜夜8時まで。 テニアン島だけでなく、マリアナ諸島の朝は日本と比べるとかなり早い。

例えば、学校やスーパーマーケットや一般の会社等々は朝6時に始まる。 だから、レストランも朝6時からオープンするのである。 そして、会社が終わるのは夕方4時、スーパーマーケットは夜10時である。 島民の日常の生活パターンは、夜9時頃に眠り、朝4時頃に起きるのである。

残念だが、2008年にクローズされてしまった。テニアンの一つの歴史に幕がおりたということだ。

質素なレストランの建物

メチャクチャ美味い豚肉の串焼きBBQを売っている。 ボリュームがあるので2本も食べれば腹が大きくなる。 その上、一本1ドルという安さ。 (原価計算してるの?って、心配になる。)

但し、肉をタレに付けて下味を付けるので、前もって予約をしておかないと買うことができない。 それも、電話ではなく、直接店に出向いて前金を支払っておかなくてはならないのである。 昔っぽいシステムで、如何にもテニアンらしい。 美味いものを食べるためには、労力を惜しんではいけない。

KFC的には、テニアンで一番美味い食べ物はこの店の串焼きBBQだと思う。 これは店内で食べてもいいし、テイクアウトもできる。 ホテルやビーチに持って行って食べるのもよい。 人懐っこいおばちゃんたちがガラス越しの厨房で料理を作っている。

我々が行くと、日本人客が珍しいのか、よく話しかけてくる。 そして、「KFCのウェブサイトのプリントアウトした紙を持って来て、これが食べたい。 」と言う人が時々訪ねて来ると話す。

(注:「テイクアウ」トというのは和製英語のため、ここのおばちゃんたちには通じない。 「ツ・ゴー(To go)」と言えばよい。)

メチャうまの串焼き肉BBQ

この串焼きBBQ以外にも、数種類の地元料理を売っている。 店内にはテーブルが5脚ほどあって、そこで食べることができる。 地元の人を対象にしたレストランなので、一般の観光局は殆ど訪れない。 安くて美味い、地元では人気のレストラン。 しかし、ここの料理はコテコテの地元料理であるため、日本人の口に合うかどうかは疑問。

一般の観光客は、このレストランの存在を知ることすら難しいと思われる。 場所はサンホセ村のベースボール・グラントの裏側。

しかし、現在はサンホセ村の市役所近くにある姉妹店「ケリダス・BBQ」でお手軽に食べることができるようになった。

■ハンバーガー&ソフトクリームの「ロミーズ・キッチン」 【現在閉店】
レストラン「ロミーズ・キッチン」の風景

以前は「t:Soba」という屋号でハンバーガーなどのちょっとした軽食レストランだったが、2004年から経営者が変わり、屋号も「ロミーズ・キッチン」と変更された。

主なメニューはハンバーガーでその種類は非常に多い。 その味はマクドナルドのように画一的ではなく、手作りハンバーガーという味がする。 学校が終わる頃には、学生達がたくさん集まってくる。 また、その他にはスパゲッティや麺類がある。 殆んどが3ドル前後とお手頃な価格設定。 朝食、昼食に最適。

ソフトクリーム売り場の風景

また、ソフトクリームも甘さ控えめでイケル味。 日本のソフトクリームと味は似ている。 場所はサンホセ村北地域で、ブロードウェイ原爆坂を登る手前を左に20mほど入ったところにある。 接客の感じがたいへん良い。

(注)2006年6月には閉店していた。 残念である。 島と云う所には、永遠や普遍と云う言葉は存在しない。 今あるからといって、次回の訪問でも、そのままあるとは限らない。 特に、レストランにはそれが当てはまる。

テニアンでは最も品数が揃っているキムズ・マート

この島には数軒のスーパーマーケットがある。 これらの店の経営は全て土着の韓国人である。 現在ではこの島の物流は全て韓国人によって行われている。

それはノンビリしたチャモロ人と比べて、韓国人の方が真面目でよく働く民族気質に因るものである。 終戦時の辛い悲しい過去があるにも拘わらず、日本人の来店を喜んでくれ、片言の日本語で歓迎してくれる。

また、サイパンやロタのスーパーマーケットでは見られない面白い商品があり、覗いてみるのは結構楽しい。 韓国人、チャモロ人とも年配の人達は堪能な日本語を話すことができる。 これも日本統治時代の影響である。

所狭しと商品が並ぶ店内の様子

商品に関しては、日本のスーパーマーケットとは少し異なる。 文房具類、バッグ類、Tシャツなどの衣類、自動車や人形の玩具、怪我や解熱剤等々の各種薬類、地元で採れた生野菜、 フルーツ、中国料理や韓国料理の珍しい各種調味料、如何にも外国っぽいお菓子類、タバコ、ビールや水などの飲料水、 大きな箱のような冷蔵庫に入った肉や魚介類、アイスクリーム、米等々が所狭しと並べられている。

さらに、レジのカウンターの上には軽食が売られている。 これが意外と便利で美味しい。 試して見ることをオススメする。

弁当、海苔巻き(巻き寿司)、おにぎり、ドーナッツ、珍しいローカル・フーズ、ピクルス等々で、オヤツや昼飯に地元の人たちに人気がある。 値段は1〜3ドルという安さ。 例えば、巻き寿司は1ドルである。

大会の準備で忙しい時は、この巻き寿司やドーナッツをかぶりながら運転することが多い。 また、ビーチのパビリオンに持って行って食べるのもよい。

【カルト情報】
■決定的瞬間
上空から捉えた大きな渦巻き

2006年6月4日午後3時頃、サイパンからテニアンに行く途中、上空から偶然撮った写真。 場所はサイパン島とテニアン島の間にテニアン海峡で、突如出現した直径約5kmの大渦巻きである。

この海峡は、元々潮の流れの速い所であるが、潮の干満によって、より強い流れが発生する時がある。 その時にはこの写真のような大渦巻きが発生するのである。

背後に見えている陸地はテニアン島である。 地元の人も、こんなにハッキリとした大渦巻きを見ることは珍しいと言うことである。

■テニアンの山火事
山火事の様子

マリアナ諸島で発生する山火事の殆んどは自然発火である。 原因は、強烈な太陽光による熱と風により乾燥した樹木同士が擦れ合って、その摩擦熱等々が山火事の主な原因である。

民家の火災と違って、山火事に関しては、消防署も余り懸命に消火しようとはしない。 ある程度燃えるがままに任せておく。

なぜなら、山火事は島の植物の再生には必要なもので、これによって枯れた樹木や草が燃えて、その後に新しい新芽が育つのである。 マリアナ諸島では、昔から延々と繰り返されて来た現象なのである。

■牧場の島テニアン
水場に集まる牛たち

テニアンは以前から牧畜が盛んな島で、かつてはテニアン空港周辺に広大な日本資本のMDC牧場があった。

常夏であるため、年間を通して餌になる草が豊富に育つので、牛を育てるのには適している。 餌代が節約できていい。 さらに、肉骨粉などの人口飼料などは一切必要ない。 だから、狂牛病(BSE)の心配はない。 また、その肉は、「テニアン・ビーフ」のブランドで売られている。 この界隈では、美味いことで通っている。

■テニアンにダチョウ?!
動物園のようなダチョウ牧場

なぜか、テニアンにダチョウ牧場がある。 ヤギよりも一回り以上大きい。 どう見てもこれが鳥とは思えない。 これらは人間に飼われている所為だろうか、人馴れしており近づいていっても逃げない。 よ〜く見ると可愛い。 でも、最終的にはバーベキューになるのだろう。

場所はブロードウェイの東側の村の中にある。

■クリーン・アイランド・テニアン「Don't Litter!」
野焼きをしているゴミ場。

ゴミ行政に関しては、北マリアナ諸島の中でも一番進んでいる。 元々、非常に清潔な島でもあり、公園や道端にはゴミひとつ落ちていない。 その理由は、市役所職員が毎朝当番を決めて、公園や各ビーチのごみ拾いをやっているからである。

でも、最近(2003年頃から)では観光客が増えて、早朝のゴミ拾いが終わった後に、マナーの悪い観光客が捨てたゴミが目に付く。 テニアンの偉いところは、サイパンやロタと違って、ゴミを焼却しており、ゴミ行政は一番進んでいると言える。 しかし、「野焼き」であるため、ダイオキシン対策などは採られていない。 何故なら、そんな高価な焼却炉がないからである。

ちなみに、サイパンはガラパン地区北側に、島中から出たゴミが集められて、山と積まれている。 側面には土がかけてあり、そこに草や木が生えてきているので、今ではゴミ山とは見えない。 ゴミ問題はサイパン最大の頭痛の種になっている。

しかし、最近は別の場所(北部マッピ地区の山中)に穴を掘って捨てられている。 ロタは山の中腹に自然の巨大な穴があって、そこに捨てていたが、最近はその穴が満杯になり、その穴の付近に積んである。

■テニアン島政府運営のトレーニングジム  【現在閉鎖】
ジムの窓から海が見える。

2004年1月末に完成した島民ためのトレーニング・ジム。

タガ・ビーチとカマー・ビーチの中間の海岸沿いに建ち、遊歩道に面している。 目の前が青い海、トレーニングしながら海が臨めるという何とも羨ましい立地条件。 トレーニング・マシンも充実、各種ウエイト器具、サンドバック、エアロバイク、ランニングマシン等など最新のものが備え付けてある。 日本のスポーツクラブと遜色ない。

アフター5はダイエットに励む島民たちで賑わっている。 管理人兼インストラクターがいて、トレーニングの方法や器具の使い方を説明してくれる。

ジムの室内の様子、中央にサンドバッグが見える。

使用料は無料。 観光客でも気軽に利用できる。 もちろん、無料。 この島の前市長ボーハは島民の肥満率の高さを非常に心配しており、島民の健康を願ってつくった。この建物は以前はボー ディング・セイフティ(海上警察)の事務所だった。

(注)選挙によって、2006年1月に政権が変わった。 その影響でこのトレーニングジムは閉鎖された。 島と云う所には、永遠や普遍と云う言葉は存在しない。 今あるからといって、次回の訪問でも、そのままあるとは限らない。

■テニアン闘鶏場
トタン張りの闘鶏場の風景

この島の島民の数少ない娯楽の一つが闘鶏である。 この島唯一の闘鶏場がタガストーン遺跡の近くにある。 ここでは、島民達が闘鶏用に育てた鶏を持ち寄って、週末ごとに闘鶏が開催されている。

もちろん、皆、これと思う鶏にお金を賭けて楽しむのである。 観光客でも参加することができるので、機会があれば、参加してみては。