10th Tinian Turquoise Blue Triathlon & Swim !!
まず、最初にお断りしておかなければいけないんですが、大会のことを書くことができないんです。参加された方は ご存知かと思いますが、オーシャンスイムは中止になってしまったものですから。
しかも、大会の翌日のファンスイムも参加しなかったものですから、ちょっと困っています。ですから、暇な方だけで結構です、 読んで頂ければ。特にこれといって特筆すべきことはありませんので。その辺はよろしくご理解のほどを。
6月がやって来る。去年の大会から、もう来たかというべきか、やっと来たかというべきか人それぞれの感じ方があるからなんと も言えないが。
しかし、毎年参加できる、できないというのは、我々サラリーマンにとってこの時期というのは微妙なのでありまして。たとえば、 職場内の移動であったり、転勤があったりして確実に参加できる保障はないのですが、そこをうまく調整して参加するためには、いかに自 分の存在を薄くして、気配を微妙に消して目立たないようにするのかがコツなのですよ。
というのは冗談として私の職場では、いかに人員のやりくりをするかということに尽きるのです。仕事のやりくりというのは、俺が いないと仕事が回らないなんて本人が勝手に思っているだけで、結構、仕事は回転していくものなのです。サラリーマンの世界なんてそん なものなんです。だから、派遣切りだとか、人員整理だとかが簡単に企業ではできちゃうんですね。
以前では終身雇用なんて言っていた会社が、時代が変われば能力主義だなんて、平気で今までの考え方を180度変換するなんて、企業倫理 も何もあったものじゃない。それも世界でトップクラスの企業が、ですよ。儲けるためには何でも在りかと言いたくなります。
さて、今回の同行者ですが、私の職場から二人がまたまた参加することとなりました。 前回、前々回とパラオに同行してくれて、グアム 空港で拘束された同僚です。まあ、今回はサイパンですので、空港で拘束されることはないので、その点は心配する必要がないと思っていたので、 比較的気分も楽でした。
(しかし、今年の11月から、サイパンも連邦制 になると いうことですので、ことに よると来年の6月、彼らはまたしても空港警察のお世話になっているかもしれませんが。と、その前に、 このテニアンの大会がどうなるかもちょ っと心配ですよね。なぜって、ダイナスティーホテルの存在がこの島にとって非常に大きく影響しているということで、連邦制になるということは、 中国資本のこのホテルが誰の手に渡るのかで、成り行きが大きく変わってくるということですから。私も、詳しい話はわかりませんが、既に、大西 さんはその変のことは確認済みかも知れませんが。)
実は、日本を出発する前に心配事があったので、どうしようかと話していたことがあったのです。「サイパンに到着するのが夜中の便のため、 店が閉まっているのでビールが飲めないぞ!」という我々にとっては非常に切実な問題があったのです。
私と彼らは旅行社も違うため、空港からは別々の車でホテルへ到着して、まず私が先に到着したようなので、フロントに友達が到着したら部屋 を教えるように頼んで、先にチェックインを済ませて部屋で待つことにする。ビールがないから、今日はこのままおとなしく寝るだけかなと考えて いると、友人たちがやってきた。偶然にも向かい側の部屋だということで、これは都合がよさそうである。それよりも何よりも、手にしていたビニ ール袋の中身がとってもとっても感激するものが入っていたことでした。
それは、《ビール》。思わず私は、「どこにあったの?」と身体中から自然と喜びがあふれてくるのがわかる。彼らが言うには「フロントで買っ てきた。」ということらしいのですが、いまひとつお値段が高いようで、たくさんは買えなかったようでした。それでも、こちらは飲めないものだ と思っていたので、それはそれうれしい誤算で、早速おいしく頂きました。翌日(既に当日になっているが)は早めに予定が入っているので、簡単に ミーティングを済ませ部屋へ引き上げる。
友人たちとサイパンで2日ほど一緒に過ごし、大会前日の5日にテニアンに上陸することとなる。昼のセスナを頼んであったので、朝からまっ たりとした時間を過ごす。最近はこういう時間を過ごすのもあまり苦にならなくなってきた。年とともに、スローライフな過ごし方も苦手じゃなくな ってきたようである。旅行社の迎えで空港へと向かい、手続きを済ませてもらう。
待合で待っていると、セスナにいろいろな荷物を運んでいるのが見える。風が強かったので、ダンボールの蓋が飛んでいくのが見えた。中身はど うもケーキである。運んでいった彼のほっぺには、白いクリームが「べっとり」と付いているのが見える。「あのケーキ誰が食べるのかな? あまり 食べたくないなあ〜。下手するとアワードパーティーに出てくるかもしれないな。」なんて考えておりました。
出発時間になったので呼びにきてくれる。セスナまで職員が連れて行ってくれる、そのとき「お前は運がいい、パイロットが日本人だから話ができ る。」と言うような事を言ったみたいだった。乗り込むと日本人パイロットというのは本当で、助手席に座らせてもらう。客は私一人で、気兼ねなく話 すこともできる。今彼が勤めている会社には、日本人のパイロットは彼一人だということだった。そこで、運転?ではなく、操縦するのに大きい飛行機 と小さい飛行機と違いはあるのかどうか聞いたところ、「特にありません。基本的には何も変わりません。」ということでした。
それから、特に聞きたかったのは、あの80代にもなってセスナを操縦していたおばあちゃんのことでした。聞いてみると、大腿骨?(だったかな) と思ったけど骨折したということで、どうも引退をされたということらしい。こちらとしては、同じ命を預けるのだから引退をされたほうが、有難いか な!?などと思わないこともないですが・・・・。 10分ほど空の旅を、楽しんで無事テニアンに到着。
空港で荷物の出てくるのを待つがこれがなかなか出てこない。20〜30分ほどしてようやく荷物を受け取ることができた。外に出てみるが一向にお 迎えの人が見あたらない。「おかしいな、旅行社の者が、わたしが空港を出発するのを見届けてテニアンの旅行社に電話を入れて、迎えに来るという話 だったのだが、騙されたか。」外を見回すと、ダイナスティーホテルの運転手らしき人物がいたので、ピックアップを頼むと、彼の携帯を使ってホテル に連絡をしてくれる。10分ほどで車がやってきた。
ホテルに着いて、フロントに旅行社の係員でもいるかと思い、探すが見当たらない。仕方がない、とりあえずホテル内のツアーデスクへ行ってみる ことにする。荷物を引っ張りながら「確かこの辺にあったよなあ〜。」と中を覗きながら歩いていると、「岩間さん!?」とデスクから小走りに走って 出てくる女性がいました。「岩間さんですか?」「そうです。」と答えると「良かった迎えにいきましたが、お見えにならなかったものですから、心配 していました。」と彼女。私は「荷物が出てくるのに手間がかかってしまったものですから、恐縮です。」てなことを話しながら中のデスクへと入る。そ して、部屋の鍵と帰りのフェリーの時間を確認する。
すると、フェリーの時間を変更した旨の連絡が入っておらず、それを聞いたアマノさん大変ご立腹。すぐさまR&Cツアーに連絡。「岩間さんのフェ リーの時間変更がこちらに連絡が入っていないけどどうなっているんですか?」そして「岩間さんに代わります。」と私に電話を差し出されたので、ま、 こちらも差し出されたついでだから「連絡が入ってないということなんですが。どいうことなんでしょうかね。」と、「大丈夫ですよ、フェリーの時間 変更は問題ありませんから。」と、いやそういう問題じゃないと思うけどと、考えながらアマノさんに電話を返す。
アマノさん曰く「よくあるんですよ。本当に頭にきます。」セスナで出発したら電話することになっているらしいのだが、「それさえも連絡がなかっ たんですから。」とブリブリと相当頭にきていると見える。私が飛行場を飛び立つときに一緒にいた旅行社の人は、「あなたが、出発したら飛行場に迎 えに来るように連絡しますから。」と言っていたので、連絡はしたけど、デスクのほうで手違いでもあったかもしれない。そういうことにしておきまし ょう。
南の島に慣れてくると、そこのリズム、雰囲気、生活に浸かって人のリズムも変化してくるかもしれない。アマノさん曰く「ここの人達はあまり物事 を気にするような人達じゃないから太っている人が多いんですよ、だから私のような仕事をしているとなかなか太れないんですよ。」と確かにそのとお りかもしれない。しかし、ツアー会社が現地の習慣にどっぷり浸かって、ミスを発生させるのは客にとっては困りますが。
さて、少し部屋でのんびりしてテニアンの海を泳ごうと、水着に着替へて部屋を出る。プールの横を通ってビーチへ行こうと何気なくプールを除くと、 私たちのメンバーの一人である増田さんがいるじゃないですか。おかしいな、この時間だとダイビングをやっているはずだけどな。で、話を聞くと、「本 当はダイビングを午後もやるつもりだったけど、酔いでダウンした人がいて、急遽取りやめになったのよ。」ということらしい。
ビーチへ今から行くと言うと「すごく荒れているから、中止もあるかもしれないわよ。」と「ええ、それはちょっとないでしょう、さっきもアマノさ んがそれらしきことを言っていたけど、「そんなことはないでしょう。今まで中止になったことなんてないからやりますよ。」と大見得を切ってきたとこ ろだから。早速行って、見ることにしよう。増田さんと受付の時間を調整してビーチに向かう。
景色はいつもと変わらない、子供たちも飛び込んだりして遊んでいる。ただエントリーするビーチが真っ白になっている。白い砂が波にもまれている からだ。波も今までよりも高いことは高いが沖に出れば多分大丈夫かな?しかし、そこにしばらくいたら眼鏡がいつの間にか、波しぶきを浴びて白く見え にくくなっていたので、「こりゃ確かに、いつもの大会と様子が違うということは実感できました。」年寄りは無理して危険な海にチャレンジすることも ないと、自分を納得させ部屋へ戻りビールを飲む。
実は、このビールだが、サイパンに一緒に来た友人たちが帰っていくときに、残ったビールを私の部屋の冷蔵庫においていったもので、捨てるのがも ったいないので、飲んで処分使用と、持ってきたのが数本あったためである。 だが、残念なことに部屋の冷蔵庫の効きが悪く、飲み頃には程遠い冷え方 なのである。冷えの悪いビールほどまずいものはなく、このままこの残ったビールを飲むのかと思ったら泣けてきた・・・・。
さて、時間もぼちぼち迫ってきたのでプール横の受付場所へ行く。数人がすでに集まっていた。会長夫婦も増田さんもいた。私も受付を済ませ、久々 に話が弾む。しばらくすると、大西さんより大会の説明が始まる。毎年来てるから要領はわかっているが、今回はオーシャンスイムに関しては、明日の午 前7時に現地の様子を見て実施するか否か決定するということで、テニアン始まって以来の出来事である。
まあ中止になることはないだろうと高をくくって、メンバーと夕食の算段をする。「どこへ行こうか?そうだ、近くていいところがある。」というこ とで、ホテルの入り口の道路を挟んだところに店がある。これが結構いけるという話で、じゃあそこで決まり。ロビーで待ち合わせて出かける。
ほかのメンバーにも、増田さんが連絡したらしいけどつかまらなくてとりあえず、私達といっても5人ではあるが食事に行く。メニューを見て、これ がおいしい、いやこれもおいしいと埒が明かない。食欲旺盛なら何でもござれだが、あいにく私はたくさん食べられないので、串焼きでみんながうまい というやつを注文する。「ここの店、出てくるまで結構時間がかかるよ。」ということで、こちらの人達のペースに合わせてのんびり、ビールを飲みなが ら待つことにする。途中、雨が降ってきたりしたが、食べるのにたいした影響はない。
ここで、たまたま一緒に食事をすることになったハシモトさんの話を紹介。この人の旅行記は壮絶きわまる。一人であっちこっちの大会などに参加 されているようだが、旅費を節約するためにいろんなところで宿泊して見えるようで、結論的に5,000円を切る宿は、止めたほうが無難だというこ とらしい。
例えば、網戸があっても破れて蚊が入ってきて寝られないとか、トイレが共同で鍵がなく、自分でドアを持っていなければならないとか。だから今 回このテニアンの大会でダイナスティーホテルに泊まったことは、この人の人生の中では考えられないくらい贅沢なことらしい。そりゃそうだ、今時 5,000円を切るような宿なんてそう簡単にお目にかかれるもんじゃない。その話を聞いた私達は、多分、テニアンに住んでいる住民達の生活より も、このハシモトさんの生き様のほうによりカルチャーショックを受けたのではないかな。誰も口には出さなかったけど。(付け加えておきますが、 この方女性ですから。)
お腹も一杯になり、早めに切り上げる。特に何をやろうという気力もないので部屋へ戻り、まったりとする。冷えの悪い冷蔵庫から生ぬるい ビールを取り出し、テレビの気象専門チャンネルを見るが、同じような画面ばかり流れてつまらないので、日本の公共放送を見て時間を過ごす。と、 いつの間にか眠りの世界へと引き込まれていく。途中、目覚ましをセットして再度眠りの世界へ。
翌朝、定刻に起床。窓を開けて空を見る、天気は悪くなさそうだが風が少しありそうな感じである。洗面を済ませ、身体をほぐすためにストッレチ を実施。時間も程よいところで、いざ出陣。タガビーチの受付場所でナンバリングをしてもらい、海の様子を眺める。あまり昨日と波の高さは変わって いないように思うが、やれるだろうか?昨日の話では午前7時に決定するということなのでしばらく待つ。
海を見ていると、右側の港のほうからブイを運んでくるジェットスキーやボートが見える。今からブイを打つようなのだが、何か迷っているよ うな感じがする。岸のほうに向かってくるジェットスキーがいる。「ちょっと無理みたい。」というようなことを言ってるように聞こえる。そのうち、 ブイを打つことなく港のほうに戻っていく。「あ〜あ、やっぱり駄目か・・・。」
しばらくすると、大西さんから説明があり、オーシャンスイムは中止、トライアスロンは最初、ラン、バイクそしてランに変更して実施するこ とにします。と決定。
我々、スイムのみの者はこれで、「ジ・エンド」である。まあ、こんなこともたまにはあるさ、と自分自身を納得させる。しかし、初めて参加 された方々にとっては非常に残念な結果になってしまいましたが、ぜひこれに懲りず来年も参加していただいて楽しい大会にしたいと主催者に成り代 わり、お願いいたします???
さて、パーティーまでの間の行動はちょっと飛ばして、夕方のパーティーの模様を少し。時間を少し遅れて会場に到着、既に関係者のスピーチが 始まっており、しばらくすると料理をどうぞ、ビールをどうぞとパーティーの始まりとなる。どさくさにまぎれて、会長達の前の席に陣取る。料理 を取っていたらビールがなくなってしまったのだが、会長達がビールをキープしておいてくれたおかげで、助かりました。食事をしながら表彰式が 始まる。
今回は、トライアスロンが主なので我々、スイミングだけの参加者はあまり関係ないかな!しかし、表彰者の名前を聞いたりしていると、いつも の顔が飛び込んでくる。「本当、よく頑張っていらっしゃいます。」
表彰式が終わって、連続で参加されている方にということで、楯がおくられる。オーシャンスイムの部では、我々クラブのメンバーのほとんどが、 この表彰の対象となったようで、なんとなく「うれしいかな」という気分だろう。私も、断る理由もないので有難く受け取って家に持って帰ることに します。ここで、隣に座っていた女性が「写真を取ってあげます。」と言われたので、厚かましいとは思いましたが、「じゃあ、お願いします。」と いうことで(パチリ・・!)
最初、席に着くとき、たまたま私の職業を会長がポロッと口に出したところ、この方が(伊藤さんといわれます。)「私もその方面の仕事をやっ ています。」と言われたので、よくよくお聞きしてみると、東京虎ノ門の一角の官公庁に勤めていらっしゃる方でした。
面識があるわけではないのですが、私達のこの職業に携わっている者達は、何か独特というか、特殊なというか、そんな仲間意識を持つ人種らしい ので、この伊藤さんに対してもなぜか初対面のような気がしませんでした。しかし、この伊藤さんが同じような感情を抱いたかどうかは、私は知りませ んが。私の名前を教えて、写真を送ってもらえることになりました。残念ながら、今回スイムは中止となってしまいましたが、また来年、再開できると うれしいですね。
さて、大西さんから「明日、ビーチでファンスイムをやります。参加してください。」ということだったのだが、あいにく早朝のフェリーでサイ パンに帰るので、残念ながら海では泳げそうにない。
そんなこんなで今回、スイムが初めて中止になったことは非常に残念でしたが、私が今回、非常に感動したことがありました。それは、今までサング ラスを持ってこなかったのですが、去年の大会のときに、副賞でサングラスを頂いたものですから、それをかけて屋外に出没したところ、目が眩しくない ので、目を細めることをしなかったため皺のところも均等に日焼けして、なかなかいい感じで日本に帰ることができたことであります。過去、帰ってから 鏡を見ると、目の横の皺が白く線が数本入っていました。格好悪いなあといつも思っていたのですが、ことによるとこの(サングラス)私には必需品かも しれません。
お後がよろしいようで・・・・・・。
6月6日(土)にテニアンターコイズブルートライアスロン&リーフスイム2009大会を開催した。テニアンの大会は今年で10年になる。10年となる と、10周年の記念大会とされ、地元の協力体制もだいぶ確立されてきた。だいたい10回ほど参加している選手にはマリアナ政府観光局から“感謝状” が用意された。だいたい10回というアバウトさが南の島らしくていい。
10年目ともなれば、テニアンの島民も皆、自分たちのやるべき事柄がわかっている。テニアン島市長をはじめ、チェアマン(現地大会事務局長)、 島民、スタッフ達もKFCの大会には、歓迎ムード全快で一生懸命協力してくれる。いつもながら、チャモロ・ホスピタリティーには本当に頭が下がる 思いだ。感動すら覚える。
ところが、そんな気持ちとは裏腹に、万年変化のないような南の島だが、北マリアナ諸島をとりまく環境は年々難しい方向へ変わっている。 観光業だけをとってみても、日本からマリアナ諸島へのアクセスはどんどん不便になり、飛行機の機材も小さくなり観光客も激減している。
そして、ビザの連邦化移行に伴って、テニアンダイナスティーホテルに定期的に訪れていた中国からの直行便も止まっていた。そんな状況 も手伝って、政府の経済状態も非常に悪く、島民も“仕事がないなら・・・”とハワイやグアム、アメリカ本土へと移住してしまっている。
正に、南の島には、人に対しても、店に対しても“いつも、いつまでも”という言葉は当てはまらない。KFCおすすめレストランの“MINAKO” もなくなってしまった・・・。“テニアンの歴史”とも言えるほどの老舗だったのだが・・・。
いつものように大会日のだいたい1週間前にテニアンへ入り、市庁舎でまず、現地のスタッフ達とキックオフ・ミーティングをする。
6月1日(月)キックオフ・ミーティングを行った。今年は市庁舎の会議室で行われた。ここに“テニアンターコイズブルートライアスロン &リーフスイ ム委員会”の主だったチームリーダーの面々が集まる。スイム会場のタガビーチの整備をするチーム、全コースの路肩の草刈りや路面の悪い箇 所の補修をするチーム、マリアナ政府観光局のテニアン支部長、ブイ打ちや海上のレスキューをする警察と消防、コース上の交通パトロールを する警察、エイドステーションのボーイ&ガールスカウト達の先生、そして、イベントの地元全責任者であるチェアマン。
チェアマンは今年で4回目になるジョー・クルズだ。彼はテニアン生まれ、テニアン育ちの“テニアン・ボーイ”で、責任感がとても強く、 の〜んびりな南の島ではめずらしく、行動がとても早く、テキパキしている。理解が早く、頭もいい。チェアマンにはうってつけの人物だ。 もちろん過去3年しているので、彼がチェアマンなら“まず、安心”だ。
トライアスロンをするには、目に見えないところでも様々な人の協力が必要だ。道を補修し、掃除をしたり草を刈る者、スイム会場のタ ガビーチにはしごを作ったり、バイクラックを作ったり、ビーチ・パビリオンのペンキを塗り替える者、シャワーを作る者。コース周辺の犬を つなぐように管理する者、シャワー用の水道を通す者やエイドステーションの水やフルーツを手配する者、パーティーの会場のテントやテーブ ルやイスを手配する者、食べ物を調達する者・・・etc そして、安全面での警察や消防やレスキュー部隊、それに、エイドステーションを担 当するボーイスカウト・ガールスカウトの学生達も必要だ。スイム、バイク、ランと3種目やるトライアスロンの運営はほんとうに大変だ。
レースまでのこの1週間、島は子供から大人まで、文字通りトライアスロン一色になる。もちろん、キックオフ・ミーティング以前からも 準備は行われているが、本気でエンジンがかかるのはキックオフミーティングからだ。テニアンの場合、コース上草を刈ってから、小石等を エアーブローで掃き掃除をする。その後、日本では絶対有り得ないことだが、消防車を出動させ、その水で路面を全部“洗う!”のだ。これも 私達が要請したわけではないが、“日本からのお客さんに安全に楽しく過ごしてもらう為”その一心からでた、“チャモロ・ホスピタリティー” だ。
タガビーチを見に行くと、以前はレースの2日位前に設置されていたビーチに下りるハシゴやシャワーが早々と設置されていた。これも “より、お客さんに喜んでもらえるように・・・”自発的に早く設置された。
例年ならば、火曜日(2日)に海上警察とブイ打ちの為のアンカーを探しに同行するのだが、今年は「自分達で先に探してマーキングしてお くので、水曜日(3日)に一緒に確認しよう」ということになった。こういう点も自発的に“より良い方法を”と自分達で考えてくれている。レー スで泳ぐテニアンの海は深い為、サイパン・タガマンのように当日朝に重りをつけてブイを簡単に落とすというわけにはいかない。
8年前から海底に根っこになるアンカー(セメントの塊)を沈めてあるが、そのアンカーに中層の目印になる浮きをつけてマーキングしていく。 この作業これを全部見つけるのに時間がかかるのだ。そして、当日の朝その浮きにブイを引っ掛けていく。10m〜30m程の深さがあるので、誰 でもその作業ができるわけでもない。そういう作業もテニアンでは海上警察が率先して行う。そして、普通はそういう作業に警備艇を使うのもダメ だろうし、我々のような民間人を、それも外国人を警備艇に乗せるなんてことはもっての外に違いないはずだ。
また、このコースを設置する為、テニアン海上警察官の一人が自発的にGPSを買ってくれた。しかし、この作業を短時間で終了させことができる のは10年の歴史だけが成せる業ではない。チャモロ人の想像を超えた視力(視力5.0)と素潜りでの卓越した潜水能力があっての事だ。この作 業はタンクを背負うとしづらいのでタンクを背負わず、その10m〜30m程の深さを素潜りで5回以上は繰り返し潜り、海底でロープを結んだりしてい る。ある意味“グランブルー”のあのジャック・マイヨールもびっくりかもしれない。
大体、その深さに沈んでいるアンカーを海面から肉眼で見つけることは我々の視力では絶対にできない。これも決してまねのできない、すごい 能力だ。
以前、一緒に潜って探してみたが、彼らにはかなわない。10年間分の以前使ったブロックが海流に流されていたりして、海底にあり、小さい魚の 住みかとなっていた。しかし、テニアンの海は本当に美しい。仮のブイをつけ終わり、コースを泳ぐと10m下のアンカーまでしっかり見える程、透明 度は高い。テニアンの海の透明度は30mとも言われている。あのロタ島の海にも引けをとらない。魚もたくさんいる。昨年はスイムコースとなってい るタガビーチでカメも見ることができた。選手の一人はエイも見たそうだ。
6月3日(水)、午後は前日にテニアンの海上警察がマーキングした浮きを一緒に確認しに行った。昨日までの晴天とはうって変わり、文字どおりバ ケツをひっくり返したような大雨で、超天気が悪い!!!フィリピンの辺りに台風があるようだ・・・。
6月4日(木)、着々と準備が進んでいく。雨雲は去り、天気は回復に向かっていくが、海の回復が遅い。通常、天候が回復しても、海が落ち着くま ではタイムラグがあるのが常だ。レースまでには間に合ってほしいところだ。後は“神頼み”しかない。
6月5日(金)、昨年からの試みとして、試泳&水中撮影会を行う予定だった。この企画は透明度の高いテニアンとロタの海でしかできない企画だ。 競技中は周りを観察しながらゆっくり楽しんで泳ぐことができないので、海の下見も兼ねて楽しむことができるという企画だ。しかし、この日も海の 回復が遅れ、天気は良いのに波が高く、うねっている。珊瑚の岩場に打ち付けられるような波で、大変危険だ。この企画は中止にした。夕方、受付と 説明会が行われた。レースの準備は完璧。天気と海のコンディションだけが心配だ。
6月6日(土)いよいよレース当日、テニアンは一年でこの時季が一番暑いが、今年はまた格別に暑い。スコールもなく本当に暑い。但し、美しさも 一年で一番美しい時だ。島中あちらこちらに火炎樹が咲き乱れ、海と空の青さ、ジャングルの緑に真っ赤な火炎樹の色がよく映える。
そんなに美しく晴れ渡っているのが、逆に恨めしく思えてしまうほど海のコンディションが悪い。運営サイドの準備は完璧に仕上がっている。 それゆえ、泳がせてあげたい気持ちは山々だが、波打ち際の波が高すぎる。スイム得意な選手は大丈夫だろうが、皆がスイム得意とは限らない。
この手の波は、スタート時は大したことはなくても、上陸時が危険なのだ。海では後方から襲ってくる大波が最も危険なのだ。スタート30分前の 7:00に、やむなく、スイムは中止にしますとアナウンスした。いつの大会でも中止の宣言をするタイミングが一番難しい。スポーツイベントは冒 険でない、安全が最優先だ。
トライアスロン部門は、スイムが中止なので、ラン、バイク、ランになった。今年はテニアンチャンピオンの松丸選手が不参加だった為、宮塚選手 と青山選手、サイパンの選手の戦いとなった。エイドステーションもしっかりでていた。ランでは今年は格別に暑い為、塩を置いた。容器の蓋を開け て置いておくように伝えていたが、自発的にランナーのところまで持って手渡していた。進歩だ。
リーフスイム部門は泳げないので、どうすることもできない。本当に残念だ。2年前からの試みとして、リーフスイムの選手がスイム終了後、ランの みトライアスロンと同じコースを走る“ファンラン”を導入していた。リーフスイムの選手の競技は、今年は“ファンラン”だけになってしまった。来 年は“リベンジ”したいと思う。スイムを中止にしたのは10年目にして初の出来事だ。
夕方のアワードパーティーは夕日の美しいタガビーチで行われた。美味しいバーベキューを中心に、レッドライス、ヤングパパイヤで作った美味しい ピクルス(チャモロのバーベキューには欠かせない)、その他数々のアイランドスタイルの料理が並んだ。そしてビール。シンプルな島の料理だが、私 達日本人には十分美味しい。むしろ日本では味わうことのできない贅沢なバーベキューディナーだった。海がダメだった事が、つくづく残念だ。
6月7日(日)、昨日にスイムが出来なかった為、競技は無理でもせめて“ファンスイム&水中写真撮影会”だけでも・・・と試みた。しかし、少しず つ波がおさまってきているものの、まだ十分ではない。ローカルの子供たちは楽しそうに波打ち際で遊んでいた。しかし、よっぽど“海”で泳ぎなれて いないと、危険な状態だ。そんな訳でファンスイム&水中撮影会も中止した。その後、スイムに自信のある選手だけ、海に飛び込んだりして遊んでいた。 今年の第10回テニアン大会は不完全燃焼に終わった。