イベント報告
第3回パラオ・シェル・スポーツ・チャレンジ!
2009年12月5日(土)・6日(日)
3rd Palau Shell Sports Challenge
■パラオ大会報告 松丸真幸
使用機材
サプリメント
MEDALIST、パワーバー、パワージェル
XYZ(サイズ)
ドリンク
XYZ9(サイズナイン)
レースウエア
2XU:エリートトライスーツ
キャップ
2XU:ランキャップ
ゼッケンベルト
2XU:レース用ナンバーベルト
フレーム
CORRATEC: R.T.PRO CARBON
フォーク
CORRATEC: R.T.PRO CARBON FORK
アイウエア
ALPINA:TRI-GUARD 40
ヘルメット
ALPINA:MORANO
コンポーネント
SHIMANO:DURA‐ACE 7900
バイクシューズ
SHIMANO:SH-TR70
ペダル
SHIMANO:PD-7810
ホイール前後
SHIMANO:WH-7850-C50-TU
エアロバー
PRO:ステルスEVOクリップオンカーボンハンドル
ハンドル
PRO:ステルスEVO
サドル
PRO:グリフォンゲル
コンピューター
PRO:DIGI-W7
アクセサリー
PRO:ボトルゲージカーボン、バーテープマイクロファイバー
タイヤ
VITTORIA:コルサEVO CX
ランシューズ
SAUCONY:SAM2007
ハートレイト
POLAR:RS800
TEEシャツ
BODYTUNE
成績

優勝 〔優勝(3連覇)

内容

パラオは、フィリピン近くの共和国。赤道に近いので、物凄い暑さである。しかしながら、今年は異常気象なのか、昨年よりも涼しく感じられた。 また、いつもなら存在しない、ジェリーフィッシュ(くらげ)が海にいた為、スイムは中止になり、デュアスロンになった。

スタートは、午前6時30分。2時間前に朝食を済ませて、レースの準備をする。スイムは中止なので、初めに砂浜を走ることになった。距離は500m くらい。そして、スタート!早々にトップに立つ。素早くバイクに移った。

バイクは、いきなり急な登り坂が待ち構えている。ダンシングでグイグイ進む。そして、コロールの市街地を抜けて、バベルダオブ島とコロールを 結ぶ、KBブリッジを渡る。この橋は勾配がきつく大変だ。そして、舞台は、バベルダオブ島へ。

この島は、パラオでは最大の島で、1周すると90km くらいある。道路はとてもきれい。そして、アップダウンも多く、とてもタフなコースで走り応えがある。折り返し手前の3kmくらいの登り坂が最大の難所。

私は、順調にレースを消化していた。起伏のあるコースは大好きだ。やがて、難所の登り坂に来る。ここは踏ん張りどころ。スピードは時速15kmくらいにな ってしまう。頑張って登って、折り返し地点に到着。エイドステーションで、水分補給して復路へ。一気に下る。

タイトなコーナーもないので、スピードが良く 出る。時速70kmくらい。気分が良い。帰り道も起伏が激しいが、リズム良く走って、バイク40kmを終えた。バイクタイムは、1時間7分弱。私の40kmのタイ ムは、平地で57分前後。このタイムからも、コースのきつさが想像できると思う。

ランは、日影がないので、集中力の必要なコースだ。初めに、バイク同様に、きつい坂を登る。いつもより涼しいといっても、気温は30度以上あるから やっぱり暑い!過去に、いろいろな気温の高いレースに参加したことがあるが、やはりここが一番だろう!

私は、集中力を切らさず、キロ4分前後のペースをしっかりとキープして走った。そして、最初にゴール!レースを楽しく走り切れた。

感想と総括

日頃のスポンサードありがとうございます! シーズン最後のレースを優勝で終えて良かったです。09年シーズンのトライアスロン成績は以下の通りです。 今年は、9戦6勝で、日本チャンピン(通算6回目)で良かったと思います。また、バイクパートに関しては、国内ロング3大メジャーレースの記録を更新させ ることができました。

※国内ロング3大大会(宮古島、IMジャパン、佐渡日本選手権)の日本人バイクラップ保持者/宮古島:準優勝(日本人1位)/サイパン:優勝/潮来:優勝/ IMジャパン:9位(日本人4位)/徳之島:優勝/佐渡日本選手権:優勝/新潟国体:12位(バイクラップ1位)/ロタ:優勝/パラオ:優勝

今後の活動について

カナヅチの18歳からトライアスロンを始めて、17年目のシーズンが終わりました。大学卒業後、企業に就職しましたが、プロ選手になることを諦めきれず、 思い切って退職。絶対にプロになると、覚悟を決めました。この10年間は、険しい道のりでした。幾度となく壁にぶち当たっては、ひとつずつ乗り越えてきました。 そして、気が付いたら、自他共に認める日本のトッププロにまで成長しました。来年は35歳になります。

今でも年々、パフォーマンスは上昇しております。自分でも信じられないくらい強くなり、まだまだ底なしに上昇していることに驚いています。トレーニング で強くすることはもちろんですが、トップでいられることは、今日のサプリメントの発展、使用機材の進化があってのことであります。毎年、使用機材のサポート 等には、感謝しております。本当にありがとうございます。

トライアスロンはとても魅力のあるスポーツであります。しかしながら、野球やゴルフのようなスポーツではありません。日本においてトライアスロンが、 プロスポーツとして、本当に魅力あるスポーツになる日が訪れるのか?それは、わかりません。

私は、色々と考えた結果、就職をすることにしました。数年後の未来よりも、10年、20年後の未来を見据えて。倍率は約20倍。もう忘れてしまった勉強を、 朝から夜中の3時くらいまでしました。ダメかと思いましたが、採用が決まり、来年1月から正社員として、住友金属に勤めることになりました。

自分でも、この 年齢、この不況で就職できたことは、奇跡に近いです。しかしそれは、今日まで、自分を信じ、人生を懸けて、プロ選手としてトライアスロンに打ち込んできた からだと思いました。

来年から環境が変わるので、これまでのように、多くの大会に参加することはできないと思います。 この先数年は、競技活動は自粛することになるかと思い ます。来年の宮古島の招待は、辞退いたしました。しかし、私は「必ず戻ってきて、優勝する!」と事務局、TV局の方に伝えました。

トライアスロンは生涯スポーツだと思います。これからは、仕事に専念して、できる範囲で頑張っていきたいと思います。しかし、私の選手としての本当の ピークは、この先にあると確信しています。これからは、「サラリーマンアスリート松丸真幸」をどうか応援よろしくお願い致します。

■100kmライド参戦記 小泉二ロ

3回目の開催となるパラオ・シェル・レインボートライアスロン。加えてオーシャンスイムの開催と、今年初となる100kmライドも開催されました。 1度行けば3度楽しめるパラオをレポートします。

○トライアスロン

パラオパシフィックリゾート。数あるビーチを調査した結果、このホテルのプライベートビーチがスイムに最適と判断され、ここを拠点にスイム、バイク、 ランのコースが設定されています。また風向きなども考慮し、ベストな状況である12月上旬の開催とし、今回で3回目を迎えた大会です。

しかし年々変わる気象状況。毎年「異常気象」と言い続けて、今や異常は通常。そんな中今年はハプニングで大会は始まりました。前日から異例に吹く 西風の影響でクラゲが大量に流れてきてしまう危険性がありました。クラゲの種類は様々ですが、海外では毒性の強いものが多く、十分な用心が必要です。 開催当日はまだ真っ暗な4時に起床しましたが、その時点でも強い西風。

参加者の安全のため、今年はスイムがビーチランに変更となりました。しかしその翌々日にはすっかり風も止み、このビーチで泳ぐことができました。運が 良ければエイやブダイなども見ながら泳ぐことができる、という素晴らしいビーチです。また、サンゴも美しく、穏やかな海で、スイムが苦手な方でも楽しめる と思います。ぜひ一度スイムを体験してほしいビーチです!

さて、ビーチランでアップが完了、という感じの参加者のみなさん。さっそくバイクパートに入って行きましたが、このパラオの大会は、バイクもランも かなりダイナミックなコースなんです。丘陵がずっと続く、という状態なので上って降りてまた上って、の繰り返し。参加者のみなさんもだんだんと表情が 真剣に。でも国内ではなかなか体験できそうにないロケーションに感動も強かったと思います。

ランパートの時間には陽もだいぶ昇り、暑さとの闘いも開始。それでも事故やけがはなく大会は無事終了したのでした。

○オーシャンスイム

ジムでもスイムのクラスは人気ですが、オーシャンスイムも女性参加者が多く驚きでした。参加ディスタンスは、 1,2,3マイル(1マイルは約1.6km)の三種です。3マイルに参加する女性もいて、そのチャレンジ精神には脱帽でした。

しかし、こういった大会でもないと、海で思う存分遠泳できることはないので、より長い距離を泳ぐほうが得かもしれません。 ライフセーバーは万全の態勢でコース周りを見守っていてくれます。

今年はパラオパシフィックリゾートのビーチが西風の影響で利用をストップしたため、オーシャンスイムの会場も東側に変更しました。 こちらは反対側なので風とクラゲの影響もなく安心して泳げます。800mで折り返しの1マイルコース、3マイルの人は3周回です、すごい! 水温はばっちりで、水着で気持ち良く泳げます。パラオパシフィックリゾートほどではないものの、こちらでもコーラルフィッシュなどを 眺めつつのスイムが楽しめます。

トライアスロンでスイムに参加できなかったが泳ぎたかった!という人も、こちらでファンスイムとして参加。楽しそうに泳いでいました。

○100kmサイクリング

パラオ島は大小相当の数の島々から成り立っています、その中でもとりわけ大きな島で、最も人の多いコロール島と橋で結ばれているのがバベルダオブ島。

このバベルダオブ島の道路が2008年に綺麗に舗装され、自転車を走らせるにはうってつけのコースができ、現地の人からもぜひ自転車イベントをやってほしい、 と期待が寄せられ実現した100kmサイクリング。どんなものかとわくわくして参加しました。

これにもドラマがあって、起床した早朝大雨に見舞われ不安でした。普段は雨の日のライドは避けているため、私にとっては初めての雨の中でのライド。

でもここまでバイクも連れてきたのに走らない手はない、ということで落車には十分気をつけて走り始めました。参加者には地元の人たちもいたし、プロ選手 もおり、いい雰囲気でした。

天候の心配もあったので、プロトライアスリートの松丸選手についていく形でしばらく走っていくことになりました。しかし、10kmも走ったころ、晴れ間が見 えて、今度は暑くなり始めました。

コースは想像の通り、アップダウンがほとんどのドラマティックコース。ロングライドはしばらくしていなかった私には、「完走できるかな?」と不安な面も ありましたが、松丸選手はじめ、引っ張ってくれる数名の参加者がいてくれたおかげで、前半はとても良いペースで走れました。やはりバイクは孤立せず、良い ペースの人についていくことで速く走れるようです。

感動したのはエイドステーション!15kmに一回ほどの割合で飲み物のほか、フルーツやお菓子など、快く差し出してくれました。お腹がすきやすくてマイペ ースで、止まって食べだしたら時間がかかる私は、ほかの方からも「休みすぎ&食べ過ぎじゃないの!?(笑)」とつっこまれながらも、エイドステーションの おかげでハンガーノックになることもなく、無事に完走したのでした。

早朝は海の水も引くに引いており、かなり幻想的な景色で、折り返してくる頃には、水もきらきらとし、木々も緑に輝き実に気持ちいいロケーションです。 標高の高いところに登りつめたときには、ぜひ海を眺めてください。また、道は非常によく、車もほとんどないと言っていいので、本当に安心して走れます。

私としてはこのサイクリングイベントが継続し大きくなっていくことを大いに期待したいです。そしていつの日か、道路の舗装がより進み、200kmライド、 なんていうのが可能になれば、チャレンジングなサイクリストに人気のコースになること間違いなしだと思います。

○番外編

目当てはスポーツでも、せっかく来たので観光も楽しまないともったいないですよね。パラオは観光もとっても魅力的です。

まず、グアムやハワイなどと違って、ちょっとだけ「マニアック」な場所にきている、というだけでも何か新発見がありそうなわくわく感が高ま ります。でも歴史上、日本統治時代のあった関係で、妙に日本っぽさを感じることも多く、親近感がわきます。

パラオ島は無人島の数も入れて200以上もある島でできている、という国なので、島々を訪れるツアーやダイビングスポットも実に多くあります。

ランドマークとしては、「セブンティアイランド」やTVCMでもおなじみで、干潮時に砂浜が現れ島と島が結ばれる「ロングビーチ」などがあります。

この島々を一望するには、ヘリコプターのチャーターも!私も体験してきましたが、海の色に涙しそうになると同時に、海の環境保全をするため努力 していこう、と心にきめました。ヘリからは、ジュゴン、マンタ、サメなども見ることができるんですよ!

コロール島の中心部ではお買い物ができますので、お土産の買い出しはコロール島で。その他地元ローカルのおいしいご飯屋さんを探してみるのも 楽しい。私は手打ちの中華麺を出してくれるチャイニーズのお店がかなり気に入りました。この人生であと何回か訪れたいと思っているほどです。マング ローブガニやしゃこがいなど、ならではの食材もありますのでグルメを楽しむのもお忘れなく!

■KFC徒然

第2回大会を終え、パラオを発つ前のスタッフミーティングで次年度はトライアスロンのハーフタイプを無くすことが決まった。

その理由は、パラオは赤道に近く、正午を過ぎると非常に暑いので、長い時間を要するハーフタイプは体に良くないという理由から だ。参加者のみならず、エイドステーションのボランティアがその暑さで参ってしまうのだ。

その代わりとして、パラオ人の希望だった彼らご自慢の バベルダイブ島周回道路(コンパクトロード)を使っての自転車レースを開催することになった。

そんな事情で、今年は12月5日(土)午前にトライスアスロン、午後にオーシャンスイム大会が開催された。そして翌6日(日)にバベルダオブ島一周 道路で自転車レースが開催されたのだ。

【ハプニング発生!】

通常、この時期のパラオ・パシフィック・リゾート(PPR)のプライベート・ビーチは強い波もうねりもなくとても泳ぎやすい。ところが、今年は気候変動 の影響か、この時期には収まっているはずの強い西風が吹いていた。

その西風の影響で、性質の悪い厄介な“カツオノエボシ”といわれるクラゲが発生していた。 こいつに刺されるとかなり痛い。スイム中にパニックを起こす危険が高い。だから、スイムは中止し、ラン・バイク・ランのディユアスロンに変更して実施した。

しかし、午後のオーシャンスイム大会は中止してランに変更するという訳にはいかない。それで急きょ場所を変更して行うことになった。“リップタイド” という個人所有のビーチで、西風があってもクラゲが流れつかない大きな湾で行うことになった。

午前中に開催したトライアスロンの選手たちもスイマーに混じってスイム を楽しんでもらうことにした。せっかく遥々パラオまで来て、全然泳がないで帰ってもらうのは申し訳ない。

皮肉なことにオーシャンスイムの翌日からクラゲがいなくなり、PPRのビーチは泳げるようになり、いつもの平和なビーチに戻った。これが人生というものだ。 自然には逆らえない。

今年創刊された日本で唯一のトライアスロン雑誌「トライアスロン・トリップ」誌の現地取材が入った。ライターは旅ガラスの謝孝浩さんとカメラマンはジェロ本多 さんだ。因みに、謝さんは編集長でもある。取材レポートは2月発売号に掲載されることになっているので、皆さん、御覧下さい。

【高島大使との嬉しい再会】

今年は思いもよらない嬉しい再会があった。昨年までの駐在パラオ日本大使であった中村大使に代わり、高島大使が新しく赴任された。高島大使はトライアスリート で10年ほど前のグアム領事館勤務時代にはロタブルー・トライアスロンやテニアン・ターコイズブルー・トライススロン、それにサイパン・タガマン大会などに参加 されていた。

実は2009年初めに中村大使からパラオを離れますというご丁寧な手紙を頂いていた。だから、今年は新しく大使が赴任されることは知っていた。それがまさか高島さん だったとは驚いた。それもパラオというピンポイント(太平洋の小さな島)で再会するとは、まさに「縁は異な物、味な物」である。

10月頃にパラオ在住の菊池さんから、今度の新大使は高島さんと言う方で、トライアスロンをされるらしい、と聞いていた。その後、12月の大会を楽しみにされ ているというメールが届いた。それがきっかけであの高島大使ということが判明したのである。

11月28日にパラオへ着くとすぐに大使館へご挨拶にお伺いした。お聞きするところによると、グアム領事館の後、治安の相当によくないパプアニューギニア、 米国ボストン、独裁者カダフィーのイスラム国家リビア、その後、何と戦地であるアフガニスタン(アフガン)へ赴任されたと知った。アフガンと比べるとパラオは キャッチ・コピー通り南の島の楽園である。

そして、翌々日、高島大使の自宅でディナーのご招待を受けた。お伺いすると、新しく購入されたばかりのバイクが部屋の 入口付近にしっかりと置いてあった。時間を見つけては練習されているとのこと。

【タイムトライアル100k、スタート!】

12月6日(日)のパラオ島民期待の「第1回パラオ・シェル・レインボー・タイムトライアル100km」が開催された。運悪くバベルダオブ島南部のスタート 地点辺りは雨だった。しかし、これから向かう島中部や北部は晴れているという情報が入っていた。熱帯特有のスコールのため時々激しいスコールが降っていた。

予定通の06:30amちょっと遅れで、スタート地点であるシェルガソリン・スタンドをスタートした。熱帯パラオにありながら、この日は寒かったので、当初予定 のタイム・トライアル形式ではなく、急きょ一斉スタート方式に変更した。

雨の中、安全を期すためにスタート後30分間ほどは松丸真幸選手が集団をコントロールし、皆その後を走るということにした。ツール・ド・フランスでもそうだが、 海外の自転車レースではその時の状況に応じて、このような選手同士の紳士協定が結ばれることが多々ある。欧州で自転車レースが紳士のスポーツと言われる由縁だ。

【松丸選手絶賛のダイナミックなコース】

コースに使うコンパクト・ロードはサイパン島よりも一回り大きなバベルダオブ島に米国の援助で造られた100km弱の周回道路である。熱帯の特有の手付かずの 自然が残るジャングルを切り裂いて走っている。その造りはサイパンやグアムでは見られないほど立派な道路で、日本の高速道路のようである。

ダイナミックなコースでアップダウンが連続する。ほとんどのコーナーはサーキットのようにバンクが切ってあり、スピードを殺すことなくクリアすることができる。 松丸選手絶賛の乗っていて、気持ちのよい道路だ。また、普段でも1時間走って、すれ違う車は1〜2台という具合だ。まさに自転車レースのために造られたような道路だ。

トラフィック・コントロールはパラオ警察のパトカーが受け持ってくれた。最後尾の選手には救急車が付き添うというバックアップ体制である。エイドステーション は3台のピックアップトラックを使っての移動エイドステーションだ。

30分ほど走ると、情報通り雨が上がって熱帯の太陽が顔を覗かせてきた。その頃までにすでに2〜3人は集団から逃げていたが、ほとんどの選手は松丸選手と一緒に 走っている。先は長いので、エイドでは皆十分な水や食料を補給している。

しかし、長い上り坂に入ると実力の差が歴然とでて、縦に長い列に伸びる。ここで遅れた選手は下りやフラットで必死に先に追いつこうとしていた。脚が攣った 現地選手が道端でストレッチをしたりしている。グランフォンドのようなレース展開だ。

このレベルでは松丸選手が本気で走れば、ぶっちぎりのレースになることは 火を見るより明らかだ。松丸選手はその点をよくわきまえて、他の選手を楽しませようとしてくれている。

【白亜の殿堂出現】

折り返しはキャピタルと呼ばれているパラオの新首都である。緑に覆われた山の中にホワイトハウス・・?モスク・・?を彷彿されるような立派な建物がポツン と建っている。台湾の資金援助で建設されたものだ。この建物のエントランス(正面玄関)を折り返す。ここを過ぎ、復路になった辺りから皆エンジンがかかり集団 がバラけ出してた。

発展途上国のパラオは米国、日本、台湾、オーストラリアなどから多額の資金援助や協力隊などの人的援助を受けている。道路、橋、港、空港と言った大規模インフラ から学校、体育館、水族館、病院と言った箱ものまで、多方面で外国の援助を受けている。経済大国が途上国へ国家間の政府援助を与えるのは決して悪いことではない。

しかし、パラオ国民一人ひとりの意識の中に、外国人からモノやお金をもらって当たり前という意識が根付いているのはちょっと問題だ。

世界一の経済大国である米国に属してる北マリアナ諸島(サイパン・ロタ・テニアン)は他国からの経済援助は一切ない。だから、島民も外国人から無償でモノや お金をもらうという発想は持っていない。ホスピタリティを存分に発揮して、観光客を呼び込もうとしている。我々日本人と価値観は同じだ。

この自転車レースの現地取材は自転車雑誌「funride」誌が入った。ライターは選手として参加した、編集長である村山さんだ。彼は昨年まで「トライアスロン・ ジャパン」誌の編集長を務めていた。彼との付き合いは長く、第2回テニアン・ターコイズブルートライアスロンの現地取材に来てくれた時以来、すなわち、約10 年来の付き合いということになる。カメラマンはジェロ本多さんだ。尚、この大会の模様は2月発売号(3月号)に掲載される予定だ。

【高橋希代子と小泉二ロ】

愛知県の岡崎市でトライアスロンステーションを主催している元エリート選手の高橋希代子さん、それに、新たにKFC組に加わった自転車雑誌「二つの輪」(フリー ペーパー)の編集長であり、ボサノバ・シンガーである小泉ニロさんも参加された。

元々バイクとランが得意だった高橋選手、バイクは今なお十分に速い。二ロさんは旅ガラス謝さんと抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げていた。因みに、 高島大使はトライアスロン、オーシャンスイムには参加されたが、バイクレースは公務のため参加されなかった。残念!

レース後、クラゲが消えたPPRのビーチは普段の静けさが戻っていた。皆さん、寝そべったり、泳いだりして、皆思う存分パラオの海を楽しんでいた。

【サプライズ演出 in Award Party】

夕陽の頃、5:30pmからPPRのロビーにて、トライアスロンとオーシャンスイム、そして、バイクレースの合同アワードパーティーが催された。今年もブッフェ・ スタイル(バイキング方式)のパーティーとなった。ビーフやチキンのバーベキュー、豚の丸焼き、麺類、寿司、刺身、スープ、野菜、フルーツ、デザート等など、 たくさんの食べ物が並べられていた。

そして、パーティが終わりに近づいた頃、サプライズな演出があった。地元パラオ水泳チームの子供達によるシンクロナイズド ・スイミングがホテルのプールを使って披露された。

【ミュージシャンMATSUMARU誕生か?】

パーティの後、いつのもようにKFCの部屋に気心の知れた友人たちが集まって来た。松丸選手、”ファンライド”の村山編集長、カメラマンのジェロさん、“トライアスロン・ トリップ”誌の編集長の謝さん、高橋希代子さん、それにミュージシャンの二ロさんという面々だ。すべてのイベントが滞りなく終わったという安堵感の中、 いつもの雑談が始まった。

そうこうしている内に、いじられキャラの松丸選手が村山さん、高橋さん、二ロさんたちにいじられ始めた。そんな中、突然、松丸選手が“ギターがやり たい・・”と言い出した。これまでギターをやっていた訳でも、他の楽器や音楽をやっていた訳でもない。因みに、音楽の成績は“2マイナス”だったらしい。

では、なぜ“ギターか“というと、サイパンのタガマン大会(2009年4月開催)で優勝した時のことである。アワード・パーティでの優勝スピーチの時、壇上から “グッド・ナイト(おやすみなさい)”と第一声を発してしまったのだ。すなわち、いきなり“お開き”にしてしまったのだ。

彼は“グッド・イーブニング(こんばんは)”と言いたかったのだ。その時、会場が闇に包まれていたので、思わず“ナイト”と言ってしまったのだろう。 会場は大受けだったし、意図したことは皆分かっていた。

しかし、それがきっかけで本人はスピーチの代わりにギター演奏をすればカッコいいと思ったようだ。練習して優勝スピーチの代わりにギターと歌を披露できたら、 確かに相当“イケテル!”トライアスリートだし、これだと日本であろうと、外国であろうと、万国共通だ。

先月開催されたロタ大会のアワード・パーティでのニロさんの即興ライブがヒントになったのだろうか?因みに、選曲は彼の好きな“サザン”か、大西の好きな “スタンド・バイ・ミー”か、と思っているらしい。果たして“ミュージシャン・MATSUMARU”の誕生はなるか?

【アイランドシリーズ全5戦完全制覇】

瓜生英秋さんが2009年の1年間だけで、3月のサイパン・タガマンに始って、6月のテニアン大会、7月のグアム大会、11月のロタ大会、そして、12月 のパラオ大会と「アイランド・シリーズ全5戦」を完全制覇された。

過去、3〜4大会に参加されている選手はたくさんいるが、5戦制覇されたのは 瓜生さんただ一人だ。

アワードパーティで特別賞として、世界で1枚しかない鶯色の「アイランドシリーズ完全制覇Tシャツ」をプレゼントされた。

【Special Thanks】

パラオ・シェル石油 / パラオ・パシフィック・リゾート / コンチネンタル航空

ロック・アイランド・ツアー・カンパニー / 駐在パラオ日本国大使館