島情報
パラオ共和国 Public of PALAU
PPR沖にある一本ヤシの島

パラオはダイビングの島として世界的に有名である。しかし、ダイビングに関する情報は他のサイトに任せて、ここではKFC的 見地から、観たり、感じたりしたこと、また、皆さんに紹介したいと思うパラオを取り上げることにする。

【グアムやサイパンとの相違点】
ストーンモノリスの丘からの風景

パラオは、グアムや北マリアナ諸島(ロタ、テニアン、サイパンを指す)とは政治的ステイタスは大きく異なる。グアムや北マリア ナ諸島は完全なアメリカ領だ。だから、これらの島民へは米国からUSパスポートが発給されている。

しかし、パラオは米国のテリトリー にはあるもののパラオ(ベラウ)共和国という立派な独立国だ。だから、パラオの人たちはパラオ共和国発給のパスポートを持っている。

パラオ・パシフィック・リゾートにあるパラオ雄一の本格的ビーチ

そして、パラオは発展途上にある独立国であるが故、外国からの有形無形の援助が行われている。日本からはODA(政府開発援助)と いう形の経済的援 助やJAICA(国際協力機構)による人的援助などが盛んだ。

日本以外にも、台湾、米国、オーストラリアなどからも同様の援助がなされ ている。だから、パラオの道路や橋などの大規模インフラはすべて外国からの援助で造られている。

それに対して、グアムや北マリアナ諸島は経済大国であるアメリカに属しているため、どこの国も経済援助はしてくれないのだ。

【パラオ共和国とは】
■パラオの位置と気候
ダイビングボートと青い海

神戸市の南方約3000kmの地点にある。大小約600の島々からなる。その中で人が住んで いるのは9島(コロール、バベルダオブ、アラカベサン、マラカル、ペリリュウ、アンガウル等な ど)だけである。

そして、国民の70%が住んでいるのはコロール島で、この島がパラオの政治 経済の中心地である。パラオで唯一繁華街があるのもここコロール島である。因みに、パラオ 人は約15000人、その他、出稼ぎのフィリピン人が5000人ほど住んでいる。日本との時差 はない。

手付かずの自然が豊富に残るパラオ(コンパクトロードを行く自転車)

気候に関しては、赤道に近いのでサイパンやグアムと比べて相当に暑い。パラワン(島民)で さえ脱水症で倒れることもあるくらいである。その為、我々観光客は日射病や脱水症には要 注意である。

台風に関しては、その通り道から外れているため、マリアナ(グアム、サイパン、ロタ、テニア ンなどを指す)と違い襲来することはほとんどない。だから、海上にせり出して建てられている 家を見ることができる。台風の多いマリアナでは海上にせり出した家など絶対にありえない。

■パラオの政治形態
パラオ・パシフフィック・リゾートのプールから

政治形態に関しては、アメリカと同じで上院下院の議会政治と大統領制を採用している。だ から、最高権力者は大統領である。

しかし、パラオには、時として、それを超える最高権力者が存 在する。それが酋長という権力者である。そして、酋長は島民にたいへん尊敬されている存 在で、島民たちは大統領よりも酋長の意見を優先させるという。

また、サイパンなどの北マリアナ諸島と違って議会政治に対して、酋長協議会というものがあり、その決定が 議会の決定を超えることもあるという。

現在でもパラオには各州に一人ずつ伝統的な酋長が 存在する。さらにその上に、パラオ共和国全域の南部地域と北部地域に2分し、それぞれ一 人ずつの大酋長が存在する。裏の大統領といったところだ。因みに、酋長は選挙ではなく世 襲で決まる。

■パラオの経済事情
フィシャーマンのティノ。島の人は素潜り漁が得意だ

パラオの国家財源は何と言っても観光産業だ。アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ、ロシア、 アジア等々世界中から大勢のダイバーが訪れるダイビングのメッカだ。

セブンティ(70)・アイランドに代表されるように小さな岩島(ロックアイランド)が複雑な地形を形成しており、さら に、急激に深海まで落ちていくドロップオフがあったりして、たくさんの多種多様な魚やサンゴ を育んでいる。まさに、この自然がパラオ最大の観光資源だ。

パラオを訪れる観光客は日本と台湾からが最も多い。両国から年間約2万人ずつ(2007年 度)が訪れる。おそらく全体でも年間5万人くらいだろう。

パラオ・パシフィック・リゾート(PPR)にある可愛い桟橋

ちょっと見、サイパンの年間観光客数約2 0万人(2008年度)と比べると少ないようだが、観光客一人当たりの落とすお金の額が多く、かつ、パラオ の人件費がサイパンの半分以下と云う低さが絶対数の少なさを補っているように思える。

日本からのアクセスはグアム経由でコンチネンタル航空がデイリーで就航している。機材は ジャンボ機でなく約200人乗りの中型機だ。なぜなら、パラオ国際空港はジャンボ機が着陸 するには滑走路が短いのだ。また、ダイビングのオンシーズンにはJALが直行便を飛ばして いる。

南の島のリゾートらしいPPRの敷地内

台湾人にとってパラオは唯一ビザなしで、手軽に訪れることができるUSテリトリーとなってい る。そのためビーチリゾートとしての人気が高く、パラオ〜台湾間の直行便も就航している。

米国領であるサイパンもパラオと同じく入国ビザは必要ないのだが、経由地であるグアムに入 るのにUSビザが必要となる。このため、台湾人が直行便以外でサイパンを訪れるのは難しい のが現状だ。

観光収入以外にも、外国からの経済援助や人的援助も重要な国家財源となっている。

■パラオの歴史
バベルダオブ島の山頂からの夕日

日本とパラオとの関係には特別なものがある。というのは第一次世界大戦終結(1914年)か ら第二次世界大戦敗戦(1944年)までの約30年間は日本の統治下にあった。平たく言えば 、30年間も日本国の領土だったのである。

パラオは1994年にアメリカと自主独立協定を結び、正式に独立した。 古くはヨーロッパ人達 との交易活動から始まり、スペイン植民地時代からドイツ植民地時代を経て、 日本(統治)時代 (1914〜1944年)を迎えた。 いわゆる、日本時代である。

日本時代には、パラオに南洋群 島(パラオ、サイパン、ロタ、テニアン、ヤップ、ポナペ、トラック等々)全体を管轄する南洋庁 本庁が設置された。 そのため、現在でも日本時代の影響を色濃く残している。

Tドックに建つお洒落なブルーの倉庫

第2次世界大戦後、1981年に自治政府発足までは、アメリカの信託統治となった。 その後 、紆余曲折はあったが、1994年10月1日に独立した。 正式国名は“パラオ共和国”だが、 現地では“ベラウ”とも言われている。

しかし、今尚、アメリカとの関係は深いものがあり、米国 との間で自由連合協定が結ばれている。 この協定は、内政と外交権はパラオが、安全保障 はアメリカ合衆国が担うものとし、アメリカ軍が駐留し、その見返りとして米国が財政援助をす るというものである。

当然、この関係からパラオの通貨はUSドルである。USビザなして米国で 働いたり、留学したりすることができる特典もある。そのため、多くのパラオ人が賃金のよいグ アムやハワイや米国本土で働いている。

実がついたばかりの若いパイナップル

日本時代には、パラオでも日本国内と同様の行政システムが採用され、道徳や文化や価値 観や教育も日本と共有した。65年経った今でも、その名残を至る所に見ることができる。だか ら今でも年配の人は流暢な日本語を話すことができる。

かつて(1990年頃)、グアムに在住のパラオ・ペリリュー島出身の友人であるヨイチ(与一)さ んに聞いた話が忘れられない。

ヨイチさんは太平洋戦争当時、日本軍の兵 隊の一人として訓練を受け米軍と戦ったそうだ。結局、敗戦という形で終戦を迎えた。米軍が 激戦地であったペリリュー島へ上陸してきた時、身体のデカイ米軍人が怖かったそうだ。終戦 後、グアムへ移り住んだパラオ人は多い。ヨイチさんもその一人だ。

■友人ヨイチ(与一)さん
サッカーボール大のシャコ貝

30年程前の話(戦後40年が経った頃)。パラオ人ヨイチさんは日本人と一緒に過ごした日本時代を忘れられずに いた。アメリカはパラオへお金はくれるが、日本のようにパラオ人と一緒になって農業を教え てくたり、教育や文化を与えてくれないと話す。

そして、日本時代に慣れ親しんだ流暢な日本語で多くのことを語ってくれた。例えば、日本 のことを内地と呼び、内地を訪ねてみたいとか、日本時代の暮らしが懐かしいとか、アメリカ( 国連信託)の統治より日本に統治してほしいとか。今なお、大和魂を持っているとか。

その中でも忘れられない言葉は「日本は 山椒のよう国。なぜなら、山椒は小粒でピリッと辛いでしょう。」と教えてくれた。我々日本人より日本人らしい。

しかし、現在の若者にヨイチさんのような親日派はいない。ODAが価値観を変えてしまっているように思える。

因みに、与一 という名前は、弓の名人(屋島壇ノ浦「源平の戦い」)、那須の与一からもらったという。名づけ 親はパラオに住んでいた日本人だそうだ。

■現存する日本統治時代の名残
蛍光色ブルーを発する魅力的な海とロックアイランド

今なお、パラオ語には日本語がそのまま使われているものが多い。 例えば、選挙は“センキ ョ”“、選挙のポスターにも“センキョ”と書かれている。

大統領は““ダイトウリョー、”“ ガソリン は“アブラ”、 電気は“デンキ”、 電柱は“デンキバシラ”、 美味しいは“アジダイジョーブ ”、 大丈夫は“ダイジョーブ”、 うどんは“ウドン”、、インスタントラーメンは“サッポロイチバ ン”、 飛行場は”ヒコウジョウ“、などなど。

戦争の遺物。平和な時代に訪れることができて感謝

パラオ人の名前にしても、日系人以外の純粋のパラオ人でも、日本語名が多い。 第4代パラ オ大統領は“ナカムラ・クニオ”だし、その兄の現駐日パラオ大使は“ナカムラ・ダイジロウ”と いう。 他にも“テツオ”、 “アケミ”、 “ヒロシ”、 “タロウ”、 “ケイコ”、 “ヨシコ”etc...と 数え上げれば切がない。

姓も“サトウ”、 “タナカ”、 “カトウ”、 “ヤマモト”などもあり、中 には“○○さん”の“さん”までつけた“ノギサン”、 “タケダサン”、それに“コマサ”“、 ”オオ マサ”という人もいる。 なんだか日本人としてはうれしいような・・笑えるような...。

また、驚くことに、日本時代にはカカオ豆やコーヒー豆も作られていたそうだ。当時は明治製 菓のチョコレートにはパラオ産のカカオ豆が使われていたそうだ。

【観る】
■ガラスマオの滝(バベルダオブ島北部)
水のカーテンのようなガラスマオの滝

水がカーテンのように薄い膜になって流れ落ちている滝。カーテンの幅は20〜30mはある。 そのため、いわゆる、滝の迫力はないが、癒しを感じられるような優しい滝だ。

訪れた人は落 下してくる水に打たれたり、滝壺に入ってジャブジャブ歩いてみたりして水遊びを楽しんでい る。普通の滝のような滝坪がないので安全だ。水は澄んでいて、小魚やエビが生息している 。

さらに、その滝へ行く道が非常に楽しい。駐車場からは30分ほどのジャングルトレッキングを しなければならない。しかし、そのトレッキングがこれまたけっこう面白い。

滝に行く途中に小さな川の中を歩かなければならない

日本時代の鉄道の レール跡を歩いたり、見晴らしの良い山の尾根を歩いたり、涼しいジャングルの中を歩いたり、 岩盤の上を流れる川を横切ったり、水深が膝くらいの小川の中を歩いたり等々。ちょっとしたジャングル探検気分だ。

帽子と飲料水を忘れずに。それと、入山料が5ドルほど必要だ。

■謎の遺跡「ストーンモノリス」(バベルダオブ島北部)
人の背丈より大きいストーンモノリス

バドルルアウ遺跡にはストーンモノリスと呼ばれる石碑群がある。モアイ像ほど大きくはないが 、海を臨む草原に大小様々な形をした石碑が50基ほど点在している。海を臨む場所にあることに重 大な意味があるらしい。

人の背丈よりも大きい ものもたくさんある。重量も数トンはあるだろう。形は柱状のもが多い。中には、ストーンフェイ スと呼ばれ、人の顔が彫られているものもある。

この遺跡は海を見下ろす丘にある

これらが何を意味しているか、また、誰がいつ の時代に造ったのか、定かではない。でも、これを造るには相当のエネルギーと時間を要した であろう。それを想像すると、それなりの何か大きな意味があったに違いない。パラオのミステ リーゾーンの一つだ。

その他にも、同じくバベルダオブ島にパラオ版ピラミッドも存在する。これはエジプトの石造りのもの と違い土を盛って造ってある。現在は草で覆われているが、コンパクトロード からハッキリと見ることができる。

■バイ(バベルダオブ島南部)
バイの全景

バイとはパラオの伝統的な女人禁制の集会所のこと。その昔、ここで男たちが村の政(まつりごと)を 決める会合に使った建物。

その建築様式は独特のものがあり、木造の立て床式で屋根部分 が大きく張り出している。昔の建物ゆえ、釘は一本も使っていない。その壁面には魚や人な どがたくさん描かれており、それが伝説や神話となっている。

文字を持たなかった頃は、これ らが文字の役割をしていたのだ。今もパラオにはストーリーボードという伝統芸術がある。これ は昔の言い伝えを木板に掘ってあるもの。

■泥パック(ミルキーウェイ)
乳白色をした美しいマリンレイクだ。

数あるマリンレイクの中でミルキーウェイと呼ばれるマリンレイクがある。そこは独特の美しい乳 白色をしており、波一つない静かなマリンレイクだ。

この海底には石灰質のキメの細かい泥が 沈殿している。それはまっ白で、粘り気があり、ちょっと硫黄の匂い がする。水深は2mほどのため素潜りで掴んで来ることができる。

その泥は保湿や美白効果 が高いと言われており、化粧品として商品化され、日本でも販売されているという。そこを訪 れた人は、皆その場で顔や体中に塗って、その不思議な感触を楽しんでいる。

全身泥パック、異様な雰囲気の船内

マリンレイクとは岩島(ロック・アイランド)に囲まれ、 外洋から閉ざされた湖のようになっているところ。但し、完全 に外海から閉ざされたマリンレイクはほとんどなく、ボートが通れるほどの狭い水路が開いている。 ここは海水が雨で塩分が薄まり汽水湖となっている。そのため、独特の生態系を持っている。

■ビッグ・ドロップ・オフ
ストーンと深海へ落ち込んでいる絶壁

ダイビングで人気のポイントのひとつであるが、シュノーケルやゴーグルでも十分に楽しめるポ イントだ。サンゴ礁で囲まれた外側は“ドロップオフ”と呼ばれ、1m前後の浅瀬から深海へと 落ちる水中版の断崖絶壁になっている。

色とりどりの名前は分からないがやたらきれいな熱 帯魚達の群れ、群れ・・。そんな熱帯魚に混じって変な顔をして、一際大きい体でのんびり、 ゆったり泳いでいる魚がいる。名前のように堂々とした“ナポレオン”だ。つかず、離れず、こっ ちを見ているのか、見ていないのか、微妙な距離でウロウロ泳いでいる。

ふと、より深海を覗き 込むと全長1mほどの小型のサメが“我関せず”という様子で泳いでいる。こんなサメは人を襲うことはないので、ご安心を。 ここへのアクセスはボートだ。ミルキーウェイとセットのオプショナルツアーを利用するのがベストだ。

【泊まる】
■パラオ・パシフィック・リゾート(PPR)
PPRのレストランとプールのナイスな雰囲気。

パラオ・パシフィック・リゾート(PPR)は世界中の数多あるビーチリゾートホテルの中でも最高級のホテルと評判が高い。確か に我々が知っている北マリアナ諸島(サイパン、ロタ、テニアン)やグアムには、これだけの雰 囲気やサービスを持つ心地よいホテルはない。

客室はすべてビーチ沿いの緑の中に建 つコテージ方式だ。ビーチと客室がこれほど一体化したホテルを他には知らない。世界中の ダイバーたちの憧れのホテルというが、納得できる。

ビーチサイドのオープンエアの居心地の良いレストラン

客層はオーストラリア、ヨーロッパ、アメリカ、ロシア、日本、 韓国、台湾などインターナショナルだ。従業員の質も高い。宿泊費は他のホテルより多少高 いが、それだけの価値は十分にある。パラオへ行くなら、ぜひ、泊まることを勧める。

また、パラオ(コロール島、アラカベサン島、バベルダオブ島、マラカル島)で唯一のプライベ ートビーチを保有するホテルだ。ビーチリゾートを売りにするパラオでホテルから水着のままで ビーチに行けるホテルがPPRしなかいというのは信じがたいことだが、それがそうなのである。

絵になるPPRの全景

因みに、2009年にパラオ・ロイヤル・リゾートが小さなプライベートビーチを造ったと聞いたが、まだ、訪れ たことはない。

ビーチに関しては、遠浅で、透明度も高く、たくさんの熱帯魚を見ることができる。水際から5 0mほど沖の水深2〜3m辺りにはサッカーボール大のシャコガイがたくさん生息している。こ んな大きなものはマリアナの海では決して見ることができない。

場所はアラカベサン島にある。ビーチがフィリピン海に面しているので、西風が吹かない12月から4月末までが宿泊に はベスト・シーズンだ

【食べる】
■カープ・レストラン(マラカル島)
手前がマングローガニ、奥がシャコ貝の造り

パラオ・ロイヤル・リゾートの近くにあり、ちょっと分かりづらい場所にあるが、一度行ってしまえ ば、間違いなく“行きつけ”の店になる。広島出身のおかみさんとパラオ人の旦那が料理を作 り店を切り盛りしている。

焼きそばや焼き飯といった和食からシャコ貝のお造りやマングローブ ガニ、ヤシガニ、タピオカというようなパラオの代表選手のローカル料理がある。それらの中で もマングローブカニは美味しく、お勧めだ。これはマリアナ諸島では食せない。

さらに、パラ オと日本の合作料理という様なシャコ貝入りのお好み焼き等もある。ここの料理はすべてにお いてボリュームもあり、美味しい。

■ロック・アイランド・カフェ(コロール島)
ロックアイランドカフェの建物

コロール中心部にあり、朝はローカル達がコーヒーを飲んだり、朝食を食べながら、のんびり 過ごす光景が見られる。昼夜はローカルに加え、ダイバーらしきアメリカンやヨーロピアンたち が多く訪れ、いつも賑わっている。

オーナーはパラワン(パラオ人)だが、働いているのはサイパンと同じくフィリピン人だ。ウェートレスたちは 日本人と台湾人く区別がつかないようだ。東洋人は皆一緒に見えると言う。

KFC一押しのスパニッシュオムレツ

メニューの種類は多い。トースト、パンケーキ、ハンバーガ ー、サンドイッチ、オムレツ、スープ、ステーキ、メキシカン、パスタ、ピザ等々何でもありだ。 安くて、ボリュームがあり、一人で食べきれそうもなく、誰かとシェアして、ちょっとワイワイ・・・と 食べたい。そんなアメリカンカジュアルという感じだ。

そして、アメリカンなカフェなのに何故か “サッポロ一番”のインスタントラーメンもある。日替わりのランチメニューもリーズナブルで美味 い。KFC一押しはスパニッシュ・オムレツだ。

■ヤノズ(コロール島)
メインストリートに面したヤノズの店構え。

パラオの生の食文化を知ることができる楽しいローカルストアだ。弁当、巻きずし、おにぎり、 焼き飯、焼き魚、魚の干物、刺身、マングローブカニ、タピオカ、スイカ、ローカルバナナ、カ ットされたサトウキビ、キュウリやナスなどの野菜等々が売られている。

また、総菜コーナーも あって、パラオの家庭料理を食べることもできる。街中のスーパーマーケットで売られているよ うな大量生産された食品はない。

ヤノズの店内の様子

このようにパラオの昔ながらの庶民の食べ物がたくさんあり 、値段も安いので、ローカル達のお客さんが多い。昼飯やおやつには持って来いのストアだ 。店内の片隅にはテーブルと椅子が置いてあり、ここで食べることもできる。

奥の冷蔵庫 には皮を?いて一口大にカットされたサトウキビが売られている。しがんで繊維は吐き出さな くてはならないが、甘くて冷たくて美味しい。病みつきなる。日本ではなかなか食せない。場 所はコロール繁華街の幹線道路に面した場所にある。

■インターネットカフェ「OKEMII DELI/オケミ・デリ」(バベルダオブ島マルキョク州)
浦のテラスが海にせり出したオケミデリの建物。

ここはKFC一押しのレストランだ。海の上にオープンテラスが張り出し、コバルト・ブルーの海 が目の前に広がり、爽やかな風を感じることができる静かで小洒落たレストランだ。

日本だっ たら、“オン・ザ・ビーチ”のこのロケーションにテーブルチャージだけでも“いったいくらかかる か?”。 ところが、ここではリーズナブルでとても美味しいランチが食べられる。このロケーシ ョンは値段には入っていない。リラックスした心地よい時間が過ごせる。

海上のテラスでランチを食べる松丸真幸選手

例えば、ショートリブステーキにビールをつけても10ドル以下だ。貧乏なKFCにはありがたい 。他にも、パスタ、日替わりランチセットなどがある。ローカルには魚料理が人気のようだ。

バベルダオブ島のマルキョク州にある。コロールから車で小一時間ほど要するひなびた海辺 の村にある。そのため観光客はまず行かない。ローカルしか知らない・・・というか、ローカルし か行かれないレストランだ。

美味しいシュートリブ・ステーキ

近くのキャピタル(国会議事堂や大統領執務室がある建物)で仕 事をしているローカルがのんびりランチを取るぐらいだ。

因みに、屋号に「インターネットカフェ 」とあるが、ここでインターネットをしている人をかつて見たことがないし、こんな心地よい場所でイ ンターネットなどする奴は見たことがない。

■人気のレストラン「Emaimecei/エマイメシー」(コロール島)
エマイメシーの看板と店の建物

コロール繁華街の幹線道路からちょっと道を入った所にある。昼も夜も、常にローカルでいっ ぱいのレストランだ。朝は行ったことがないので様子は分らないがきっといっぱいだろう。

その 賑わいの秘密はまずは味、そして、そのボリュームだ。メニューもバラエティーに富んでいる。 肉料理、魚料理、お惣菜料理等など。そして、値段が安く、量も半端ではなく多い!!

例え ば、チャーハンを注文すれば、1人前が日本の4人前の分量だ。それで値段は3ドル、それ で美味しいときている。皆、シェアして食べている。

4人前のチャーハン。その上、美味しい!!

気取ったレストランと言うよりは、老若男女&大衆 の為の“食堂”という感じだ。そのためファミリーで食事に来ているローカルが多い。聞くところによると、数十km離れた マルキョク州から食べにくる人も多いという。エビの天 婦羅もお勧めだ。

この屋号「Emaimecei」は日本語の“うまい飯”から来ていると思うのだが・・・どうだろうか。

【KFCのカルト情報】
ジュゴンを模った板に精巧に彫られたストーリーボード

パラオを代表する工芸品といえば、硬質のマホガニーの木板にパラオの伝説や民話を手彫り で丹精込めて彫り込んだ木板だ。これがストーリーボードと呼ばれているものだ。

熟練の技を 持つ職人の作ったストーリーボードは芸術性が高く見事な出来栄えだ。制作日数が数カ月 を要するような手の込んでいるものもある。大型のもはそれなりに高額で売られている。数十 万円〜100万円くらいする。お手軽なものでは30ドルくらいからある。

大型のストーリーボード

これに彫り込まれている代表的な民話は、パラオ諸島の始まりを記した「ウアブ」、天変地異 でバベルダオブ島にあった村が海に沈んだという民話を記した「海に沈んだジブタル島」、親 の言うことを守らない娘がジュゴンなった民話「人魚になった娘」などだ。

彫り込まれている民 話は古いものだが、ストーリーボードの歴史はそれほど古くはない。これは日本統治時代(1 914〜1946年)にパラオの学校へ赴任していた土方久功という美術教師が提案し、当時の パラオ人に教えたものだ。今ではパラオの観光資源のひとつになっている。

■パラオの刑務所
自分の作品を勧める囚人

“パラオの人は、顔はイカツイが、気は優しい”とよく言われている。そんな人たちでも、刑務 所のお世話になる人はいる。刑務所というからには、一応ちゃんとしてるはずだが・・・。しか し、パラオの刑務所は変わっているというより“ありえない”ことが許されているのである。

凶悪 犯でない限り、収監されていても、朝になると外へ、いわゆる “シャバ”へ出てもOKなのだ。 そして、夜までに刑務所に帰ってくればよいのだ。家に帰るのも、友人とご飯を食べてくるのも 自由なのだ。日本人には信じられないような“ゆる〜い”感じの刑務所なのだ。

刑務所の直売所の壁に飾られている囚人の作品

また、刑務所内にストーリーボードの直売所がある。これを彫っているのは囚人たちなのだ。 そして、直売所にいる愛層のよい店員たちも、これまた囚人たちなのだ。パラオの囚人たち は腕の良いストーリーボード職人で、質の高いストーリーボードの多くは刑務所で制作され ているのだ。

ここは誰でも訪れることだできるので、ぜひ、立ち寄られてはいかが。場所は、コロールのパラオ警察に隣接している。

■不思議な青い雲現象(ブルー・リフレクション)
ブルーリフレクション現象の雲

パラオでは海の青色が真上に浮かんでいる雲に映って、雲の下面が青く染まる現象がロック アイランドの多くある海域で見られる。不思議な現象だ。パラオでしか見られない。マリアナ 諸島ではありえない珍しい現象だ。

これは数多ある観光ガイドブックやパラオ観光局の資料 にも載っていない。このブルー・リフレクション(と勝手に名付けてみた。)に能書きをつけて、観光資源にできないものだ ろうか。この現象はパラオ・ミステリーのひとつだ。

■ギフトショップ「RUR」
センスのよいグッヅと小奇麗な店内

パラオのおみやげと言っても、デューティフリーの高価なブランド品じゃメイド・イン・パラオじ ゃないし、南の島にありがちなナッツ入りのチョコレートやお菓子もパラオのものじゃないし・・ 。

“パラオの代表品”と言ったら、“ウドウド”Wストーリーボード“等が挙げられるが、もっと手軽 な物をと思ったら、コロール中心部(警察署の向かい)にある小さなギフトショップ「RUR」を覘 いてみることをお勧めする。

「RUR」と掲げられたショップの入口

お店に入ると、ウドウドはもちろん、貝や木の実で作ったハンドメ イドの可愛らしいアクセサリーや小物のコーナーがある。その奥にはT−シャツコーナーがあ る。T−シャツはデザイン違いや色、サイズ違いで30種類くらいはあろうか。おみやげのT− シャツにありがちな“着られない”ものではなく、パラオ語がデザインされていたり、パラオ・カ ルチャーがモチーフになっていたりとセンスがいい。

それに店内のディスプレイにもセンスの 良さが窺える。本当に選ぶのに迷う程だ。大人買いをする人が多いらしい。

屋号の「RUR」はパラオの国花で、英語の「WHITE ROCK LILY]、日本語では「パラ オクチナシモドキ」というそうだ。

サンゴとシャコ貝で作られたウドウド

その昔、お金として使われていたウドウドはガラス製と陶土(白色の粘土)製があったそうだ。 これらはその当時のパラオにはないもので、超高価なものだったと聞く。

1700年代後半にヨーロッパ人が来た頃には既にパラオの人たちは身に着けていたそうだ。 おそらく貿易商がフィリピンやインドネシアから持ち込んだのだろう。

現在でも大事な儀式、子供の誕生を祝う式典、結婚式、建前儀式、葬式などの時には 女性は身に着ける。形では玉形、舟形があり、高価なものは陶土製の舟形の物だそうだ。現在ではパラオの女性を見渡せば、老いも若きもネックレスとして身につけている。本物のウ ドウドはそれこそ、価格をつけられないほど高価であり、希少な物だといわれている。

しかし、 石、ガラス、サンゴ、陶器などで作った、“なんちゃってウドウド”ならば手軽な値段で買うこと ができる。色や形も様々で、かっこよく、パラオに滞在中のみならず、どこのリゾートでも、タウ ンでも、そして日本でも身につけられる感じのものだ。因みに、ウドウドとは財貨や家宝を意味 する。

■コンパクトロード(バベルダオブ島)

パラオ最大の島バベルダオブ島に、そのジャングルを切り裂いて約80kmの島1周道路が走 っている。日本の高速道路を思わせるような立派な道路だ。その地形に沿って造ってあるの で、スケールの大きなアップダウンあり、海の上ありで、さらにコーナーにはバンクが造られて おり、ドライブが楽しい道だ。完成したのは2008年だ。

この島には住んでいる人が少ないの で1時間走っても数台の車と出合う程度だ。因みに、この島の大きさはサイパン島より大きくグ アム島よりやや小さい。

現在、トライアスロンのバイクコースにこの道路を使っている。トライアスリートたちには好評だ 。全日本チャンピォンの松丸真幸選手をして、かつて走った道路の中ではベストだそうだ。コー ナーにバンクが切ってあるので、下りのスピードを殺さずに上手く上りに繋げることができると 言う。日本では決して体験できないほどダイナミックで、且つ、気持ちよく走れる道と話す。

この道路を使って、2009年12月6日(日)にパラオで初となる島一周の自転車レースが開催される。

この道はアメリカからの援助で建設されたもの。1994年のパラオ独立の時にアメリカから援 助を約束されていたものだ。

独特の形をしたロックアイランド。

パラオにはロック・アイランドと呼ばれる大小の石灰岩でできた岩島が無数に存在している。 それらの海水面の部分は長い年月の間に波によって岩が浸食され、えぐれており、一見海 に浮いているように見えるのがおもしろい。

たくさんあるロックアイランドの中でもセブンティ(70)アイランドガ最も有名だ。空撮された写 真が海外向けプロモーション用ポスターや土産物の包装紙などに印刷してあるのがそれだ。パラオを代 表する絶景だ。しかし、ここは保護区のなっており、人(ボート)の立ち入りが一切禁止されている。 因みに、セブンティと言うものの、実際には40個ほどのロックアイランドがしかないという。

ロックアイランドの間を通り抜けて走るボート

また 、汽水湖のマリンレイクもロックアイランドが重なり合うことで形成されている。パラオ独特の地形が造ら れた元になっているものであり、魚類の豊かな海もロック・アイランドが大いに関係している。パラオの 大切な観光資源のひとつだ。

■新首都キャピタル(バベルダオブ島)
ホワイトハウスのようなキャピタル

パラオにキャピタルと呼ばれる“なんちゃってホワイトハウス?”が、2007年ころに完 成した。パラオの人口のほとんどはコロール島のコロール市街に集中しており、当然、政治や経 済の中心地もコロールだ。

2007年頃、台湾の援助でパラオ諸島最大の島バベルダオブ島のマル キョク州にキャピタルと呼ばれるなんちゃってホワイトハウスを完成させた。せっかく立派な建 物があるのだからと言うことで、パラオ政府は政治の中心地をここへ移行させようとしている。

コンパクトロードから見えるキャピタル

しかし、現在、バベルダオブ島は民家が少なく、ジャングルやファームがほとんどだ。だから、 ここへ首都機能を持ってくることには相当の無理があると思われる。2009年現在も政治経済 の中心地はコロールで、ホワイトハウス内部はガラ〜ンとしている。

この島に造られた1周道路コンパクトロードを車で走っていると、突然、な〜んにもないジャン グルの中に巨大な“なんちゃってホワイトハウス”が出現する。“いったい何・・?これは・・!!”。

■唯一の繁華街、コロール市街
活気に溢れたコロール市街

パラオは国民の約70%がコロール市街に住んでいる。当然、政治経済の中心もここになる。 人や車が行き交い東南アジアを思わせる雑多な感じがして、活気があり、おもしろい街だ。ス ーパーマーケットにレストラン、銀行、それに、学校や体育館や消防や警察などの行政機関 もある。

街の中心を走っている道路は交通量も多い。朝の通勤時は交通渋滞が起こるくらい だ。移動手段は車しかないから仕方がないのだろう。

                               

東西500mほどのコロール中心街を抜 けてしまうと、一気に渋滞は解消する。コロールはパラオで唯一の都会なのだ。