イベント報告

第1回グアム・ナショナル・トライアスロン・チャンピオンシップ
1st Guam National Triathlon championship

2008.7.6開催

■トライアスロン初挑戦記録 小林丈徳
スイムスタートの瞬間、沖の島はココス島【はじめに】
私は、社会人になってから、あまり運動をせず、酒とたばこを愛していたシステム営業31歳(172cm88kg)男です。これは、そんな私の、ほぼ単独、第一回グアムトライアスロン大会の初挑戦レポートになります。


【きっかけ】
今回、トライアスロンを申し込んだきっかけは、会社の同僚と休暇で、グアムでのゴルフ旅行を計画していた。そんなおりに、月刊「トライアスロンJAPAN」で、旅行予定日程内2008/7/5に、第一回グアムトライアスロン大会開催を見つけ、思い切ってKFCへ応募した。運動は、1年前までは、ほとんどしておらず、たばこと酒で持久系が苦手なメタボ体系だった。身長172cm体重88kg。過去の運動経験は、中高は、陸上(1500m&800m)。大学は、ガテン系(引越、工事現場)のバイト。システム営業になってからは、冬にスノボーに行くくらいしか運動はしていなく、陸上していた高校時代から30kgほど増えていた。


【トレーニング】
ブイを回る選手目標を、「完走」とした。トレーニング内容は、周りに経験者がいないため、月刊「トライアスロンJAPAN」とネットで購入した「8週間で誰でもトライアスリートになれる!」を参考にした。平日は、仕事がはやくおわれば、ジムでスイムの練習。休日は、スイムとバイクのどちらかを練習した。ランに関しては昨年11月にフルマラソン初挑戦で完走できたこともあり、苦手なスイムの練習に練習時間のほとんどの時間をあてた。

ただし、海で泳ぐ練習、経験者との練習、3種目を連続して行うことをしなかった等、練習不足の点はあったが、限られた時間のなかで、集中して練習は出来、体調も万全で大会に臨むことができたと思う。

■スイム:週に2〜3回、ジムで計1〜1.5kmほど
■バイク:週末に天気がよければ、40kmほど
■ラン :大会前の週に2回7~8kmほど (1年前にフルマラソンを完走した。タイムは4時間50分。)


【日本での準備】
スイムアップのシーン■レンタカー予約
会社の同僚との旅行のため専用ツアーを利用ができず、ホテルからメリッソ村までの移動手段として、日本であらかじめレンタカー予約をした。グアムは、日本の免許で運転ok。ただし、右側通行。赤信号でも右折可能。保険等含めて、80ドルぐらい。

■ユニフォーム
上野のショップで、上下1.8万円。ちょっと腹は出ているが、まぁしょうがない。

■エアロバー(自転車は、1年前に購入済み)
ユニフォームと合わせてエアロバーを購入した。自分での搭載がうまくいかず、大会前の週にショップで大会前のメンテと合わせて搭載してもらう。そのため、エアローバの練習は、ほとんどできず。

■自転車輸送
輸入方法がまったくわからず、ネット検索して、輸送用バック(ナイロン生地、ウレタン付き)2万円程度で購入した。ショップで、海外輸送事情がひどい内容を聞き、入念に緩衝材を詰め込み梱包した。空輸の追加料金は、かからなかった。破損なくグアムの空港で無事受取できた。


【大会前日】
すごいスコールの中を行くバイクホテルについて、自転車組み立て作業をする。初めてだったが、問題なく完成した。

日本で予約したレンタカーを借り、車で説明会場のフェスタリゾートへ向う。車で15分ぐらいだった。会場につくとまだ、開始時間前で人はまばらだった。立食形式で、アイスティーをのみながら、サンドウィッチをほおばった。なかなかうまかった。そうこうしているうちに、続々とトライアスリートが入ってくる。初めて生でみるトライアスリートのたくましさに、ちょっと場違い的な感じを受けた。

しばらくすると、説明が始まる。最初に英語での説明、そのあとに大西さんの日本語での説明だった。日本人も英語の説明中に英語で質問している。いけてると思った。コース画面がグラフィカルでかっこよくわかりやすかったし、しっかりした準備・サポート体制があると感じた。注意事項で水分を前日から多く取って、当日は、まずくてもゲータレイドを飲みなさいとのことだった。

説明会の帰りにさっそくKマートによって、ゲータレイドやバナナ等の補給食を購入した。ホテルに戻った後は、軽く20分ほどジョギングをして会社の同僚とレストランで夕食ともにした。グアム初日ということで、乾杯のビールだけ、アルコールをいれた。レストランは、しゃぶしゃぶ食べ放題だったが、肉は少なめにし野菜とごはん2杯をたいらげた。そして、11時に就寝した。


【大会当日】
雨上がりを行くバイク3時に起床し、レンタカーに自転車を詰め込み、いざメリッソ村へ出発した。朝飯は、途中コンビニで買った鮭おにぎり1個を食べたがひどい味だった。途中街灯がすくなく単独走行に不安を感じながら、フィリピン側の一本道を1時間ほど進むと、何人かで作業している場所が遭遇した。たぶん、ここがスタート地点のメリッソの桟橋だろうと思い、駐車し仮眠をとる。しばらくすると、専用ツアーのバスが到着して一安心した。





【コース概要】
スイムは、メリッソ村桟橋から、ココス・ラグーン1.5kmを泳ぐ。バイクは、メリッソ村桟橋から10km折り返し40kmコース。アップダウンは少ない、高速コースとのこと。ランは、5km折り返し10kmコース。アップダウンがきついらしい。コース詳細と天気については、種目ごとに最初に説明とする。


【スタート前】
トランジット場所に自転車とシューズ補給食、ドリンクを設置する。トランジット場所は、早い者勝ちのようだった。まわりを見よう見まねで設置をおえた。桶に水をいれているひとがいた。利用用途は、あとでわかった。


【アップ】
自転車のチェックのため、軽く流し走行問題なし。その後、軽いジョギングとストレッチをしてスタートを待つ。


■スイム
ランニング風景コースは、大きなサンゴ礁に囲まれたココス・ラグーンだ。海面の状況が、悪いらしく1周あたりの距離を短くし、周回数を当初予定していた2回から3回に変更となった。海面に設置された黄色の大きな三つのブイを回る。水温はちょうどよく、素人ながら、波もそんなにはなく泳ぎやすいと思った。ウェットは禁止と前日に説明があった。

7時いよいよスタートだ。スタートの合図で、最初のブイに向かって一斉泳ぎ始める。海面にいっきににぎやかになった。海は、曇りと朝で日の光が弱かったので、青くは見えなかったが、透明度は高くきれいな海だった。小さな魚が泳いでいるのもみえ、南の国で泳いでいるのを実感した。安全面では、カヌーが何隻がでており、常に選手の監視しており、問題なさそうだ。

初めてのレースであり、普段泳いでいる25mプールとはかってが違いペースがわからなかった。そのため、後方よりスタートし前の人のペース合わせた。また、海で泳ぐのは、初めてで、最短距離で泳ぐよう、何度も平泳ぎをしてブイのある方向を確認した。1周目、先頭集団は、どんどん差を広げていくが、あせらず、前のひとのペースをあわせた。2周目まだ、いきもあがっていないし問題ない。3周目になって、ちょっとペースを上げてみた。順位を2位ぐらいあげた。40分ほどで無事に上陸できた。雨が降り始めていた。体力は問題ない、まだ行けそうだ。

初のトランジットは、足についた砂をきれいにはらい靴下をはき、バイクシューズに履き替えた。なかには、あらかじめ用意した桶の水で足を洗っていたひともいた。なるほど、桶の水は、これにつかうのか。小石等がはいらず快適そうだ。ゆっくりあせらず準備をして、いざ、バイクだ。


■バイク
ウマタック湾沿いを走る選手コースは、メリッソ村桟橋公園からイナラハン村方面へ、海岸線を走る片道10kmの折返しコースを2週する。多少のアップダウンがある。天気は、バイク中は、ほとんど雨で、途中土砂降りもあった。

雨のなかの走行は、初めてだ。水たまりをさけ、路面状況に注意しながら、できる限りはやくペダルをまわした。雨の時は、路面がすべりやすく、特に白い部分には、サンゴがまじっているため注意が必要とのことだ。

スタートしてすぐに、出国前に購入したエアロバーを握ってみたがなれていなく、ギアの変更やブレーキがうまくできないため、結局通常ポジションで走行した。早めの給水とエネルギー補給を心掛けた。用意したゲータレイドと補給食(PowerBar-GEL)を口にした。補給食は、初めてたべたがジャムのようなもので、のど越しが非常に悪かった。

途中すれ違うトップ選手達は、すごいいきおりでペダルをこいでいる。初めてみる他の選手のスピードに驚いた。速い!速度計は、うまく機能しておらず、スイムに引き続きまたしてもペースが分からない。前方に選手がみえると、できる限り早くペダルを回した。2位順位をあげたと思う。途中どしゃぶりの雨の中、気持ちとペースを落とさず、無事バイクもクリアした。

トランジットに到着して、ラン用のシューズに履き替える。現在の順位は、不明だが、目標の完走が見えてきた。雨もやみ青い空が広がり始めた。ゴールに向けて、最終種目のランだ。


■ラン
エイドの風景コースは、5kmの折り返し。途中2回のきつい坂がある。天気は、ここで晴天となり、南国の太陽の強い日差しが体力をうばう。給水ポイントは、2か所。ゲータレイドと水をもらえる。

走り始めから、今までに感じたことのない足の疲労、重さを感じた。練習では、3種目を連続して行ったことが、なかった。経験のない状況だ。ただ、目標は歩かずに完走だ。走り続けた。照りつける太陽と非常にきつい上りの坂が体力を削っていく。

登り坂は、「まじかよ」と声をだすほどきつかった。ただ、登りきったあと坂の上からみえるココス・ラグーンの海の景色は最高だった。また、すれ違う選手から「がんばってください!」とさわやかなに声をかけてもらい、心が折れずにがんばれた。

最後の給水所から、体力的にきつかったが少しペースを上げた。全力を出し切り、怪我もなく、歩かず無事ゴール出来た。

ゴールして、トランジットで靴を脱ぎ、スタート地点の桟橋から海に入ってクールダウン。すげー気持ちよかった。海から上がって、途中コンビニで購入したツナおにぎりをほおばった。残念ながら、これもまずかった。2年前までのメタボリックシンドロームまっしぐらの生活から思えば、ほぼ単独でのトライアスロン挑戦、完走は、すごいことだ。ココスアイランドにかかる虹を眺めながら、久々におおきな達成感を感じた。


【レース後とまとめ】
初のトライアスロンで頑張る小林選手荷物をまとめ、車に自転車を詰め込みホテルにむかう。会社の同僚たちは、ゴルフ中のため、ホテルのレストランでひとり昼食をし、部屋にもどるとちょうどハウスキーパが部屋の掃除にきていたので洗濯を頼んだ。次の日の洗濯代の請求書をみて驚いた。小物が多かったため、なんと48ドル!まいった。あとで聞いたら、地下に無料のランドリーがあった。

ガソリンを満タンにしてレンタカーを返却した。同僚との夕食(予約済み)を予定していたため、アワードパーティは、残念ながら欠席した。帰国後、下記URLにて結果を確認した。レース結果はこちら

34位 30-34才7位 S39:43B1:27:37R1:12:44 Total 3:20:04
完走を目標としていただけに、大満足の結果だ。

今回のトライアスロンの挑戦で、健康的な生活を手に入れたこと、また、南の島の変化にとんだドラマチックな天候や、体力的にもぎりぎりのところまで追い込むことによって、非日常を味わえる大冒険をしたと思います。是非これからも、トライアスロンを続けていき、いつかアイアンマンレースの完走を目指したいと思います。



■優勝なるか?  藤原一騎
スタート前の風景GUAM南部の地域で行われた第一回グアムトライアスロン大会。スイムはMerizoと言うココス島への船着き場付近の500m三周回コース。バイクはそこから南東に向かうフラットな40km。ランはスイム→バイクトランジッションエリアから東に向かう、アップダウンのきつい10km。

正直、猛烈過酷なイメージがあるトライアスロンで速くなればなるほど、仕事せずにトレーニングばっかりって思われがち。けど実際一週間のトータルトレーニング時間は多く取れても週に10時間。少なければ2時間程度。効率良く速くなるために、お酒も全然飲まなくなり、タバコも吸わず、食事も考えて、Hydropowerの疋田コーチにハードM練習で鍛えられ。

一年前(2007年5月)に初めて挑戦したホノルルトライアスロンから一年ちょっと。二度目の海外レース、僕自身ロング、ミドルを併せて7度目のトライアスロン。日本を出国する前にGTA(Guam Traiathlon Association)のサイトでスタートリ
ストをチェックし、エントリー選手のチカラを確認したボクの目標は勿論【優勝】。

しかも今回は浜松市にある、MASUDA GROUPと言う企業グループの皆さん10名ほどと一緒に参加するレース。その内なんと3名はトライアスロン初挑戦!事前にランやバイクは練習した物の、スイムは不安が残るまま当日を迎えることに。

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で、7月6日午前7時。
【スイムスタート】
スイムを終えた藤原選手向かい風で海は荒れてうねってる中、三角形500mを三周。飛び出したのは恐らくGUAMでスイムの速い女子の選手。コース取りもばっちりな彼女について行こうと思ったけど、一周回目で速くも100m以上千切られる。続いて男子の選手にも一周回目に抜かれて恐らく三位で二周目に。

潮水も十分飲んでます。だってうねってるんだもん。ひとり前の選手に千切られないように必死に頑張りながらも、スイムアップは28分前後。ハードなコンディション故、同行添乗員バーントラベルの古山さんにトップとの差、4分と言うことを伝えられバイクトランジット。スイムラップ3位:28"08


【バイクパート】
スコールの中を飛ばす選手往復20km二周回のフラットコース。4分差だって事を伝えられて、ちょっと焦りながらもスムーズにトランジッション。で、練習でやってる事をするだけだと思ってバイクに跨る。スイムの影響からか、最初の10kmは体制が落ち着くまで結構ふらつく。右側通行で、センターラインの丸形キャッツアイを踏んだりもして。で、バイクメーターも忘れた為に、平均時速も分からない、ケイデンスも不明。ただギアの位置と自分の感覚だけが頼り。

で、4分先に居るであろう先頭集団に追いつくべく、落ち着いて!て自分に言い聞かせて、バイクで2〜3分。ランで2〜3分詰めてトップになろうって。10km地点での折り返しを過ぎてても先頭とすれ違わず。あれ?僕、コース間違えてる?って思いながら、トップだったら先導車が居るだろうなぁって思いながら、取りあえず前を目指すだけだ〜!って。

折り返し後、後方集団との距離を確認して恐らく3分位だろうなぁって。現地の人とミリタリーの人、それに日本の選手を確認。この時はまだ分かってなかったけど、トランジッションでトップになったみたい、僕。折り返し後、マスダグループ副社長の竹内さんにすれ違い、「ファイトー!」「頑張れ〜!」て声を掛けあう。


藤原選手のバイクええ、レースにチームメイトが居て、声を掛け合うと元気が出ます。レース前、トランジッションエリアで話をしたJude Bakerさん(三位集団)にすれ違いざまに、「ガンバテクダサイィ!」って言われて更に元気が出る。一周目の戻りにはマスダグループ塩塚さん、増田社長、藤木さんに気がつき声を掛け合う。で、二周目に突入。

この時もアナウンスで名前を言われたのを分かったけど、トップだとは知らず。藤木さんをラップして、途中一般車両(自動車)も抜いたり、大雨の中、大型トレーラーに抜かれたり、全然こっちに気がつかなず、左折して来るクルマをよけながら二周目の折り返しを通過。

この頃には写真を撮られてることに気がついて「もしかして僕、やっぱトップ?」増田さんを二周目の戻りでラップしながら声を掛け、ランに突入。バイクラップ1位:1'04"40


【ラン】
かつては速かったジュード・ベーカーのラン会場に来るとき、バスで通った道。アップダウンが二度。折り返し地点が最高到達点。ありえん。てか、かなりハードなコース。を、多分トップなんだろうなぁって思いながら、後ろはどれぐらい空いてるんだろう?ランが速い人が居れば追いつかれるなぁっ色々考えながら、一回目の登り。

あんね、心臓に穴が空くかと思ったよ。足が言うことを利かなくなるかと思ったよ。痙攣してたもん。しかもさ、雨は上がって今度は日が出てきて気温が上がって。かなりツライ感じ。下りはまーまーぼちぼち。でも折り返し前にもうもう一回登るじゃん。必死です、かなり。顔も歪みまくってたと思うし。

5km地点の折り返しで水とゲータレードを補給し、一気に下る。後方との差、恐らく5分程と認識。リレーの選手と日本の方が併走僕のランの力だと、十分追いつかれるだろうなって思いながら、また登り。足なんかもう痙攣しまくってます。ばちんばちん足を叩いて坂を登る。負い付かれないように必死。んで、そこから下ってフラットになってからが長かった。


エイドで水をもらう選手この辺を曲がったらゴールだろうなぁ、て思う場面が二度ほど。でも違ってて、んでそこからは足の事もあんまり覚えてません。ただ、速くゴールしたい、後ろに追いつかれる前に。ってばっかり。んで、んで、そのカーブを曲がってゴールが見えました。スピードも上がります。後ろなんか振り替えれません。で、ゴール!やったー!優勝です!すっげーうれしいっつの。すっげー。すげぇうれしかったっす。ランラップ1位:45"06。タイム:2'17"54。

で、休んでその次ゴールした竹内副社長と握手をして。休憩し自分の体力が回復したことを確認した後、今度はまだ走っている藤木さん、佐藤さん、眞木さん、黒田さんの応援をする為にバイクでランの折り返し地点までゴー!みんなに声を掛けて、炎天下の中、応援。

最終ランナー、4時間49分で黒田さんがパトカー2台に見守られ、サイレンを鳴らして貰いながら感動のゴール!黒田さんは今年44歳。今まで泳ぐのが苦手だったんだけど、このレースに出ることが決まり、プールに通うようになり、初挑戦して完走して自信を持てたと事。やれば出来るんです。頑張れば出来るようなる!って赤いTREKのバイクジャージを着た不良親父(格好良いです笑)は【あくなき挑戦】の鏡でした。

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優勝の藤原選手色々な地域の様々なサイズのスポーツレースに参加させてもらってます。自分の故郷である、浜名湖の北、三ヶ日みかんで有名な三ヶ日で同じようなスポーツイベント(ウォーキング)のボランティアスタッフとして大会運営をしている手前もあり、今回のグアム大会はスポンサーやボランティアの方のチカラの偉大さを痛感するレースでもありました。

アットホームで敷居が低く、トライアスロンを身近なスポーツだと感じられるレースだと思いました。スタッフの皆さん、ありがとうございました。このレースを機会に自分自身にチャレンジ!って事で自然や環境を感じられるトライアスロンが大好き!って言う方が増えればなぁって思いました。



■KFC徒然
メリッソ桟橋とエリック昨年11月、「ダンズ・カップ大会」開催でグアムを訪れた際、マリンドライブ沿いのインターナショナル・トレーディング・センター(ITC)ビル内にある友人エリックのオフィスを訪ねた。これといった目的があった訳ではない。


【よし、やろう】
その雑談中に、エリックが「ロタブルー・トライアスロンのようなトライアスロンレースをグアムでも開催したい。」と何気なしに口にした。我々もグアムに51.5タイプのトライアスロン大会がないのが常々寂しいと思っていた。こんな下地もあって、「それならやろう」とその場で決まった。アウトラインもその場で決まった。


美しい村、メリッソ村を行くバイクロケーションもグアム島南部のメリッソ村ウマタック村辺りで即決した。現在、グアム島でトライアスロンの競技ができそうな場所はここ一箇所しかない。ここは開発が進んだグアムでも昔ながらの美しい風景が残っている唯一の場所であり、KFCお気に入りの場所だ。

大雑把なコース設定や日程はKFCが決め、細々した現地のアレンジはエリックを会長とする現地グアム・トライアスロン・フェデレーション(連盟)が受け持つことになった。

特に、コースに関しては、彼らと我々外国人とでは、その好みが大きく異なる。彼らはグアムの南の島の美しい景色には慣れっこになっており、我々外国人のように強いて興味を示さない。だから、彼らに任せておけば、競技コースにこれらの景色を取り入れることはせず、ひたすら楽なフラットコースを好む。これでは我々外国からやってきた選手にとってはおもしろくも何ともない。

グアムでは、オーガナイザーやコースは違うが、以前には51.5タイプの「イスラ大会」というトライアスロン大会があった。エリックはインターナショナルな51.5タイプのトライアスロン大会の開催は初めてだが、普段からミニ・トライアスロン大会、エクスタイザー(2005年)、エクステラ大会(2007年と2008年)などを開催しているので、任せても安心だ。


【不可欠なスポンサー企業】
フィエスタ・リゾート・グアムのビーチトライアスロン大会の運営には多くのお金がかかる。表から見えない部分も多くのお金が必要だ。ボランティアといっても全くタダという訳ではない。スポンサーなしで開催は不可能だ。そんな訳で核になるスポンサーを探さなくてはならない。この部分はエリックの役割だ。

右往左往した結果、結局タモン地区にあるホテル「フィエスタ・リゾート・グアム」だけがこの大会をバックアップしてくれることになった。感謝!(皆さん、できるだけここに泊まって下さいね)


【グアム到着】
7月4日(金)グアム島に到着した。曇り気味だが、良く晴れていて、暑い。実はグアムを含むマリアナ諸島は、この時期位から8月9月にかけて徐々に天気が安定しなくなる。低気圧の発生が多くなるのだ。晴れるとものすごく蒸し暑く、雨や曇りでも、ちょうど日本の梅雨の様に蒸し暑い。“レースの日は大丈夫かな・・・?”天気は常に心配の種だ。アウトドアのスポーツの宿命だ。

空港でレンタカーを借り、大会スポンサーの「フィエスタ・リゾート・グアム」チェックインした。この日は、アメリカの“インディペンデンス・デイ(独立記念日)”の祭日だった。そのため、家族サービスをしなければならないエリックとの打ち合わせは、お互いの夕食後となった。我々も夕食を摂ることにした。グアムでのKFC御用達のお食事処「上海人家」という中華料理の店に行った。ここはタモン地区にあり、ホテルから徒歩で行くことができる。日本でもお馴染みの中華料理や日本にはないようなメニューもあって嬉しい。全般的に美味しく、安く、ボリューム満点である。

食後、エリックとフィエスタ・リゾートホテルのロビーで競技コースやスケージュール等々の打ち合わせをしていると、ちょうどその時到着した“トライアスロンJAPAN誌”のカメラマンである播本さんと選手兼ライターの謝さんがフロントでチェックインしようとしていた。グッドタイミングで彼らもこの打ち合せに加わった。打ち合わせが一通り終わったところで謝さんがいつものようにおもむろにテープレコーダーを取り出し、現地オーガナイザーのエリックへインタビューを始めた。(内容は9月3日発売のトライアスロンJAPAN誌をご覧下さい。)


【取材とコース下見】
ソレダッド砦でポーズをとる謝さん7月5日(土)朝、ハーツ・レンタカーが取材中の2日間大型バンを無償で供給してくれる事になったので、謝さんたちを乗せ、その車でコースの下見を兼ね、グアムの南部一帯を取材に行った。この日は朝から良く晴れて、とても暑い。KFCのグアムでの一押しの村“ウマタック村”を通り抜け、大会会場であるメリッソ村へ向かう。

ウマタック村はグアム島にマジェランが最初に上陸した地点で、グアム最初の首都となった場所である。そのため、当時のスペイン時代の面影を色濃く残している。現在の首都は島中央部にあるアガニャに移った。さらに、タモン地区などは一大観光地と化している。それに反し、ウマタック村は時代の発展から取り残されたような感じで、静かで長閑な「昔のグアム」のままだ。ジャングルなどの自然もたくさん残っている。また、ウマタック湾を臨む小高い丘の上にはソレダッド砦というスペイン時代の遺跡が残っている。ここからの見晴らしは最高だ。訪れる価値あり。


競技コースに関しては、スイムはメリッソ桟橋沖をトライアングルで泳ぐ。ここは毎年5月に開催される「ココス・クロッシング大会」のゴール地点になる場所で、ビーチではないが、強い流れもなく、波もほとんどなく、比較的泳ぎやすい。バイクは交通量の少ないフラットなメリッソ村のメイン道路を走る。ここだと突然のスコールでもスリップで転倒する危険が少ない。グアムも含めて、南の島の舗装路は小石の代わりにサンゴ片が混ぜてあるため、濡れるとアイスバーンのように滑りやすくなる。要注意だ。

バイクで走るメリッソ村は、観光地化されておらず、住宅地で昔ながらのスペイン風色彩の平屋建てが多く、各庭には南の島らしいブーゲンビリア、プルメリア、オーキッドなどが植えられている。所々には5〜7月にしか咲かない真っ赤な花を付ける火炎樹の木があり、目を楽しませてくれる。


ブルーの海に向かって走る選手ランはメリッソ桟橋からウマタック村へ向かって走る。バイクがフラットなのに対し、ちょっと坂のあるキツイコースだ。その代わり、下り坂から臨むコバルト・ブルーの絶景が疲れた体に何よりのご褒美となるという設定だ。

最初は坂がキツ過ぎるとブーブー言っていたローカル選手たちも、レース後はこのランコースが気に入ってくれたようだ。





【プチ・モナコ風ヨットハーバー】
ヨットハーバーの風景昼はアガット村のヨットハーバーに立ち寄った。そして、そこにあるちょっと小洒落たレストラン「ジャンジーズ」でランチにした。ここは白いヨットがたくさん係留されており、グアムとは思えない雰囲気を醸し出している。かつてモナコへ行った時にで見た光景を思い出す。プチ・モナコと云った場所だ。

また、このレストランは広いオープンテラスを持ったレストランで、室内スペースには歴史を感じさせる重厚な雰囲気があり、バー・カウンターもあり、文豪ヘミングウェイが出てきそうだ。料理に関しては、如何にもアメリカンと云った味で、量が多い。客はアメリカ人がほとんどだ。日本人観光客はほとんど行かない。

夕方の6時からフィエスタ・リゾートのパーティルームで選手登録と説明会が行われた。立食パーティーのような感じで、メニューは軽めの食事だが、たくさん用意されていた。


【いよいよレース当日】
すごいスコールで選手が見えない!!7月6日(日)、いよいよレース当日、昨日はよく晴れていたが、この日は一転、天気が悪そうだ・・・。雨だけでも降らなきゃいいがと願った。雨が降ると、南の島の珊瑚を固めた道路はよく滑る。風も強すぎるのはバイクには怖い。

ナンバリングをしたところで、スコールが降ってきた。スイムが始まる頃、雨は止んだ。少し風があるので、さざ波がたっているだけで、泳ぐには何の問題もない。透明度も良く、水もきれいだ。

播本さん曰く「写真にはもう少し光(太陽の光)が欲しいなあ・・」。そうなんです、幾ら南の海にと言っても光が射さないと海のブルーは出ないのです。

07:00、スイムが一斉にスタートした。スイムコースの設営とレスキュー・チームの責任者はダン・オキーフだ。みんな順調にバイクに移っていった。いったん止んでいた雨がまた降り出した。しかも、バケツをひっくり返したような土砂降りがしばらく続いた。これが南の島のスコールというものだ。バイクを終え、ほとんどの選手がランへ移動した。ランの終盤、やっと、南の島らしく晴れてきた。

ゴール地点に戻ってしばらくすると、日本人選手が一人脱水症で倒れたとの知らせ。会場に待機していた救急車でタムニンにあるグアム最大の病院「グアム・メモリアル・ホスピタル」へ搬送した。脱水症や熱中症には一刻も早く点滴を打つことが大切である。すなわち、どろっとなってしまった血液に水分をダイレクトに補充するのである。手遅れになると死亡する。怖い病気だが、水と塩分さえ摂取していれば、容易に防ぐことができる病気なのである。幸い、夕方には完全に回復された。雨降りで、晴れていなくとも脱水症は起こる。改めて、脱水症の怖さを痛感した。


【満足度100%「ホース&カウ」】
満足度100%のハンバーガーとポテト午前中にレースは全て終了した。メリッソ村からホテルに帰る途中、謝さんと播本さんを連れて、ランチに初めての店に行った。その名を“ホース&カウ”と言い、とってもアメリカンな、というよりもミリタリー&ネイビーチックなバー&グリルタイプの店だ。

場所はタムニン地区のマリン・ドライブ沿いにあり、倉庫の2階を改装したレストランで店内はだだっ広い空間を持つ。ここも客はアメリカ人がほとんどで、日本人はほとんどいない。

この店はロタ・リゾートのスタッフである浅見さんに教えてもらった。ハンパではない量のフレンチフライと超特大ハンバーガーがメイン・メニューだ。量だけでなく、味もハンパではなく美味しい。ハンバーガーの肉もアンガス・ビーフという高級ブランドの肉だ。フレンチフライも自家製らしく、太めで、ガーリックがまぶしてあり、絶品の味だ。謝さんはあっと言う間にフレンチフライも平らげてしまった。当然、この店も新たにグアム“KFCお食事処”のリストに加わった。滞在中に、何と3度も通ってしまったくらいだ。


【アフター・レースのひと時】
男女1〜3位の選手たち夕方のアワード・パーティまで3時間ほど時間が空いた。となれば、グアムに来て泳がないという手はない。それもこのフィエスタ・リゾートの前の海は、泳ぐ人にはタモン湾の中でもイパオビーチに次ぐ最高の海である。透明度も高い。満潮時は水深が1〜2mの巨大な塩水のプールになる。但し、干潮時は浅すぎて泳げないので要注意。

イパオビーチまで2〜300mほどの距離にあり、熱帯魚を見ながらイパオビーチまで泳いで行くのは楽しい。カレント(潮の流れ)の関係で往きはアゲンストでちょっとシンドイが、帰りはフォローとなるので楽チンだ。この流れは年中代わることはない。とにかく、パーティまでスイム三昧に徹し、夜のため腹を空かせた。

午後6時になり、フィエスタ・リゾートのパーティ会場でアワードパーティーが始まった。前日の説明会とは違い、テーブルもイスも用意された、ブッフェスタイルの豪華なディナーだった。

優勝者は男女とも日本人で、男子は藤原一騎選手(2:24:52)、女子は稲村由美子選手(2:56:21)だった。


【レース翌日】
7月7日(月)、昨日のレース日もあまりよい天気ではなかったが、この日は更に天気が悪い。せっかく南の島へ来て、ギラギラ太陽が拝めないのは悲しい・・・。昼の便でトライアスロンJAPAN取材チームの播本さんと謝さんが帰国し、ほとんどの選手もこの日の夕方の便で、帰って行った。

我々は来年の「第2回グアム・ナショナル・トライアスロン・チャンピョンシップ」と今年11月開催の「ダンズ・カップ」等の打ち合わせがある為、水曜日に帰国する予定にしていた。この日の午後、雨が降っていたが、ホテルの前の海で泳いだ。南の島では雨の中でのスイムは楽しいものである。特に、強烈なスコールの中を泳ぐのは幻想的で楽しい。海面が打ち付ける雨粒の飛沫で真っ白になる。夜になり、更に天気は悪くなり、一晩中、雷が鳴り続けていた。こんなことは珍しい。


【ローカルに人気のチャモロビレッジ】
チャモロビレッジの風景7月8日(火)、昨晩から続く雷と雨。TVで天気予報の映像を見ると、台風ではないが、トロピカル・ストームと言われる大きな雨雲の低気圧がグアムから北マリアナ諸島をすっぽりと覆っている。

この日の昼にKFCお食事処である“チャモロ・ビレッジ”へランチを食べに行った。チャモロ・ビレッジ内には民芸品店や雑貨等の店が軒を連ね、また、食べ物のブースも多く、ローカル版フードコートと云ったところだ。夜は水曜日しかやっておらず、昼のランチがメインだ。


人気のランチボックス。ビーフとハンバーグとチキン昼間は首都アガニャ界隈で働くチャモロ人たちもランチを食べに大勢やって来ている。何よりも、安く・ボリュームもあり、そして、“ウマイ”のだ。チャモロ人がつくる“本物のチャモロ風バーベキュー”をフィエスタやチャモロ人の家以外で手軽に食べるには、ここが一番のおすすめスポットだ。因みに、3チョイスが6ドルくらいだ。3チョイスとはご飯におかず3品のことである。


7月9日(水)ストームが北上して行った。ようやく天気が回復へ向かっていく感じ・・・になってきた。この日の午後便で帰国した。


【グアム島情報はこちら