第1回パラオ・レインボー・トライアスロン&スイム!
1st Palau Rainbow Triathlon & Swim
- サプリメント
- MEDALIST:ゼリー、顆粒
- ウエットスーツ
- 2XU:エリートウエットスーツ
- レースウエア
- 2XU:コンプ3ポケットトライスーツ
- ランキャップ
- 2XU:ランキャップ
- ランソックス
- 2XU:ゾーンアクティブソックス
- バイク
- CORRATEC:マウロサニーノ
- バイクシューズ
- EXUSTAR:トライアスロン
- ヘルメット
- ALPINA:ベンガエアロヘルメット
- アイウエア
- ALPINA:グラード40
- ホイール前後
- SHIMANO:WH-7801-カ-ボン50チューブラー
- タイヤ
- VITTORIA:コルサEVO CX
- エアロバー
- PRO:ミサイルモノコックストレート
- ステム
- PRO:PLTアヘッドOS
- ランシューズ
- SAUCONY:2857
優勝
今年最後のレースであるパラオ・トライアスロン。第1回大会なのでとても興味深い。 私はパラオに来るのは初めて。パラオ共和国は、フィルピン海に浮かぶ島々で構成されている。 日本の真南に位置するので時差はない。また、ここは世界中のダイバーたちの憧れの地でも有名だ。 赤道に近いパラオは熱帯雨林気候。大会当日も気温、湿度が高い。
レース会場は、パラオの首都になるコロール島と、自然の多いバベルダオブ島を結ぶKBブリッジの下。 スイムは、この橋の近くで泳ぐ。今回は、日本から約50人参加者が集った。 距離は、短いショートと長いロングの2タイプ。私は長いロングタイプに挑戦。
スイムスタートは朝6時ごろ。夜明けと共にスタート。 皆、まだ暗い中に会場に到着して準備をする。そこでビックリしたのが、無数の星の数。 半端ではない!星雲、南十字星も見える。流れ星を何回も見る。こんな経験をしたのは初めて。
夜明けが近づいてきた。海は、とても穏やか。その様子は、まるで巨大なプール。 そしてスタート地点にいく。軽く泳いでアップをする。周辺は緊迫した様子はなく、和やかな雰囲気でスタート。 海の透明度は低いが、多くのサンゴを見ることができる。スイムは台形の500mを4周回。 反時計回りに泳ぐ。水温は、ウエットスーツを着ていると茹蛸になってしまうほどの高さだ。 しかし、ウエットを着たほうが速いので着用。暑さ対策には、たまに泳ぎながら海水をいれること。 こうすれば大丈夫。先頭で泳いでトップでスイムアップ。
バイクへと移動。バイクは、まずアーチ型になっているKBを走る。この橋が意外と勾配があってきつい! 渡りきると、そこはバベルダオブ島。激しいアップダウンが続く。平地がない、とてもきついコース。 今回は、折り返しのコースで、それを4周する。折り返し付近は2kmの登り坂が待ち構えている。 私は、快調に飛ばす。道路も最近出来たばかりなので走りやすい。先に走っているショートの選手を全員抜かす。
アップダウンのあるコースはきつい。だが、変化あって飽きないので好きだ。 登ってきた坂を一気に下る。時速は75km。風を感じ、海も見えて景色は最高。 だが、気温は高いので油断は禁物。走ることに夢中になって、水分補給を怠ってはいけない。 しっかりと水分補給。バイクは久しぶりに嬉しい気分で走れた。
そして最後のランニングへ。ランは、バイクコースで走った道を使う。 バイクでは、それほど感じなかった暑さだが、ランになると、もろに暑さを感じる。 日差しが強い。天気が良すぎて、恵みのスコールは降らない様子。世界一暑いレース、 「徳之島」と引けをとらないくらいだ。私は頭から水を被って体を冷やす。
ロタでは熱けいれんになってしまったので、今回は充分に気をつけた。 オーバーペースにならないように、抑え気味に走る。安定して走ることが出来たが、やはりこの暑さは堪える。 多少、めまいもしてきた。快調に飛ばすとあとで失速する危険があるくらい、本当に暑い! しかし、初めてのコースなので、とても新鮮だ。なんとか順調に走りきり、最後の難所であるKBブリッジを渡ってゴール! 今年最後のレースを優勝できてよかった。やっと長いシーズンが終わった。
スポンサード本当にありがとうございます。これで今年のレースは終了致しました。 これからも頑張っていきますので、ご支援のほうをどうか宜しくお願い致します。
トライアスロン・ジャパン
4月20日〔日〕第24回全日本トライアスロン宮古島大会
新しい大会がパラオで開催されるとのことで、まだ行ったことのない海。 それも世界のダイバー憧れの地パラオで。
ぜひ参加して、きれいな海を見てみたい衝動に駆られ参加を決めた。
一人で行くのももったいないので、職場の仲間を誘ったところ[行く。]との二つ返事をもらい、 三人で出発することになった。
中部国際空港から一路グアムへ入る。入国審査をして乗り継ぎのためのカウンターへ向かうが、 一緒に行った二人が空港警察に付き添われてポリスボックスに入って行っちゃったよ。 何事かと思って自分も入っていったら、「出ていけ。」と日本語じゃないけど、 ジェスチャーを交えて強い口調で言ってる。
それで、外のガラス越しに中を覗いていると、「だめだ。あっちへ行け。」とまたも言われて仕方がないので 乗り換えチェックをしているところまで行き、チェックを済ませ、「友達がポリスボックスに連れて行かれたので、 ここに居ていいか」と聞いて、とりあえず居ていいということなので待つことにした。 警備員は自分の座っていた椅子を僕にすすめてくれたので、 遠慮なくそこで待つことにした。(いい人だこのひと。)
しかし、いつまで待っても出てこないので、 「こりゃ、一人で行くしかないかな?」と冗談半分にも思って、 30分もしただろうか「ヒョコヒョコ」と二人が重い足取りでやっとやってきた。
聞くと、10年位前にグアムからロタ、テニアン、サイパンと順番にダイビングをしたときに 再びグアムへの入国がステイオーバーになっており、不法入国をした形になっているらしい。 本人たちは最初何のことかさっぱり分からず、「強制退去させる。」というようなことも言われたらしい。
パラオのホテルで荷物を開けたら、案の定バッグが開けられ調べられた痕跡が残っていた。 「今度来るときは、古いパスポートをもってこい。」と言われたそうな。 まあ、それでも何とか無事にパラオに到着できてよかった。
翌日の夕方、受付会場へホテルから一人歩いて向かう。ゆっくり歩いて15分ほどで到着する。 受付を済ませ外に出ると、会場が変更になったので説明するというので、 少し離れた場所にみんなぞろぞろと大西さんのあとについていく。
なぜ変更になったかって。それは、「ワニが出たんだそうですわ、ワニが・・・・・。」 ワニと競争してもかないっこないから、これは場所の変更が正解でしょうね。
しかし、ワニというのは汽水域に生息しているはずなんだけど、 たまたま最初予定した会場は汽水域だったのかな?
翌日、午前8時15分、ピックアップしてもらう車が迎えに来てくれました。 同僚の二人はやはり同時刻にダイビングショップの車が迎えに来て、それぞれと出発しました。
ピックアップしてもらった車には僕ともう一人、近くのホテルにステイしていた○○さんと一緒に会場に向かう。 彼女とは前に一度宮古島で会ったことがあり、このときは帰りの飛行機が、 那覇空港が霧のために閉鎖されて着陸できずにバックして宮古島で延泊した経験があったのだが、 彼女たちは直行便が確保できて東京まで何とか帰ることができたらしいが、 それでもかなり大変な思いをしたそうである。
会場での受付を済ませ、コースの説明を受ける。ちょっと変則的なコースを設けたということで、 500mのコースが海を見て左側に、右側に1kmのコースが設けられており、 これを出場する距離により1週、2週、3週するという具合に設定したとのこと。 要は、一番短い距離にエントリーしても最低2回は手前に泳いできて拍手喝采を受ける仕組みである(やるね、大西さん。)
10時。まず、地元のキッズのレースが始まった。左の500mのコースを1周回する組と、 2周回の組の2種目である。彼女や、彼等はパラオの学校の水泳部かな?学校では何人くらいの生徒がいるのかな? などとのんびり考えていたら、キッズが一人二人と全員泳ぎ終えてきた。 はにかみながら、ゴール地点を通過する姿はなんともほほえましい。
それにしてもパラオは日本と確かに近いなと思ったことがあった。 予備知識として日本語がそのまま通用する言葉がたくさんあるとは聞いてはいたが、 泳ぐ前のストレッチングをキッズの号令でやっていたときに、 両足を開いて相撲の四股をふむようなしぐさをするストレッチがあったのだが、 「これは私たちの国では「相撲」と言っています。」と、いうことをPNOCの職員が言っていたのを聞いて、 戦時中からの日本語がたくさん生き残っているのを、肌で感じることができたわけで、 なんとなく親近感を持ったのは僕だけだったのでしょうか。
いつしかキッズの泳ぎも最終の子供がゴールをして、われわれの順番となる。 スタートの合図が人の声によるもので、迫力には欠けるもののなんともローカルなイメージが漂う。 (まあ、これが南の島に来る理由のひとつでもあるわけだけど。)
スタートしてしばらく自分の世界を楽しむ。あっちを見たり、こっちを見たり、 魚はどんなのが泳いでいるんじゃなどと観察しながら。 「いるわいるわGTの幼魚も。」でも前日に、 ダイビングをしてもっとでっかいのを見ているから感激も少々薄い。
折り返しをしてしばらくすると、キャップの色が違う人が同じコースを泳いでいるのが見える。 おかしいなこの人、完全にコースを間違えているなと思ったのだが、 まあその辺は人それぞれだから、別に好きなように泳げばいいかなと勝手に解釈し、無視をすることした。
さらに、泳げば海底に「シャコ貝」の50センチくらいのが見えてくる。 「おお、これか!。泳ぐ前のブリーフィングでチラッと話があったのは。」で、 泳ぎ終わったあとに「シャコ貝を見たんだけど。」と話したら「コース取りがまちがっているよ。 私は見なかったから。」とおばさんに言われました。 しかし沖に向かって泳いでいたときはそんなジグザグの泳ぎもしてなかったけどなあ・・・・・・。
いろんな景色を海から眺めながらゴールに向かって気がついたのは、 たくさんの人達がいろいろなところでサポートしてくれているのが目に入ってくるんですね。 お疲れさんです、ご苦労様ですと、思いながら自分はレースを楽しませていただきました。
ゴールに向かって泳いでいるとき、このときは確かにあっちへ行き、またこっちへ行きとすばらしくジグザク泳ぎをやっていました。 (岸のゴールに向かうではなくて、岸と平行に泳いでいたりしていたんだから相当なものでしょう。) 多分潮の流れと、自分の泳ぎの癖の両方が影響して極端な方向に泳いでいたんでしょう。
泳ぎ終えて口の渇きを潤そうとホテル(因みに、パラオ・パシフィック・リゾートのこと。)の中へ水を買いに行こうと思ってプールのシャワーを使っていたら、 ボーイの兄ちゃんが話しかけてきたので、「水はないか。水は。」てなことを言ったら、 「オオ、ここにあるから飲め飲め。」と言うので遠慮なく頂戴いたしました。 (なぜ、水を持っていかなかったのかって・・・?
実は朝、ピックアップしてもらった車に置き忘れたのであります。 おかげで、帰りの車に乗ってボトルを触ればお湯になっていました。それでも飲みましたけどね。)
最終泳者も泳ぎ終わり午後2時30分頃、少し離れたビーチで表彰式とアワードパーティーがおこなわれました。 すごかったのはスコールがやってくるのがわかったこと。 どんどんこちら側へ雨が向かってくるのがわかるんだ。
「やばい。」テントの中は一杯で入れる余地もないので、ホテルの渡り廊下に避難です。 別に濡れてもすぐに乾くから特に問題はないんだけどね。
そんなこんなで、無事に・・・大会もおわり・・じゃない。いた。 若干1名救急車で運ばれた人が。前日のトライアスロンで頑張りすぎて体調を崩した人がいたようだけど、 無事に回復したのか心配です。
いいところだね、パラオは。ゆっくりとしたい、のんびりとしたい人には最高でしょうね。 またチャンスがあればきたいですね、そのときはまたよろしく。
それから、同僚の話の続きですが帰りに、グアムで乗継しようとしたらまた捕まってしまいました。 今度は、僕はひとりでも帰ろうと本気で思いました。 だって彼等は、どっちみち強制退去ということになれば、日本へ送り返されるわけだから心配する必要もないし・・・・・。
暗闇の飛行場に降りた。そこは年間の平均気温が27℃の南の国。 北緯7度30分のパラオ共和国だった。 まだ独立して10余年の若い国、今日から始まるドラマにワクワクする。
朝、ホテルの窓を開けるとそこはロックアイランドの世界である。 島のの中心街、車が多いのにびっくり(95%以上は日本車?) 路面が悪いのでスピード違反は皆無だろう!?信号は見当たらなかった。
早速、大会会場下見、何とも穏やかな海?池?ロケーションは抜群!! 日本のODAで造られた橋の下が大会会場である。橋のたもとには両国の国旗が刻まれている。
3時20分起床、ロングの大会では何時ものように暗闇の中で淡々とスタートの準備をする。 朝5時50分やっと空が明かるくなりだした。
6時13分、スイムスタート。オリンピックタイプ、ミドルタイプの同時スタート。 ガツガツした雰囲気は全くない。長閑なスタート!
私は皆さんがスイムアップした事を見届けて?バイクスタート(ラックにはバイクが1台も無かった。 おばさん?はスイムが速い!まあイッカー。。。)
バイクはアップダウンのある20kmを4往復。追っても追っても追いつけない、そして3週目頃になってやっと待っててくれる。 11人パスして6位まで挽回。路面はきれいで気持良いライドだった。 島を1周するコース設定ならもっと面白い。。。?(主催者が大変。。。。)
ランは20kmの2往復。暑い!!頭がモウロウとしてくる。上りはけっこう歩いてしまった。。。 ただ兎に角、体温を下げるしかない。エイド毎で氷水を全身たっぷり被り、 なんとか体温を保つ。帽子に氷のパックを挟んだ、(これは有効!!)
会場をパラオパシフィックリゾートに移してのオーシャンスイム(ここは島でただ1か所の人工の砂浜、プライベートビーチらしい) この海底には50cm以上のシャコ貝が結構いた(薄いピンクを想像していたが黒緑色でグロテスクだ?)
コースの説明、緊迫感は全くない?のどかな雰囲気
1.6km 3.2km 4.8kmの3タイプ同時スタート。私は今回も広い海原を独り占めしてしまった。
私は途中72歳のmorinobuさんのコバンザメになってゆったりと泳いでました。陸にあがって固い握手とハイポーズ。
表彰式&アワードパーテー
突然激しいスコールがやってきた
ビールが無いのは残念!!
そして南の島での波との戯れは想い出の世界へ。。。
Similar to other races sponsored by Japan’s KFC Triathlon Club, this event offered an Olympic distance and a Half-Ironman distance race. Forty-four athletes competed, traveling from Japan, Guam, and China. There were also 3 expatriates and one local resident from Palau. The Japanese contingent included one professional triathlete, Masayuki Matumaru, who easily won the Half-Ironman event.
Set in the world-class travel destination of Palau, the 1st Annual Rainbow Triathlon was as much an excuse to travel as it was to race. Three Guam triathletes ? Mike Temerowski, Matt Suess, and Dana Suess ? made the Mid-December trip, and represented Guam very well.
Similar to other races sponsored by Japan’s KFC Triathlon Club, this event offered an Olympic distance and a Half-Ironman distance race. Forty-four athletes competed, traveling from Japan, Guam, and China. There were also 3 expatriates and one local resident from Palau. The Japanese contingent included one professional triathlete, Masayuki Matumaru, who easily won the Half-Ironman event.
Cycling on Palau was traditionally hampered by the poor condition of their roads, but a recent civil works project replaced miles of their main highway, making a triathlon feasible again. The race started underneath the impressive new suspension bridge between Koror and the main island of Babeldaob. Athletes swam either 3 or 4 laps around a 500m loop, and then biked over the bridge and along the scenic highway. A little more than 6 miles down the road was the turnaround, making an out and back course distance of 13 miles. Olympic racers did this twice, and Half-Ironman racers four times. Overall, the bike leg was a bit long, clocking in at 26.1 miles (vice 24.8), and was extremely hilly.
Dana Suess crosses the new bridge that spans the islands of Koror and Babeldaob in Palau. It involved almost 2700 feet of elevation gain, including twice climbing a 500-foot monster. Everyone’s time suffered a bit. The run course sent everyone back over the bridge again, down the highway about 3 miles, and then back to finish under the bridge.
Matt Suess was the first Guam athlete out of the water, in 8th place overall, clocking a split of 31:29. Dana was only 20 seconds behind him, despite fighting through stomach cramps. Mike T. was 16th with a time of 35:11, but more than made it up on the bike. He logged the 3rd best bike split, a blistering 1:30:49 and moved into 4th place. Matt’s bike split of 1:35:40 was good enough to move him into 5th. Dana finished the bike leg in 16th place overall and the 3rd female. She saved her best for last, passing 5 athletes on the run ending up 11th overall and the 3rd female. She was 20 seconds shy of catching the 2nd woman, recovering an amazing 14 minutes on her. Mike and Matt held their positions on the run and finished 4th and 5th overall, respectively.
The day after the triathlon, KFC also sponsored a series of long-distance swimming races. A combined awards ceremony was held on the beach at Palau Pacific Resort, with a generous buffet for all participants. Most athletes lingered on Palau for several more days, taking advantage of the breathtaking landscape, and world-class snorkeling, kayaking, and scuba diving. The most unique experience of all was swimming with 6.4 million (non-stinging) jellyfish.
If KFC organizes a 2nd Annual Rainbow Tri, Guam triathletes would find the trip worthwhile.
“パラオでトライアスロン&OWS大会をやってほしい”という依頼を受け、 4月下旬に下見として、初めてパラオ共和国を訪れた。 【その時のレポートはこちら】
それから約半年後、2007年12月15日(土)に第1回パラオ・レインボー・トライアスロン大会、 翌16日(日)にオーシャンスイム大会を開催した。第1回大会というと、“初めて・・・”ということで期待と不安がとても大きい。
しかし、パラオの場合は米国自治領の北マリアナ諸島と違って、歴とした独立した国であり、 “パラオ・ナショナル・オリンピック委員会”というしっかりした?・・国家の組織もある。 現地サイドはそこが中心になって動くことになっている。そして、国を挙げて、 パラオ大統領や駐日パラオ大使館などが全面的バックアップすることになっていた。 すなわち、このイベントはパラオの“国家プロジェクトのひとつ”なのである。 だから、“安心”の部分も大きいと感じていた。
地元青梅市で12月9日(日)開催した 「みたけ山山岳マラソン大会」 の翌10日(月)朝にパラオへ向けて出発した。ちょっとハードなスケジュールだ。 気分は未だ「みたけ山大会」にある。パラオに着くまでには、 気分を「パラオ大会」に切り替えなければいけない。
位置的には、神戸の真南にあり、日本との時差はないが、日本からの直行便はなく、 グアムでトランジットをしなくてはならない。その為、10:00am頃に成田を発って、 パラオには8:00pm頃に到着するという一日がかりの移動だ。 いつものマリアナ諸島と違い、パラオはやはり遠い・・・。 曜日によっては、グアムでトランジット後、ヤップ経由パラオ行きの便になるので、更に遠い・・・。
パラオ国際空港到着時、 “ロック・アイランド・ツアー・カンパニー” のボスである菊池さんが空港に出迎えてくれた。
4月の下見の際にも大変お世話になり、菊池さんがいてくれれば、とても心強い。 パラオ在住20年にもなり、パラオの事は何でもご存知の“生き字引”の様な人だ。 菊池さんもパラオをこよなく愛している日本人のひとりだ。
空港から直に使えるようにと、日本からレンタカーを電話予約していたにもかかわらず、 “やっぱり・・・”空港内のレンタカー屋ブースにスタッフが見当たらない・・島ではよくあることだ。 そんなことで驚きもしない。でも、旅なれていない人は困るだろうなぁ・・。
早速、この場から菊池さんのお世話になることになった。レンタカーは翌日ホテルへ配車してもらうことにして、 中心街コロールにある宿泊ホテルへ送ってもらった。部屋に入ると、メモが置いてあった。 “明日7:00amにロック・アイランド・カフェでミーティング“と。 このメモにチーム・パラオの“やる気”を感じた。明日から忙しくなりそうだとも感じた。
翌12月11日(火)、7:00amに“ロック・アイランド・カフェ”へ行った。
すでにパラオ・ナショナル・オリンピック委員会の下部組織であるパラオ水泳協会の会長Bill(ビル)と Tina Shima(ティナ・シマ)さん、パラオ・トライアスロン協会の会長Daryl(ダリル)とTino(ティノ)、 それに菊池さんとがスタンバイしていた。シマさんはオリンピック委員会で働いているパラオ在住の日本人だ。
今から新しいことを始めるのだという皆の高揚した気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
これが核になるスタッフによるキック・オフ・ミーティングだ。 この場の内容如何で今後の動き方が決まる。
現地パラオでは、彼らが核となって、前回4月に我々が伝えておいたプランに沿って、大会の準備を進めていた。 初めてとは思えないほど、予想していた以上にしっかり準備ができていた。内心、ちょっと驚いり、感心したり・・嬉しい誤算だ。 だから、彼らのやってきたことをできるだけ尊重しながら今後の大会を運営することにした。
後で聞いた話だが、ダリルはこの度のトライアスロン開催に当たり、 わざわざオーストラリアに“トライアスロンのコーディネーター業”を勉強しに行ったそうだ。 パラオ初の国際大会ということで大そう「力」が入っている。 確かに、スイム、バイク、ランと云う全く違う種目の複合競技を安全にそつなくこなすのは容易なことでない。
この時のミーティングで大きな変更が一つあると聞かされた。12月16日(日)のオーシャンスイム会場が当初予定していた “イワヤマ・ベイ”から“パラオ・パシフィック・リゾート(PPR)”のプライベート・ビーチ”に変更されたという。 これは初耳である。変更理由は、何と驚いたことにイワヤマ・ベイでワニの姿を目撃した人がいるということだった。
南の楽園パラオに“ワニって??”思うが、昔からパラオにはワニが生息しているのである。 但し、どこにでもいるというわけではない。主に生息できる場所は、汽水域のマングローブの林である。
パラオのワニは特別に危険という事もないが、この時期は繁殖期で気が荒くなっている。 何か不慮の事故があったら困るので、安全を優先し、急遽変更になったとのことである。 これは予想外の出来事だった。やはり初の大会は何が起こるか分からない。 それにしても、南の島のリゾートにワニは驚きだ。
この日からレース前日まで、毎朝7:00から“ロック・アイランド・カフェ”でモーニングコーヒーを飲みながらミーティングを持つことになった。 ここはローカルに人気のアメリカンタイプのカフェで、食べ物は何でもあり、値段も安く美味い。KFCお気に入りのメシ処である。 だから、ここでのモーニングコーヒー付きミーティングには何の異存もない。ただ朝の早いのがちょっと苦手・・。
このミーティング後、早速、ダリルの考案しているコースを下見に行った。
スイム・コースは日本のODA(政府開発援助)で鹿島建設が造ったKBブリッジ下の公園にあるビーチを使う。 そこは入江になっており、波もうねりもなく、とても泳ぎやすい。まるで巨大なプールと云ったところだ。
KBブリッジとはメイン・アイランド・コロール島とパラオ最大の島バベルダオブ島を結ぶ立派な吊り橋である。
バイク&ランコースはアメリカ資本で全面アスファルト舗装がなされたバベルダオブ島の道路を使う。 この道路は今年の6月に完成したばかりの新しいピカピカの道路だ。 島民たちは“コンパクトロード”と呼んでいる。路面は日本の道路より遥かに良好だ。
その道は、交通量も中心地コロール島に比べて極端に少なく、濃い緑の生き生きとしたジャングルに囲まれた心地よい雰囲気の道路だ。 路面は申し分ないが、アップダウンの連続するなかなかハードなコースだ。 これがまたバイク好きには堪えられない。バイクは適度のアップダウンがなければ面白くない。 素晴しいロケーションだ。
奥の折返し地点に近づくほどと、アップダウンがキツクなるというコース設定だ。 全体的に往路は上りベースで、復路は下りベースになっている。 理想的なコース設定だ。いい感じだ。
すでに路肩にはエイド・ステーションや折返し地点を示すマーキングがなされていた。 ダリルのやる気が伝わってくる。合格点だ。
因みに、バベルダオブ島はサイパン島よりも大きく、グアム島よりもやや小さい。 しかし、コンパクトロード以外には開発の手は入っておらず、ジャングルの中に小さな集落が疎らに点在しているだけだ。
12月12日(水)、7:00amにロック・アイランド・カフェにてミーティング。 その後、オーシャンスイム会場となるPPRのプライベート・ビーチへスイム・コースの設営(ブイ打ち)に同行した。 シマさん、ティノ、パラオ海上警察、それにレスキューを担当するレンジャーのローカルと共にボートに乗った。
コース作りは超古典的な方法が採られた。ビーチでフィッシング用テグスを100mの長さに測り、それをメジャーとして測るようだ。 このメジャー作りはティノの担当のようだ。 我々も14年前のロタブルー・トライアスロン立ち上げの時は同じ方法を使ったものだ。古典的だが確実だ。
最初、基礎になる10mを測ろうと思ったが、メジャーがない!・・ない! そこで、PPRのメンテナンスにメジャーを借りて来て、先ず10mを測った。 レンジャーとティノの2人で10mの両端をそれぞれ持って、正確に100mの長さのテグスを作ろうとしているようだ。
一端を持って、10mを5往復すれば、100mになるはず・・・だが、途中でテグスが絡まる〜・・。 解いているうちに、何往復目だったか・・忘れる〜・・。 そして、また最初からやり直す。 また、絡まる〜・・忘れる〜・・。それを何度か繰り返し・・・“日が暮れちゃうよ〜・・” 一時はどうなる事かと心配したが、どうにかこうにか長さ100mのテグスが完成した。
それを海上に持って行き、いよいよ計測が始まった。ボートで一端を引っ張りながら100mごとに目印の仮ブイを設置していくのである。 しかし、また、絡まった〜・・。“糸巻きの様な物に巻けばいいのに”と思ったが、口出しせず、パラオ流に任せておいた。 そうこうしているうちに、ついに、とうとうコースはできあがった。
作業が終わる頃には、パラオ人スタッフ達とも打ち解けていた。 本来のパラオ人達の親日的なところを垣間見ることができた。
テグスを手繰り寄せることを「巻いて、巻いて・・・」とか、 テグスを切るナイフの錆びを見て「赤錆だらけ・・」とか、パラオ語?いや日本語?でしゃべって場を和ませていた。
パラオは太平洋戦争以前の約30年間を日本の統治時代として過ごしている。 だから今でも、言葉にしろ、食べ物にしろ、いろんな場面でその名残を感じることがある。
12月13日(木)夜にトライアスロンの選手は殆ど到着した。 この日の飛行機はヤップ経由なので、パラオ到着は10:00pmくらいになると聞かされていた。
その頃、到着する選手を出迎えに空港に行ってみると、ツアーの客をケアするために菊池さんが、 また、パラオ・ナショナル・オリンピック委員会からシマさんが歓迎のため“Welcome to Palau”のサインボードを持って、 出迎えに来ていた。参加者にとっては、ちょっと嬉しい演出だ。
12月14日(金)、7:00amからいつものカフェで最後のミーティングをおこなった。 いよいよ、明日はレース本番だ。
ミーティング終了後、前夜到着していた松丸選手を車に乗せて、案内がてら、コースの最終チェックへ向かった。 スイム会場では地元スタッフがブイの設置をしていた。
日本からの取材チーム、“トライアスロンJAPAN”誌と“SWIM”誌のスタッフ(カメラマン播本さん、スイム誌の編集長兼選手の上妻さん、 トライアスロン誌のライター兼選手の謝さんの3名)とはスケジュールの都合で3:00pmから再度コースの下見へ行くことにしていた。 これは播本さんに翌日の撮影ポイントを頭に入れておいてもらうためのものだ。
そして、5:00pmからはパラオ・ナショナル・オリンピック体育館で現地登録と競技説明会が行われた。 現地のローカルスポーツイベント事情に詳しい三澤さんにアシストしてもらった。 三澤さんは数年前からパラオの病院でコンピューター関係の仕事をされている。 翌日から2大会ともに貴重な戦力として手伝ってもらうことになる。
7:00pm過ぎにホテルに戻って、明日の準備をしようとしていた。 すると、現地TVの今夜放送の番組でシマさんやビルたちが明日明後日のトライアスロン&スイム大会について諸々しゃべるとのこと。 それで、そのTV局スタジオに来て欲しいとのこと。行って見ると、地元の子供たちも数人来ていた。 30分間ほどの番組だった。結局、その場の流れで彼らと一緒に出演することになった。
12月15日(土)、いよいよトライアスロン本番の朝がやってきた。特別な朝だ。 我々は早朝4:00am頃にKBブリッジ下の会場に着いた。ダリルたち現地スタッフはすでに来ていた。 夜のうちに、テントが張られて、バイクラックが設営されていた。 聞くと、徹夜でこれらの準備作業をしていたという。
未だ辺りは真っ暗だ。空を見上げると星がいっぱい見える。 日本で見る10倍の数はありそうだ。一つひとつがキラキラ輝いて大きく見える。 星雲もハッキリと分かる。南十字星と思える星座も見える。
あまりに綺麗なので5分間ほど夜空を見上げていた。その間に流れ星を5個も見た。 生まれてこの方2個しか見たことがなかったのに!。 音もなく、何の前触れもなく、一瞬にして星が流れるというのは不思議な感覚だ。 思わず大声を上げてしまう。さすが、パラオ、空気が澄んでいる証だ!
パラオは四方八方を海に囲まれているので、泳げる海は周りに幾らでもあると思われがちだが、それがそうではないのである。 メイン・アイランドであるコロール島には安全に泳げる海は、この公園とPPRのプライベートビーチのたった2ヶ所しかないのである。
どこでも南の島のレースは朝が早い。暑さ対策のためだ。選手だけではなく、裏方のスタッフやボランティアの体調を考慮してのことである。 4:00amを過ぎると選手たちや自転車を載せたバスがやってきた。 この公園はホテル街から遠いので、早朝、闇の中を地理に疎い日本人が個々で来るのは不可能だ。
5:00am過ぎから両手両脚に日本から持参した「?」マークのマジックでレースナンバーを書き始めた。 現地のマジックはナンバリングには使えない。この儀式が始まると、皆の顔つきが一瞬にして変わってくる。 緊張感が漂いレースモードにスイッチオンとなるのである。
パラオに入って以来、ずっと曇りがちで、時々強い日差しが覗くものの、激しいスコールが多く、天候はイマイチだった。 というのは、パラオはこの頃が雨季から乾季への変わり目の時季に当たり、天候が安定しない。
しかし、今日は朝から快晴で、メチャクチャ暑い!トライアスロンはこうでなくちゃいけない。 この日から本格的に乾季に突入したようだ。南の島の季節変化はどこでもこんな調子だ。パラオは赤道に近いので、とにかく暑い!!
スターターにはパラオ副大統領のチンさん、それに日本国駐在パラオ大使の中村大使も早朝から駆け付けて下さった。
スイムは予定の6:00amを10分くらい過ぎて始まった。 いよいよパラオで初めての本格的なトライアスロン大会の始まりである。
と言っても、緊張感はない。南の島のレースはどこでも、いつでもこんな感じで始まる。
かつてはパラオでも練習会のようなレースは何度かやったことがあるそうだ。 距離はオリンピックタイプの半分くらいの短いもので、参加費もなし、タイム計測もなし、というから本当に練習会だ。
この大会をやるに当たって、驚くことがもう一つあった。 これまでパラオではOWSレースやトライアスロンなどのスポーツエベントで参加費を払うという習慣が全くなかったという。 昔から必要なものは皆が持ち寄ったり、寄付に頼ったりするという。 参加費を必要とする大会はこのレインボー大会がパラオでは初めてというから驚きだ。
4月に下見に訪れた時の打合せで、地元パラオ人に対する参加費云々の話が出た。 スポーツイベントでの参加費の必要性を説いて、必ず徴収するようにと話しておいた。 それに参加する方も、高い参加費を払うからこそ、それなりに練習もし、気合も入るというものである。 何でもかんでもタダというのはよくない。
この海と陸の複合競技を、安全に、楽しく運営するには準備段階からアワードパーティに至るまで、大勢のマンパワーと様々な面でコストが掛かる。 ボランティアやスタッフにだって、それなりのコストは掛かるのである。ボートや車両にもコストは掛かる。 参加者だって一日遊ばせてもらうのだがらそれ相応の参加費を払うのは当然だ。
何も経済大国日本と同額の参加費でなくてもよい。パラオ人の所得に応じた金額でよいから参加費を徴収するようにしてもらった。 因みに、パラオの最低賃金は時給150円くらいだ。
スイムはこの公園に隣接した穏やかな入江を泳ぐ。 これまでも地元の練習会で何度か使ったことがあるコースだ。1周回500mの周回コースである。
ハーフタイプの松丸選手とオリンピックタイプの廣澤選手が終始先頭を泳ぐ。 ショートタイプの廣澤選手は3周回でスイムを終え、バイクに移る。 松丸選手はもう1周回しなくてはならない。
最初のうちは、周回数チェックのために選手が手前のブイに戻って来た時、各選手に自分のナンバーを叫んでもらっていた。 しかし、途中から、それを聞き取るボランティアたちも混乱してきた様子。結果、ウヤムヤになってしまたようだ。
前日に大会事務局長のダリルにそんなこと(スイム周回チェック)はする必要もないし、物理的にできないと伝えた。 しかし、オーストラリアでそのように教えてもらってきたので「やる」というので、後学のために好きにさせておいた。
さらに、スイム・アップのタイム計測だけでなく、その後のトランジッションに要したタイムも計測するという。 これも彼らの能力ではできないのでやめた方がよいと伝えたが、やはり「やる」というのでやらせていた。やはり、できなかった。
しっかりパーフェクトにやろうする気持ちは理解できるが、どんな大会でも、 無駄なこと、余計なことはしない方が賢明だ。自分で自分の首を絞めることになるだけだ。
バイクはKBブリッジを渡って一路バベルダオブ島の舗装路コンパクトロードへ。 KBブリッジからバベルダオブ島のコンパクトロードまでの200mほどの区間は路面がよくない。
この悪路対応策として、周回折返し地点をコンパクトロード始点に置くという方法もあったが、 走れないことはないので、ダリルの考案しているコースを尊重することにした。
今年は初めての大会ということもあって往復20kmのコース設定だ。 緩急のあるアップダウンが連続する変化に富んだコースだ。 それに南の島らしくコース脇にはバナナの木やヤシの木を始めとする熱帯の濃い緑の植物が茂っている。素晴しいロケーションだ。
しかし、マリアナ諸島のジャングルと決定的に違うところは、タガンタガンの木 が目につかないことである。だから、マリアナ諸島のジャングルとは雰囲気が大きく違う。 因みに、マリアナ諸島のジャングルのほとんどは終戦直後に米軍がカリブ諸島から持ち込んだ外来植物タガンタガンの木で埋め尽くされている。
往復40kmにすれば、よりダイナミックなコース設定になって面白いのだが、 エイドステーションの数やそこに張り付くボランティア人数や質を考慮すれば、 今のパラオでは、この設定がベストだ。
それに参加選手にとっても、このコースがベストだ。というのは、この折返し地点より奥は、 ここまでの坂道がフラットに思えるくらいキツく、そして、長い坂が連続する。
おそらく、バイク得意な選手以外はサバイバルレースなってしまうだろう。 後日、プロの松丸選手をして「この坂は走りたくない!」と言わしめたくらいだ。
レース後、松丸選手が「過去に経験したバイクコースの中で、パラオのコースが一番気持ちよく走れた。 こんなに楽しいバイクコースは他にない。」と評した。
その理由は、全てのコーナーにバンクが付いており、スピードを殺さずに全てのコーナーを抜けていくことができるという。 そして、下り坂のスピードを利用して、次の上り坂を登ることができるという。
その所為か、バイクコースで遭遇する選手たちは皆テンションが高く、「ウォー・・!!」と奇声を発しながら下り坂をカッ飛んで行った。 60km〜70kmは出ているだろう。皆、本当に気持ち良さそうに見えた。
ランはバイクと同じコースを走る。KBブリッジを超えてコンパクトロードにはいる。 ランの折返し地点までのコースはアップダウンは緩く、難なく走れる。問題はパラオの暑さだ。
時間が経つに連れて、強烈な太陽が真上に来る。そうすると、日陰がなくなってくる。 炎天下のランはキツイ!パラオはとにかく暑い! マリアナ諸島よりも暑い! それでも、脱水症で倒れる選手もなく、全選手無事フィニッシュすることができた。
1/2アイアンマン部門優勝は男子が松丸真幸選手、女子は宮沢祥絵選手。 オリンピック部門優勝は男子が高橋潤選手、女子が峰尾洋子選手だった。 レース結果は こちら
各エイド・ステーションには冷たい水と氷、それにゲータレードも十分用意されていた。 一回目の大会にしてはなかなかの準備の良さだった。合格点だ。 欲を言えば、切がないが、皆が元気に楽しんでフィニッシュできたのが、何よりの証拠だ。
寒い冬の日本からやってきた選手にとっては、南の島の暑さは要注意だ。 ここパラオ大会でも、一番心配していたのはレース中の熱中症と脱水症だった。 しかし、それは杞憂に終わった。
一応、これらの対策として、エイドに冷たい水に加えてスポーツドリンクや塩も用意するようにとは伝えていたものの、 もし、忘れたり、手違いがあっては選手を危険にさらすことになる。ここは大会運営で最も注意を要するポイントなのだ。
信用していない訳ではないが、初めての大会ということもあり、バックアップとして、 前日にスーパーで梅干を山と買込んでおいた。スーパーのレジで店員のおばさんに 「観光客・・?・・こんなに梅干ばかり・・どうすの?・・好きなの・・?」と。変な奴と思われた。
翌12月16日(日)はPPRのプライベートビーチでオーシャンスイムの大会が行われた。 この日も前日のトライアスロンに引き続き、快晴だった。
メインレースに先立って500mと1000mのキッズ・レースが行われた。 “シマさん”の教え子たちである“パラオっ子”達が大人顔負けの泳ぎをしていた。
シマさんは、パラオに住み、オリンピック委員会に勤めながら、パラオの子供たちに水泳を指導している。 非常に熱心で、公務員と云う仕事の枠を超えて、私財をなげうって子供たちの面倒を見ている。 シマさんもパラオをこよなく愛している日本人のひとりだ。同じ日本人として嬉しく思える。
この日も前日と同じく、副大統領のチンさんと中村大使が駆けつけて下さった。 昨日のチンさんに代わり、この日のスターターは中村大使がやって下さった。
10:30amに大人のレースがスタートとした。 1600m部門、3200m部門、4800m部門の一斉スタートだ。 海のコンディションは申し分ない。沖の岬辺りにはやや波があるものの、OWSの許容範囲、泳ぎに影響を及ぼす程ではない。
スタート地点のビーチ付近と折返し地点がある沖の岬付近とでは海の色が違うのが面白い。 これがパラオの魅力だ。沖に行くほど色が濃くなる。
テニアンやロタの海のように息を呑むほどの「抜け」はないが、透明度は悪くない。
コースはビーチに沿って1周回500mのトライアングル・コースと往復1100mの沖に延びた直線コースとを組み合せたもの。 ヘッドアップを必要とするちょっとテクニカルなコース設定にした。
これはパラオの海の地形や潮の流れを考慮してのこと、安全で、且つ、 スイマーに一番楽しんでもらえるように考えたものである。
現地大会委員長ビルやダロウからは「複雑だ」と多少物言いは付いたが、案の定、参加者には好評だった。 当初、彼らは沖まで往復1600mの直線コース1本を考えていたようだが、 ここの海の状況からして、彼らの案は危険過ぎ、反対せざるを得なかった。
基本的には彼らのやり方を尊重することにしていたが、この部分に関しては却下せざるを得なかった。 折返し地点の800m沖は、海慣れした外人には大丈夫でも日本人スイマーにとっては流れが強すぎる。
過去の経験から、日本人スイマーは外人と比べて波や流れに弱い傾向がある。 と云うのは、島の人と違って、身近に泳げる海がなく、普段プールでしか泳げない環境にあるからだ。 そのためプールのそれを基準にOWSも考えてしまう。だから、我々はいつもそんな日本人を対象としたコース設定をすることにしている。 レースは冒険ではない。それに反して、普段から海に慣れ親しんでいる島の人たちは少々の流れや波にも、 さらにサメにも動じない。逞しいといつも感じる。
先ず、500mのトライアングルを泳ぐ。ここはイージーなコースだ。 鏡のように静かで、水深が浅く、熱帯魚もたくさん棲んでいる。 さらに、水深2〜3mの海底にはサッカーボール大のシャコガイがゴロゴロ生息している。
続いて、沖に向かう直線コースに進入する。沖合い550mの地点で折り返す。 この辺りが岬の先端部分に当たる。スタート地点とは景色が一変し、ジャングル沿いを泳いでいるようだ。 他の島のOWSレースにはない野性味溢れる雰囲気だ。
また、このコース設定だとビーチで応援している方も、 スイマーが途中一旦ビーチ付近まで戻って来るので、それはそれで盛上がって楽しい。 そして、スイマーもそれに応え、一体感が生まれる。
沖の岬付近の折返し地点は、少し波があるが危険はない。しかし、これより沖に出ると流れが強く、 誰もが泳げるという海域ではない。泳力のない人にとっては危険海域となる。 それにこの海域ならサメやクラゲの危険もない。皆の安全が最優先だ。
1600m女子部門はシマさんの教え子であるマリア(14歳)が勝った。 これはひとえにシマさんの熱心な指導の賜物だろう。男子優勝は加藤友康選手。 3200部門男子優勝は瀬戸学選手、女子は山田栄美子選手。4800m部門男子優勝は廣澤克壽選手、女子は阿野和美選手でした。 レース結果はこちら
レース中、ビーチでは松丸選手がパラオ副大統領のチンさんから執拗にナンパ攻撃?を受けていた。 「国籍をパラオに移して、パラオ代表として北京オリンピックに出場してくれないか?」と。
この意外な展開に松丸選手もビックリ! もしかして、8月にはパラオ共和国代表のトライアスリートとして北京にいるかも・・・・。
レース後、2:00pm過ぎからPPR内のビーチにて、トライアスロンとオーシャンスイムの合同アワードパーティーが行われた。 この時になって、突然、黒い不気味な雨雲が近づき、関を切った様に激しいスコールが降った。 もう少し待っていてくれればいいのに・・・。でも、時間にして10分間ほどで終わった。
このホテルはパラオ随一の高級リゾートホテルである。 そして、世界中のダイバーたち憧れのリゾート・ホテルなのである。 その証拠に各国のダイバー雑誌の人気投票では常にトップにランクされている。
実際に泊まってみれば、その人気の程が納得できる。 これほど、ホテル施設とビーチとが心地よく一体化されたホテルは他にはない。
大会に使わせてもらったビーチはプライベートビーチで、普段は宿泊客以外には解放されていない。 アワード・パーティに場所を借りるのに1人$25必要だ。食べ物は別だ。 食べ物は“ホテルの食事”といった感じで、とても品の良いものだった。 味は美味しかったが、如何せん、アスリートたちにとっては量が少し少なかった。 予算が限られているので仕方がない。
自慢のBBQ(バーベキュー)料理でもてなすという文化が根付いているマリアナ諸島と同じようにはいかない。 マリアナ諸島での大会を経験されている方にはご不満もあるだろうが“郷に入っては郷に従え”で、これがパラオ流なのだ。
因みに、OWSレースの時は、無料でビーチを使わせてもらった。感謝
こんな素晴しいビーチ・ロケーションを持つホテルはマリアナ諸島には存在しない。 機会があれば、ぜひ、宿泊されることをオススメする。
パーティー終了間際に、トライアスロンに参加した選手が一人倒れた。 看護婦さんで日本から参加したAさん(名前が分からない)と、 やはり看護婦さんでグアムから夫婦で参加していたDana選手の2人が彼に素早い応急処置をしてくれた。感謝!
直に、救急車を呼び、救急病院へ運んだ。その間、Aさんは彼に日本語で対応してくれ、 Danaは救急車のスタッフに症状や脈拍数を英語(当然だが)で伝えてくれた。 即席とは思えないほど息のあった連携プレーだ。さすがはプロだ。
一目見るなり脱水症状だと分かった。 しかし、前日のトライアスロンでのダメージだとすれば、発症するのが余りに遅過ぎる。 “変だなあ?”と思いならが病院で付き添った。
幸い、彼は大会専用の参加ツアーを利用していたので、彼の担当現地添乗員とも直に連絡が取れ、救急病院の手配を直にやってもらえた。 お陰で処置も素早い対応ができて助かった。勝手の分からない外国では、 如何に素早く救急病院のアレンジができるかどうかで明暗が分かれる。こういうケースは何度経験しても、いつも緊張してしまう。
実は、前日のトライアスロン会場にも、この日のスイム会場にも、会場の片隅に救急車を待機させ、 選手の怪我にすぐに対応するための救急隊員2人(看護婦と看護士)が常にスタンバイしてくれていたのである。 選手の目に触れない所で選手の安全を護ってくれていたのである。
そして、2日間に亘り、バイク転倒で怪我をした選手やサンゴで擦りむいた選手の消毒などの応急処置を担当してくれた。
しかし、運の悪いことに、アワード・パーティ会場で病人が出ることまでは予想できず、 最終のスイマーがフィニッシュした時点で会場から引き上げてしまったのである。
この時「もう、引き上げていいですか?」と救急隊員が尋ねに来たので、 「いいよ、ありがとう。」と言って帰してしまった。“一寸先は闇”とは、正にこのことである。
病院で約5時間、点滴や処置を行った。急患が多く、日曜日ということもあり、病院スタッフの人手が足りず、 医師や看護婦は走り回っていた。我々の経験から、外国の場合は、病人に付き添って、 常に医者や看護婦にプレッシャーを与えておかないと、処置が後回しにされ勝ちである。 それに、医師にうまく事情を説明しないと、対処が遅れる。脱水症は生命の危険を伴う病状で、緊急を要する。 とにかく付き添って様子を見守っていた。
普段、この病院で働いている三澤さんも一緒に付き添っていてくれた。心強い味方だ。 そうこうしているうちに、パーティの後片付けを済ませた菊池さんとシマさんも来てくれた。 また、彼が宿泊しているPPRの現地スタッフも様子を見に来てくれた。 さすが一流ホテルと云われるだけのことはある。
最初は意識がなかったが、2時間ほど経って点滴が一袋終わった頃から徐々に意識が回復してきた。 こちらの問いかけにも反応を示すようになった。当初は一晩入院が必要という診断結果だったが、翌日予定通り帰国したいので、 回復検査を早くしてくれるように頼んだ。そして、何とか帰国の許可がもらえた。安堵。
彼は今日のオーシャンスイムには出場しておらず、なぜこんなことになったのだろう?・・・ 後でよく聞いて見ると、原因はトライアスロンが終わった後、ホテルに帰って、不覚にも炎天下のビーチでうとうと昼寝をしてしまった為らしい。 これで熱中症&脱水症に陥ったのである。
パラオでは現地の人でさえも、陽に当たり過ぎて、脱水症や熱中症で病院に運ばれる人が多いという。 その中には処置が遅れて死亡する場合も多々あると聞く。“南の島のリゾートに来て、 ビーチでのんびり昼寝・・・”というのはよくする事だけに、誰にでも注意が必要だ。昨夜一晩、辛かっただろう。
12月17日(月)、この日の夜中にパラオを発つことになっている。 当初の予定ではこの日にパラオの人たちを対象に松丸選手がトライアスロンのクリニックをする予定になっていた。 しかし、現地の事情でキャンセルになった。
それで、思いがけず自由時間が取れたので、松丸選手も一緒にバベルダオブ島を1周ドライブをしてみることにした。 一路最北端のガルコンロ州に向かった。バイクの折返し地点を通り抜けて、コンパクトロードを1時間ほど北上した。 でも、その間にすれ違った車は2〜3台という少なさ。
ガルコンロ州には海に突き出した細長い岬があり、その岬の先がバベルダオブ島の最北端に当たる。 そこには10軒程度の小さな集落がある。その集落の奥は港になっていた。港と言っても、 船着場はあるが、小さな漁船が2隻ほど浮んでいるだけで、活気や人影はなかった。寂しい感じの港だ。
また、その集落の入口には1〜3mくらいの石柱が建ち並んでいる“ストーンモノリス”と呼ばれる謎の巨石群遺跡があった。 ちょっとイースター島のモアイ像に雰囲気が似ている。ここはパラオのミステリーゾーンだ。
その他にも、観光化されていないが、このバベルダオブ島のジャングルには古代人が造ったと言われているミステリアスなピラミッドも存在する。 それは低い山の上にあり、コンパクトロードから見ることができる。
次に、米国ホワイトハウスの建物に似た立派過ぎる国会議事堂(パラオではキャピタルと呼ぶ)がある マルキョク州のひなびた海岸通りに建つ小さなレストラン“OKEMii DELi”に立ち寄ってランチを食べた。 このレストランは下見に来た4月に見つけたKFCお気に入りのレストランだ。そっと秘密にしておきたい場所だ。 幸い、今のところ、どんなガイドブックにも載っていない。
4月とはメニューが変わってショートリブ・ステーキがなくなっていたのはちょっと残念。 でも、海上にはみ出したオープンテラスで、優しい海風に当たりながら食べるランチは最高だ。ゆっくりとリラックスできる。 このロケーションだけでも超贅沢だ。松丸選手も大そう気に入ったようだ。
パラオは年間通して台風の被害はほとんどないという。台風はパラオの北方の海上を通過する為だと云う。 そのため、このような海にせり出したテラスを持つ建物を造ることが可能だそうだ。
7:00pm頃から、シマさん宅で、核になったスタッフたちが集まって反省会を持った。 この家は今年新築されたばかりで、2階に広いオープンテラスを持つお洒落な家だ。
第1回大会としては、大成功であった。しかし、今年やってみて次回への改善点もハッキリした。 最大の問題点は、パラオ警察のバイクコースにおけるトラフィック・コントロールのやり方の不味さである。 パトカーだけでコントロールするのではなく、要所要所には警察官を立てて、車両誘導を行なわなくてはいけない。 これができていなかった。これが次回への最大の改善点だ。
その他、細々した処では、エイドでの水の手渡し方、タイム計時の方法、それに結果表の作り方等々である。 しかし、これらは大した問題ではない。どこの大会も改良を加えながらステップ・アップしていくものである。 最初からパーフェクトな大会など、どこにもない。
夜半過ぎ、パラオ国際空港から経由地グアムへ飛び立った。・・・グアム空港でとんでもない災難が降りかかるとも知らずに・・・・。
ロック・アイランド・ツアー・カンパニー
パラオ・パシフィック・リゾート
日本国駐在パラオ大使館 中村大使
三澤俊和