北マリアナ諸島(ロタ&テニアン&サイパン)
ローカル情報満載ファイル(51〜100)
■100、北マリアナ諸島を巨大津波が襲ったら! もし、北マリアナ諸島をインド洋津波クラスの巨大津波が襲ったら、どうなるのであろうか?インド洋沿岸諸国の恐ろしい被害状況を見ていたら、自ずと北マリアナ諸島の場合を考えてしまう。 先ずシュミレーションをする前に、インド洋沿岸諸国と北マリアナ諸島との大きな相違点は、グアムに気象・海洋情報収集能力の高い米軍基地が存在するということである。もし、どこかに地震が起こり、津波が発生した場合、その津波情報がいち早く北マリアナ諸島にも伝えられるというシステムがすでに存在している。この点はインド洋沿岸諸国とは大きく違う点である。しかし、いかに米軍と言えども、津波を食い止めることはできない。通常、過去のデータから大津波は発生してから20分から2時間の間に到着すると言われているので、米軍基地から送られて来る速やかな情報の意義は非常に大きい。 津波シュミレーションをする場合、島の地形は非常に重要なポイントになる。北マリアナ諸島(サイパン・テニアン・ロタ)は、東側は太平洋に、西側はフィリピン海に面しており、南北一列に連なった島々であるため、津波がやって来る方向で受ける被害状況が全く異なってくる。 東側の太平洋から巨大津波が襲って来た場合を想定してみる。 サイパン、テニアン、ロタともに東側海岸は、その大部分が高く競り上がった崖を持つ海岸線になっているため、被害はほとんどとないと考えられる。さらに、ラッキーなことには3島共に東部海岸地帯には集落がほとんどない。但し、注意しなくてはいけないのは、東側には水深1万mのマリアナ海溝が横たわっているため、津波のスピードが飛行機並み(約時速800km)に速度アップすることである。この点は要注意である。 次は西側のフィリピン海から襲って来た場合である。 地形的に、3島とも西側からの津波には非常に脆い。なぜなら、北マリアナ諸島は3島ともに西側海岸は美しいビーチ、すなわち砂浜になっており、海抜は2〜3mの低地地帯が多い。 【サイパン島の場合】 北は「ニッコー・ホテル」から南は「PIC」までの約20kmの間は、殆んどインド洋津波に襲われたプーケット状態になるだろう。海抜1〜2mのガラパン、サンホセ、ススペ、チャランカノア等々の各低地地域はダメージが大きい。大部分の家屋への浸水や木造家屋の全壊は免れない。 ビーチロードに沿ってガラパン地区からサンホセ地区までは、温暖化による海面上昇対策として、波による侵食防止用の堤防(一見、遊歩道としか見えないが、実は、海抜の低い海岸線部分の侵食防止対策用堤防で強固な造りになっている)が建設されている。しかし、巨大津波に全く役には立たない。しかし、沖に横たわる珊瑚礁は津波の威力を減少させる強固な防波堤の役目をしてくれることになる。この自然の防波堤はサイパンにとって、非常にラッキーである。また、最北端の「マリアナ・リゾート」と最南端の「コーラルオーシャンポイント」は高台に建っているため、ダメージはないと考えられる。 島民はスグ裏手の高台キャピタル・ヒルやネービー・ヒル等々に登るか、ホテル等の背の高い建物に非難することになる。幸いなことに、サイパンには背の高い建物が多く存在する。グアム米軍からの速やかに津波情報が入手できる事、津波のスピードが遅い(フィリピン海は比較的水深が浅いので事、島の西側全域に亘って沖に珊瑚礁が連なっている事、避難場所が市街地の近くに多くある事等々を考えると、多くの人命が失われることはないだろう。しかし、マニャガハ島は津波で砂が浚われて陸地面積が半分になってしまうか、場合によっては消滅することもある。かつては、グアムのタモン湾内にあった小島が大型台風で消滅してしまったという事実がある。 【テニアン島の場合】 この島は、幸いなことに西側も大部分が切り立った高い崖に囲まれている。しかし、人口の密集しているサンホセ村南部のタチョンガ・ビーチからカマー・ビーチまでの海岸線、さらにはテニアン港を含む地域までの海抜が比較的低い。この地域は海抜2〜4m程しかない。おそらくこの辺りから流入してくる海水が背後の高台にあるサンホセ村中心街まで到達するかも知れない。 しかし、中心地は10m以上の高台にあるため、10m以下の津波であれば、それほど被害はでないであろう。海に近い低地にある建物は浸水し、木造家屋は全壊するだろうが、サンホセ村全域に大きなダメージが及ぶことはないだろう。 島民は、サンホセ村のスグ裏手にある丘(ラッソウ台地)に非難すれば安全である。テニアン・ダイナスティ・ホテルも海抜10m弱の場所にあり、1階は浸水するであろうが2階以上は問題ないであろう。3島の中で津波に最も強いのがテニアン島と考えられる。 【ロタ島の場合】 ロタ島には人口が密集した大きな村が2つある。飛行場近くの高台にあるシナパル村と海辺にあるソンソン村でる。だから、シナパル村は津波に対しては何の心配もないが、ソンソン村には大きな被害がでるだろう。おそらく、プーケット状態になるだろう。ここは海抜4〜5mの陸地に建物が密集している。役所、病院、警察等々の政府機関もここに集中している。2002年12月のスーパー台風「ポンソナ」の時でさえ、ソンソン村の大部分の道路や住宅が海水に浸かったという事実がある。これは台風による海面上昇が原因であった。これを思うとインド洋津波クラスの巨大津波に襲われたらソンソン村はイチコロであろう。 しかし、グアム米軍基地からの速やかな事前情報があれば、人命が失われることはないだろう。なぜなら、スグ裏手には高台があり、ロタの人たちは普段から自分たちの身を護る術をよく心得ており、行動も素早い。 フィリピン海に面したテテトビーチ近くに建つ「ロタホテル」は海抜2mくらいしかなく、相当の高さまで海水に浸かり、大きなダメージを受けると考えられる。また、同じ並びに建つ「ココナッツビ・レッジ」は海抜10mくらいの高台に建つが、木造造りであるため津波には非常に脆い。「ロタリゾート」は海抜100m以上の高台にあるため何の問題もない。 このように大雑把ではあるがシュミレーションをしてみると、いかにグアム米軍からの津波情報がスピィデーに伝わって来るかが非常に重要な鍵であり、何の前触れもなく、突然巨大津波が襲ってきたら低地地帯はプーケット状態になるだろう。しかし、1時間前後の余裕さえあれば、大部分の島民や観光客は避難できダメージは格段に少なくなる。 世界中、どこの島々に行っても、金持ちなどの裕福層は海を見下ろす高台に豪邸を構えている。マリアナ諸島然り、フレンチ・ポリネシア然り、ミクロネシア然り、メラネシア然りである。それ以外の一般の人々は漁業等々生活のため海辺に住む傾向がある。この現象は高台の展望のよさも然る事ながら、津波などの自然の驚異に対抗するための昔からの知恵なのかもしれない。 ■99、津波と北マリアナ諸島 2004年12月26日発生のスマトラ島沖地震を原因としてインド洋に大津波が発生した。犠牲者は最終的には十万人程度になるであろう。特に、マリアナ諸島も含め、ビーチリゾートは津波に関しては要注意である。 津波と言えば、2000年のロタ島での出来事を思い出す。この日はロタブルー・トライアスロン大会のレース日。早朝にスタートして約2時間が経とうとした頃、突然ゴール会場に警察官が神妙な顔つきでやって来た。そして、パプアニューギニアで地震があり、津波が発生した。それがマリアナ諸島に向かって来ていると告げた。その場で津波の規模や到達予想時間を尋ねたが、それ以上の詳細は分からないと答える。ここから先の対応は、当然、大会主催者の責務である。 その時点では、ショート部門の選手は大部分がランパートに移り、太平洋側の海沿いコース上にいる。片や、ハーフ部門の選手は大部分がバイクでフィリピン海側のビーチ沿いのコース上を走っている。先ずは選手の安全確保が第一であるため、即刻競技の中止を決断し、島中に散らばっている全選手を混乱無く短時間でスムースに、高台に連れて行く方法の思案を始めた。 並行して、ロタ政庁からグアムの米軍基地に連絡を取ってもらって、至急津波の詳細情報の入手を依頼した。バイクは全員、高台に建つ「ロタリゾート」まで自走で非難させることにし、ランはコース上の全員を数台のピックアップ・トラックで片っ端から拾上げて、そのまま高台に運ぶと云う決断をした。そして、トラックの手配を始めた。 丁度この頃に、米軍基地から連絡が入り、津波はフィリピン方向に向かっており、マリアナ諸島には到達しないと告げてきた。安堵!ヤレヤレである。そして、この出来事は参加者には知らされること無く、競技は何事も無かったように続行されたのである。この間、僅か10分間ほどの出来事、グアムからの回答がもう1分遅ければ競技中止のアナウンスをしていただろう。 世間では「いつもノンビリしている」「言うことは全然聞かない」などと評判のよくないチャモロ人たちではあるが、我々の指示にはテキパキと素早く動いてくれた。世間が何と言おうとも我々KFCにとっては「やる時はやる」頼りになるチャモロ人なのである。津波は現地でも「TSUNAMI」(英語名も同じ)と呼び、非常に恐れられている。 ■98、北マリアナの人種構成 北マリアナ諸島に住んでいる人種は大まかに言うと、ローカル(土着の人)と呼ばれているチャモロ人とカロリニア人、アメリカから移り住んでいる白人、それに、出稼ぎ労働者であるフィリピン人、バングラディシュ人、中国人、韓国人、それに我々日本人である。 この小さい島にも、後多分に洩れず人種差別はある。ローカルの中でも、暗黙の内にチャモロが一番でカロリニアンはその「下」とされている。その理由は、北マリアナ諸島は元々チャモロの島で、後にカロリン諸島からカロリニア人が移り住んできたからである。 そして、ローカルの下にフィリピン人、バングラディシュ人、中国人、韓国人がいる。理由は、フィリピン人とバングラディシュ人はローカルの使用人と云うポジションであるが故である。フィリピン人はホテルの従業員や各家庭のメイドとして、バングラディシュは農作業の労働者としてそれぞれ働いている。中国人と韓国人は、かつての日本時代(1914〜1947)に日本政府が国民を等級付けしたことに起因する。その名残が今尚ローカルの心に深く染み付いており、その結果、中国人と韓国人はローカルよりも「下」のポジションにある。 因みに、その当時の等級付けというのは、1等国民は日本(沖縄を除く)、2等国民は沖縄、3等国民は南洋諸島(パラオやサイパンを含む)、4等国民は韓国・中国というモノであった。こんな大切なことも日本の歴史教科書では触れていない。 衝撃的な場面に出くわして驚いたことがあった。いつも仲のよいパラオのおばさんと韓国のおじさんが口論をしている時に、パラオのおばさんの口から「4等国民の韓国人が・・云々」という言葉が出たのである。日本人として、これには一瞬固まってしまった。 日本人とアメリカ人に対しては、自分(ローカル)たちよりも「上」と認識している。その理由は、個人の背後にある日本とアメリカという世界で1位2位の経済力を持つ国力に一目置いているからである。且つ、かつては日本に統治され、現在はアメリカの自治領となっていることもその理由である。 しかし、ほとんどのローカルは、日本人は好きだがアメリカ人は嫌いときている。その理由は、日本はかつての日本統治時代に学校を作って教育を施したり、農業を教えたり等々、多くのことを島の人たちに教え、島人たちと共に島の発展に寄与した。今でも島の年配の人たちの口から「日本人は、日本時代にジャングルに覆われていたこの島に文化を持ち込み、何の知識も技術もなかった我々に多くを教えてくれた。そして、一緒に汗を流して働いた。感謝している。」と懐かしそうに話してくれる。それも、流暢な日本語で、である。 しかし、アメリカのことになると、「アメリカ人は島の人たちにお金を与えるだけで、我々を低く見て、それを露骨に態度に表すから嫌いだ。」という。確かに、一部のアメリカ人たちはローカルを低く見ている。交わること(付き合い)はあまりない。表向きはどうあれ、心の中ではローカルとアメリカ人とは水と油の関係にある。 ■97、おもしろい台風の呼び名 近年の地球温暖化の影響か、今年(2004年)はマリアナ諸島にも日本と同じく異常に多くの台風が上陸した。クリスマス直前にも一つ上陸したほどである。マリアナ諸島では台風名をまるで友人を呼ぶような感じで口にする。 台風の命名方式には番号方式とリスト方式がある。日本は味気ない番号方式を採用しているが、多くの国々ではリスト方式を採用している。マリアナ諸島も後者のリスト方式である。リスト方式では、従来英語の人名が当てられていたが、アジア地域では欧米人の名前はイマイチピンと来ないため、各国の政府機関である台風委員会(アジア15カ国が加盟)が2000年から「台風のアジア名」と云うものを採用した。この「台風のアジア名」は加盟国の言葉で動植物や自然現象を表す名前を付けることになっている。そして、予め、加盟国から提出された140の名前が登録されており、それを機械的に順番に振付けていくと云うやり方である。 例えば、今年マリアナ諸島にダメージを与えたものは「スダル」(韓国語で河川の水)、「ティンティン」(中国語で若い女の子の愛称)、「チャバ」(タイ語で熱帯の花)、「サリカ」(カンボジア語でさえづる小鳥)、「トカゲ」(日本語のトカゲ座)、「ノックテン」(ラオス語で鳥)、「ナンマドール」(ポナペの古代城壁)等々である。日本は何故か「テンビン」「ヤギ」「ウサギ」「カジキ」「クジラ」「コップ」等々のマイナーな星座名ばかりを登録している。 因みに、2002年12月にグアム島とロタ島に壊滅的なダメージを与えたスーパー台風「ポンソナ」は北朝鮮から提出された「ほうせん花」を意味する。ここでも北朝鮮は要注意か。 ■96、クリスマスの風物詩 北マリアナ諸島の人たちは大部分と云うよりも、おそらく100%がカトリック教徒である。だから、クリスマスのイベントには非常に力が入る。その最たるものが自宅を飾る電飾や道路脇のイルミネーションの凄さである。 最近では、日本でも宗教に関係なく自宅をクリスマス・バージョンのカラフルな電飾で飾り立てる人もいるが、マリアナでは大部分の人が自宅をクリスマス・バージョン用電飾で飾り立てる。さらに家だけでなく、役所は道路脇の至る所にサンタクロース、トナカイ、キリスト、ブルーマリン(クリスマスには関係ないと思うが)等々の手の込んだイルミネーションを数多く設置する。 それは昼間見ると訳の分からない代物だが、暗くなると見事な光の芸術品に変わるのである。流石、手先の器用なチャモロ人と云ったところである。その開始時期は11月後半の「サンクス・ギビング」週から「クリスマス」、さらには「ハッピィ・ニューイヤー」を挟んで翌年の1月末までの約2ヶ月間という長い間続けるのである。 そして、個人の家の電飾に関しては、投票が行われ、最も派手派手の電飾を施した家に対しては賞金が与えられる。過去には何とその賞金額が100万円もした時もあったと聞く。しかし、その後に残るのは頭の痛くなるような高額な電気代の請求書である。それでも、懲りずに皆毎年全力を投入して頑張るのでる。 ■95、北マリアナ諸島における日本人の国際結婚模様! どこの国にも国際結婚があるように、当然、ここ北マリアナ諸島にもそれはある。北マリアナ諸島の国民(島民)はチャモロ人である。だから、ここでの国際結婚と云えば、チャモロ人と日本人と云うことになる。米国人は外国人の部類に入る。そのチャモロ人と日本人との国際結婚についてはおもしろい現象が見られる。 それはチャモロ人男性と日本人女性との結婚事例は過去にも現在にもたくさんあるのだが、この逆、すなわちチャモロ人女性と日本人男性との結婚例は、近年では皆無に近いのである。知る限りでは、過去に僅か2例しかない。それも日本人男性は現在二人とも50歳以上であるから、結婚したのは相当昔のことであろう。それ以降、一般的な年頃の日本人男性とチャモロ人女性との結婚例はほとんどない。 チャモロ人男性と結婚している日本人女性は殆んどが観光やダイビングでここを訪れた際に知り合って結婚している。しかし、国際結婚はそれほど甘くないようで、離婚率も非常に高い。その正確なデータは無いが、おそらく50%以上であろう。因みに、チャモロ人は男も女も子供時代はスリムな体型をしているのだが、二十歳頃を境に一気にビッグ・デブになる傾向にある。 ■94、Thanksgiving Day(サンクスギビング・デイ) 毎年11月の第4木曜日に米国(カトリック教)の祝日、サンクスギビングディ(感謝祭)という祭日がある。米国圏であり、カトリック教の島である北マリアナ諸島でもこの日は祭日となる。 この祭日は3月下旬から4月下旬の間にやって来る(年度により日にちが変わる)Easter(復活祭)と並び、クリスマスに次ぐ、大きな祭日(連休)で、翌日の金、土、日曜日も含み休みになる。サンクスギビングディでは、七面鳥(ターキー)をローストしたものに、ラズベリーソース、マッシュポテトにグレービーソースを添えたものが伝統的な献立となり、その他独自のご馳走が振舞まわれる。 そして、この時交わされる挨拶は「ハッピーサンクスギビングディ!」と言う。また、“ターキートロット”と言われる5km程のファンランも各地で行われる。 ■93、北マリアナ諸島の給料日 マリアナ諸島では「ガバメント・ペイディ/Government Payday」という言葉がある。これは公務員の給料日のことである。毎月2回、第2と第4の金曜日がこの「ガバメント・ペイディ」に当たる。す日本と違って1ヶ月に2度給料日が来るのである。政府から職員への支払い方法は口座への振込み形式なので、当然のことながら給料日に当たる金曜日は銀行が混み合う。 銀行出入り口には24時間支払い可能なATM(現金自動支払機)も設置してあるのだが、ATMにストックしてある現金量が少ないので、皆銀行の窓口へ給料を下ろしに行くのである。普段、銀行の窓口業務営業時間は午後3時までだが、この日ばかりは夕方6時まで延長されるのである。そして、給料日直後の土・日曜日はどこのレストランも家族連れで込み合っており、活気がある。非常に単純明快である。 一般私企業の給料日は月1回としている所もあるが、公務員と歩調を会わせて月2回第2と第4金曜日を給料日にしている所が多い。 ■92、土砂崩れがない北マリアナ諸島 日本では台風が上陸する度に、土砂崩れが発生して、道路や家屋が倒壊したり、土砂に押し流されたりする悲惨な災害が多発する。しかし、北マリアナ諸島には土砂崩れという現象は発生しない。だから、これによる災害はないのである。 北マリアナ諸島では昔から住宅地の価値は道路に面しているとか、便利の良い街中にあるとか云うのではなく、その場所からの展望の良さで決まる。だから、お金ができると、皆こぞって見晴らしの良い急斜面の山肌や崖っぷちなどに家を建てる。そして、それらの家は強烈な熱帯台風を幾度となく経験してもビクともしないのである。 土砂崩れは多量の雨が山や斜面の土に吸い込まれて山肌が緩むのが主な原因である。ところが、これらの島々はサンゴの隆起によってできているため、土砂はなく、地面(表面)は全て硬いサンゴ岩でできている。だから、水分を含んで地面が崩れるということはないのである。 しかし、グアム島南部の山間部では地質に土砂の部分が多く、山肌が崩れる現象が多発している。 ■91、椰子の木は偉い! 昔から椰子は南の島の人たちの生活には欠かせないものである。実(ココナッツ)から葉っぱに至るまで全て有効利用されている。まず、実については、緑色をした若い実と褐色の完熟した実とがあり、それぞれ利用範囲は違う。その実の大きさ、形は、ラグビーボールのようで薄い外皮の内側に約10cmくらいはスポンジ状の強い繊維でできた層の部分があり、その内側にテニスボールのような大きさの硬い殻でできた丸い芯(胚乳)がある。 その芯の内壁にはコプラという最も利用価値の高い白色の脂質分が張り付いている。そして、さらにその内側の空洞部分に水分が蓄えられている。この水分がココナッツ・ジュースと呼ばれるもで、約500mlくらい入っている。若い緑のものはほのかに甘い味がして美味いが、褐色のものは酸味が強くて飲めたものではない。 白色のコプラ部分は、緑のものは厚みが約5mmほどでゼリーのように柔らかくプリプリした食感で、醤油とわさびや唐辛子を付けて食べるの一般的である。マリアナではこれを「刺身」と呼んでいる。これはなかなかイケル味である。褐色のものは、このコプラが2cmくらいの厚みに成長して殻の内壁に張り付いており、硬くてそのままでは食べることはできない。だから様々な用途に加工される。 小さく削り取って、ココナッツミルクやココナッツオイルや石鹸を作ったりする。ミルクは料理に使う。オイルはサラダ油の代わりに料理用に使ったり、髪の毛に付けたり、便秘薬として少量を飲んだり、蚊除けやスキンケア用に身体に塗ったりする。電気のなかった頃はこのオイルを燃やして灯りにしていた。さらに、実を2つに割って、そのコプラの部分を鶏の餌やヤシガニの餌として与える。また、乾燥させて、お菓子や料理に使うココナッツ・パウダー等に加工したりもする。胚乳の殻の部分は、皿やカップや灰皿等々の民芸品に加工される。 さらに、スポンジ状の繊維質の部分は、BBQ(バーベキュー)の火種としたり、蚊取り線香代わりに燻したりする。BBQはこれで焼いたものが一番美味いとされている。我々が目にする亀の子タワシはこの繊維質の部分を取り出して乾燥させものを材料にして作られている。しかし、マリアナ諸島では椰子の実をタワシの材料として使う習慣はない。 次に、椰子の葉っぱは小屋や東屋の屋根を葺くのに利用する。繊維が丈夫なため千切れたり腐ったりすることはなく、屋根を葺くには最適の材質である。その丈夫な繊維質を利用して帽子やカバン、籠、小物入れなどを作って生活用品の一部として利用している。また、葉脈をナイフで削れば、即席の爪楊枝となる。竹製のの爪楊枝に似ている。このように、とにかく椰子の木は偉いのである。 古代、カヌーで遠くまで旅をする時には椰子の実をどっさり積んで行ったのである。これは食料と飲料水の両方を兼ね備え、また、炎天下で何日間も放って置いても腐ることはない優れた携帯食なのである。この椰子の実がなければ、今日、広大な太平洋の隅々の島々まで人が移り住むことはなかったであろう。 ■90、北マリアナ諸島の選挙とアルコール 北マリアナ諸島では選挙に関連しておもしろい法律がある。それは投票日とその前後2日間はアルコール類の販売を一切禁止するというものである。先(#88)に書いたように、これらの島々では選挙は超ビッグイベントであり、島民達の熱の入れようは尋常ではない。それゆえ、一昔前は、投票を巡ってエキサイティングした酔っ払いによる喧嘩やトラブルが絶えなかったのである。 その対応策として、政府はアルコール類の販売を全面禁止したのである。だから、その3日間はスーパーマーケットでもレストランやバーでもアルコール類は販売されていない。但し、飲酒そのものまでは規制されていなので、買い置きのビール等は飲むことはできる。また、旅行者に関しては、ホテル内のレストランやバーでの飲酒に限っては許されている。何せ、その投票率が90%近いという国?(島)だから、こういう規制が必要なのかもしれない。 ■89、北マリアナ諸島のエキサイティングな選挙 北マリアナ諸島における選挙は4年に一度の非常にエキサイティングなビッグ・イベントである。それ故、その投票率は約90%というから驚きである。その理由は「北マリアナ諸島の政治スタイル」で詳しく述べている。 北マリアナ諸島は米国自治領というポジションの小さな島嶼国ではあるが、その政治システムは米国と全く同じである。共和党と民主党の2大政党があり、議会は上院・下院の2院制で構成されている。米国大統領に当たるのが知事(ガバナー)であり、知事は米国大統領と同じく北マリアナ諸島内では強大な権力を持っている。そして、その任期は4年で、再選されれば2期(8年間)務めることはできるのも米国と同じである。 ただ一つ大きく違うところは、選挙の実施年度である。米国の大統領選挙は今年(2004年)11月に行われるが、北マリアナ諸島ではちょうど一年遅れの来年の11月に行われる。そして、今年(2004年)の11月は予備選挙が行われ、この結果で来年の本選挙の結果を占うことができる。 ■88、マリアナ鹿のルーツ 現在(2004年)、マリアナ諸島で野生の鹿はロタとサイパンとグアム(なぜか、テニアンには生息していない)の3島に生息している。しかし、サイパンとグアムには僅かな頭数しか生息しておらず、そのため、保護動物に指定され、狩猟は禁止されている。(追記:2006年にテニアンでも野生のマリアナ鹿の存在が確認された) しかし、ロタでは頭数が多く、サバナ高原等々の山中ををドライブをしていると時々見ることができる。また、人間が容易に登れないウェイディング・ケーキ・マウンテンの頂上には多数生息している。だから、ロタでは一定期間に限ってオス鹿だけは狩猟しても良いことになっている。 このような小さな南の島に昔から鹿が生息していたとはどうしても思えない。それはその通りで、マリアナ諸島には昔から鹿が生息していた訳ではない。テニアン・サンホセ村沖のアグイハン島に生息している野生の山羊と同様に、最初は家畜として外から持ち込まれたものである。 このマリアナ鹿の場合は、18世紀後半頃にフィリピンから食糧(食肉用)としてグアムに持ち込まれたのが最初である。そして、その後19世紀末から20世紀初頭にかけてロタとサイパンに持ち込まれたのである。そして、その子孫が現在ロタとサイパンにいるマリアナ鹿なのである。因みに、アグイハン島の山羊は日本統治時代に家畜として日本から連れてこられたものである。それが野生化して今も生き残っているのである。 現地チャモロ人にとって鹿肉は牛や豚よりも上等の肉として扱われている。その肉の特徴は脂身が極端に少なく、肉独特の匂いがないのである。だから、味としては癖がなく、牛や豚より美味いので人気がある。但し、コレステロール値は牛や豚肉より高いが、日常的に食べるものでないので問題はない。 これら鹿肉は一般に販売されていないため、レストランでは食べることはできない。だから、一般観光客が口にするのは難しい。現地の人も普段はそんな高価なものは勿体無くて食べない。冷蔵庫に保存しておいて、お祝い事のパーティ時や大切なお客さんが来た時に出す持て成し料理の一つとなっている。 その食べ方は乾燥肉にしたり、BBQにしたり、生肉のままサシミで食べる方法である。中でも、新鮮なレバーのサシミは現地の人にとっては最高級料理として好まれている。しかし、非常に希少なので、なかなか口にすることは出来ない。 【北マリアナ諸島はロタ、テニアン、サイパン(正確には北方諸島も含む)、の3島を指し、それにグアムが加わるとマリアナ諸島と呼ぶ】 ■87、 北マリアナ諸島と北マリアナ連邦 日本では、3年ほど前までロタ、テニアン、サイパン、北部諸島のことを総称して「北マリアナ連邦」と呼んでいた。いろんな観光ガイドブック等にもすべてこの名称で記載されていた。しかし、最近では「北マリアナ諸島」と呼ぶことが正しいと云う説が一般的になってきている。 その理由は、英語での正式名が「Commonwealth of Northern Mariana Islands」と云い、これを日本的に訳すると「連邦」というより「諸島」の方が正しいからである。だから「北マリアナ諸島」と呼ぶ方が正しいということになったのである。しかし、どちらでもその意味する所は同じであり、大した違いはない。 ■86、イラク戦争と北マリアナ諸島 北マリアナ諸島(ロタ、テニアン、サイパン)のポジションはグアム(は準州)のような米国領土ではなく、米国自治領(Commonwealth of Northern Mariana Islands)である。平たく言えば、米国の植民地のようなものである。だから、米国の要請があると、島民をイラク戦争に米国軍兵力の一部として送り出さなくてはならない義務がある。また、これらの島々では、その時のための米国軍隊の基礎を教える軍事教育・訓練が正規の高校教育の一環として存在しているのである。何と、この訓練では高校生が実弾を撃つのである。 今(2004年9月)、北マリアナ諸島から多くの島民が混迷の対イラク戦争要員として徴兵されている。ここでは警察官の大部分は米国陸軍(アーミー)に籍を置いているため、徴兵されている人が多い。現地KFCメンバーの中にもそれに該当する者がいる。 米国陸軍に所属しているこれらの島民たちは、徴兵に当たって、先ず最初に太平洋上にある島の訓練基地(安全上、地名は伏せる)に集められ、そこで一定期間の厳しい実戦訓練を受ける。その後、米国本土の陸軍基地(安全上、地名は伏せる)に送られ、そこで最終調整した後に、いよいよイラクに投入されるのである。 その訓練内容は、間もなくやって来る命のやり取りを想定した厳しいものである。射撃や格闘だけでなく、一日中物陰に身を伏せている精神訓練やヘリからの落下傘降下訓練など、まるで映画「ランボー」さながらの訓練である。また、訓練集合時間に遅れた者への上官からの往復ビンタは日常茶飯事である。訴訟好きの米国人もこのビンタには訴訟をおこす者はいない。 そして、イラク戦場では彼等有色人種は最前線に送られるのが米国流のやり方である。かつてのベトナム戦争の時もそうだった。だから、多くの北マリアナ諸島の人間がベトナムで戦死した苦い過去がある。 そして、一旦、徴兵されてしまうと、家族にはその人間がどこでどんな任務についているのかは一切知らされないのである。だから、まだ訓練基地にいるのか、それとも、すでにイラクに派遣されてしまっているのかも分らない。唯一、連絡が来るのは戦死の知らせだけである。そのため、その家族は心配の余り泣きながら暮らしているのが北マリアナ諸島の悲しい現状なのである。 話は反れるが、かつてのベトナム戦争の時、グリーンカード欲しさに日本人を含む様々な国の人が米国のためにベトナム戦争に従事した。というのは、米国は他国の人間でも米国のために3年間ベトナム戦争に従事すれば、グリーンカード(注)を与えると云う奇抜な交換条件で、当時の政権にとってリスクのない他国の人間を兵士として使ったことがある。 (注)「グリーンカード」とは制約の厳しい就労ビザとは違って、米国人と同様に自由に職業を選択することができる許可証。但し、選挙権はない。 ■85、タガンタガンの木 北マリアナ諸島に生えている樹木で一番よく目にするのはこの「タガンタガン」の木である。これは非常に繁殖力の強い木で、原産地は中米カリブ海諸島である。木と云っても潅木で幹の太さは腕くらい、背丈は3〜4mくらいにしか成長しない。 では、なぜ、遥かカリブ海のものが北マリアナ諸島にこれほど多く繁殖しているかと云うと、60年ほど前の太平洋戦争末期に、米軍の集中砲火で草木が焼けて、岩山だけになってしまったテニアン島に、早急に緑を回復するために、米軍が飛行機で上空から繁殖力の強い「タガンタガン」の種を蒔いたのである。しかし、本音の部分は、そこかしこに転がっている戦闘の記憶(主に死体など)を覆い隠すためである。 米軍としては、気候がよく似ているカリブ海のものならテニアンでも生えてくるだろうと考えたのである。それは「ビンゴ」であった。現在、テニアン上空から、緑の絨毯のように一面に広がって見えるのがこの「タガンタガン」の樹海である。そして、その種が風や海流に乗って運ばれたりして、今ではサイパンやロタやグアムなど近隣の島々でも広く繁殖して、これらの島々に昔から生息していたかのようである。 問題なのは「タガンタガン」の木は繁殖力が強すぎて、北マリアナ諸島に自生している植物(バナナ、パパイヤ、タロイモなど農作物も含む)を淘汰してしまうことである。さらに、この木には食べることができる実(フルーツ)が生らないので、島民にとっては余り役に立つ木とは考えていない。「絹さや」のような形をした殻の堅い豆のような実が生るだけである。もちろん、食べることはできない。 では、島民達はこの木をどのように日常生活に利用しているかと云うと、幹がまっすぐで堅く、その太さが揃っている性質を利用して、祭り用の小屋を作ったり、ベンチを作ったりする。しかも、道具はノコギリと金づちと釘だけである。これがまた、上手に、しかも短時間で作ってしまうのである。こういうことに関しては、チャモロ人の才能にはいつも驚かされる。他には、幹を薪に利用したり、BBQ用の炭を作ったりする。テニアンでは「絹さや」のような殻と実の部分を採って、それに糸を通して歓迎用の首飾り(現地では「レイ」と呼ぶ)にする。これはテニアン独特の習慣である。 しかし、不思議なことに、これほど繁殖力が強い木なのに、台風などで海水の飛沫が直接降り掛かると、その部分は白く変色して枯れてしまうのである。意外にも、塩水には弱いのである。サイパンのバンザイクリフ一帯やテニアンの潮吹き海岸付近ではその現象(木の上半分が白く枯れてしまう)が数多く見られる。 ■84、北マリアナ諸島の水道事情@ ロタ、テニアン、サイパンの水道水の水源は地下水に依存している。水はけの非常に良いサンゴの隆起(石灰岩)によって成っているこのような小さな島々にも地下水は存在するから不思議である。さらに、地下水には欠かせない山と云っても標高500mクラスのサイパンのタポチョ山とロタのサバナ高原くらいしかないのである。テニアンにおいては山と云っても丘程度のものしかない。 これらの島における地下水の摂取の方法は井戸と湧き水の2つの方法に頼っている。井戸水に関しては、「フレッシュ・ウォーター・レンズ現象」と呼ばれる地下の真水水塊から汲み取る方法である。これは地下に浸透した雨水が、地下に浸透している海水部分の上部に、比重の関係で真水が凸レンズ状に盛り上がって溜まる現象である。この部分に向けて井戸を掘り、この水塊から真水を汲み上げる方法である。但し、全部汲み上げてしまうと下層の海水が混じってしまうので、凸レンズを形成している一定部分の真水は残しておかねばならない。湧き水に関しては、海水面より上にある多孔性の地質に含まれた水や水を通さない地質層の上に溜まった水が湧き水となって地表に出てくる。 サイパンではタポチョ山ろく等々からの井戸水摂取に加えて、島の西側タナパク地区と東側のダンダン地区とドンニー地区にある3箇所の湧水が水源となっている。ロタではサバナ高原からの湧水が水源の全てとなっており、井戸はない。テニアンでも南東部にあるマッピ山(山と云うより丘)からの湧水が唯一の水源で井戸はない。 その水質に関しては、サイパンの水道水は塩分が少し含まれており、飲料水や料理には使えない。但し、日本資本系ホテルでは独自の浄水器を設置しているので、水道水をそのまま飲んでも問題はない。ロタの湧水は非常に美味しく、また、良質で水道水は蛇口からそのまま飲むことが出来る。それを利用して「ロタ・クリスタル」というペットボトル水を販売しているくらいである。テニアンの水道水はロタほど良質ではないが、昔から島民達はそのまま飲んだり、料理に使ったりしている。味はイマイチだが、健康には問題はない。 大部分の観光ガイドブックや旅行社から送られてくるツアー案内には北マリアナ諸島の生水は飲めないと書いてあるが、それは調べもしていないい加減な情報である。特に、ロタ、テニアンの情報については非常に貧弱なのが現状である。 因みに、北マリアナ諸島で水と電気を管理・供給しているのはCUC(Commonwealth Utility Corporation/コモンウェルス公益事業公社)という役所である。井戸を掘ったり、道路に水道管を埋めたり、また、電柱を建てたりするのもCUCの仕事である。 ■83、北マリアナ諸島のコック・ファイト(闘鶏) 北マリアナ諸島は日本と違ってコック・ファイト(闘鶏)は合法として認められている。コック・ファイトとは雄の鶏同士を戦わせ、その勝ち負けを賭けの対象にするものである。鶏の喧嘩は足のツメで相手の首や胸を切り裂く習性がある。その習性を利用して、ツメにナイフを括り付けて戦わせるのである。 毎週末に開催されて、夜の9時頃から明け方まで、約20番ほどの勝負が行われる。なかには、一晩で数千ドルから数万ドルも勝つ場合があるという。観光客も地元の人と同じ様に参加することできる。機会があれば、ぜひ、トライされては・・? その勝負は一瞬――数秒から数分――で終わる。負けた鶏は死ぬ運命にある。残酷なゲームではあるが、こんなことは世界中にゴマンとある。当然、動物愛護団体からは非難轟々であるが、北マリアナ諸島では闘鶏をスポーツの一種として捉えており、彼等の非難など「何処吹く風」全く意に介していない様子である。 不思議なことに、ロタには闘鶏場(地元では「アリーナ」と呼ぶ)がないのである。だから、公式?の闘鶏はロタでは行われていないが、好きな人たちが集まって個人的に楽しんでいる。サイパンはシュガーキング公園の近くに、テニアンはタガストーン公園の近くに各々アリーナがある。因みに、最高の闘鶏は日本の軍鶏(シャモ)と云うことである。 ■82、台風BBQ(バーベキュー) 北マリアナ諸島には「タイフーンBBQ」と云われるもの(習慣?)がある。これはどういうものかと云うと、台風が島を直撃しそうだということが判明したら、その前に冷蔵庫に入っている肉や魚をBBQにして食べてしまおうと云うものである。 その理由は簡単である。台風が直撃するとこれらの島々は必ず停電になる。熱帯地域であるため、停電になると冷蔵庫の内の肉類はスグに腐ってしまうからである。また、マリアナ諸島の大部分の家庭が電気コンロで料理しているため、停電になると煮たり焼いたりの火を使う料理は一切できないのも台風BBQをする理由の一つである。 どこの一般家庭にも、こういう時の為に、普段からBBQ用の炭(チャコール)は買い溜めしてストックしてある。これがマリアナ諸島の生活の知恵である。マリアナ地域のBBQは肉を炭火(遠赤外線)で時間を掛けてじっくり焼き上げていく(だから、超美味い!)もので、芯までシッカリ火が通っている。だから、台風が通過する間の1〜2日間は腐らずに、それが家族の食糧になるのである。 但し、魚はよく焼いても足が速い(腐り易い)ので、先ず最初に食べてしまわなくてはならない。因みに、味に拘るレストランやホテルではガス・コンロで料理している所もある。 この界隈の台風情報はグアム島にある米軍基地から発進されているので、比較的早い段階から正確に把握することができる。気象衛星の違いだろうが、日本の気象庁データよりもこの米軍データの方が情報が正確で早い。 ■81、マリアナ諸島における美人の条件 所変われば、美人の条件は違ってくるものである。マリアナ諸島における美人の条件とは、何と言ってもポッチャリと肥っていることである。痩せてスリムなことが美人の条件となっている欧米や日本の価値観はここでは意味をなさないのである。それなりに肥って、胸もお尻も大きくなければモテないのである。 チャモロ人のオバちゃんたちの多くがデーンと肥っているのはこのような理由の延長線上にあるためである。概して、チャモロ人は子供の頃はガリガリに痩せているが、年頃になってくると何故か皆突然肥ってくるのである。それは年頃になってくると、肥ろうとして、たくさん食べるからである。 テニアン島KFC組のエバ・デラクルズが丁度これに当たる。彼女は痩せている(普通の体型と思うのだが・・・)と言って、肥るため、いつもご飯は大盛り、オヤツにドーナツを山ほど食べている。でも、DNAの所為か、なかなか肥らないのである。また、どこの国でも、美人と云えば、「ミス・〜」である。ここ北マリアナ諸島にも「ミス・マリアナ」や「ミス・ロタ」や「ミス・テニアン」という女性が毎年選出される。 しかし、これは公正な選出によるものではなく、その父親が政治家であったり、家が裕福であったり、またそのファミリーの力が強大であったり等々の政治的な要素による処が非常に大きいのが現実である。女の子個人の資質はあまり重要ではないのである。この辺が如何にも北マリアナ諸島らしい。 ■80、サッポロ一番とスパム(SPAM) 北マリアナ諸島の人たちの普段の食事は非常に質素である。ご飯におかずが1品と云うのが一般的な食事である。豪華なバーベキュー(BBQ)は特別な食事であって、お祝い事や客人のもてなし用のご馳走なので、普段は食べることはない。 庶民の食べ物としての定番は何と云っても「サッポロ一番」と「スパム」缶詰である。「サッポロ一番」は一袋50セントくらいの即席ラーメンである。味は日本の物と全く同じである。しかし、マリアナではミソ味ではなく醤油味でなくてはならないのである(ミソ味は売られていない)。これにチャーシューの代わりにスパムをスライスしたものをのせればちょっとしたご馳走に早や代わりするのである。これまた「サッポロ一番」に「スパム」がよく合うのである。 また、ローカル・レストランでラーメンを注文しても、この「サッポロ一番」に野菜炒めがのって出てくることが多々ある。それくらい「サッポロ一番」は庶民に愛されている食べ物なのである。これが日本のものと云うのが嬉しい。 「スパム」とは脂肪の多いハムのような肉が長方形の缶詰の形で売られている。缶から取り出して、そのままスライスしてご飯のおかずにしたり、おにぎりや巻寿司の具にしたりもする。最近では、健康志向が強く、牛肉だけでなく脂肪分の少ないターキー肉のスパム缶詰なども売られている。 さらに、何とマリアナ諸島向けスペシャル・バージョンも発売されている。それは「HOT & SPICY」バージョンと云い、牛肉のスパムにタバスコがドッサリ練りこんである。激辛の唐辛子を好むマリアナ諸島の人たちには人気の一品である。一缶約2ドルと安い。どこのスーパーマーケットに行っても、「スパム」缶と「サッポロ一番」は人目の付く所に山と積んで売られている。代表的な庶民の味である。 ■79、恐るべし、熱帯台風 台風は赤道付近で発生する。しかし、最初は熱帯性低気圧で「トロピカル・ストーム」と呼ばれる。そして、これの勢力を増したものが台風と呼ばれる。最初から台風そのものが発生するわけではない。 北マリアナ諸島では、台風の大きさはコンディション1〜5までの5段階に分類されている。コンディション1では、その強風で、風を受け易い樹木は倒れたり、折れたり、さらに、木造やトタン造りの屋根や塀は吹っ飛んでしまったりする。また、電柱が倒れたり、倒木が電線を切ったりして停電が発生したりもする。この状態では、人間が屋外を歩くことは困難である。 しかし、コンディション1では枝のない椰子の木が折れたり、車が吹き飛ばされたりすることはない。そして、コンディション1の発令と同時に知事通達が発令され、学校や政府機関(警察と消防署を除き)は、一斉に臨時閉鎖となる。 2004年6月27日(第2回エスケープ・フロム・マニャガハ島大会の翌日)にサイパン島を直撃した台風8号「現地名Tingting」がこのコンディション1に当たる。因みに、この時の瞬間最大風速は100kmを記録した。また、雨も前が見えず、息苦しさを覚える位のものであった。 それでは、コンディション5はどんな勢力を持った台風かと云うと、これは椰子の木や車やバスまでもを吹き飛ばすパワーを持っている。当然、人間も屋外に居れば、遥か海上まで一瞬に吹き飛ばしてしまう。鉄筋コンクリート造り以外の建物は全部破壊されてしまう。 さらに、大波によって海水位が異常上昇し、ビーチ沿いの道路や家屋は海水に浸かってしまう。2002年12月にグアム島とロタ島を直撃したスーパー台風「ポンソナ」がこれに当たる。この台風は、低地にあるロタ島ソンソン村を海水位上昇で水没させ、ロタ島東港のセメント造りの桟橋さえも破壊してしまった。 また、グアム島にある多くのホテルにも甚大な被害を与えた――この保障費用でイギリスの老舗保険会社「ロイド」が経営不振に陥ったと云われている。この影響で、グアム島の第一ホテルやトロピカーナ・ホテルなどは2年が経つのに未だ(2004年7月現在)に再開出来ていない。 また、農作物やフルーツなども壊滅させてしまい、それが復活するまでには1年以上の長い時間を要する。恐るべし、熱帯台風である。しかし、毎年台風が北マリアナ諸島に上陸するわけではない。 ■78、お土産にはマックが一番? 北マリアナ諸島ではサイパン島にしか「マクドナルド」店はない。「マック」または「マックダーノ」と言い「マクドナルド」といは呼ばない。「マック」はサイパンには2店舗ほどある。日本ではマック・バーガーは「安い」「不味い」の代名詞のような食べ物に考えられているが、「マック」店のないテニアン島やロタ島の島民の間では、マックを食べることは自慢であり、ステータスでもある。「マック」を食べたということは友人たちに自慢できる出来事なのである。 だから、例えば、ロタの人がサイパンへ行く時は友人や親戚から「マックを買って来て」とよく頼まれる。時には、一人で20個もの「ビッグマック」をお土産に買って帰ることもあるくらいである。 ロタやテニアンには美味いものがいっぱいあるのに何故あんなジャンクで不味いものを、と思ってしまうが、理由はマックが美味いからではないのである。「マック」というグローバルなものを喰って、皆(先進国)の仲間に入りたいのである。 ■77、北マリアナ諸島のコインランドリー文化 北マリアナ諸島にはコインランドリーが至る所にたくさん見られる。日本と違って島民の大部分が洗濯にはコインランドリーを利用するのである。 その主な理由は、 @日差しは強烈に強いのだが、スコールがよく来るので太陽で乾かすのが困難である。 A家で洗濯機と乾燥機を買うよりもコインランドリーの方が安くあがる。大体、洗濯機一杯分の衣類を洗って乾かすのに2jから3jくらいでできる。 そして、最も大きな理由は、B我々日本人には想像も付かないことだが、ロタ島以外の島(サイパンやテニアン)では水道水に僅かながら塩分が含まれているので、家庭では洗濯石鹸の泡立ちが悪く汚れが落ちないのである。だから、コインランドリーが大賑わいなのである。 なぜなら、コインランドリーで使用する水は真水(雨水)なのである。だから、どこのコインランドリーにもスコールの時の雨水を溜めておく大きなタンクをいくつか備えている。これは小さな島であるが故の素晴らしい知恵である。ちなみに、ロタ島の水道水は上質の真水で、蛇口からそのまま飲むことができる。 ■76、野生のゴーヤ(ニガ瓜) マリアナ諸島(グァム島も含む)には珍しい野生のゴーヤが自生している。一般にスーパーマーケットで売られているゴーヤは品種改良されたもので、農作物として人工的に栽培されているものである。これに対して野生のゴーヤは非常に小さくて可愛いのである。外見の色や形や表面のブツブツも全く同じで、プチ・ゴーヤと言ったところである。その大きさは3〜10cmのものがほとんどである。 味については、野生物だから非常に苦いと考え勝ちだが、意に反して、野生のゴーヤは苦味が少ないのである。朝市やフリーマーケットなどで時々売られている。食べ頃は緑色のモノだが熟れすぎるとオレンジ色に変って食べることができない。 ■75、山羊島(ゴート・アイランド) 北マリアナ諸島にヤギ島(ゴート・アイランド)と呼ばれる小さな島がテニアンの南約9kmの所にある。テニアン島タガビーチのスグ沖に浮かんでいる。正式名はアグィグアン(Aguiguan)島と言う。そして、行政区分ではテニアン政庁に属する。 この島は無人島で野生のヤギが多く生息しているので、この呼び名が付いている。マリアナ諸島で野生のヤギが生息しているのはこの島だけである。では、なぜ、この島だけにヤギが多く生息してるのかと云えば、むかし日本時代に日本人が家畜としてヤギを連れて行ったのがそもそもの始まりである。 戦前、日本がマリアナ諸島を統治していた時代、この島でサトウキビ栽培を行っていた。当時、そのための日本人村がこの島にあった。その時に家畜として連れて行ったのがヤギで、それが繁殖を繰り返して今も生き残っているのである。現地でもこのことは意外に知られていない。テニアンの人々は時々ヤギを捕まえに時々この島に出掛けて行く。だから、テニアンではヤギを飼っている家が多いのである ■74、北マリアナ諸島と火事 北マリアナ諸島では日本のように一般住宅が火事になることは殆んどない。その原因は、一般的な家屋の造りが木造ではなく鉄筋、または、ブロック造りという燃えにくい構造になっていることや日々の炊事には日本のようにガスは使わず蚊取り線香のよな形をした電気コンロを使うということがその主な理由である。だから、どこの島の消防署も非常に暇である。 また、自然発火による山火事は乾季や大きな台風の直後によく発生するが、これらの消火の為にも消防車が出動することはない。自然に消えるまで放っておくのである。 ■73、北マリアナ諸島の社会構造と人種の関係 2003年現在、北マリアナ諸島には約7万人の人々が住んでいる。一番多いのはフィリピン人で約30%(約20,000人)、2番目に多いのは現地人であるチャモロ人で約20%(約15,000人)、3番目に多いのは中国人の18%(13,000人)である。その他に、韓国人、カロリニアン、ミクロネシア人、バングラデシュ人、アメリカ人、ロシア人、日本人等々が住んでいる。ちなみに、日本人は僅か2%(約1400人)程度である。そして、チャモロ人、カロリニアン、アメリカ人以外の大部分は出稼ぎ労働者と考えて良い。 北マリアナ諸島の社会構造は人種によって職業の色分けがされている。役所や警察などの政府機関で働く公務員は殆ど全員がチャモロ人で占められている。フィリピン人は頭もよく、英語もよくできるので、この島の主要産業である観光業やサービス業に多い。特に、ホテルやレストラン従業員、レンタカー会社やガソリンスタンドの従業員、各企業の経理・会計係は殆んどフィリピン人である。フィリピン人がいなくては北マリアナ諸島の社会は成り立たないのが現状である。 中国人はTシャツなどの縫製工場で働く従業員が殆んどである。北マリアナ諸島では縫製業は観光業と肩を並べるくらい重要な産業であり、政府の主要財源(追記:2005年に縫製業はほとんどが赤字に転落し、閉鎖された。)でもある。バングラディシュ人は農作業や道路工事などの力仕事に付くのが一般的である。アメリカ人は医者、学校の先生、弁護士などの知的職業に付くのが殆んどである。日本人は現地旅行会社やホテル関係者、ダイビング関係者が多い。 ■72、ノニの宝庫、北マリアナ諸島 熱帯の不思議なフルーツと呼ばれている「ノニ」。ノニは熱帯地方に広く分布しており、ハワイ、タヒチ、東南アジア、石垣島などにもあり、別にこれと言って珍しいものではない。有名なところでは「ハワイアン・ノニ」、「タヒチアン・ノニ」という名称で日本でも健康食品として売られている。 当然、北マリアナ諸島にもたくさん自生している。そして、不思議なことに古代からどの地方でも「万病の薬」として重宝がられてきたのである。北マリアナ諸島ではそれを「ラダ」と呼び、大昔から「チャモロ・メディシン」(北マリアナ諸島の人々のことをチャモロ人という)として利用されてきた。サイパンでも、テニアンでも、ロタでもジャングル奥深く入らなくても、道路脇に容易にそれを見ることができる。 現在、北マリアナ諸島で一番たくさん生えているのは豊かな自然が残っているロタ島である。昔からこの地域ではノニの薬効効果が高いことは実証済みであるが、その匂いは堪らなく臭い。採り立ての青く新鮮なうちはまだ我慢できるのだが、採って、半日も置くと黄色く変色してきて、強烈に臭い匂いを発する。暑い車内に置忘れでもしたら、もう最悪である。フルーツというイメージからは程遠い。「実」と呼んだ方がしっくりくる。 フルーツの王様「ドリアン」とは種類の違う匂いで、嗚咽をもよおしそうな匂いである。これの飲み方は3通りある。最も臭いのは実を煎じて飲む方法である。かつて、痛風を患っている友人にそれを勧めたところ、余りの臭さに「これを飲むくらいだったら、痛風のままの方が良い。」と言って飲まなかったほどでる(分かる気がする)。少しマシなのは青い実を新鮮なうちに絞ってジュースにして飲む方法である。これも相当臭いが、煎じるよりマシ。誰でも飲めるのは、粉末にしたものををカプセルに詰めたものである。 ノニ効果かどうかは定かでないが、北マリアナ諸島にも80〜90歳の老人はたくさんいるが、老人性痴呆症になっている老人は殆どいない。中でも、豊富に実っているノニを今なお常備薬として利用しているロタでは、不思議なことに老人性痴呆症の老人は皆無なのである。 しかし、最近は北マリアナ諸島でも米国から入ってきている市販の薬を使う人が殆どで、特に若者は、臭いノニなど使おうとはしない。 ■71、マリアナ諸島の不思議? グァム島、サイパン島、テニアン島にはカボチャが生るのに、ロタ島だけには何故か昔からカボチャが生らないのである。これらの島々は気候も、土壌も大した違いのないマリアナ諸島にあるのに、カボチャにとっては何か大きな障害になるものがロタ島にはあるようなのである。 グアムやサイパンなどでは、ゴミ捨て場に捨てられた種から自然にカボチャが生っていることがよくある。この地域ではそれくらい育ちやすい野菜なのに何故かロタでは生らないのである。不思議である。 また、これ以外にも、ロタは他の3島とは違う点がある。それは、マリアナ諸島の人たちの食生活には欠かすことができない準主食のタロ芋の味である。ロタ産のタロ芋はホコホコして美味しいのだが、他の3島のタロ芋は水っぽくて食えたものではない。食べてみれば、その味の違いは一目瞭然である。だから、他の3島の人たちはロタ産のタロ芋を買い求める。 次は水に関してである。ロタの湧き水は良質なので、水道水をそのまま飲むことができる。日本時代にはその水で日本酒を造っていたことは有名な話である。ちなみに、グアムの水道水には石灰質が多く、水は白く感じる。サイパンとテニアンの水道水はやや塩辛く感じる。同じマリアナ諸島の島なのにこれらの違いは何故なのか、不思議である。 ■70、北マリアナ諸島の野菜事情 この地域で栽培される野菜は想像以上に豊富な種類にのぼる。街のスーパーマーケットに並べられている野菜は輸入物がたくさん混ざっているが、地元の朝市で売られているものはマリアナで栽培されたものだけである。 そこにはどんな種類のものがあるかというと、ナス(日本の物とより大きく、皮は硬い)、ゴーヤ(ニガウリ)、トマト、タロ芋、ヤム芋、さつま芋、ピーマン、アボガド、料理用バナナ(炊くと酸味があって美味い)、カボチャ、カンコン(空心菜)、大根(日本の物より小さく水分が少ない)、オクラ、巨大オクラ(長さが30〜50cmもある、味は知らない)、ローカルレモン(シークァサー)、長ネギ、キュウリ(日本のものより大振りで皮が硬い)唐辛子、瓜、パパイヤ(青い漬物用のもの)、冬瓜、等々である。それに、トロピカルフルーツが一年を通して豊富に実るので、食には不自由しない島である。だから、現地の人はよく太った人が多い。 ■69、貴重な山パパイヤ 北マリアナ諸島には珍しいマウンテン・パパイヤ(山パパイヤ)というものがある。我々がスーパーマーケットで目にする普通のパパイヤとは種類が少し違う。その形はラグビーボールのような大きさで、楕円形をしており、大ぶりのものが多い。大きいものではラグビーボールを一回り大きくした位のものもある。一人で一度に一個丸ごと食べ切ってしまうのは苦しい。 一般のものは果肉が黄色であるのに対し、山パパイヤはオレンジ色をしている。そして、味に関しても山パパイヤの方が遥かに美味い。ちなみに、この地域ではパパイアのことを栄養バランスが良いので「医者要らず」の食べ物と呼んで、病気の時などはこれを食べる。また、熟れる前の青い硬いパパイヤはスライスして漬物にして食べる習慣がある。その食感は「タクアン」と似ており、生姜と唐辛子とニンニクのスパイスが効いて非常に美味い。 ■68、マリアナ諸島における住宅用不動産価値評価基準 ポリネシアやメラネシアを始めとする世界中のほとんどの島々は海辺より山手に居を構える方がステイタスが高いとされ、裕福な人達は山手に暮らしている。 これはマリアナ諸島においても同じことが言える。山手や高台にある見晴らしの良い場所にある土地が最も価値が高いのである。日本と違って、道路に面しているか、いないか、はそれほど重要ではない。山は造ることはできないが、道路は造ればよいのである。逆に、見晴らしの良くない土地は、例え道路に面していてもその価値は半分くらいしかない。 ■67、北マリアナ諸島の朝 マリアナ諸島の朝は早い。例えば、学校は朝6時に授業が始まる。そして、スクールバスは早朝5時から運行を開始して、学校から遠く離れている地区の生徒から順番に拾って行く。だから、大部分の家庭は4時頃に起きて朝食の準備し、一日が始まるのである。 ちなみに、一般の会社や商店は7時にオープンする。市役所等の政府機関は8時に始まる。また、生徒たちの下校は昼食を食べて、午後1時には始まる。もちろん、全員スクールバスでの送迎である。だから、マリアナの子供たちは学校帰りに道草をするということは先ずない。 また、我々と関係が深いトライアスロンやオーシャンスイム等のスポーツイベントも開始時間が日本人にとっては非常に早朝に感じるが、毎朝4:00頃に起き出す現地の人にとってはそんなことはないのである。朝の早いマリアナの人たちは床に就くのも早い、9時頃には寝るのが一般的である。 ■66、BBQへのこだわり 北マリアナ諸島の現地チャモロ人はBBQ(バーベキュー)には非常にこだわる。BBQを作ることや食べることは重要なチャモロ文化の一つなのである。彼等のBBQは肉を切って、焼いて、ソースを付けて食べるという簡単なものではい。 先ず、前日に肉に下味を付けるのである。これが非常に大切で、この工程で味の良し悪しが決ると言っても過言ではない。下味の材料は家庭によって多少異なるが、ローカル・レモン(ヒラミレモンまたはカラマンシーとも言う)の汁、醤油、唐辛子、味の素、ニンニク、玉ネギ、それにビールか水を加えた薄味のタレに肉を一晩漬け込んでおく。 そして、肉にもこだわる。牛なら、骨付きのショートリブかスペアリブ、豚ならスペアリブ、鶏はぶつ切りにした骨付き肉を使う。さらに、皮が付いている鶏肉の場合は、その皮を半分くらいを切り取って、皮下脂肪の量を調整する。多くても少なくても美味くない。この時、味が落ちるので全部取り除いてしまうことはしない。これがチキンを焼く時の重要なポイントである。 肉を焼きに入る前に肉をのせる網をバナナの葉っぱで拭く。こうすると焼く時に肉が網に引っ付かないという。そして、次に焼く時は炭火で時間を掛けてじっくり焼く。餅を焼く時のように焦げないように何度もひっくり返すという工程を繰り返す。落ちた肉の脂で炎が出ると水を炭に掛けながら焼く。 そしてこの焼き上がった肉を食べる時に、「フィナデニ」を付けるとさらに美味くなる。「フィナデニ」とはマリアナ諸島独特のタレで、醤油(醤油のことはキッコーマンと言う)にローカル・レモンの絞り汁とペースト状にした唐辛子を加えたもの。このペースト状の唐辛子は激辛の唐辛子を磨り潰し、少量のニンニク、塩、生姜などを加えたもので、どこの家庭にも手作りの物が常備してある。 そして、この肉を焼くという作業は男姓の仕事で女姓にはさせないという昔からの暗黙のシキタリがある。この伝統のやり方で作られたBBQは本当に美味い!しかし、この素晴らしいマリアナ諸島のBBQ文化も現在のアメリカナイズされた若者には受け継がれていないように思える。今では伝統に従って美味いBBQを作れる若者は少ないのが現状である。 このBBQは歓迎用の持て成し料理で、決してレストランでは味わえない。日本人がマリアナ諸島伝統の味を受け継いだBBQを味わおうとすれば、毎年11月にロタ島で開催される「ロタブルー・トライアスロン大会」のアワード・パーティに出席するのが最もよい方法である。 ■65、威厳あるマリアナの親父 北マリアナ諸島では今日でも親父の威厳は絶大である。一家の長である親父の「言い付け」や「やる事」に子供やちは逆らうことはできない、いや、しないのである。そして、息子に悪い所があれば、親父は遠慮なくカミナリを落とす。 例えば、知人のジュリアン・カルボ(2007年追記:現在はロタヘルスセンターという公立病院の院長をやっている)が30過ぎの息子に説教をしていた時のこと。息子は地面に正座してうな垂れている。親父はその正面に仁王立ちになり、腰に手を当て、近所に聞こえるほど大声でガミガミ説教している。その原因というのが夜遊びで、朝寝坊して仕事に遅刻したことを叱っているのである。その息子というのは、今、東港でバナナボートなどを運営しているデルバート(自称ジローさん)で、決しグーたらなバカ息子ではない。(2007年追記:3年ほど前からケープエアーのフライトアテンダントをしている) そして、数日後、面白い光景を眼にした。それはデルバートが年下の従兄弟達を目前に正座させてガミガミ説教を打っているのである。まるで、父親に自分がやれた時と同じ様に、である また、ファミリー(一族)の中でも年長者の威厳は絶大でる。 例えば、親戚一同が集まって何か行事をやる時などは、そのファミリーの年長者が『右』と言えば皆がそれに従うのである。普段は威張っている一家の長である親父たちもそういう場に行けば、叔父などの年長者の前では唯の「ぺーぺー」な立場なのである。 現在の日本では見られなくなった年配者を敬うという「古き良き日本」が北マリアナ諸島には残っているのである。 ■64、今後北マリアナ諸島が進むべき道のひとつ指針! 「常夏の島サイパンの不思議なパワー」で以前にも取上げたことがある人物の記事がマリアナの情報誌「マリアナ・ビーチ・プレス」2004年1月号に載っていた。これにはフルネームが載っているので、このサイトでも名前を伏せる必要はないであろう。この人は75歳になる岡田久米時治さん、滋賀県で長年に亘って麻の問屋を営んでおられた方である。おそらく、日本一の麻問屋で、日本全国を網羅されていた。 現在はサイパンで奥様とホテル住まいをされている。ホテル住まいといっても日本人観光客が泊まるビーチ沿いの高級ホテルではない。緑に囲まれた静かな高台にある韓国系資本の長期滞在型を兼ねた安いホテルである。 10年前、日本で拡張型心筋症に襲われ、心臓移植以外に治る方法はないと主治医に告げられたのである。そして、動くことともままならなくなったのである。そこで、暖かい所に行けば、少しは身体が楽になるかもしれない、と主治医に告げられ、4年前に産まれて初めてサイパンに来られたのである。すると、岡田さんの身体に不思議なことが起こった。身体中の筋肉を弛緩させる暖かい気候、息のし易い湿った綺麗な空気、これで岡田さんの身体はグングン回復して、一人では歩くことが出来なかった身体が、今では車の運転をしたり、ウォーキング大会に参加したりできるまでに回復したのである。マリアナ・パワーである。この岡田さんの驚異の回復に驚き、日本医師会もマリアナ・パワーについて研究を始めている。 確かに、健康な我々でもマリアナ諸島に来ると自然と身体がリラックスして、身体が生き返ったような感じになる。咳などもしなくなるし、肌に潤いが出てくるのがわかる。原因はこの熱帯の気候(空気)であることは間違いない。これを機にマリアナはこの気候を「売り」にして、これまでの観光だけでなく、保養地マリアナということで観光客?を誘致することも十分可能である。 特に日本は今後高齢化が進むことがはっきりしているので、このプロジェクトは成功する可能性が非常に高い。グアムでも東南アジアでも気候に関してはよく似ているが、北マリアナ諸島は日本に近く、豊かな自然が多く残っており、治安もよく、法整備も進んでおり、価値観も日本と変わらない。そして何と言っても、米国自治領なので、米ドル経済圏というメリットがある。 かつて、岡田さんほどの重病人がサイパンに保養に訪れることがなかったので、このマリアナの不思議なパワーが分からなかっただけのことである。これが分かった以上、長生きするためにも、これからの年金生活は北マリアナ諸島が絶対にお薦めである。 ■63 ブラザー! マリアナ諸島の人(チャモロ人)たちは非常に親しい友人のことを「ブラザー!(兄弟)」と呼ぶ。女性の場合は「シスター!」と呼ぶ。この「ブラザー」のランク付けは親友よりも遥かに上の最高ランクを示している。 例えば、「ブラザー」の関係になると、勝手に相手の家に上がりこんで、キッチンを使って料理しても、冷蔵庫の食糧を勝手に食べても、そのままその家に寝泊りしてもOKなのでである。必要とあれば、勝手に車を使ってももちろんOKである。相手が必要とあれば、自分のできることは何でもするという正に兄弟のような関係が「ブラザー」なのでである。 しかし、この関係になるには、長年の付き合いを通して強い信頼関係が構築できていなければならない。おそらく、マリアナ諸島でもチャモロ人と日本人との間で「ブラザー」と呼び合える絆を構築している人は一握りくらいしかいないであろう。ちなみに、チャモロ人と白人とは仲が悪いので「ブラザー」関係は絶対にあり得ない。これを書くと白人は怒るが事実だから仕方がない。 我々KFCもマリアナ諸島には友人や仲間はたくさんいるが、「ブラザー!」とお互いに呼び合えるの者は2人しかいない。ロタのジョセフ・ムンド・サントス(ジョー)とサイパンのジェームス・サントスだけである。 ■62マリアナのマリファナ! マリファナは大麻とも呼ばれ、麻薬の一種で北マリアナ諸島でも当然禁止されており、所持しているだけでも罰せられる。しかし、 この常夏の楽園にも隠れてマリファナをやっている奴はいる。どこの国でも悪い奴はいるのもである。 簡単な常習者の見分け方を伝授しよう。眼病でもないのに、いつも眼が赤く充血している奴はだいたいマリファナ常習者である。KFCの友人にもそんな奴はいる。そういう奴を「ピンク・アイ」と呼んでいる。しかし、正しくは「ピンク・アイ」とは眼が赤くなる結膜炎を指す 規制の甘かった20数年ほど前までは、マリファナを鉢に植えて民家の屋根上に隠して、自分用に栽培している人がいた。それを発見するために、警察はヘリを低空飛行で飛ばし上空からそれを摘発するということをやっていた。しかし、そんな光景は今では見ることはない。 ■61 北マリアナ諸島の道路! テニアン島ブロードウェイ道路以外の北マリアナ諸島(サイパン島、ロタ島、テニアン島)の主要道路は、その大部分が戦前の日本時代の鉄道跡地である。終戦後、レールを剥ぎ取った跡地が今も道路として使われているのである。 当時は砂糖が非常に高価だったため、サトウキビの生育に適したこれらの島々にはサトウキビ畑がたくさん作られていた。そして、そのサトウキビを畑から搬出運搬するために、日本資本の南洋興発鰍ェ鉄道を建設したのである。ロタトライアスロンのランコースには切り通しもあり、未だにその当時の鉄道の雰囲気を感じることができる。 テニアンのブロードウェイは大戦末期にアメリカ軍がテニアン港から原爆をトラックでB29爆撃機が飛び立つノースフィールド滑走路へ運ぶために建設した道路で、そのため一直線に島北部の滑走路に向かって延びている。原爆はテニアンまでは航路で運ばれて来たのである。 ■60、北マリアナ諸島のコーヒー文化! 北マリアナ諸島では日本で云うコーヒー専門店やコーヒー・ショップ(喫茶店)というものはなく、レストラン(ホテルも含む)のドリンク・メニューの中の一つにコーヒーがあると云った感じである。コーヒーは単なる脇役の存在でしかない。だから、北マリアナ諸島のコーヒーはどこで飲んでも、香りもなく、不味い。まるで、麦茶を煮出したような薄茶色の代物ばかりである。コーヒー好きには物足りない。値段は1〜2ドルと云ったところである。 日本と大きく違う習慣は、最初の一杯を飲み干して、お代りを継ぎ足してもらうことができるのである。代金は最初の1杯分を払うだけでよい。継ぎ足して欲しい時は、ウェイトレスに「refill」と言えばよい。何度繰り返してもOKである。ちょっと得意した気分になる。 例外として、サイパンのキャピタルヒルにある「コーヒー・ケア」だけは他の店と違って美味いコーヒーが飲める。ここでは日本で云う一般的な「ブレンド・コーヒー」のことを「ハウス・コーヒー」と呼ぶ。その味はスターバックスのものと似ている。他にもカプチーノやコーヒーフロートなど多くの種類のコーヒーが楽しめる。ここは北マリアナ諸島で唯一コーヒーの味に拘った貴重な店である。(後記:2006年に店のオーナーが米国人から韓国人に代わった。その為、店の客筋がかなり変ってきた。) ■59、サイパン・ガラパン地区整備計画! 今月中旬(2004年1月)からガラパン・ストリートを始めとするガラパン地区の道路整備工事が始まっている。これは以前から政府が計画していたもので、ハワイのように歩行者天国を作ったり、街の美観を整えたりする計画で、日本で云う都市整備計画の一種である。 個人的にはガラパン地区はクラブやマッサージなどのあのゴチャゴチャした東南アジアチックな部分が好きだったのだが・・・。良くも悪くもサイパンはハワイやグアムのマネをしようとするところがある。そんなことをする予算があれば、汚れがひどいガラパン地区の海の浄化をやって欲しいものである。それがサイパンの最優先課題だと思うのだが。 ■58、テニアン島の憂鬱! 昨年(03年)、テニアン島に従来の小型機用滑走路の北側にジャンボ機が着陸可能な大型滑走路が完成した。上空からみると立派な滑走路でサイパン国際空港の滑走路と何ら見劣りする所はない。これは外国からの大型チャーター便が直接テニアンに乗り入れることができるようにと考えて建設されたものである。 しかし、問題は現在の空港建物設備では大勢の観光客の入国審査はできない。なぜなら、現在は数人乗りのセスナ機の発着がメインの空港であるため、施設や入管職員数が数名しかいない。なぜ、最初からその点を考慮に入れなかったのかと思うでしょうが、その対応策は一応あったのである。それはジャンボ機(大型機)が到着した時だけサイパン国際空港からそれなりの入管職員を連れて来ようと計画していた。 しかし、折からの米国のイラク攻撃でサイパン空港の対テロ検査が厳しくなり、テニアンの回す人員の余裕が無くなってしまったのである。だから、せっかく造ったのに、未だ使用されていない。こんな所にもイラク戦争の影響が出ているのである。島の経済発展には、飛行機、滑走路、ホテルという3点セットがうまくマッチしなければならないのである。どう考えても、この島にダイナスティ・ホテルは大きすぎる また、滑走路と云えば、島北部にも大戦末期に造られたもの(全長2km)が4本(その内2本は草に覆われてはいるが・・)ある。なぜか、滑走路の多い島である。 ■57、マリアナ諸島の厄介なクラゲ! ダイビングやオーシャンスイムなどのマリンスポーツにとって厄介なのは「カツオノエボシ」というクラゲの出現である。日本近海のものは透明な身体の中に茶色の色素を持っているが、マリアナのものは茶色ではなくブルーの色素を持ており、日本のものとは少し違う。正確な英語名は知らない。現地の人は単に「ジェーリー・フィシュ(くらげ)」と呼ぶだけである。 その姿はビー玉くらいの小さな透明の頭に、透明な細長い脚(約1m〜2m)を数本持っている。透明なので注意してよく見ないと見つけることはできない。この細い脚の部分に触れると非常に痛い!まるで蜂に刺されたように痛いのである。かつて経験したことがあるが、悪寒が走り、一瞬身体が硬直する。このクラゲは自力で泳ぐことが出来ないため、いつも海面上をフラフラ漂っている。だから、クラゲの方から刺しに来ることはない。いつも同じ所にいる訳でもない。元来、沖にいるものであるが、潮や風で陸地近くに流されて来るのである。 殆どの場合は、ストームなどで海が荒れた直後などに、沖から海岸付近に群れで流されてくるのである。この時はその海域に入らない方がよい。ウェットスーツを着用しているダイバーでさえも、ダイビングを中止するくらいである。KFC主催のオーシャンスイム大会やトライアスロン大会の場合は必ず前もってコース上のクラゲの有無を調べる。最初から群れでいることが分かれば、安全のためレースは中止にしなければならない。 しかし、たまたま、数匹がレース中に流されて来て数人が刺されることがある。この場合はスイムを終えて上陸してきたら、直ちにお湯で薄めた酢(料理用の酢)を刺された箇所に付けるのである。これが最も良い治療方法なのである。そこには肉眼では見えないような透明の極小さな棘が刺さっているのでる。小さすぎて抜くことができないので、酢(酸)で溶かすのである。融けてしまえば痛みも消え、後遺症も残ることはない。だから、万が一の時に備え、我々はいつもフィニシュ地点に待機させている救急車の中には酢を用意してもらっているのである。 また、我々の経験からすると、日本人と現地チャモロ人は非常に痛がるのに、白人は意外と平気なのである。理由は分からないが、体質的なものが多分にあるように思える。この点をわきまえておく方が良い。 ■56、北マリアナ諸島のファーム(農場) 地元の人達の多くは「ファーム」という農場を所有している。その敷地面積は相当広いので、個人ではなくファミリー(一族)で共有している場合が多々ある。日本で云う農場とは少し趣が違う。我々日本人の眼からは、まるでジャングルにしか見えない「ファーム」が多い。バナナ、椰子、パパイヤ、レモンなどのフルーツの木が敷地内のあちらこちらに植えられ(生えている?)ており、その根本には主食であるタロ芋、ヤム芋、唐辛子などが、これまたあちらこちらに点々と植えてある。 さらに、同じ敷地内で、鶏や牛や豚などの家畜も放し飼い状態で飼育している。日本の農場のように整理整頓して、農産物を栽培したり、家畜を飼ったりはしていない。全てが「自然のまま」といった感じである。 そして、その敷地内には住むことができる家屋が建てられている。だから、週末などは「ファーム」に泊り込んで農産物や家畜の世話をしながらリラックスするのである。ちょうど別荘のような感覚である。これが北マリアナ諸島の「ファーム」なのである。 ■55、 北マリアナ諸島のナンバー・プレート事情 北マリアナで走っている自動車のナンバー・プレートには数字以外にも文字(アルファベット)が書いてあるものをよく見かける。例えば、自分の名前「CALVO」や会社の名称「KFC」など、また、知事の車は「GOVERNOR」、市長の車は「MAYOR」となっている。いたずらや冗談ではなく、これで正規に登録されているのである。 北マリアナでは車を購入すれば、警察で車のナンバー登録をして、ナンバープレートを交付してもらわなくてはいけない。この時、あえて希望がなければ、警察から数字付きナンバープレートを与えられる。しかし、希望すれば、自分の好みのアルファベット文字のナンバー・プレートを申請することもできる。登録費用はすべて同一金額の20ドルである。但し、誰かが同じ単語を先に申請していればその単語では登録出来ない。数字も希望の数字があれば、それを申請することができる。これに関しては早いもの勝ちである。 ■54、ロタ・ペッパー(唐辛子)とテニアン・ペッパー(唐辛子) マリアナ諸島の各家庭にはホットペッパー(唐辛子)をペースト状にしたものが常備してある。唐辛子に塩、生姜、ニンニクを少し加えて磨り潰すのである。その味は、各々の家庭によって微妙に異なり、日本で言う「お袋の味」的存在である。 材料となる唐辛子は小粒(米粒の2倍程度の大きさ)のものを使うのが一般的で、日本にあるものと比べると100倍は辛い。超激辛である。そのまま口に入れると、辛いという感覚を通り越して痛みを覚える。でも、島民達はこれを平気で食べるのである。 最も一般的な食べ方は「フィナデニ」という醤油ベースのソース(タレ)を作る時に入れる使い方である。このソースは醤油に、このホットペッパーのペーストと玉ネギ、ニンニク、味の素少々、それにカラマンシー(沖縄ではシークァーサーとも云う)をたっぷり絞って加えるのである。このソースはBBQや刺身などにもよく合う。また、白いご飯にそのまま掛けて食べても美味い。 ポイントはカラマンシーを使うところにある。日本で云う黄色い普通のレモンでは全く美味くない。このカラマンシーは日本のキンカンのような外見をしているが、その味は全く違う。また、テニアンでは、ロタやサイパンと違って、ペースト状のもの以外に、唐辛子を乾燥させて粉末状に加工したり(日本の一味に似ているが激辛)、ペースト状のものに酢を少し加えてドロドロの状態にしたりして使うこともする。これらは全て家庭の味であって、レストランでは見掛けることは殆どない。因みに、最近のサイパンではこの唐辛子はあまり栽培されていない。 ■53、北マリアナ諸島の言葉になった日本語 かつての約30年間の日本統治時代の名残なのだろう。北マリアナ諸島の日常会話の中に日本語が普通に使われている。 亀の子たわし、ブラシ、デッキブラシのことを「タワシ」、ビーチサンダルを「ゾウリ」、わさびはそのまま「ワサビ」、小松菜やほうれん草のような菜っ葉ものの野菜を「ナッパ」、刺身は「サシミ」と云う。笑えるものでは、男性用パンツも女性用パンツもパンツはすべて「サルマタ」と言い、頭が禿げていることや禿げている人のことを「ボウズ」、太っている人のことを「デブ」と云う。また、「ジャンケンポン」もそうである。 ■52、北アリアナ諸島の葬式 北マリアナ諸島の島民は皆カソリック教である。誰かが亡くなると9日間は「ロザリー」と呼ばれる儀式が行われる。その儀式とは9日間毎晩親戚たちが亡くなった人の家に集まってお祈りをし、故人を偲びながら皆でご飯を食べるのである。そして、それ「ロザリー」が終わった10日目に埋葬をする。この埋葬をする儀式を「フェネラル」と云う。カソリック教は火葬でなく土葬である。 ■51、北マリアナ諸島の労働賃金事情 法律で定められている北マリアナ諸島の1時間の最低労働賃金は僅か3ドル5セント(3百円強)である(後記:2007年から最低賃金は3ドル55セントに引き上げられた)。 マネージャー・クラスを除いて、北マリアナで働く大部分の労働者はこの最低賃金で働いているのが現状である。一日8時間働いたとしても、日給は精々25ドルほどにしかならないのである。日本とは比べものにならない程低い。だから、彼等にとってはレストランやホテル等で手にするチップは大切な収入源(忘れずにあげてくださいね)なのである。ホテルで一回数十ドルもする食事をする日本人は皆お金持ちに見えるのも無理はない。 しかし、北マリアナ諸島にとって、この低い最低賃金はデメリットばかりではなく、メリットもある。あまり知られていないが、サイパンはTシャツなどの縫製業が観光業に匹敵するくらい盛んな土地柄である。その理由はこの低い労働賃金のため製品(主にTシャツ)価格を米国本土企業よりも安く押えることができる。 そのため競争力が強く、Tシャツ生産に関しては、米国本土企業を圧倒している。そのため、度々米国議会から最低賃金を値上げるように圧力が掛かことがある。もちろん、サイパンで生産されるTシャツは「Made in USA」と印字することが許されている。(後記:2007年にはサイパンの縫製業は衰退してしまった) |