イベント報告

第4回ロタブルー・オーシャンスイム大会開催!!
2003年4月19日

■参加リポート 岩間 太
レース中の風景。青に輝くロタブルーを泳ぐ選手たち
「イヤー こりゃすごいや。話には聞いていたがこれほどとは。」 東港についてびっくり、ものすごい景色の変わりようである。あのボートが係留できた岸壁が無くなってるんだから。当然沖にあった5m位の高さのブイは影も形もなし。聞けばどこかの民家の庭先に転がっているとのこと。

ダイブロタも商品が流され少しの商品があるだけ。これだけ被害をこうむっても、この大会に架ける関係者の苦労は並大抵のものではないはず。まずは関係各位に感謝であります。



青の世界!水中でのデッドヒート!まるで空を飛んでいる見たい!さて、大会の模様を。午前6時頃から受け付けが始まり、選手もどんどんと集まってくる。しかし港にはまだ何も用意もしていない。本当に7時30分から始まるのか少し不安になる。しかし、そんな不安もなんのその、大会15分くらい前にはテントも立ち、沖にはブイも設置され、シャワーも完備され、いつもの大会の雰囲気になってきました。

ただ残念なのは、参加選手が今年は少ないこと。まあ、無理もないか。イラク戦争あり、SARSの影響もありで、外国に行くことが少し抵抗になっているのかと。





さて、大会は7時30分に予定どおり、まず1マイルのスタート。コースが今年は少し変わり、今まであった大きなブイがなくなった為、オレンジ色の三角ブイが1マイルのフニッシュ風景二つ設置され、1マイルはこの左側のブイを回って帰ってくるコース。



波は去年より大きくなくいいコンディション、しかし泳いでみると潮に流され風に流される。ブイを回ろうとしても何か変、右へ右へと流される。誰もいなかったのに、いつのまにか男女の泳いでいる姿が視界に入ってきた。加賀さんと、山田さんだった。ブイの方へ近づこうとすると二人の間に入ってしまう。これがブイを回るまで続いた。ブイを回りタンクを目標にして泳ぎだすと、しだいに二人は消えていってしまい、いつのまにか一人になってしまった。

レスキュー・カヤックを巧みに操るダイブロタのノノ 後で聞けば山田さんはこのとき私が離れていってしまったものだから、「行け行け、どんどんそっちへ行け」なんて思っていたらしい。加賀さんは加賀さんで、「あそこで競ってしまったから、ペースが崩れてしまった。」って言うし。そうです私が悪いんです。わたしが。というわけでソンソン村の方へ流されながら皆さん無事ゴールイン。


さあ、次は2マイルと4マイルのスタートです。ロタメイヤーの鳴らすホーンを皮切りに皆泳ぎだす。1マイルのときより少し波立ってきたような感じがします。一旦岸から離れると誰が誰だかわかりません。ブイ海底のカメラを持つダイバーに余裕のブイサイン!ロタブルーが美しい!の間隔が開いているのに行く選手と帰る選手がぶつかりそうになるのはどういう訳。皆さん勝手に泳いでますね。これがOWSの一つの見所なんでしょう。そのたびにカヤックが右往左往。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。中には、リーフの近くまで泳いでいる人もいる。危ない。危ない。カヤックが必死で止めている。


そして1時間もしない間に2マイルのトップが帰ってきた。サイパンから来た17歳の女の子。それから次々とビル・シャコビッチの教え子たちが入ってくる。すごい少女パワーだ。2マイルは沖の三角ブイを回り岸のリーフよりにあるブイを回っての2周回。それから次々と2マイルの選手が上がってくる。

そして、しばらくすると赤い帽子をかぶった4マイルのトップが見え出した。腕の筋肉を見ると男性のような感じに見える。しかし、背中に水着が見え隠れする、ということは女性だ。まもなく上がってきたのはやはり女性。グアムの兵隊さんと後で聞きました。この肉体ならばと納得したのは私だけでしょうか?
永峰さん、満足気に4マイルゴール!
そして、男性の1位はなんと4マイル中最年長60歳のビル・シャコビッチ選手。すごい、すごすぎる。年は関係ないのか?
それから2マイルと4マイルの選手が入り混じりながら、上陸してくる。皆さん泳ぎ終えた充実感が顔に出ていました。いつ見てもいいですね、とてもいい顔をしていました。そして館野さんが泳ぎ切る少し前にハプニング。風にあおられて「テントが、テントが飛んでいる。」
でも何とか飛んでいくのを抑えてうまく片付けることができました。「イヤーよかった。よかった。」レース結果はこちら
アワードパーティのために、夕方から楽しそうに肉を焼くロタの陽気な若者たち



そして夜は楽しいアワードパーティーが待っている。またビールが飲めると喜んでいる人が私の隣にいました。
楽しい夜がついにやってきました。テテトビーチでロタメイヤーがいつもの挨拶をしています。「ロタイズビューティフル。ロタイズデリーシャス。ロタイズフレンドリー。」もう覚えましたよ市長さん。

しばらくすると大会の縁の下の力持ち達が次々とやってきました。そして成績発表がおこなわれ宴もたけなわ。昼間飛んだテントが場所を変えて今度はその下で踊りが始まりました。みんな輪になり踊っています。いいですねこの雰囲気、最高です。

アワードパーティ、始まり始まり!先ずはBBQから! 次の日、東港に行ってみると海がロタブルーに輝いていました。台風の影響が少し残っていた大会当日は海の色がロタブルーでなかったけれど、今日はとてもきれいに光り輝いていました。この色はとてもカメラに収められるものではありません。来た人達だけの特権です。また来年も絶対来ようこの海を見に。ロタ島情報はこちら


こうして私達の大会が無事終わり、改めてロタの人々、MVAの人達、ダイブロタのマークやノノ達。セレナの林さん達。KFCの大西さん達。その他に手伝っていただいたたくさんの人々にこの場を借りてお礼を言います。「ありがとう。あなた達のおかげで私達は楽しむことができました。」そして今年一緒に泳いだ皆さんまた来年も会いましょう。このきれいな海で。








■KFC徒然
桟橋の残骸で、東港の中に出来た島で遊ぶ島の子供たち、台風、そして、また台風!?台風で折れた椰子の根元から若い椰子が芽を出していた。逞しい生命力を感じる。
本当にどの大会でも何か予期せぬ出来事やハプニング、課題が起こる。特に、自然の力は人間の力ではどうしようもできない。今回のロタブルー・オーシャンスイム大会は自然の力を嫌と言うほど見せ付けられた。


昨年12月9日に超大型台風(名称ポンソナ)がロタ島を直撃した。この台風は最大風速82mを記録し、この80年近くの間で最大級のものだったらしい。我々には82mと言ってもピンと来ないが、ココナツ椰子の葉が吹っ飛んで電柱のような柱になってしまい、大木ですら根っこごと倒され、木造家屋は吹っ飛んでしまい、車やボートや牛までも空に舞い上がってしまったという力だ。

台風直後の今年1月に皆さんからの災害復旧義援金を持参して、ロタの現状を見に行った。樹木や家がなく、何となく見通しが良い。これまでなら樹木が邪魔して見えなかった海も見えるようになていた。トライアスロンやオーシャンスイムで使う東港も駐車場の砂がえぐり取られて岩大会前日の試泳の風景。仮設のシャワーを浴びる選手たち場のよになっていた。船を横付けするセメントで作られていた桟橋も砕け消滅していた。おまけに米沿岸警備隊の大型船やオイルタンカーを海上に繋いでおく大きな大きなブイ(レースの時にいつも折り返しに使っている)まで、鎖ごと千切られ陸上に打ち上げられていた。
それでも、島の人達は大会をとても楽しみにしており、いつも120%のホスピタリティを発揮してくれるので、4月のオーシャンスイムまでには何とかレースができる状態にしてくれると確信していた。


そして、いよいよ4月がやって来て、我々がロタに行った時、ロタの人達はとても心配そうな顔をして出迎えてくれたのである。何とまた新しい大型台風2号(名称クジラ)がロタに近づいて来ていたのである。レーダー天気図を見てもグアム島のすぐ南にはっきりした目を持つ台風があった。このまま北上したら大会の2日前の東港の様子、またまたロタ島に直撃だ!「ガーン!」

到着翌朝のロタ市役所でのミーティング(毎回ロタに着いた翌朝に大会準備の段取りを決める恒例の打合せ)の冒頭で市長が「2日前には東港を完全に改修した」と切り出した。やっぱりチャモロ人はやる時はやると感謝した。がしかし、改修の翌日に台風クジラによる高波(ダイブロタ前の道路まで高波が来たそうだ)突貫工事による整備作業をする島民の人達で元の岩場に戻ってしまった、とガッカリした様子で続けた。そして、今も海は高波が続いて荒れている。ミーティングの場の雰囲気がいつもと違い暗い。
地元の人達は「どうする?開催する?」「判断はKFC次第だよ、我々はその決定に従うよ」と言う。

一度この大会のために、港を整備してくれた人達・・・・、再度同じように整備して、というのは資源も大型機材も乏しいこの島にリクエストするのには気が引けるが・・・。しかし、そんなことは知らず選手たちは2日後にはロタへ、ロタブルーの海を泳ぐのを楽しみに遥々やってくるのである。そして、この時点では台風は近づいてくるのか、それとも、去って行くのか判断できない。グァム米軍基地の気象課に問合せると、高波が残るので水泳は控えた方が良いという回答。またもや「ガ−ン!」

考え抜いた末、結局、これまでの経験から、多少の波風は残るかもしれないが、週末には終息するであろうと考え、予定通り東港を使ってロタブルー大会前日の東港を整備する島民、キレイになった!の海を泳ぐことで準備をすることにした。そして、再度、港整備の工事を頼んだ。申し訳ないので、この整備費用は全額KFCが負担することに。そして、台風が近づいた時のことも考え、第2(西港)、第3(ツィックスベリー・ビーチ)のオプションまで島民と一緒に考えていた。

方針が決まってからは、島民の人達、ダイブロタ、セレナのダイブショップの人達に感謝、感謝だった。荒れた港は突貫工事で1日で整備し、シャワー用の水道管も1日で仮設置し直した。また、ダイブショップの人達は、未だ、うねりがあり、波も高い海に何度も何度も船を出し、ブイ設置の準備をしてくれた。この時ばかりは、いつも時間に「の〜んびり」のチャモロタイムではなく、皆が前日にスイムブイの仮設置をするダイビングショップ部隊の人達、感謝、感謝!台風来ないで、選手を安全なキレイな海で泳がせたい、そんな気持ちで夫々の仕事をスピーディに要領良くこなしていった。そして、大会当日、皆の願いが通じたのか・・・?!台風は北上せず、台湾の方に進んで行った。波は落ち着いてきた。


自然の力には敵わないが、この大会も事故が起こらず無事終わった。台風も逸れてくれ、最後まで諦めず120%の力を出して準備をしてくれたチャモロの人達、ダイブロタ、セレナのダイバー達皆に感謝!でも、もう台風は来ないで!


最後に、現地チャモロの人達、ダイブロタ、セレナから皆様に「ありがとう」と伝えて下さい、とのことでした。100名余りの方々から昨年12月の大型台風ポンソナ被害義援金として、100万円弱の貴重なお金が寄せられました。本当にありがとうございました。


水中写真提供:ダイビングショップ・セレナ

Special Thanks:Dive Rota/Sirena/Rota Resort & Country Club/People of Rota