イベント報告
風速80mの驚異 in Saipan
2018年10月25日(木)
Super Typhoon 26 YUTU
【最大瞬間風速80mの驚異】

皆が眠りついた25日(木)午前1時頃から我々が宿泊しているアクエリアスビーチタワーが強風で揺れ始めた。鉄筋コンクリートなのに横揺れがひどい。10階だから特にひどい。皆、危険を感じ、 強風が吹きつける北側の部屋から避難して、安全と思われた奥のリビングに集まった。

午前1時半頃、北側に面した園川さんの部屋の窓ガラスが吹っ飛んだ。続いて、同じく北側にある2つの部屋の窓ガラスも吹っ飛んだ。 その風圧で、瞬時に北側の部屋とその奥にあるリビングを隔てた内壁が振動を始めた。それも微振動ではなく、50p程の揺れ幅でパコパコとした大振動だ。清本さんはヤバいヤバいを連呼している。中屋さんはその壁に備え付けてあるテレビをとっさに抑えようとした。その壁が破壊されるのは時間の問題だ。そうなれば、 中屋さんは内壁もろとも吹き飛ばされてしまう。即座に中屋さんにその場を離れるように言って、皆に台所へ入るように言った。 台所は風の通らない狭い空間で、窓から遠く、最も安全な場所と感じたからだ。もし、10階の窓から外へ吹き飛ばされたら一巻の終わりだ。

もちろん、電気は消えて真っ暗。灯りと言えば、中屋さんが持っていたトレラン用のヘッドライトだけが頼りだ。何となく台所内の人影が少ないような 気がしたので「皆、いるか?」と声をかけたところ、「原さんがいない!」と言い出し、慌てて原さんのいる破壊された部屋へ。真っ暗でよく見えないが、 ベッドの上に倒壊した内壁が!そして、ベッドと倒壊した内壁に挟まれて2本の足が出ている!

こんな時でも舘岡さんは携帯でその様子を動画に収めていた。ここで、我々に、もしものことがあった場合、残された記録になるからだそうだ。冷静だ。

その足を持ってずるずる引っ張り出した。不死身の男、原さんはやはり無傷だった。その後、皆、台所で身を伏せていた。台所以外の 空間は外からの強風が吹き荒れている。内壁の壊れた石膏ボードの破片やアスベストが飛び回っている。この際、誰もアスベストなど気にしていない。

それにしても横揺れがひどい。土台がゴムでできている建物の様だ。清本さんが「倒壊するかもしれない!」と言い出した。大西もその時、9.11の ツインタワー崩壊のシーンが頭に浮かんでいたので、瞬時に「よし、部屋の外へ出よう!」ということで。でも、風圧で入口ドアが開かない、 廊下へも出ることができない。それなら、台所でやり過ごす以外に方法はないと判断し、再び台所へ。雑学博士の市川さんは強風でビルが 壊れることはないと言うが・・ホンマかいな。

清本さん、中屋さん、舘岡さん、園川さんは台所の入り口付近に、市川さんは大型冷蔵庫を抑えている。原さんと大西はシンクの下で身を かがめていた。その状況下で、皆、中屋さんの薦めでナイロン製トラバックを頭からかぶった。多少とも頭を守れるからだ。空間を吹き抜ける風が寒い。

午前3時半頃にようやく風も収まり、ビルの揺れも収まった。すぐに7階の女子スタッフの部屋へ様子を見に行った。皆、よく寝ていた、 ケガもなく、安堵。窓ガラスや内壁は一部破壊されているが、10階の部屋ほど壊滅的ではなかった。

結局、誰一人怪我人を出すことなくやり過ごせた。この危機的な状況下で、誰一人パニックに陥らず冷静に行動できたことが、 全員が無事生還できた要因だと思う。それにしても遮るもののない南の島の台風は強烈だ。

動画:中屋重男

■台風26号(現地名YUTU)発生

X dayの1週間前、10月19日(金)、KFC先発組はサイパン入りし、サイパン島南部にあるコンドミニアムのアクエリアスビーチタワーの10階と7階に6人部屋を 3つ確保し、今年のアイアンマンサイパン2018のヘッドクォーターとした。この後、この選択が大変な結果を招くとは露程も思わずに。人生、一寸先は闇だ。

22日(月)、マーシャル諸島で台風が発生したのとニュース、でも、その時の予報ではサイパンよりずっと南にあるグアム島のさらに 南方を通過するとのこと。

23日(火)の予想では24日(水)夕方から25日(木)にかけて北マリアナ諸島(サイパン、ロタ、テニアン)に接近するとのこと。 この時の予報ではサイパン島の北方を通過する予想進路に変わっていた。

24日(水)の予報では25日(木)未明にサイパンとテニアン島の間を通過すること。24日(水)早朝(01:00頃)に我がKFCスタッフ6名、 ネオシステム2名、アスロニア2名、マーシャル1名の計11名が到着した。24日(水)の夕方までは快晴で風もない。しかし、 日が暮れてから風が出てきた。台風独特の湿った風だ。

24日の夕食後、皆でトラバックの袋詰めをした。外は暴風雨、窓のサッシの隙間から雨水が部屋に浸み込んできた。これは単に サッシの作りが粗末だから。この時点では、翌25日の朝までには台風がサイパン島を通過して、午後からは台風一過で天候の回復を予想していた。 地元観光局のスタッフも同様に考えていた。

大型台風と云えども、僅か数時間後にサイパン島が破壊されてしまうほどのダメージを被るなど、誰も想像していなかった。 島民ですら、想像をしていなかった。もし、予想できていれば、この時点で大会中止発表をしていた。過去の台風は30分ほどで島を横断してしまう。 ところが、今回はスピードが遅く、2時間も島内にとどまって猛威を振ったのだ。これが被害を大きくした主要因だ。

【台風一過とアイアンマン大会中止発表】

25日(木)明け方、大会の中止をアスロニアスタッフにWTCへ連絡を入れてもらった。同時に、FBやHPにも告知してもらった。今回、アスロニアにはWTCへの対応とアイアンマン独特のシキタリ部分を担ってもらった。また、日本でのアイアンマン大会の第一人者は白戸太朗だ。 だから、サイパンでもタロウさんにアイアンマンアドバイザーとして、表舞台でサイパン大会の顔としての役割を担ってもらうことにしていた。

一方、裏方で汗をかく仕事が得意な我々KFCは長年のサイパン人脈を生かして、コースやパーティ会場のアレンジ、地元関係機関との調整等々、さらに、 アイアンマンのロイヤリティ等々を含む運営経費全般の資金面を担った。サイパンのような弱小の島では、いつ何どき、何が起こるか分からない。 だから、誰かが資金リスクを負わなければ、アイアンマンのような高価なライセンスイベントの開催は難しい。だから、KFCがそれを負い、主催者となった。

そうはいっても、まさか、募集開始日の僅か1週間後の2月6日にユナイテッド航空から日本〜サイパン間の直行便を廃止するという発表があるとは思わなかった。飛行機がなければ、サイパンへは行けない。青天の霹靂とは正にこのことだ。 お手上げだ。その後の諦めムードに耐えて、何とか開催までこぎつけた。しかし、最後の最後、大会日2日前の台風襲来で開催不能となった。そして、この中止発表のタイミングが遅いという意見もあるが、 現場判断として、このタイミング以外での中止発表はありえない。

25日(木)の朝に成田空港を発って、グアム経由でサイパンへ来る予定だった後発組4人(アスロニアのタロウさん、バイクメカニックをお願いした宮塚さん、 トライスロン雑誌ルミナの村山さん、KFC専属カメラマンの小野口くん等々、いつものKFC組の面々だ)にも何とか連絡がとれ、すでに成田空港へ来ていた選手の皆さんへも大会中止のお知らせをすることができた。しかし、何人かの選手はグアム空港まで来てしまった。因みに、この日までにサイパン入りしていた選手は数名だった。 その中のフランスからの4選手はビーチの瓦礫清掃等々の復興ボランテァイをしてくれた。フランスには台風がないので、この惨状には驚いたことだろう。

【想像を絶する被災状況】

夜が明けて、外へ出てみると、駐車場の車は強風で吹き飛ばされ、ひっくり返ったトラック、他の車の上に載っている車等々、悲惨な状況だ。 我々4台のレンタカーも強風にもてあそばれ車体はボコボコ、ヒビの入ったフロントガラス以外は窓ガラスがない。今後の弁償が心配だ。

街へ出てみると、全ての電柱が倒れて道を塞いでいる。倒壊電柱は約3000本という。鉄筋以外の島民たちの家は皆吹き飛んで潰れている。 現地トライスロン連盟の友人たちの家も飛んでしまったと云う。空港は管制塔が壊れ、閉鎖になっている。電気水道のライフラインはダウンしている。

しかし、島の中央部ガラパン地区の外見はほとんど被害が見受けられない。スーパーもレストランもホテルも何事もなかった様に 自前の発電機で営業している。大会会場に予定していたマイクロビーチも大きな被害はない。島北部のケンジントンホテルはほとんど 被害なしという。

結局、島の南部の被害が大きく、中央から北部は大きな被害はなかったようだ。島南部にある空港とCOP、PIC、ワールドリゾート、それに 我々の泊まったコンドミニアムの4つのホテルが壊滅的な被害を被ったのだ。その後、それらのホテルは一時的な閉鎖に追い込まれた。

25日(木)から水と電気のない生活が帰国の29日まで、4日間も続いた。最も困ったのはトイレの水だ。駐車場に溜まった雨水をゴミ箱に汲んで、 10階まで階段で運んだり、破壊された部屋の床に溜まった雨水をバスタオルに浸み込ませて集めたり等々、ハードな力仕事だ。汗をかいても シャワーが浴びれない。被災地の生活とはこういうものなのだとじみじみと実感した。

チェックアウトの日、ホテルのマネージャーが箱入りチョコレートを山ほど待ってきた。他の客は「トイレの水を持って来い!」とか 「早く発電機を直せ!」とか無理難題な要求をしてきたけど、日本人は全て自分たちで完結してくれた。それに対する感謝の気持ちだと言う。 ホテルも同じ被災者、できることは自分でやるのが当然と思っていた我々にとって、この山のようなチョコレートにはびっくりだ。 ちょっと日本人の株が上がった瞬間だ。

26日(金)、米国政府からの援助物資も入り、米軍の連邦緊急事態管理局FEMA(Federal Emergency Management Agency)が到着し、 急ピッチで復興が始った。でも、公共の電機と水道は未だだ。道路も倒壊した電柱や飛ばされた瓦礫で大渋滞だ。ガソリンスタンドや 飲料水元売り会社の前にはそれらを求める車で長蛇の列だ。電気は3か月後に50%の復旧を目指すと政府発表があった。

28日(日)から有視界飛行だが昼間だけ空港が使えるようになった。韓国人の帰国難民約1500人を連れ帰るために、レギュラー便とは別に 韓国政府が手配した軍用機2機がサイパン空港へ飛んできた。中国からも政府手配の民間機が自国民救出に飛んできた。往路は救援物資を積んで、 復路は自国民を乗せて帰国した。因みに、日本政府は全く動きがない。

その後、空港は11月15日をメドに復旧作業を最優先で行うと発表した。現在、空港は夜間飛行が不可で、民間機はユナイテッド航空のみが 現地住民と支援団体関係者利用に限りグアムとの間で昼間運航している。韓国アシアナ航空等々、その他の航空便は全てストップしている。 サイパン島の非常事態だ。

2018年11月12日  KFC記