
2005年全日本宮古島トライアスロン大会
大会名:第21回全日本トライアスロン宮古島大会
開催日:2005年4月17日〔日〕
場所:沖縄県 宮古島
距離:スイム3.0km バイク155km ラン42.195km
参加人数:1,500人
最終出場者:1,295人
天候:曇り時々雨
気温:25℃
- バイク
- SPECIALIZED ルーベプロ
- タイヤ
- SPECIALIZED 700×23C 〔前後8.5気圧〕
- ホイール
- MAVIC Newコスミックカーボン
- アイウエアー
- ADIDAS a126 evil eye チタニウム
- バイクシューズ
- SPECIALIZED
- ウエットスーツ
- IRONMANウエットスーツロングジョン
- ウエア
- ZOOT トライワンピース
- ソックス
- SPECIALIZED クールマックス
- ヘルメット
- SPECIALIZED S1
- ランシューズ
- SAUCONY 2621 ブルー
- ハートレイト
- TIMEXボディーリンク
- サプリメント
- メダリスト ヴァーム
優勝〔日本人7年ぶり〕

第21回全日本トライアスロン宮古島大会での目標は、総合優勝であった。 そしてその目標を達成するのに避けては通れないのが、海外選手との対決であった。 今年も数人の海外選手が出場していた。 昨年のハワイアイアンマンワールドチャンピオンシップ23位のウクライナのヤストレボフ選手。 アメリカからは、あのツール・ド・フランスで6連覇したアームストロングのアシストをしていたというマクレー選手。 バイクの強い韓国の最強アスリート、パク選手、ドイツからは、アイアンマン・ランザローテ13位、 ハワイ52位のフーバー選手、アイアンマン・オーストラリア7位のアーサーソン選手と強い選手がこの宮古にやってきた。
日本人選手もほぼオールメンバーで登場、混戦模様は必至であった。 以前の私であれば、これだけの大きな大会、多くのライバル達を前にすると気負いすぎて、 自分のリズム、ペースを見失い、自滅をしてしまい、期待されながらも、トップ10にも入れなかっただろう。 しかし、今年は違った。とてもリラックスしていた。 これほどまでに自信を持ってスタートラインに立てたのは初めてだった。

宮古に向けて本格的にトレーニングを開始したのは、今年の1月からだった。 身体が壊れる寸前のギリギリのラインで、自分こそが宮古で優勝するのにふさわしいと思えるくらいのトレーニングを積んできた。 もし、宮古前に身体が本当に壊れてしまえば、自分はそこまでの男だと思っていたし、この大会で、 一生懸命に走ることが出来れば、たとえどんな結果になろうともそれを受け入れる覚悟はできていた。
当日の天候は曇り空、ときどき雨も降っていた。風は南東からで少し強く、気温は25℃と宮古島にしては涼しかった。 軽いストレッチとアップでスイムを500mほど済ませ、スタートラインに立つ。場所は有力選手の集う、一番内側だ。 スイムの強い小原さんの後ろで号砲を待った。
そして、7時30分にスタート!1,295人が総距離200.195qに挑む。 イン側は、最短距離なので多くの選手がいるので、スタート直後はバトルだ。 はっきり言って泳ぎにくかった。最初の第1ブイまでは600mなので、とりあえずそこまでは我慢するしかないと思い、ブイを通過。 通過してからは本領発揮し、ぐいぐいと進む。10人程度の集団を私が引っ張る。 前の集団とは、40秒程度の差が開いていて、すぐに追いつけたが、追いあげるつもりはなかった。 ここでは身体の自然の流れに任せて、余計な体力を使うのは得策ではないと判断したからだ。 6割程度の力でアップのつもりで泳ぎ、第2ブイを通過。あと1300mだ。 しばらくはこの調子で泳いでいて、残りあとわずかというところで、私の後ろで泳いでいた何人かの選手がペースアップをして抜かしていく。 「ちょい差し」されているようであまり気分はよくなかったが、まだ先は長いのでここでムキになってもしょうがない。 そしてスイムを20位でアップする。
バイクは島を1周半する155qだ。初めは追い風だったので速い。時速45qで飛ばす。 今回は新しいバイク「ターマック」を使わず、「ルーベ」を使った。ターマックの調子が良かったが、まだ数回しか乗っていなかった。 ターマックは攻撃的で戦闘能力の高いバイク。多分、これだと調子が良すぎて、予想以上にバイクで頑張ってしまい、 知らず知らずに体力を消耗している場合がある。 そうなると、その後のランに影響を及ぼす可能性があると感じたので、ここは無難に乗り慣れているルーベを選択した。
ルーベは、ターマックのような攻撃的なバイクではなく、長距離タイプのコンフォートバイクだ。 これだとバイクスプリットを取ることは出来ないかもしれないが、その代わりに身体へのダメージは少ない。 155qと少し短いバイク距離である宮古島で勝利するには、バイクの強さよりもランの強さが必要なのである。
前を走る選手をどんどんパスし、しばらくバイクの航海は順調に進んでいた。 動き始めたのは、45q地点。韓国のパク選手と抜かしたはずのマクレー選手がやってきた。 パク選手は、スイムが弱いはずだったのだが、それを改善して強くなっていた。 例年ならスイムで10分近くの差をつけていたのが、私とのスイム差はたったの2分! これにはさすがに焦った!私はバイク40q地点を1時間〔時速40km〕で通過したので、 彼はおそらく、58分台の猛スピードで飛ばして来たのだろう。 そしてそれにうまくマクレー選手が便乗してきたみたいだ。
ここから先のバイクコースは、起伏の激しいコースだ。そして強い風が、余計にバイクの差をつける。 私はこの2人についていこうと思った。しかし、それによって心拍数が10以上上昇してしまった。 これではオーバーペースになる。ランで勝負できなくなると思ったので、ここは一歩引き下がった。 しかしこのまま行かしては、ランで挽回できないほどの差をつけられてしまう懸念があった。 ここ数年、日本人が勝てない理由は、このバイクで海外選手に大きな溝を開けられしまうことだった。 走りながら作戦を考え、バイクでの差を最小限に抑えるギリギリのスピードでいくことにした。 昨年、パク選手とは、バイクトレーニングを一緒にしたことがあり、 そのときに同じ強度でお互いの心拍数はほぼ同じだったので、実力は互角。だから心拍数を管理して走ればそんなに差は開かないはずと思った。
95q地点の来間大橋は、選手とすれ違うので差がわかる。 先頭はスイムのスペシャリストの疋田選手で差は7分程度。彼はバイクも強いので最後まで逃げるだろうと思った。 ただランは苦手なので先頭でも特に問題はない。次にマクレー選手、パク選手、差は4分くらい。 しばらくしてケンズの中本選手だ。差は30秒くらい。彼は26歳とまだ若く、宮古は初参戦だ。 私も宮古を挑戦したのが25歳のときで、そのときは13位に入った。彼は最終的に10位になり、素晴らしい成績をおさめた。 今後が期待される選手だろう。5番目で私。6番目以下の選手とは来間大橋ですれ違わない。 ここで後続とは10分差がついていることを把握。105q過ぎに中本選手をパスし、4位に浮上。 そして残りの後半50kmを快調に飛ばす。疲れはあったが、それ以上に研ぎ澄まされた集中力のほうが優っていた。 バイクを4位で終了。最後のフルマラソンに移る。
ランスタートで、先頭とは4分差だったので、そんなに離されていない。 むしろ後半のバイクスピードは私のほうが速かったかもしれない。 7q地点で沿道にいた宮塚さん〔宮古島4回優勝経験者〕に声をかけられる。「チャンスだから行け!」と。 気合が入った。10q地点でスイム、バイクで逃げた疋田選手をパス。疋田選手は私に「リラックスして行け!」と声をかけてくれた。 彼とは過去にトレーニングをしたこともあり、その一言は嬉しかった。あと前を走るのは2人の外国人選手。 後続からはランに勝負を賭けている、田村選手、河原選手、ヤストレボフ選手が必ず追い上げてくることは絶対だ。 ランでつぶれたら、彼らに喰われることは間違いない。ランはサブ3が絶対に必要だ。 それが出来なければ、前の2人に追いつくことさえできない。 だからこそ、この日のために、一番多くのトレーニングをしてきたのがこのランだった。自信はあった。
16q地点で、マクレー選手を捕らえる。2番目に浮上。あとはパク選手のみ。 彼との差は2分だ。だがその2分がなかなか詰まらない。彼も良いペースで走っているからだ。 宮古のランコースは21qの折り返しで、アップダウンも多い。どうすれば差が詰まるか考えた。 そういえばバイクのときの、パク選手の「のぼり坂」のスピードは、そんなに速くなかった。 ならばランでも同じことが言えると思った。得意の「のぼり坂」で一気に差を詰める作戦にでた。 折り返し手前の坂で一気に差を縮め、ついに23q地点でパク選手をかわし、初めてこの大会のリーダーになる!
トップは気持ちが良かった。だが、トップにたったのと引き換えに、自分もかなりのダメージを負っていた。 競り合いになると補給を怠る場合があるので、どうやら前を追うあまり、補給がおろそかになってしまったようだ。 血糖値が下がりはじめ、めまいがしてきた。心拍数も上がらない。 ペースが落ち始めた27q地点で、抜かしたはずのパク選手にかわされる。 彼も最後の勝負に出てきた。私の血糖値は、まだ下がったままだ。正念場だった。 なんとか離されないように踏ん張り、エイドステーションにある梅干、オレンジ、レモン、コーラなどで、糖質を補給。 復活するときを待った。しだいにめまいはなくなり、心拍数も上がってきた。決着をつけるべく、私も最後の勝負にでた。 そして31q地点で、渾身のスパート!再びパク選手を捕らえ、一気に突き放す。 みるみると差が広がり、ついに独走態勢に入った。あとの10qはもう気力だ。 そして油断しないように、最後まで気を抜かないように走った。そしてついに最初にゴールテープを切った。 日本人選手として7年ぶりの王座奪還に成功した。
さすがにゴール後は、ヘロヘロでした。 あまりインタビューに受ける力もなく、すぐに点滴のお世話になってしまい、来年はもっと元気でゴールしたいと思いました。 しかしながら、今回のレースはきつかったが、とても味があって面白かったです。
こうやって優勝できたのも日ごろ、私をサポートしてくださる皆様のおかげです。 感謝の気持ちでいっぱいです。昨年の宮古島はパッとせず、それでも私のことを信じて、 支えてくださり、本当にありがとうございます。 自分はこうやって強くなることでしか恩返しはできませんが、これからもどうか宜しくお願い致します。
宮古を制覇しても、今シーズンはまだ始まったばかりなので、これに満足することなく、 ここからが出発点だと思い、これからも夢や希望、感動を与えられる日本のトップアスリートとして頑張っていきます。
5月22日 アイアンマンジャパンin五島長崎
2005/4/25 松丸真幸 記